応え


 ──ゴーン、ゴーン。



 早朝を知らせる教会の鐘によって目が覚める。しばらく朝が来てしまった事を絶望しながら支度を済ませて、黒パン2個をミルクで流し込み、外へと出た。


 出会う人々に挨拶をして、『贖罪教』のヴァスティマ教会支部へと赴き、教室で生徒たちに勉学を教える。本日の授業内容は文字読み書きであるため、昨日よりもマシとはいえ、やっぱり憂鬱である。


 ──でも、そんな風にしながらも、私はプリカティアとして、このヴァスティマといういつ救われるか分からない国で生きていくのだろう。


「──プリカティア。貴女を拘束し、“反省裁判”に出廷させる」


「………………は?」


 でも、変わる事は無いだろうという諦めた日常は、いとも容易く終わりを告げた。


 教会へと到着したところを贖罪騎士によって拘束されて、牢屋に送られる事も無く、かといって尋問されるわけでもなく、法廷へと立たされる。


「ふしゅー……ふしゅー……」


 正面の法壇に座って、肥えた巨体のサクリ枢機卿。体が膨れ上がるほどの脂肪を身につけている彼は、呼吸器官に影響が出ているのか息が荒い笛のように鳴っている。


「プリカティアの名を与えられ、教師の役割を担う罪深き『ヴァスティマ』の民。汝は反省しなければならない立場でありながら、陰で『贖罪教』および勇者に対して悪意批判を行ない、また周りに幾度咎められても決して態度を改める事が無かったと報告を受けている」


 右側に立つ、進行役と思われる騎士が淡々と私について語る。


 なんてことはない、私の日々の愚痴が『贖罪教』にバレたのだ。それに内容を聞く限り元より、批判的な態度が滲み出ていたようで目を付けられていたらしい。


 ただ、こんな私でも吐き出す場所は決めていたし、『贖罪教』の目がないか周囲をきちんと確認していた。


 ──すぐに地下酒場のマスターの顔を思い浮かんだ。下手に黙ってしまえば自分にも罪が及ぶため、当然と言われればそれまでであるが、どこかで甘えてしまっていた自分が居た事を自覚した。


「──サクリ枢機卿。判決を」


「……ふしゅー……汝、プリカティアの名を与えられし罪深き『ヴァスティマ』の民よ。反省の色無しとし、汝を“生贄の刑”に処す」


 自己弁護すら与えられる事もなく、裁判は5分も満たない時間でサクリ枢機卿は、面倒という感情が滲むほそぼそとした声で判決を言い渡す。


「汝、勇者の厚意を与えられることを祈らん」


 カンカンという音が響き渡ると、両側に立っていた騎士によって、私は法廷の外へと連れて行かれる。


 ──ずっとパニックになっていたのか、それともこうなってしまったら終わりだと諦めてしまっていたのか、私の理解は状況に追いつくことはなく、押し込まれた馬車が動き出してもなお、私は無反応に成されるがままであった。


 +++


 両手を手錠で縛られて、『ヴァスティマ』の外へと数年ぶりに出た。馬の蹄と馬車の車輪が回る音、伝わる振動。逃亡防止で出入り口が塞がれた事で外の景色は見えないが、進んでいる先は予想がついていた。間違い無く『ヴァスティマ』から北に二時間の魔獣の縄張りだ。


 そこには人間なんて、ひと口で食べてしまう魔獣が存在するらしい。その魔獣の前に罪人を置き去りにして喰わせるのが、私に言い渡された“生贄の刑”と呼ばれるものの内容である。


 この惨い極刑は、聖書に記されている実話を元に作られたものだ。でもその元となる内容は、当時存在していたヴァスティマ帝国領地内の辺境の村が行なっていた生贄の儀式を、勇者が大型魔獣を倒した事で止めて村娘を救ったというもので、断じて罰の類いはなかった。


 ──ああ、愚かにも生贄という悪しき行ないから脱してくれた勇者を、人々は否定した。なので、我々はもういちど問わなければならない。許されざる罪深き私たちを、勇者はいまいちど助けてくれるのか。


 つまりは勇者がもう許してくれているなら、同じ目にあったとき、さっそうと現われて罪人を救ってくれるだろう、そんな曲解認識から『贖罪教』は“生贄の刑”を作った。こじつけ烏滸がましい、あいつらはとことん勇者というものを自分たちの都合のいい道具にしていると思わざるをえない。


