出会い


 ──私の生まれ故郷が、人間最大帝国、『ヴァスティマ』と呼ばれていたのは300年前の話。


 今は夜となれば殆ど誰もが出歩かないほど寂れた国である。


「──勇者がなんだ! 三百年前がなんだ!! 私たちは現在いまを生きてるんだぁ!!!」


「プ、プリカちゃん、もうそのへんで……」


 ただ、夜の店が無いわけではなく、『ヴァスティマ』で唯一の地下酒場に赴き、酒を飲んでは細身のマスター相手に勇者に対する批判的な言葉を叫んでいた。


 こんなこと、『贖罪教』の騎士に聞かれたら本当にヤバイ。即座に反省裁判行きとなって、場合によっては弁護する機会も無く罰せられる事になるだろう。でも無理、あと先の恐怖よりも、ストレスが勝って溜め込む事なんてできやしない。


「飲み過ぎだよ……」


「私がお酒に強いの知っていますでしょ?」


「それは……そうだけど……」


 言外に黙って欲しいと言っているのは分かっている。どうか赦して欲しい。どこかでお腹に堪った気持ちを吐き出さなければ、ストレスでどうにかなってしまいそうなのだ。それを吐き出せる場所が、私にはこの店しかないのだ。


「聖書を覚えることになんの意味があるんだか……」


「で、でも、勇者が赦してくれなかったらボクたち皆殺しになっちゃうんでしょ? 


「恐らく……ですが『贖罪教』が……、私たちがしている事は勇者に謝罪しているどころか、竜人の逆鱗に触れているようにしか見えません」


 ──『贖罪教』。勇者が〈六頭人種〉を人口的に半殺しにした後に設立された組織。いつか現われる勇者に赦してもらえる事を目的としている。


 そんな彼らの主な活動は“聖書”を扱い、勇者の栄光と自分たちの先祖の過ちを正確に後世に伝えること、自分たちが反省していることを知ってもらうように、勇者に対して謝罪の意志を示し続けることだ。


 だけど、それが〈六頭人種〉にとって命に関わる大事な目的であっても、何もない300年を過ごせば怠惰になるらしく、少なくとも『ヴァスティマ』で活動する贖罪教関係者の態度は、人に許しを請うものとは到底思えない。


「昔は“勇者贖罪教”だったのに、いつの間にか名前が『贖罪教』に略されているのだって……理念もなにもかも忘れて何がしたいんですか、あの方々は」


「プリカちゃん」


「だったら『ヴァスティマ』の私たちだって、『アーディア』のように生活したって……名前も役割も受け継がなくたっていいじゃないですか……」


 私の名前はプリカティア、『ヴァスティマ』では“プリカ”って呼ばれている。でもこれは『贖罪教』に与えられた名前で生まれ持ったものではない。300年前に実在した勇者を導き、最後には妖精によって狂わされて自害した女教師の名前だった。


 この名を受け継ぐ儀式をするために、私は『ヴァスティマ』を離れて『アーディア』へと赴いた時がある。


 そして当時、緊張と栄誉と馬車の揺れに酔っていた私は、大事などこかが砕けてしまうほどの衝撃を受けた。


『アーディア』という国自体が『贖罪教』の教会本部であり、そこで暮らす民は自然と『贖罪教』に属する信者であり、『贖罪教』の教えを受けている。


 そんな彼らは『ヴァスティマ』では使用する事を許されていない現代技術の結晶である魔道具を誰しもが当たり前のように自由に使用していた。


 自由はそれだけではない、『アーディア』の民たちは好きな労働を『贖罪教』によって許されており、それで得たお金で好きな物を食べ、好きな酒を飲み、好きな娯楽に興じていた。


 ──勇者様、罪深き私たちが糧を得ることをお許しください。


『ヴァスティマ』の私たちが口にするのと同じ内容である筈なのに、込められているものが明らかに違う食事の祈り。それを聞いた私は頭を真っ白にして、『アーディア』の民に色々と尋ねた。


 ──そこで私は当たり前だと思っていた『ヴァスティマ』という国が、私たちが、どんな境遇であるかを自覚したのだ。


「私たちはもう300年前の子孫といっても赤の他人なのですよ?」


 もしも、『アーティア』の民と同じ事を、『ヴァスティマ』の民が行ない、それが『贖罪教』の騎士に知られたら、勇者に対する反省の意思がないとして“聖書”の記述に則り鞭打ち百回を受けることになるだろう。


