間違い



 カランコロン。ひどく聞き慣れすぎて、鳴ったかどうか分からなくなっていたドアに取り付けられた鐘の音は、今日はいつになくはっきりと聞こえた。


「いら──しゃい……」


 客を迎え入れようとした地下酒場の店主。マスターは私をギョッと驚いたかと思えば後ろの棚に背中をぶつけた。


「なっ……え……」


 口をパクパクさせているマスターは、カウンター席へと座る私をずっと視線で追い続けて、その横の座った生気のないエクレルに気づいていない様子だ。


 ──この反応から見るに、私のことを『贖罪教』に告発したのはマスターで間違いないようだ。


「マスター。お酒を……客人にもお願いします」


「え? ……ああ、うん、わかったよ」


 もしかしたら、告発したのをバレていないと思ったのか、マスターはいつも以上にビクビクとしながらも、平静を装い対応し始めた。


 ここでエクレルに気づいたマスターであったが、自分のことが気になって仕方がないのか、明らかに様子がおかしい見覚えのない客人を深く追及することはなかった。


 ──いや、元から、他者に強く言える人ではなかったか。


「じゃ、じゃあ、用意するね……」


 マスターは、私が怖いのか、お酒を用意している間、決して背中を見せようとはしなかった。


「そ、そそれにしても、どうしてここに? ……えっとその、深い意味はなくて、今日は早いなって……」


「ここでしかお酒を飲める場所がないので」


「そ、そう……いつ帰るの?」


「いつものように三杯飲んだら帰ります」


 沈黙に耐えられなかったのか、話しかけてくるマスター。その内容は早く帰ってほしいという強い気持ちが伝わってくるが、スルーする。


「ど、どうぞ……」


「ありがとうございます」


 ビクビクしながらも、マスターは律儀にヴァスティマ産麦酒を二つ出してくれると、カウンター裏へと逃げるように居なくなってしまった。


 ──確かにショックなのだろう。マスターはプリカティアとして生きなければならない私として、唯一まともに話すことのできる年上だった。


 でも、だからって私はマスターに甘えすぎてしまった。それに私にはもう『ヴァスティマ』の民に、〈六頭人種〉に何かを言う権利はない。なにせ誰よりも、エクレルに苦痛を与えたのだから。


「どうぞ……ヴァスティマ産の麦酒です。確か2杯までなら普通に飲めるんですよね?」


 ──失敗した。取り返しの付かない過ちだけが残った。私は彼を自由にさせることはおろか、彼の苦痛を何十倍にも増やしただけで終わってしまった。真実を知ったエクレルは怒るどころか、泣くこともなく、ただ静かに両手で顔を隠し続けた。


 私は、自分でこんな事をしておきながら、どうしていいか分からず、なにも考えずにエクレルに接近すると、彼は私の裾を掴んで、残った気力を全て使ったかのように、小さな声でお願いをしてきた。


 どこか酒を飲める場所に連れてってくれ。私は断ることが出来ず、こうしてマスターの地下酒場へとやってきた。


「…………俺が酒に弱いってのも、その聖書って奴に書いてあるのか?」


「はい、中には、お酒が弱い事で起きたトラブルについて幾つか」


 ──私の裾を掴んだ理由は分からないが、少しでも彼の気が晴れるようと、私は平静を装い会話を重ねる。


「それに……なんでもありません」


「言ってくれ」


「……私たちの食事は制限されており、聖書に記されている勇者が飲食した物のみ食べられる事ができます。なので、私たちが飲むことを許されている酒は、このヴァスティマの麦酒だけ、それも一日に三杯のみとなっています」


 なんど口にしたって意味が分からない定めだ。でも今となっては、この麦酒は私にとって何よりの贅沢な物となった。まさかまたこの麦酒を飲めるとは思わなかった。


「〈ドワーフ〉の火酒だって、〈エルフ〉の清酒だって飲んだことあるんだぞ……」


 ──ああ、そうなのかと、聞けば当然だと納得する話でしかなく、彼はあの火酒を飲んだ事があるみたいだった。


「それでも、聖書に記されなかった以上、私たちには飲むことを許されませんでした」


「……この麦酒。アルコール低いだろ? 酔えるのか?」


「私はちっとも酔ったこと無いです」


 ヴァスティマ産の麦酒は、とことん度数が低い。三杯飲んで酔った事は無かった。といっても火酒を飲んだとき、直ぐに酔いが回ってきたので特別強いという訳ではないのだろう。


 正直、頼みはしたものの飲まないかと思っていた予想に反して、エクレルは麦酒を一気に飲み干した。空になった木製ジョッキを置いて、ふぅっと息を整えるエクレルの顔は既に赤みが帯びている。


「……まずい……荒い方かよ」


「荒い方?」


「魔王軍の侵攻で本気でヤバかった時、麦畑が殆ど駄目になって、まともに酒作りが出来なかった時に出回った奴だよ。その後、状況がちょっと良くなって、従来のヴァスティマ産麦酒が出回るようになってから、こっちの方は“荒い方”って言われるようになったんだ」


