『ヴァスティマ』を一緒に回ってほしいという私のお願いに、エクレルは大丈夫なのかと、見つかったらまずいんじゃないかと大きな独り言で心配してくれたものの、私は聞こえないふりをして、半ば強引に外へと出た。


「三百年か……」

「はい、記録上の数字ではありますが。勇者エクレルが居なくなってから、三百年の時間が経ったとされています」

「……その、なんだ……名前の頭に勇者を付けないでくれ」

「あ、いえ、今のはあくまで記録上の呼び方をしただけなので……」


 誰もおらず侘しいレンガ道を歩く最中、左右を見て落ち着かない様子のエクレルと知識のすり合わせを行う。


 やっぱり思った通り、エクレルは自身が〈六頭人種〉の前から消えた時よりも、今が遙か先の未来である事は自覚していた。しかし、正確な時間は分かっていなかったようで、三百年という数字を伝えるとマジかと呟き、驚いている様子を見せた。


「……エクレルは三百年、どこに居たのですか?」

「あー、ちょっと“最果て”で寝てた」

「寝てた? ……三百年もですか?」

「まあな」


 嘘を吐いているようにも、誤魔化しているようにも見えない。どうやら“ 果て”と呼ぶ場所で三百年間、眠っていたのは本当のようだ。もしかしたら、それが原因でエクレルは今の今まで見つからなかったのかもしれない。


「それで、起きて最初に来たのが『ヴァスティマ』だったんですか?」

「……ああ」


 まさかと思い尋ねてみれば、目覚めて一番最初に来たのが、この『ヴァスティマ』だったらしい。でも、そうだと疑問が湧く、ヴァスティマ帝国は、勇者たちを亡き者にする提案をした主犯である。その本国となる場所に、どうして最初に来ようと思ったのか。


「ですが、どうして?」

「別に深い理由はない。たまたまだ──もしかしたらって思ったんだ」


 案の定エクレルは隠し事ができないらしく、大きい独り言で理由を口にしてくれた。そのままの意味で解釈すれば、彼はであるのを期待したのかもしれない。


 ──三百年という長い眠りの中で、彼は幸せな夢を見続けたのだろうか? そうじゃないといいな。


「……そういえば、どうして俺が勇者だと直ぐに信じたんだ?」


 ここにきて、エクレルは根本的な疑問を尋ねてくる。確かに彼の視点からすれば私は、突然目の前に現れた300年前の人物を直ぐに信じたやつになるのだろう。


 理由をひと言で言えば、“聖書”に記されたからに尽きる。聖書に記された勇者エクレルと、隣を歩くエクレルが、この短い時間でも同じだと分かってしまうぐらいに印象が全く一緒なのだ。


「その……“聖書書物”に載っている勇者エクレルが、本当にそのまんま貴方だったので」

「……マジか?」

「マジです」

「それ書いたの誰だよ……」


 そういって頭を抱えるエクレル。その疑問は私もずっと気になり続けている謎である。


 聖書の著者は分かっておらず、正体は全くもって不明となっている。何度か『贖罪教』の関係者に尋ねてみたりしたのだが、誰もが知らないと言って、まともに取り扱ってくれなかった。


 ──『贖罪教』は聖書の著者を隠している、なんて思うほうが自然なのかもしれないが、常日頃の怠惰な勤務態度を見ていると、今では本当に知らないだけな気がしている。


「それに……」


 また聖書の内容が合致するからだけではない。もっと感覚的に、言葉にするのは難しいものであった。そうこれは『ヴァスティマ』の民だからこそ、エクレルは本物なのだと感じ取れたのだろう。