「どうして〈六頭人種〉がしたことを、私たち『ヴァスティマ』が全てを背負わなければならないのでしょう……」


「プリカちゃん、本当に勘弁して」


「……すいません」


 流石にぶちまけすぎたと、マスターに謝罪する。


 ──300年前は〈人間〉の国の中では、勇者が生まれた場所という事もあって、もっとも栄えていたらしい“ヴァスティマ帝国”。しかし今の『ヴァスティマ』は、『贖罪教』と他の〈六頭人種〉から、いつ現われるか分からない勇者に自分たちが反省しているのを見せつけるためだけに存続させられている国である。


 なので、国とは呼ばれているが『ヴァスティマ』には〈人間〉が3000人ほどしか暮らしておらず、ここ以外の領土が無ければ、王様や政治家も居ないし、通貨もない。『アーティア』から派遣されてきた『贖罪教』の関係者と、〈八大枢機卿〉の一人であるサクリ枢機卿が私たちの全てを決めている。


 そんな『ヴァスティマ』での私たちの暮らしは、勇者に反省の意思を見せるためとして、その生活の全て──いや、人生の全てが“聖書”によって定められていた。


 私たちは“聖書”に記されてある数種類の食べ物しか口にできず。酒は美味しさもアルコールも全くもってない、この麦酒だけ。ごっこ遊びの内容すら指示される始末。


 自由はどこにも無く、聖書に記されている人物を元に『贖罪教』の裁定によって選ばれて、私がプリカティアという名前と教師という役職を与えられたように、目の前のマスターも300年前の人物を当て嵌められて店をしているに過ぎない。


 つまり現在の『ヴァスティマ』は、〈六頭人種〉たちが勇者に対して、私たちはこんなに反省しているんですと伝えて許しを請うための大がかりな装置なのだ。


 どうしてこうなったのか、理由は簡単で勇者の怒りを買う事となった裏切りを先導したのが、当時のヴァスティマ帝国だからだ。聖書にそう書いてある。


 ──よって、その〈六頭人種〉、同じ〈人間〉からも『ヴァスティマ』は先導して責任を背負わされる事となり、その結果が、この三百年、贖罪教会の名の下に発展することも、幸せになることも許されていない私たちだ。


「……マスターは、外の世界とかに興味はありませんか?」

「う、うーん、外の世界はお金が無いと生きていけないんでしょ? それを考えると、いいかなぁって……」

「そうですか」


 私もプリカティアに成る前はそう思っていた。だって聖書に記されているものを読んでいれば自ずと、未だに存在する魔獣の怖さを知り、お金の怖さを知り、〈六頭人種〉の怖さを知り、外の世界は危険だらけという認識となる。


 確かに『ヴァスティマ』には自由が無いが、生きていく分には困らないのだ。定められた役割に準じるだけで衣食住は『贖罪教』によって提供されるため、生活に困る事はない。


 そしてなによりも、幾ら300年前とはいえ勇者にしでかした事を理解できるようになれば、彼に許されるまで慎ましい生活を送るのは当然であると本気で思っていたのだ。


 ──でも『アーティア』に赴き、『贖罪教』の、〈六頭人種〉たちの怠惰を、空虚な祈りを、美味い火酒を私は知ってしまった。『ヴァスティマ』の私たちは〈六頭人種〉が穏やかに暮らせるための身代わりでしかなかった事を知ってしまったのだ。


「こんな事なら先生になりたくありませんでしたね……」


 子供たちに文字や算数を教えるのは結構好きだ。でも“聖書”の朗読会はほんと嫌いだ。生徒はやがて大人になって、この国がどういったものかを知る。


 それを見るのが怖い。今までのプリカティアたちは、どんな気持ちで生きてきたのだろうか、よければ教えて欲しいものだ。まあでも、子供の頃に先代プリカティアが、理由も無く居なくなってしまったのを思うに、察してしまうことはある。


 ──なんども願う、勇者様。許すにしろ、許さないにしろ、やっぱり一度でもいいので、いまのこの国に来てください。それで全てが終わるのです、きっと。


「マスター! お代わりください!」


「それもう三杯目だよ」


「そうでしたね! ごちそうさまでした!!」


 +++


 ──店の外に出ると、夏期特有のじめっとした暑さが身を包む。夕暮れ色の空を見る限り、まだ太陽は沈みきっていないみたいだが、『ヴァスティマ』を囲う壁が邪魔して見れない。


「はぁ……」


 あれだけマスターに絡んでいたが、実の所酔ってはいない、言わば振りである。別に強いわけでは無いと思うが、『ヴァスティマ』で唯一飲める麦酒は、とことんアルコール度数が無い。