 ──どこかで予想はしていた。こんな事を聞かれたら最悪“生贄の刑”を受けるだろうって、でもあくまで最悪の話だ。あんな呆気も無く決められるとは思っていなかった。


 こんな事になるなら『ヴァスティマ』の中心で枢機卿はデブだとか、勇者は無責任だとか叫べば良かったかもしれない。規則なんて気にせずに、もっと好き勝手に生きてよかったかもしれない。子供たちに聖書の言う通りに生きても、勇者の謝罪になんて決して成れないと教えればよかった。


 ──正気が漸く追いついて来たのか、もう終わったんだと思いながらも思考は加速していき、たくさんの後悔が押し寄せる。


「──へっ、へへ……」


 そろそろ涙となって溢れ出そうになる感情を止めたのは、監視役として同行してきた金属の鎧を装備した高齢の騎士の放つ卑下た笑い声であった。


「今回のプリカティア様は、随分と大人しい。前のはざめざめと泣いていましたのに」


 反応する気なんて無かった。でも私がまだ何も知らない子供の頃に消えて居なくなった、先代プリカティアの名前が出て思わず尋ね返してしまう。


「ちょっとお勉強が許されるからって、ご身分を勘違いなさるのは、どのプリカティア様もおんなじかね? 『ヴァスティマ』や『贖罪教』にケチを付け始める」


 ああ、やっぱり、あの人も私の知らない所で、同じように思っていたらしい、口に出してしまったらしい、そうして私と同じように“生贄の刑”を受けた。


「初代プリカティア様の真似事ですかね? まあ、私は無学なものでちっとも見たことはありませんが」


 勇者に贖罪するために生まれた教会の騎士のくせに、まるで聖書を読まずに生きて来れたのを勝ち誇った顔で言ってくる。自分は罪を犯していない〈人間〉とでも言うつもりなのだろうか。そうだったら救われない。


「まあ、これでも感謝してるんですよ。おかげで味気ない『ヴァスティマ』の生活も楽しみが出来てますからね」


「…………」


「私が就任してから貴女が三人目だぁ……ははっ!」


 そう言いながらニタニタと笑う。ほんとうに笑顔が豊富な人だと、気持ちの悪さに思考が明後日の方向に現実逃避していると、高齢の騎士は壁を強めに叩いた。


 一瞬、私を驚かす行動かと思ったが、御者への合図だったようで馬車が止まる。


「なにぶんあんな国で娯楽が少ないですからね。こういう時は楽しまないとね」


「……犯す気ですか?」


「折角なんです、それだけでは面白くないので──10秒待ってやるからどこでも逃げろよ」


 完全に本性を露わにした高齢の騎士は出入り口を塞いでいた板を外して、私を強引に立たせて、外へと出した。


「ああ、引き籠もりのヴァスティマ民は知らないだろうから教えてやるが、ここは森の中で地面は湿っていて足跡が付く、魔獣なんて何処でも潜んでいるだろうな」


 つまりは何処へ逃げようが、どれだけ逃げようがいずれは追いつかれてしまうと言いたいのだろう。高齢でも、腐っても彼は騎士だ。運動不足な私よりも足速いし、体力だってある。


「魔獣に喰われるか、先に俺たちが味見できるかの簡単なゲームだ」


 無意識に距離を置くが、騎士は動こうとせず。ただ見守っていた。


 私には、この森を自力で脱出できる力は無い。だからこれは私の死が綺麗なまま迎えられるか、汚れたままなのか決まるだけの理不尽なお遊び。どうして、こんな目にという気持ちが顔に出ていたのか、高齢の騎士は笑みを深くした。