 ──そもそも、仮に偽物だったとしても、貴方を勇者じゃないと疑うものはいないのかもしれない。


「あとの理由は……この国の現在を見てくれば分かります」


 抽象的な言葉でしか言い表せなかったが、エクレルは何か感じ取ったのか、私の言葉を静かに受け入れたようだった。


 ──私は『ヴァスティマ』の案内が何事もなく終わり、彼がこの国の正体に気付かなかった時には全てを打ち明けるつもりだ。


 それで、彼がどういった決断をするのか、それを私を含めた今を生きる誰にも決める権利はない。そうやって〈六頭人種〉は生きてきたのだから、


「ん? この道は……」

「そうですね。きっと予想通りだと思います」


 だから『ヴァスティマ』の民にとって、〈六頭人種〉にとって、エクレルには何も知らずに、私たちの今の日常を見てもらうべきだと、彼を案内する。


 +++


 最初に私たちが訪れたのは、『ヴァスティマ』で店が立ち並ぶ商店街であった。店舗だけではなく、出店も立ち並んでおり、朝から夕方にかけて多様な物を“購入”することができる。


 ──とはいえ『ヴァスティマ』には通貨が存在せず、そのため商店街での売り買いに金銭のやりとりは発生しない。ただ売られている商品を持って行く事を“購入”と呼んでいるに過ぎない。


 単なるごっこ遊びに過ぎないのかもしれないが、なにぶんお金で物を買った事がないため、他から見れば、どれだけ歪な行為なのか、私には比べようが無かった。


「街並みは変わらないが……やっぱり少ないな」

「今の『ヴァスティマ』は〈人間〉のみが暮らしています」

「どうりで他の種族が見えないわけだ」


 どうやら300年前の町並みは、ちゃんと維持されてきたらしい。プリカティアの家がある住宅街とは違い、店主から客と〈人間〉が、それなりに行き交っていた。とはいえ当然な話であるが300年前と比べると人が少なく、かなり寂れて見えるみたいだ。


「三百年前は、どれほどの人がいたんですか?」

「数えきれないぐらいだな。それに他の種族もたくさんいた。といっても難民とか……まあ色んな事情を込みだったけど」


 三百年前のヴァスティマ帝国は〈人間〉第一を掲げた国であった。そのため当時の〈六頭人種〉は、差別的に扱われていたらしい。


 聖書から読み取れる断片的な情報を組み合わせると、エクレルが徴兵された時期には、魔王によって〈六頭人種〉は末期的に追い詰められており、かなりの数の難民がヴァスティマ帝国に押し寄せてきたという。


「……寂れたな……」


 心なしか声色が落ち込んでいるようだと思い、エクレルを見やると何かを考えているようだった。


 彼が自虐的な思考へと陥っていると判断した私は、老婆が店番している出店からオレンジを一個取った。言葉も無しの行動であるがお金のやりとりも無ければ、反応される事もない。これが『ヴァスティマ』の買い物である。


「エクレル。これから動きますし、これをどうぞ」

「……これ、オレンジか?」

「はい」


 思考を逸らすことに成功したようで、エクレルは懐かしみながら分厚い皮を難なく剥いていく。


 このオレンジというフルーツは、元々違う名前で呼ばれていたらしい。しかし、勇者エクレルが食べる度にと呼ぶものだから、いつしかそれが新しい名前として定着したという。


 このように勇者エクレル独自の呼び方をしていた物は数多く存在し、勇者が口にした名前だからと、人種によって呼び方に違いが出てトラブルが発生していた物の固有名詞を定めるのに多いに役にたったという。