 それでもゼロではないため、何杯も飲み続ければ、いつかは酔えるかもしれないが、“勇者はヴァスティマの麦酒を三杯飲んだ時点で潰れてしまった”という聖書の記述に則り、私たちが飲める1日の酒は指定されたジョッキ三杯だけである。


「火酒が飲みたいなぁ……」


 そんなヴァスティマ麦酒を飲む理由は、少しでも寝付きをよくするため。そして『アーティア』で飲んだ火酒を思い出すためだった。


『アーディア』で振る舞われたドワーフの火酒は、名前通り、本当に火が水になったようで、喉で焼けるようであったし、一杯だけでくらりと来た。それでも鼻を突き抜ける果実の香りと、脳がふわふわとする感覚は、最高のものであった。


「……飲みたいなぁ」


 ──勇者、どうしてもっと酒を飲めなかったのか、ついでに本を読まなかったのか、おかげで読める本も少ないし、あなたが心から好きだったらしい冒険譚も百回読めば流石に飽きた。


 私たち『ヴァスティマ』の民は、本来であれば命を含めた全てを失うほどの罪深き存在である。よって食べる物も、着る物も、住む場所も本来であれば、無きに等しい生活をしなければならないと『贖罪教』によって、あらゆる物が禁じられている。


 だがしかし、心優しい勇者は罪深い私たちに温情を与えてくれるだろう、ということで聖書に記載されている衣食住に関するものを解釈し、制限を設けた上で『ヴァスティマ』の民は得る事が許されていた。


 意味が分からない。どうしてそういう解釈になる。仮に自由を奪うことが罰だとして、聖書に書かれてある勇者が何々を何個食べたという事で、私たちも同じ量だけになるんだ。絶対に本来の意味とはかけ離れた誰かが、勝手な都合で決めたに決まっている。


「……もしも、勇者様が帰ってきたら、色んな肉や魚を食べさせて、お酒も飲ませて、本を読ませましょう……うん、絶対に」


 勇者が得たもの、経験したものしか許されないなら、是非とも贅沢な存在になってほしい。


「なので、はやく来てください勇者様……っ!?」


 ──通り過ぎるだけの荒れ果てた空き地、目もくれず通り過ぎようとした時、空き地の方から言葉にすればバチバチと言った音が響いた。


 静かに驚き硬直する。そして今の音の正体を考察する。おそらく放電の類い、どうして空き地で? もしかして魔物が国内に紛れ込んだのだろうか? それならば早く『贖罪教』の騎士に知らせなければ、対応してくれるどうかは別だが。


「……え?」


 この場から離れるとして、せめて正体を確認しようと空き地に目を向けると、予想外の存在が居て、想わず足を止めた。


 ──夏期の夕焼けに照らされる空き地。そこには見覚えのない黒染めの衣服を纏う男性が立っていた。


 見た感じ、ただの〈人間〉にも見えるが。服装からして教会の人でも、『ヴァスティマ』の民でもない、明らかなる外来者。


「あ、あなたは?」


 恐怖よりも好奇心が勝ってしまい、声を掛けるとゆっくりとこちらを振り向いた。


「──泣いているの?」


 ──髪と服の黒よりも濃い、光が薄い漆黒の瞳からは夕焼けに焦がれた一筋の涙が零れていた。


「きゃっ!?」


 もう何が何だか分からず、唖然としていると、いきなり強烈な光に襲われたため、腕で目を庇う。


「……いない」


 そして恐る恐る瞼を開けて、再び空き地を見ると、そこにはもう男性の姿は居なかった。


 しばらく当たりを見回してみるが、居たという痕跡すら見つけられず、もしかして酔いから見た幻覚だったのかと思い始める。


「──帰ろう」


 気になるはするが、明日も授業があるし、酒に酔ったという仮説も拭えない。であるならば、いっかい寝るに限ると判断して、家に向かって足を動かした。


 最後に不思議な事はあったが、なに言った所で勇者が現われなければ始まらないし、終わりもしないのだ。だったらプリカティアとしてやっていくしかないのだ。


 だったら今日だけでも少しでも速く終わりにして、明日を始めよう──


 +++


「──汝、プリカティアの名を与えられし罪深き『ヴァスティマ』の民よ。反省の色無しとし、汝を“生贄の刑”に処す」


 ──そう思って迎えた翌日。プリカティアと名前が付けられた単なるヴァスティマ民でしかなかった私は終わる事となった。

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