コクハク


 『贖罪教』の教会は、城壁で囲まれている『ヴァスティマ』内でも、かなりの土地を占有している。全体像は聖書の文字でしか知らない王城のようで、入り口から教室までには、とても長い廊下が存在する。


 先生として教室への往復を、殆ど毎日行なっていたため、おかげで歩く体力だけは付いたが、この廊下は聖書の読み聞かせがある日には、私の精神を最も憂鬱にさせる道であった。


 そんな真上から僅かにズレた太陽の光が差し込む憂い多き廊下を、今日は勇者と共に堂々と……むしろ『贖罪教』の関係者に見つけてほしいと言わんばかりに進んでいく。


 ──実際は何度も通っているため、この近辺は『贖罪教』の関係者が寄りつかない事を承知しているからこその態度であった。それになによりも、もし何かあってもエクレルが傍に居てくれるという安心感を感じてしまっているからだろう、私は卑しい〈人間〉だ。


「──エクレル。私は隠していた事がたくさんあります」


 そろそろかと、私は長い廊下の途中で足を止めて、彼が感じていた奇妙な違和感の答えを語り始める。


「三百年前、勇者エクレルが消えた後、〈六頭人種〉は『勇者贖罪教』という団体を立ち上げました」


「……勇者……贖罪教……?」


「今は名前を変えて『贖罪教』という名で呼ばれています」


 ──私の勘違いかもしれないが、名前から勇者が消えたことを知ったエクレルの呼吸が、僅かに安堵の息を吐いた気がした。


「『贖罪教』が立ち上がった理由は、どこかへと居なくなった勇者に、何時か反省の意思を見せて許してもらうこと」


「────────は?」


 腹の奥底から理解ができないという声に、私は内心で“やっぱり”とだけ思った。


「なにを言って……」


「三百年前、魔獣を倒し、〈七災魔族〉を倒し、そして魔王を倒し世界を救った勇者は酷い裏切りにあい、下劣な〈六頭人種〉を半分ほど討ち滅ぼしました。そして残りの半分の〈六頭人種〉にある言葉を残しました」


「…………」


 私は後ろを振り向きエクレルを見た。あの空き地で初めて出会ってから今に至るまで、彼は見たことのない呼吸を忘れたような表情をしている。


「──“俺が再び現れるまで、心から反省しろ”」


 それは、妹を、両親を、友達を、仲間を、愛する人を、故郷を奪われた勇者が言い残した言葉。


 そして妹を、両親を、友達を、仲間を、愛する人を、故郷を勇者から奪った〈六頭人種〉たちに残された言葉。


「〈六頭人種〉は、この言葉に従い、勇者に反省の意思を示すために『贖罪教』を立ち上げて──ヴァスティマ帝国を元に、この『ヴァスティマ』を作ったのです」


「……つく……った……?」


 考えても理解ができなかったのか、疑問の声はあまりにも掠れていた。


「誰が書いたかは不明ですが、勇者エクレルを……貴方を正確に記した書物があるんです。それを『贖罪教』は聖書と認定し、その内容を元に人生を定めて3000の〈人間〉たちが生活する国を作ったのです──それがこの三百年後の『ヴァスティマ』という国なんです」


「じゃあ、……まさか……お前はっ!!?」


「エクレル。この国は貴方から奪ったものを〈六頭人種〉が模造したものなのです」


「そ、そんな馬鹿な話が……っ!?」


 腹の底からの叫ぼうとした勇者であったが、急に首を横へと動かし、窓の外を見た。


 その先にあるのは教会堂。ここから内部は見えないが、この時間帯は私が受け持つ生徒たちよりも上の、年長者の子供たちが集められて聖書の音読会が行なわれている。


 ──この距離では教会堂の壁を超えて、私の耳には届かない。だけど勇者の耳なら知れるだろう。三百年間、『ヴァスティマ』の民が教え込まれた、〈六頭人種〉のおぞましい罪が子供たちの声によって。