「──すっぱっ。ほんと三百年経っても変わってねぇ、少しは甘くなれよ……!」

「好んで食していたと聞いていますが、違うんですか?」

「そういう風に伝わってるんだな……別に目覚まし代わりに毎朝囓ってただけだよ」


 そうだったのかと、ほんの些細な事であるが聖書の記載とは違う事実に、小さく衝撃を受ける。


 ──ああ、貴方は勇者であると同時に、今を生きるエクレルなんですね。


 そんな当たり前のことを、ようやく知れた気がした。


「──プリカ先生?」

「ポーロ?」

「先生、どうしてこんな所に? 今日は授業があるはずじゃ?」


 懐かしい声の方向を見れば、そこには元教え子であった衣服屋の一人息子ポーロが居た。


「今日は外からお客様が来たので、ご案内をしています」

「やっぱり、見たことない真っ黒な人が居るって思った」


 全身、黒一色なエクレルは当然の如く目立っており、実の所、さっきから皆がエクレルの事を見ているのは感じ取っていた。


「なんだか、勇者っぽい人だね」

「そうですね。ここまで真っ黒い人は初めてみました」


 私ってこんなに口が回ったんだなと自身の知らなかった才能を自覚する。


 そう、エクレルは見たまんま聖書に記された勇者の恰好をしている男性であるため、ポーロのように思って居る人は一定数いるはずだ。


 それでも誰も口にしないのは、『ヴァスティマ』の民にとって彼が単に黒いだけの男性でしかなく、また三百年前に消えた勇者が、ふらっと商店街に現われたなんてのは、流石に誰も考え無いだろう。なんなら私の方が『贖罪教』の騎士に見つかる方が問題である。


 ──あるいは『贖罪教』の騎士による罰が恐ろしく、自分たちの役割以外の事をしたくないためなのかもしれない。本末転倒ここに極まりである。


「そういえばポーロ、『贖罪教』から何か知らせなどは出ていないでしょうか?」

「ううん、特に聞いてないよ? なにかあったの?」

「ちょっと個人的な事で、無いなら別に構いません」


 やはり、先代の時もそうであったが、基本的には処されたプリカティアに関しては周知されないらしい。鞭打ちなど公開処罰は何度か見たことがあるが、生贄の刑はあれとは別枠という事なのだろうか、なんにしても都合が良かった。


「……ねぇ、先生。ちょっといい?」

「どうかしましたか?」

「その、また教会に行っていい? というか先生に相談したい事があって」

「……教会に来るのも、時間がある時にお話するのは一向に構いません。ですが、あの件でしたら、ごめんなさい、私にはどうすることもできません」


 ポーロの相談事は、彼が生徒であった時から聞いていた。だからこそ私はハッキリと、その内容に私は無力である事を伝える。


「でも! 俺は服屋よりも、鍛冶師に……!」

「ポーロ! ……ごめんなさい」


 ──彼は親の服屋の後を継ぐ事を夢見て、明日魔王軍の侵攻によって死んでしまうかもしれない世界で懸命に修行する青年ポーロなのだ。


 聖書においてポーロが登場するのは、ヴァスティマ帝国の日常を描写したさいの、たったの1頁未満のみだが、私たち3000人の『ヴァスティマ』の民は、聖書に書かれた人物に沿って生きなければならない。例え子供であっても、それがたった一節で、名前も与えられない端役だったとしても


 ──項垂れる彼に、私はかける言葉が見つからなかった。いつもそうだ。生徒、生徒だった子たちに、私は雑な励ましの言葉すら贈れない。


「……俺、もう行くよ……先生、先生はどうして先生なの?」

「……それは、私がプリカティアだからです、貴方がポーロのように」


 先生という職業に楽しみを見いだしたが、私とてある日唐突に教会本部へと呼び出され、早死にした両親が残してくれた名前を剥奪され、プリカティアとなった身だ。だから諦めを背負うポーロの背中に掛けられる言葉なんて、どこにもない。


「……エクレル?」


 ポーロが見えなくなり、自分の正体を察せられないために、黙っていると思っていたが、彼を見れば不審な様子で左右をキョロキョロと見ていた。


「……ん、ああ、もういいのか?」

「はい」

「そのなんだ、跡継ぎってやっぱり大変なんだな」


 上の空のように見えていたが、どうやらは話は聞いていたようだ。ただエクレルは、ポーロの相談事を、親の後を継がずに自分の好きな事をしたいという内容だと、認識したらしい。


「……自由に生きられたら、いいですよね」

「そうだな……あの子が納得できる未来になればいいな」


 ──むしろポーロの夢を叶えるのに貴方の許しが尤も重要なのに、自分の出る幕ではないと行った態度に、なんだか可笑しくて笑いそうになってしまった。


「そうですね……はい」


 ──それに思うのだ、もしも、もしも貴方が私たちの下劣な行ないを許してくれたとしても、彼は、私たちは本当に自由に生きていけるのかと。


が納得できる未来になれば良いですね」

「ん?」

「なんでもありません……そろそろ、違う場所へと移動しましょう」


 ──聞こえないように小さく呟いた部分を悟られないように、私は歩き出して誤魔化すのであった。

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