キ路
「……大丈夫か?」
「はい、もう全然! 中々刺激的でした!」
「そうか……そうか?」
エクレルにお姫様抱っこされて森の中を移動した私たちは、あっという間にヴァスティマへと帰ってきた。そして国の中へと侵入する時、彼はきちんと誰にも見つからないようにしてくれた。
──その方法がまさか壁上りとは……空の角度が変わったのを気付いたとき、悲鳴を上げなかったのは奇跡。
本当に刺激的だった。今まで体験したことがない世界に、なんだか癖になりそうだと思った。でも、縦はもういいかな。
「ほ、ほんと、あ、りがとうございます……」
「……本当にすまん」
エクレルと初めて出会った例の空き地へと到着し、彼の腕から下ろされた私は足に力が入らず、ふらついてしまう。
そんな有り様だからか、感想も感謝も全て心からの本音であるが、強がりと思われたらしく私を支えてくれる勇者エクレルは酷く申し訳無さそうであった。
「えっと……とりあえず着替えたいので、私の家に付いてきて貰えませんか?」
何を言っても気にしそうだとして、話を変えるためにも本題へと移る。
プリカティアとなった女性にのみ着る事が許される、三百年前に実在した宗教団体のシスター服を模した白と青の衣服が土で汚れきってしまっているため、とにかく着替えたかった。
「分かった……このまま一人にするのもな……」
さっきから大きな独り言によって彼の本音が知れるため、とても助かっている。どうやら私の事を心配して、傍に居てくれるようだ。
「では、こちらです」
もしかしたら、すぐに何処かへと居なくなってしまうかと頭の片隅で思っていたので、彼の優しさに安堵しながら家へと向かって歩き始める。
「……誰も居ないのか?」
老朽化が進み、欠けたレンガが目立つ道を進む最中。私の斜め後ろを付いてきてくれている勇者エクレルは、誰も居ない静かな住宅街に疑問を抱いたらしい。
「まだ午前中なので、みんな働きに出ているのかと」
聖書の事を伏せて、当たり障りのない回答をする。勇者エクレルは、それもそうかと呟くが、その声色は違和感を拭えていないそうだった。
──思えば朝起きて、裁判を受けて、外に連れられて犯されかけて死にかけて、そして勇者に助けられて、また国に戻ってきたのは、時間にして午前中の半分ほどだと思い当たる。
さっきからふわふわと自分が浮いており、冷静になりきれていない気がするのは、この非現実的な物事の早さに付いていけてないからのような気がしてきた。
ふいに今までのことが私の夢か妄想の産物な気がしてきて、勇者エクレルが実在しているのか不安になって彼を見れば、どこか落ち着きの無い様子で周囲を見ていた。
「……どうかしましたか?」
「……いや、昔と違って、随分と人が居ないんだな」
どういうことかと首を傾げてしまうが、直ぐに三百年前のヴァスティマ帝国と比べている事に気づき納得する。
〈人間〉最大の国として栄えたヴァスティマ帝国も昔の話。今は領土も無ければ、統治者も存在しない、3000人の〈人間〉が聖書に則り、『贖罪教』の定めた人生を歩んでいる憐れな国に成り下がっている。
──そうか、彼が朝の静けさを気にしたのも、人の多さ故に朝でも騒がしかったであろう昔と比べたからだと思い当たった。
「その……昔とは違いますから」
「……まあ、そうだろうな」
そんな彼に、どう対応すればいいのか皆目見当が付かず、私はとりあえず……最初から今まで、とことんとりあえずで話をする。
「──こちらです」
「ここは……」
あの空き地から距離が近いというのもあり、私の住んでいる家には直ぐに着いた。
「……マジかよ……流石に……」
私の家を見た勇者エクレルは神妙な顔となり、信じられないものを見たと言わんばかりに独り言を口にする。
このレンガで建てられた二階建ての家は、プリカティアという名前と、教師という役職を与えられた時に『贖罪教』に有無を言わさずに住めと言われて暮らすようになった、聖書に記されたプリカティアの家を再現したものだ。
つまり、聖書の記述された通りなら、この家は勇者にとって極めて思い出深い場所を再現したものであり、彼が今みたいな反応をするのは当然と言える。
──ああそうだ。いま気付いた。やっぱり私はショックで思考が停止していたのかもしれない。
ここは勇者エクレルにとって大切な思い出が詰まった家を勝手に模造した家なのだ。そして同じく勝手なプリカティアと名乗っている私が、そんな家に我が物顔で彼を招いた。
──ひとりで世界を滅ぼせる彼の逆鱗に触れやしないだろうか? 私が切っ掛けで〈六頭人種〉が滅びやしないだろうか?