「そりゃお前が『ヴァスティマ』生まれの罪人だからだ。勇者様の大切なお人じゃなくて、単なる三百年前に勇者を裏切ったヴァスティマの女だからだよ」


 ──これが、勇者を亡き者にしようと先導した子孫に与えられた、本当の罰だとでも言うのだろうか? そうだったのならば、救いなんてどこにもない。


「そういえば始める前に聞いとかないとな──お前、処女か?」


 全身から発せられた怖気に突き動かされて、私は森の中を走り出した。とにかく必死に、できるだけ馬車から遠ざかろうとする。


「──────────おーい」


 しかし、悲しいかな。子供に負ける脚力と歩き慣れない森の地面では、たかが十秒のハンデは騎士の十歩分も稼げなかった。


「──────おーい!」


 しかし、悲しいかな、子供に負ける脚力とぬかるんでる地面では、たかが十秒のハンデでは、騎士の十歩分も稼げない。


「──おーい!!」


 大きな声による呼びかけが、がしゃんがしゃんとわざとなしく鳴る金属の足音が、確実に近づいてくる。


「おーい!!!」


 追って捕まえるだけなら、わざわざ声を掛けてくる必要は無い。走ればいい、ただそれだけで追いつく、騎士は明らかに私を怖がらせて、限界まで必死にさせて遊んでいた。


「はぁ……はぁ……!」


 走り続けて息が苦しい、でも止まれない。最後だからとか、尊厳を守りたいとか、戦っても勝てないだとか、なにも考えられない。ただ距離を詰めてくる追走者が怖くて、どうしようもなかった。


「おい、ついたなぁっ!!」


「きゃっ!?」


「はーっはっは! なんだ可愛い声も出せるじゃねぇか!」


 右耳の傍で叫ばれて、反射的に反対方向へと体が傾き、そのまま転んでしまう。土塗れとなった私は、騎士からすれば随分と滑稽だったのか腹の底から笑われる。


「お、もう終わったのか、最短記録だな」

「だからプリカティアになった奴は、ガキ共と一緒に運動させろって言ってるんだ」

「下手に体力付けられても、森の奥に逃げられて楽しめなくなるのは困るだろ」

「はっはっは、それもそうか」


 馬車を引いていた御者も共犯のようで、騎士と同じような顔で合流してきた。こちらを見下ろす獣染みた視線が、とても怖い。


「──けて」


「んー?」


 震える体、鈍る思考、気がつけば勝手に口が動き出す。


「たすけて……たすけて……」


「えー? どうするー? 騎士様が決めてよー」


「そうだなぁ……って駄目に決まってるだろ! そんな事したら、俺達が生贄になっちまうかもしれないしな!」


 走馬灯のようなものが流れる。その殆どが聖書の中身であった。ああ、私はプリカティアとして何も記憶に残るような事はできなかったんだ。


「助けて……!」


 助かりたいという気持ちと、勇者の知識が混在する。


 ──勇者は助けを求める声が聞こえると、決して聞き逃す事はなく、どこからともなくやってきた。


「──勇者様! 助けてっ!!」


「馬鹿だな。勇者は三百年前にもう死んで──」


 ──バチっっと音が聞こえると、すでに皆を救っていました。


「…………え?」


 ──私の目の前から騎士と御者が吹き飛ばされた。


 ──晴天から黒き稲妻が、私を守るかのように降り立ち人の姿となった。


 ──彼方から雷鳴と思しき轟音が聞こえてきた。


「え、あ……?」


 認識できた順番すら狂うほどの早さで起きた出来事に、茫然とするしかなかった。


 ──光が迸り、騎士と御者をぶっ飛ばした。


 ──違う、黒き雷が落ちてきて、騎士と御者が吹き飛ばされて偶然に助かった。


 ──違う、いつの間にか私に背中を見せて前へと立つ黒き雷を纏う男性に、襲われる寸前だった私は助けられた。


「──貴方は……」


 徐々に状況を理解していった私は自然と話しかけていた。誰ですかと正体を尋ねる言葉だったが、途中で止まる。だって、私はこの人の事をよく知っていた。


「……別に、名乗るほどの者じゃない」


 彼は昨日の夕方、空き地に立って涙を流していた青年だった。髪も目も服も雷も全てが漆黒の“知っている”青年だった。


「どうして……」


「ん? いや、助けてって声がしたからな……野盗に襲われていたんだろ?」


 どうしてあの時、気付かなかったのだろう。“聖書”は一字一句覚えている筈なのに。


 ──漆黒の雷を自在に操り、光に等しい速さで人々の元へと駆け寄った。雷鳴が耳に入り、雷電が視界を横切っても、それが黒であるならば怖れる事は無い。


「──だってそれは……勇者エクレルが来てくれた証なのだから」


「……なんだ、俺のこと知ってるのか」


 三百年前に〈六頭人種〉を人口的に半殺しにして、姿をくらました勇者──エクレルは、心の底から嫌そうに顔を歪めた。


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