 ──確かに、飲むたんびに美味しくないと思っていたけど、まさか『ヴァスティマ』が劣勢時に飲まれていた一時しのぎ品の偽物だったなんて……なんだかな。


「……本物のヴァスティマ産麦酒は、どんな味なんですか?」


「あっちの方がもっと麦の味が濃くて、……俺はあまり好きにはなれなかったが、それでも一口飲めば、ジョッキを空にできるぐらいに飲みやすかった」


「そうなんですか?」


「ああ……本当は元の麦酒が造酒されるようになって無くなる予定だったが、こっちの方が好きって声が多くあがって、結局、元のは“きよい方”、こっちは“荒い方”って違うものとして残される事になった」


 ──元々は代わりだった偽物は、本物の代わりには慣れなかったが、別に等しいものとして扱われるようになった。単なる麦酒の話なのに、どうしてこんなにも拒絶心が湧くのだろうか。


「“清い方”はあるのか?」


「……分かりません。私たちは飲めませんので」


「そうか……」


「はい……──」


 私は木製ジョッキを口に付けると、そのまま一気に中身を飲み干した。相変わらず不味く、お酒っぽい味はするが、体が熱くなるような事は無かった。


「良い飲みっぷりだな、〈ドワーフ〉並だ」


「流石に水のようには飲み干せませんよ」


 冗談の類いなのは分かっているが、水の代わりに酒を飲む〈六頭人種〉と一緒にされるのは恐縮過ぎる。


 ──エクレルが、いまどんな気持ちなのか分からない。それでも私は彼に付き合い続ける。


「……マスター、お代わりください……マスター!」


 大声で呼ぶと、マスターは少し間を置いて出てきた。その手には裏で淹れたお代わりを持っており、それをカウンターへと置くと、こちらを見て顔をしゃっちゃかめっちゃかにしたと思えば、結局ひと言も喋ることなく、再び奥へと引っ込んでしまった。


「数を指定していなかったので、エクレルのも来てしまいましたね。アレでしたら私が飲みますが?」


「いや、飲むよ……マスターとは、なにかあったのか?」


「本人から直接聞いていませんが、私の事を教会に告発したのがマスターなんです」


「……そんなやつの所で酒飲んでいるのか?」


「ここでしか、お酒が飲めないので……そう決まっているんです」


 今更、『贖罪教』の定めた生活を守る義理はないのかもしれないが、プリカティアである私が、なにも事情を知らない酒場へ行っても、騒ぎになってしまうだけだと、悩んだ末にここに来る事にした。


 ──告発したのが本当にマスターであったのか確認したくなかったかと思えば嘘になる。


「──ああ、ここもなのか」


 エクレルは地下酒場を見回して、ここがプリカティアに縁がある酒場である事に気付いたようだ。


「聖書曰く、プリカティアは聖職者でありながら、夜は地下酒場にて飲酒をする事を日課にしていたとは本当の事ですか?」


 このままだと彼は何も語る事なく、感情を溜め込んでしまいそうだと、私の方から話しかけた。


「……子供とお酒が好きな人だった。だから授業が終わったら、これは社会貢献だからって言い訳しながら、目立たない地下酒場に入り浸っていた」


 プリカティアは、当時存在していた宗教団体に属していたシスターであり、信仰心が高く、慈愛に満ちた人であったとされている。


「お酒が好きで、俺とは正反対に強かった。でも直ぐに酔っ払って……まあ、そこが楽しかったりしたよ」


 一方でかなり俗世に染まった趣味をしていたらしく、聖職者らしからぬ飲酒による迷惑行為などに、まわりは度々注意されていたとある。


「俺達の酒盛りは、プリカが酔うのが開始の合図みたいなもんだった……みんな酒に強くってさ、俺だけが直ぐに潰れて、アルコールの臭いで目が覚めて、酒瓶と酔っ払い共の地獄絵図を見るのが定番になってて…………」


 エクレルは二杯目の麦酒を、再び勢いよく、されど時間を掛けて飲んでいき、そして残った麦酒をカウンターへと叩き付けた。


「────なんでっ! だよ!!」


「わかりません……私には何もわからないのです」


 エクレルの悲痛な叫びに返せるものはなにも無かった。ただ分かるのは私たちの〈六頭人種〉は、過ちを犯し続けていることだ。


「俺はそんなつもりじゃ……そんなつもりじゃなかったんだ……」


 ──俺が再び、現われるまで反省しろ。大切なものを全て奪われた彼が残す言葉にしては当然で、むしろ優しすぎるといってもいい、私たちに与えられた慈悲。それに対して示した私たちの誠意は間違いきっているのは分かりきっていた。