「──っ! ……どうか、しましたか?」
──救ってくれた人なのに、優しい人なのに、途端に私は恐怖から拒絶しそうになる──そんな最低な感情を無理矢理、心の奥底に引っ込めて、動揺が収まり切らない彼に、わざとらしく尋ねた。
「……いや、なんでもない……そんな筈はないか」
彼の中では、とりあえず気のせい、あるいは偶然の一致だと認識してくれたらしい。その事に私は安堵する、吐いた息が騎士に犯されそうだったときよりも深かった気がするのは、私の勘違いだ。
「──どうぞ、たいしたお持て成しは出来ませんが、お寛ぎください」
「いや、俺は外で待ってる」
「……いいえ、貴方は命の恩人です。ですのでどうか、ほんの少しばかりのお礼をさせてください」
「……分かったよ」
魅力的な提案を彼の方からしてくれたが、礼儀に反して承諾してしまえば、私を保っている何かが壊れてしまいそうで、意を決して勇者エクレルを家に招き入れる。
「着替えと……あと、お茶を淹れてきますので座って待っていてください」
とはいえ、我が物顔で家を案内する勇気は持てず、私は足早に二階の寝室へと向かい、クローゼットから全く同一の白い衣服に着替えると、降りて台所へと移動して紅茶を淹れ始める。
この家にある紅茶は定められた日、あるいは来客用にしか飲むことを許されない特別なもの。そのため淹れる時は記憶の隅に片付けられてしまった工程を思い出しながらとなるが、そんな時間が割と好きであった。
「──[沸騰]」
意識を集中させて、ポットの中に入れた水を魔法で沸騰させる。微々たる才能であるが、この時ばかりは本当にあって良かったと思った。
「──お待たせしました」
二つのカップに紅茶を注ぎ、台所を出ると、勇者エクレルはひとつしかない椅子ではなく、長方形の物入れを椅子代わりにして座っていた。
私は自然と、そうやって座るのが彼にとって当たり前であったのだと理解し、ここがプリカティアの住まいで、勇者がよく訪れていた場所だと言うなら、どうして椅子は1つしか用意されていないのかという長年の謎が解明された気がした。
紅茶をテーブルへと置くが、勇者エクレルは反応を示さない。ずっと顎に手を当てて何を考えているようだ。
もしかしたら過去と現在を比べているのかもしれない。そして記憶を思いだしているのかもしれない、その顔は、なんだか憔悴してきているようであった。
「……どうして──プリカ──」
──ああ、なんていうことだろう。やはり私が思っていた通りだ。『贖罪教』め、なにが勇者に許してもらうための行ないだ。こんなのどう考えたって、彼を辛くさせるだけじゃないか。
「──あの……あの! 勇者エクレル様、改めまして今日は助けて頂き、本当にありがとうございました……!」
咄嗟に、そんな顔をさせては行けないと声を掛けた。すると思考の渦から抜け出せたのか、はっとした様子で私に顔を向ける。
「……そんなに気にしなくていい、態度も言葉使いも、俺の事を勇者と呼んでくれるな」
「分かりました、それではエクレルと」
今はただ彼の──エクレルの言うとおりにしようと、恐縮する気持ちを他所において、自然体に振る舞う。
「それで……あー、名前聞いてなかったな……」
「……申し遅れました、私は……私の名前はプリカティアと言います」
ついに尋ねられてしまったと、私は、これからの事を考えて『贖罪教』に与えられた、エクレルにとって大切な人の名前を口にする。
「──名前も同じなのか……」
エクレルは顔を歪ませた。いま彼は酷く奇妙な体験をしている事だろう。そんな反応をするのは当然だ。
それ以降、私はどう声を掛けていいか分からず。お互いが紅茶を楽しむだけの時間が過ぎていく、甘い香りと味わいに何だか心が落ち着いていく。
──どうすればいいんだろうか。
紅茶効果によってか、ぐちゃぐちゃであった内心が、それなりに整理されて、改めて自分の置かれた状況を正確に把握していく。
──ついに、この時が来てしまった。
消えた勇者が、三百年後の世界に再び現われた。私たち〈六頭人種〉にとっての審判の日がやってきたのだ。
来るなら来て欲しいと常に思い続けていたが、いざ来るとなると様々な感情が混ざり合って、形容しがたい気持ちになる。
それを単純明解にしてしまえば終わりたくないという言葉になるのだろう、嫌になる。
だから、私はここまでエクレルに300年後の事情を話さずに来た。彼がどう思うかは未知数であるが、私からすれば『ヴァスティマ』の現状は、『贖罪教』や〈六頭人種〉がやってきた事は許されるわけがない。怒らないほうがおかしい。
だって、彼は三百年前、妹を強姦された上に殺されて、両親は八つ裂きにされて食べられて、友達が拷問の故に殺されて、故郷を燃やされた。