 ──〈人間〉は、勇者の妹を強姦して殺しました。


 ──〈獣人〉は、勇者の父と母をバラバラにして食べました。


「やめろ」


 ──〈エルフ〉は、勇者の友達を拷問に掛けて処刑しました。


 ──〈ドワーフ〉は勇者の仲間を解体して家具にしました。


「やめろ!」


 ──〈妖精〉は、勇者の愛する人を狂わせて自害させました


 ──〈竜人〉は、勇者の故郷を無慈悲に燃やしました。


「やめろぉ!!」


 ──ごめんなさい、勇者様、ごめんなさい。


「──初めまして。私は貴方の愛した人、プリカティアの人生を与えられた──ヴァスティマの民です」


 三百年の時の中で狂い果たした酷く薄情な真実を、私は勇者に告白した。


 ────本当なら、心からあの子たちのように貴方に祈りたい。でもそうしてしまうと、貴方は許してしまいそうで私は謝罪も贖罪も口にださず、反省を示すことだけは最後までしないと決めた。


 怒ってほしい。エクレル、どうか人として怒ってほしい。貴方の全てを奪った〈六頭人種〉に等しい、あるいはそれ以上な行ないをした私を。


 ──貴方に助けられてから私は短い時間で色々な事を考えた。そうして思ったのは私たち『ヴァスティマ』は許されてはならないという事だ。


 自分たちを作ったのは『贖罪教』であるが、理由はなんであれ、現に存在してしまっている貴方の大切な物たちを模造した存在を、貴方は許容してはならない。エクレル、貴方は怒るべきだ。その結果さらなる傷が付いて終わっても、私たちを許容するべきではない……だって、その先にあるのは想像を絶するほどの苦痛に塗れた永遠に等しい時間を耐えなければならない日々になる。


 ──私たちをたった一度でも許してしまえば、私たちがどんなに不細工な模造品であっても、貴方は例外なく受け入れてしまう。そしてそれは〈六頭人種〉の反省をも受け入れる事と同義だ。


 ダメだ、それだけはダメだ。ごめんなさいというたった一つの言葉だけで終わっていいものではない。でも私を助けてくれた貴方は、この『ヴァスティマ』に同情して許してしまいそうだった。それは生まれてから見てきた聖書に描かれた勇者エクレル、そしてたった数時間であるが直接目で貴方を見たことによる確信だ。


 エクレル、醜悪な私たちを怒りによって拒絶してほしい。心の底からそう思っている……でも、どうしても頭に過ってしまう、ポーロ、モニカ、先生プリカティアとして接してきた子供たちの姿を。


 何も知らないあの子たちを考えると、どうしても、どうしても、最初から貴方に三百年後のこの世界の事を伝えて終わらせたくは無かった。


 エクレルには私たちを拒絶して生きて欲しいと思う私、子供たちと、子供たちが育つために必要な物を残して欲しいという私。まるでの心が混ざり合ったような気持ち。


 だから、エクレル。どうか私たちを許さないで、贖罪教の意思に沿わないで。貴方が狂いきれないほどに優しい人だと言うのは分かっています。


 私たちの一方的な反省を背負わないで、怒りに打ち震えて、子供たちの声が聞こえる『贖罪教』の教会にて誰もいない廊下で既に極刑を受けているはずの、貴方が愛した人を模した偽物の命を消費し、一度だけ、ここまで見てきた『ヴァスティマ』と、そこで暮らす子供たちを考えてください。それでダメだというなら、それはもう仕方の無いことです。


 ──希望が断たれ、苦痛だけが残るであろう、その先に、貴方が納得できる未来が有る事を──それが、貴方の全てを失わせた〈六頭人種〉でしかない、私の願いです。


「────やめてくれ」


 だけど、真実を知ったエクレルは、しばらくの間、弱々しく両手で顔を隠すだけで、怒ることも、泣くこともしなかった。


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