三百年前、勇者は「反省しろ」と言い残して消えた

庫磨鳥

三百年後


「──この“聖書”に書かれていることは、三百年前にあった本当の出来事。魔王が七体の魔族と、幾千幾万もの〈魔獣〉の軍勢を従えて世界を滅ぼそうとしました」


 栄えて、廃れて、残された、〈人間〉の国『ヴァスティマ』。私が二十年暮らすこの国に唯一存在する『贖罪教』の教会内教室にて、教壇に立つ私は、大きくて分厚く持って歩くだけでも苦労を強いる聖書の冒頭部分を口にする。


「理由は分かりません。ですが魔王にとって世界の全てが敵で、滅ぼすものだったのです」


 『ヴァスティマ』に産まれた〈人間〉の義務だからと、聖書の内容を一字一句覚えている私は開いた頁の文字を目に入れること無く、内容を読んでいく。


 たかが1頁と侮る事なかれ、頑丈に作られたゆえか結構重くて捲るのも大変であるため、本音を言えば聖書を開く必要性が無いと、触りたくも無かった。


 しかし、体裁として聖書に触れていないと、後ろで欠伸をしている『贖罪教』の騎士に反省していないと叱られてしまうため、内心重たさにイラッとしながらも外には出さず、顔で頁を捲り、語っていく。


「〈六頭人種〉である、〈人間〉〈獣人〉〈エルフ〉〈ドワーフ〉〈妖精〉〈竜人〉たちは、魔王の猛攻に耐える事ができず窮地に追いやられました」


 物語口調で進む聖書の中身は、300年前の実在の歴史らしい。


 この聖書を配布している『贖罪教』が言うには、纏められているだけで脚色は一切無く、書かれている内容の全てが真実とされている。


 とはいえ〈六頭人種〉の中では、もっとも短命である〈人間〉は勿論のこと、300年という時は、もっとも長命とされている〈エルフ〉ですら寿命が尽きてしまう年月であるため。今や真実を知るものは、この聖書通りであるならば一人だけなのだろう。


「私たちは助けを求めました。そして、その願いは叶えられました。魔王を倒す“勇者”が現れたのです」


 そんな本を聖なる書物として、私が読み、子供たちに聞かせているのは、300年後を生きる私たち〈六頭人種〉にとって、今を生きるための絶対的な基盤となっているからである。


 ──それは、私たち『ヴァスティマ』の民が最も知ることである。


「勇者は傷つきながらも、私たちを守ってくれました。何度も何度も死にそうになりながらも戦ってくれました」


 魔王により滅ぼされかけた〈六頭人種〉たちにとって、正しく救いの勇者である〈人間〉の青年は活躍した。


「圧倒的な強さで、仲間と共に幾千幾万の魔族を葬り、〈七災魔族ななさいまぞく〉を倒していき、そして最後にはたった1人で魔王を倒したのです」


 こうして〈六頭人種〉と世界は救われました。めでたしめでたし。頑張った勇者に私は心から敬意を表わしたい。でも、この聖書を読み上げるのは、聞かせるのは、決して勇者の偉業を称賛するためのものではない。


「魔王に匹敵する強さで世界を救った勇者。そんな勇者に、私たちは愚かにも思ってしまいました──怖いと」


 これは、私たちが勇者にしでかした罪を忘れずにいるためのものである。


「だから、勇者が魔王を倒した時、私たちは勇者を消そうと思ったのです」


 悲しいことかな、勇者が懸命に救ってくれた〈六頭人種〉は愚かの極みだったらしく、自分たちが今まで勝てなかった魔王も魔族も魔獣も倒してきた勇者を、何よりも怖いと思ってしまったらしい。


「しかし、勇者は殺せませんでした。当然です。勇者は強かったのです。ただ、勇者は優しく、自身に対しての酷い裏切りを受けても悲しく涙を流すばかりで怒ろうとせずに、何度も対話を望みました」


 ──そして、私たちの祖先は、〈六頭人種〉は勇者に対して、今日までつづく罪を犯した。


「そんな勇者に、人々は非業を持って応じました──全員起立、次の文章を右先頭から一文ずつ読んでください」


「はい」


 せめて子供の口からは言わせたくない。でも生徒たちに〈六頭人種〉が勇者に対して行なった罪を語らせなければならない。


 生徒たちが立ち上がり、まず指定した生徒が小さく内容を分けた聖書を手に持って続きを語り出す。


「──〈人間〉は、勇者のいもうとをごうかんして、ころしました」


 三百年前に、本当にあったとされ、今でも背負わされる私たちの罪を、生徒たちが次々と口にしていく。


「〈獣人〉は、勇者のちちとははをバラバラにして、たべました」


「〈エルフ〉は、勇者のともだちをごうもんにかけて、しょけいしました」


「〈ドワーフ〉は勇者のなかまをかいたいして、かぐにしました」


「〈妖精〉は、勇者のあいするひとをくるわせて、じがいさせました」


「〈竜人〉は、勇者のこきょうを、むじひにもやしました」


「──優しき勇者は怒り狂いました。当然です、彼は私たちを救ってくれたのに、それを私たちは醜悪な仇によって報いたのですから」


 本当に酷い、聖書で語られる魔獣や魔族、魔王に等しい所業だ。人のやる事では無い。なのにどうして彼らは厚顔無恥に人種を名乗っているのであろうか? 私にはこれが全くもって分からない。