そして、愛する人──プリカティアを狂わされて自害させられた。
“プリカティア”。当時の宗教団体のシスターとして子供たちに教えており、周囲の人物たちからは先生という名前で呼び慕われていた。そんな彼女は未だ勇者と呼ばれる前、魔王との戦いで辺境の村から徴兵されてきたエクレルと出会う。
エクレルは、妙に知恵者であったが辺境の村育ちなためか、ヴァスティマ帝国の文化や人間付き合いに疎い常識知らずであり、そんな彼を放っておけないと思ったプリカティアは、自身の家に招いて教鞭を振るったという。
勇者エクレルとプリカティア。二人がどういう人生を送ったのか、聖書に詳しい描写は記載されていない。ただ確実なのは、プリカティアは兵士エクレル、勇者エクレル、そしてただの青年のエクレルの傍に寄り添い、そんな彼女を、誰が見てもエクレルは好いていたという。
──それを踏まえて、私はなんだ? 恩人であり好意を持った女性の存在の皮を被って生活する畜生だ。
許されるわけがない。許されるべきではない。例えそれが彼が望まなくても。
「どうした? さっきからどうにも変な感じだが?」
「いえ、大した事では、ただこれからの事をちょっと……紅茶お好きなんですか?」
「ああ、まあ……元々そんなにだったけど、大切な人が好きだったから……」
──聖書は勇者エクレル周辺の事が語られているが、それ以外の登場人物に関しては細かく記されているわけではない。なんとなく察してはいたが、『贖罪教』から定期的に支給されるこの紅茶はプリカティアのお気に入りだったようだ。
「……貴方は、勇者エクレルなのですよね?」
私は改まって勇者ご本人であるかの確認をとる。
「………………違うが?」
まさかのここに来ての否定。嘘吐くならせめて視線を逸らさないでほしい、逆に対応に困る。
「さっき本人って認めたじゃないですか」
「勘違いだ」
「──黒雷を自在に操り、光に等しい速さで人々の元へと駆け寄った。雷鳴が耳に入り、雷電が視界を横切っても、それが黒であるならば怖れる事はない。だってそれは勇者エクレルが来てくれた証なのだから」
「……なにそれ?」
「黒雷を自在に操り、光に等しい速さで人々の元へと駆け寄った。雷鳴が耳に入り──」
「分かった、分かったから、その伝承だかポエムだかを言うのは止めてくれ!」
彼が勇者である事を否定したい理由は察することができる。できれば尊重したいが話が進まないので、多少、強引であったが本人である事を認めさせる。
「……ったく、どんな風に広まってるんだよ」
「魔王を倒し、〈六頭人種〉を救ってくれた勇者として」
心底嫌そうに頭を抱えて項垂れるエクレルに、私は簡潔に事実を伝えると予想通り、切なそうに顔を歪めた。
あと今の言葉で確信を得たが、やはり彼は、現代が自分が消えた時よりも、遙か先の時代であるのは知っているみたいだが、〈六頭人種〉が勇者をどう扱っているのか、全く知らないみたいだ。
「──なんだ……その他に何か伝わっているのか?」
「そうですね……不死鳥の血を浴びて不老に等しい寿命を手に入れたとか、小動物に脅えて逃げられたのを丸一日引き摺ったとか、酒に弱すぎて直ぐに潰れてしまったとか」
「本当にどれだけ広まってるんだよ!? ……いや、そういうことじゃなくて……なんでもない」
彼が聞きたい事を〈六頭人種〉を人口的に半殺しにしたこと、沢山の人を虐殺した事だと、察するからこそ話を逸らす。
──貴方が〈六頭人種〉にしたことは当然の報いだ。頑張って救った勇者に対して、魔王のような邪悪を行なったのは、三百年後の今でも行なっているのは私たちのほうであるのは誰が見ても明らかなのだ。それなのに、貴方はそんな顔をする。
「──勇者エクレル。お願いがあります」
「ん? ああ、別にいい。なんなら、安全な所が見つかるまで一緒に行くから安心してくれ」
エクレルは、私が『ヴァスティマ』から出て、どこか安全な場所へと移住すると予想したようだ。どうやら勇者はちょっとせっかちである事を知る。
彼の事を想うなら、この勘違いに乗っかって、何も知らないまま『ヴァスティマ』を去った方がいいのかもしれない。
「いえ、どうか私と一緒に、今の……三百年後の『ヴァスティマ』を見ていただけませんか?」
──でも、彼には見てもらうべきなのだろう。それが彼にとって新たなる苦しみになろうとも。それが私たちが行なってきた罪と呼ぶものならば打ち明けなければいけない。
その上で私たち〈六頭人種〉は彼に裁定されるべきなのだ。それが私たちの定めた事なのだから。
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