「──アレを言ったのは、そういうことじゃないんじゃ……ただ本当に……」


「……エクレル……?」


「──俺は、ただ逃げたかったんだ。自分がやった事から」


「それは……〈六頭人種〉の人口を半分にまで減らしたことですか?」


 その問い掛けに、エクレルは沈黙にて肯定する。


「……ですが、あれは当然の行ないです。貴方の行動は間違いなく正当性があるものです、〈六頭人種〉は当然の末路を迎えたのです。貴方が罪を感じることなんて……なにも無い筈です……!」


 自分たちを救ってくれた勇者に対して、〈六頭人種〉は裏切った。あまりにも酷い仕打ちを行なった。であるならば人口の半分を虐殺されたのは当然の報いだ。


 そんな〈六頭人種〉に等しい事をやった自分が言えるものではないのは分かっているが、これだけは、これだけは否定して起きたかった。でなければ、優しい彼は自分の行ないだけを数えて罪に苛まれてしまうと思ったからだ。


「──違う。俺がやったのはだ……虐殺だ……」


「それは……それでも、貴方に対する裏切り行為は〈六頭人種〉の総意だった筈です」


 勇者を排除する号令を掛けたのは、〈六頭人種〉各々の代表たちであった。その全てが勇者を殺すために動いたとは思わないが、それでも彼を裏切ったのは国であり人種そのものであった。、〈六頭人種〉である以上、彼に対するしでかしに無関係ではない。


「確かに俺を狙ったのは国だった、〈六頭人種〉というグループだ。でも“全員”じゃなかった。普通の人の中には事情を知らない奴もいたし、俺の事を慕ってくれる奴だって確かに居たんだ」


 ──考えなかったわけではない。勇者を裏切った〈六頭人種〉は、勇者の家族や仲間を殺し、故郷を燃やしたが、自分の国に混じっている勇者を彼を慕っていたものも何かしら対処したのかと。


 ──勇者が殺した半数は、本当に全員が勇者に敵対するものだったのかと。


「──みんな殺された後。俺は正気を失って……まだ生き残っている仲間が居たら狙われるって思った……いや、これも結局は殺すための言い訳だったのかもしれないが……だから、それぞれの国を順番に……俺から襲撃した」


「エクレル」


 呼び掛けるが反応する事は無く、大きな独り言を話続ける。


「これは正当防衛だって、命令をした王様の家族や関係者、攻撃能力がある兵士とか傭兵とかを狙った。それだけを狙ったつもりだった……」


 ──彼はただ何時ものように守る為に戦っただけなのだろう。


「……でも、無我夢中過ぎて俺は魔法を制御できていなくて……広範囲に高出力の電気を放電してて ──俺が移動したルートに居た人たち全員が感電死した……」


 ──それは本人すら感知する事のできない光速の中で起きていた事故だったのだろう。


「どの国も俺が来ることを想定していたから、兵士が国内に広がっていて、関係者が散らばっていて……だから俺も国中を駆け巡って……全部終わったって思って公園に降り立ったんだ……」


「エクレル。いいです、なにも言わなくていいんです……エクレルっ!」


 体に触れて、大声を放つが彼の懺悔を私には止めることができなかった。


「そこに……そこに……倒れていた子供が何人も居た。どこの店でも買える勇者たちの玩具を手に持って倒れていた……電気の紋様が全身に浮き出ていて、息も心臓も止まっていて、そこで自分のやった事を知って……っ!」


 ──これが三百年前、勇者の激怒の真実。怒りにまかせた無差別虐殺ではなく、いつも通り誰かを守るための戦いで起きた事故による殺傷。


「──俺は、俺は無関係な人を、子供を殺した。世界中の、どの国でも! 沢山にっ! 殺したんだ──!」


「……では、あの言葉の真意はなんだったのですか……反省しろとはいったい……?」


 考える間もなく、無意識に尋ねていた。


「殺した子供の親が来て、声を掛けてきた……って、って泣きながら……」


 子供を殺された筈の父親が口にしたのは、優しい勇者の怒りに触れたという、彼を理解した謝罪の言葉であった。


 それは恨みを言われるよりも、怒りをぶつけられるよりも、取り返しの付かない事をしてしまったと感じたに違いない。


「……怖くなった。……みんなに顔向けできない事をしてしまったって……それ以外にも色んな事を考えて……」


 ──勇者エクレルが残した、あのひと言は誰かに反省を促すものではなく、謝罪を求めるものではなく。


「──咄嗟に全ての責任から逃げたんだ」


 ──己の罪に対する、とっさに付いてしまった、その場しのぎの言い訳だった。


「全部、俺の所為なんだ──この『ヴァスティマ』は……全部俺の……謝っても許されるものじゃない……俺は……」


 前提が違っていた。彼が『ヴァスティマ』で感じていた事は、〈六頭人種〉にされた所業ではなく、己のしでかした罪だ。怒るわけがない。彼は私たちを『ヴァスティマ』が生まれた理由を、自分のしでかした罪が原因だと思って居たのだから。


「──それでも、それでも間違えたのは〈六頭人種私たち〉です──」


 静かになる彼を見て、どれだけ酷い慰めであるかを承知であっても、言わずには居られなかった。


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