「そして勇者は、幾つもの国を滅ぼして、すべての種族の半分を亡き者にして、ある言葉を残して、どこかへと行ってしまいました」


 私としては、むしろ、これだけのことをされて皆殺しにしなかったのは、本当に彼は人々の味方であったと考えられずにはいられなかった。だからこそ余計に先祖たちのやらかしが、身勝手で醜悪なものだと感じてしまう。


「──“俺が再び現れるまでに、心から反省しろ”」


 聖書に記されている勇者が残したとされる言葉は、本当にこれだけである。


 簡潔で冗談とすら思えるほど普通で短いひと言。それだけを言って勇者は何処へと消えた。


「……私たちは勇者が残した言葉通りに、彼が再び私たちの元へと現れるまでに反省しなければなりません」


 勇者が何故、このような言葉を残して姿を消したのか、その真意は聖書に載っていない。


 でもなんにせよ、このたったひと言によってヴァスティマの民は、300年前の先祖の罪を背負わされて生きている。


「……皆さん、私に続いて勇者への謝罪を」


 そう言って私が両手を組むと、生徒たちも慣れたもので同じようにする。この子たちと違うのは、私が内心でひどく渋々なところだろう。


「──勇者様。ごめんなさい」


「「「「勇者さま、ごめんなさい」」」」


「ごめんなさい」


「「「「ごめんなさい」」」」


 保身的な謝罪の祈りを、本人に届くはずもないのに10分ほど教会の壁に木霊させていく。


「──ごめんなさい」


 これに、なんの意味があるのか三百年、答えはまだ出ていない。


 +++


「お疲れ様でした」


「はいよ」


 7日に一度行われる『ヴァスティマ』に生まれて、生涯をこの寂れた国でいきる子供たちに聖書の読み聞かせを終えた私は、後ろで欠伸をしながら見張っていた贖罪教の騎士に対し、職務怠慢野郎と内心で罵倒しながら労いの言葉をかけて教室を後にする。


 私が聖書を正しく伝えているかを監視している贖罪騎士。あれだけ退屈そうにしているなら、どうせいつも同じ内容なんだ。たまには自分の代わりにやればいいのに、そうやって心の中に愚痴を溜め込みながら、外へと通じる教会の廊下を一直線へと進んでいく。


「せんせー」


「プリカせんせー」


「どうかしましたか?」


 読み聞かせをしていた生徒たちに呼び止められる。早足で歩いていた筈なのだが、悲しいかな歩幅が勝っている子供にも簡単に追いつけるほどの速度だったらしい。


「せんせー。質問なんだけど」


「はい、なんでしょうか?」


「ごうかんってなに?」


 ──ああ、『ヴァスティマ』で生まれ育った幼い彼、彼女たちは知らない事ばかりだ。聖書だって私を含めた大人たちに言われた通りに覚えているだけで、その中身を殆ど理解できていないだろう。こんな贖罪に何の意味があるのか。次世代に繋げていって何になるのか、最近はそんな事ばかり考えてしまう。


「……絶対にしてはいけない行為です」


 できるなら、その言葉の意味を理解しないまま、生涯を終えてほしい。叶わない願いであるのは分かっている、それも教えるのは私であるのだから。


「じゃあ、なんでむかしのひとはしちゃったの」


「…………馬鹿だったんですよ、どうしようもないほどに」


 疑問ばかりの中で、それだけは断言できる。


「どうして……どうして勇者は執行猶予なんてお与えになったのでしょうね」


「せんせー?」


「なんでもありません。忘れてください」


「わかった!」


 こんなこと教会の人間に聞かれたら、背信と判断されて処罰されかねない。勇者の怒りを買う行為を控えるようにとは言うが、どう考えたっておまえたちが勝手にしていることにしか思えない。


 子供たちが勇者ごっこをするんだと離れていくのを、普通を装って見送る。


 物真似遊びの中身は怒り狂った勇者が愚かな者六頭人種たちに罰を与える場面の再現。決して健全と言えないものであるが、私たち『ヴァスティマ』で産まれた子供たちは、それ以外の遊びを許されていない。


「……ああ、勇者さま、貴方はいまどこに?」


 不死鳥の生き血を浴びたことで、不老らしい勇者。死んでなければ今もなおご存命な勇者は、いずこにいるのだろうか?


「許してくれるにしろ、許してくれないにしろ、どうか、早く来てください──この牢獄はあまりにも、あんまりなのです……」


 ──プリカの願いに反応するように、遠くの空で雷鳴が轟いた。

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