三百年前


 ──大人数の『贖罪教』の騎士たちに連れられて、辿り着いた教会には、さらに大人数の『贖罪教』の関係者たちが待ち受けていた。


 逆に、太陽が顔を出したばかりの時間なためか、『贖罪教』の関係者以外に姿は見えない。関係者たちは遠巻きから法廷へと進んでいく私を見て、楽しそうに何かを話している。


 騎士たちの野次は五月蠅くは思うが、不思議と内容は気にならなかった。私の中で既に、これから何をするのか決意が固まっているのもあるからだろうか……いや、私の事だ。もしも何かあっても、彼なら来てくれるという安心感に縋っているだけかもしれない。


 ともあれ、予想通り騎士たちは『贖罪教』の教会内では大人しいもので、嘲笑や言葉こそ投げてくるが、それ以外はしてこなかった。


 もしも彼が森の中や畑地帯と同じように行動するなら、授業を行うために毎日教会に通っている、私は既に穢されているという思いから、行儀の成っていない彼らでも絶対に遵守しなければならないルールが有るのだと考えに至った。


 その全容が分からないが、少なくとも『贖罪教』の教会、あるいは領内では暴力を行なわない事なのだろう。彼らにどのような罰が下るかは分からないが、経験則から来る考えは的中しているようだった。


 ──楽観的に考えては居ないが、再び刑が執行されるまで教会に居るまでは、私の命の安全は保証される。その事に私はひとまず安堵した。


 しかし、疑問がひとつ。どうして彼らは、こんなに朝早く集まっているのだろうか? 連行しに来た騎士が増えたのは、私が刑を不当な理由で逃れた脱走者と考えているからと思えば違和感は無いが、『ヴァスティマ』に在駐する『贖罪教』の関係者全員と言われても納得してしまうほどの数が見物に来ている理由は分からない。


「ったく、なんだって朝っぱらか、全員で呼び出されるんだか……ふわぁ~」


 そう思っていたら偶然にも、私の横を歩く騎士のひとり言から理由を聞けた。


 よく見れば私の授業を常に欠伸をかいて見張っている騎士だった。彼とも長い付き合いで有るが、こちらを心底どうでもいいと思っている様子に、私は特に思う事はなかった。


「──ここに立て!」


 それなりに長い道を経て法廷の中へと入り、命令されるまま昨日今日で 二度目となる証人席へと立つ。


「──ふしゅー……ふしゅー」


 正面斜め上を見れば、昨日と全く同じ姿勢で〈八大枢機卿〉の一人であり『ヴァスティマ』の統括者である、サクリ枢機卿が法壇へと座っていた。風船のように脂肪で膨らんでいる体は相変わらずで、肥えすぎて喉が潰れているのか、息が重々しい笛のように鳴っている。


 ──私が、眠ったエクレルに黙って一人で教会へと連れてこられたのは、『贖罪教』にエクレルの存在を知られたくなかったというのもある。しかし、彼らが訪問してきた時に思い立った事がある。


 エクレルは『贖罪教』の事、『ヴァスティマ』の事を知ってしまった以上、放っておく事はできないだろう。起きたらなんとかしようと動き出す事は目に見えていた。


 だから、私が先んじて『贖罪教』が、実際に勇者が現われたらどうするのか、『ヴァスティマ』の事などを調べるために、サクリ枢機卿と話をしに来たのである。


 ──勇者は酒を飲んだら何をしても起きない。それで、もしものさいに動けなかったのを心底嫌がったのは勇者自身であった。だから彼は、遠くの音を選別して聞く方法と同じく、自分の助けを求める声があれば、無理矢理にでも酔いを覚まして目を開けたという。



 実際に確かめては居ないが、聖書に記されたエクレル自身のついての記述は全て本物だった。だから、もしも『贖罪教』の勇者に対する対応が、『ヴァスティマ』が作られた理由が、エクレルの心の傷を深めるようなものならば、私はすぐにでも勇者に助けを呼び、どんな醜悪な嘘でも、媚びでも自分の出来る事を用いて、真実を知らないまま『ヴァスティマ』の外へと誘導するつもりだ。


 ──エクレルを傷付けた時と同じく咄嗟の思いつき、同じ失敗を繰り返す可能性があるなら、大人しく見守る事に徹すればいいという考えもよぎった。


 だれど熟考する時間は無くて、なら自分勝手と罵られてもいい、彼の心が少しでも良い方向に向くように、納得できる未来があるように、自分のできる事をやりたかった。


 緊張を決意で溶かしていく中、昨日と同じ進行役を担った騎士が、法廷の右側へと立った。


「……これより反省裁判を始める。プリカティアの名を与えられし『ヴァスティマ』の民よ。汝は生贄の刑の判決を受けながら、刑の執行途中に『贖罪教』の騎士と御者二名を殺害し、脱走した疑いが「──よい」──あ……る? ……さ、サクリ枢機卿?」


「ふしゅー……“よい”と言った」


 ──予想通り昨日と全く同じ、反論の余地無く罪状だけ読み上げられて判決を言い渡されると思った、私は無理矢理にでも割り込んで意見を叫ぼうとした直後、サクリ枢機卿の方から進行を止めた。


「よ、よいとは……その、どういう……?」


 私よりも戸惑っていたのは進行役の騎士で、彼の反応からあらかじめ決められた段取りではない事だけは分かった。


「言葉の通りだ……これ以降、汝が発言する事を許可しない……ふしゅー……これより、私が全ての進行を行なう」


「お、お言葉ですが各々の役割というものが──!」


「……ふしゅー……──プリカティア、汝、なにか知りたいものがあるならば……ふしゅー……質問するがいい」


 抗議をする騎士を無視して、サクリ枢機卿は話を進める。しかも私にとって渡りに船でしかない内容だ。


「……では、サクリ枢機卿、はっきりとお聞きしますが──この『贖罪教』が、この『ヴァスティマ』が作られたのは何故でしょうか?」


 ──何を企んでいるかと気にはなるが、考えても分からない以上、私は疑問を抱いてからずっと聞きたくて仕方が無かった質問をした。


「『贖罪教』は、勇者様に反省を示して許しを貰う事を目的として作られた団体の筈です……この『ヴァスティマ』が、その活動の一環である事は分かっています……しかし、こんな〈六頭人種〉が殺し奪った彼の幸せを模した偽物が暮らす国を作り上げて、それを虐げるような環境にして、本当に勇者に対して反省になるとお考えですか!?」


「き、貴様ぁ! 勇者様に対する反省の色が無いと見える!!」


「そこの騎士──2度は言わない、黙りなさい」


「は? はっ! ははっ……!!」


 ──私が質問した内容は『贖罪教』の在り方に疑問を持つものであり、騎士が怒鳴りこむのは想定の範囲内であった。想定外なのは、この法廷に来てからのサクリ枢機卿の対応である。


 サクリ枢機卿は脂肪に膨らんだ体の所為で一歩も動けないらしく移動も常に椅子ごとという話だ。そのためか滅多に表に出ず、『贖罪教』にとって特別な日にのみ姿を見せても殆ど物置状態で、私は彼の事を殆ど知らない。


「ふしゅー……ふしゅー…………ふしゅーーーーーー」


 深く体内の空気を吐き出したサクリ枢機卿は、膨れ上がった左手を動かした。


 腕の一本とはいえ動かしているのを初めて見た。命令通りに沈黙に徹している進行役の騎士の驚き具合から、教会務めの騎士から見ても、かなり珍しい光景なようだ。


 ──動いた左腕は、サクリ枢機卿の体の何処かに仕舞ってあったと思われる見たことの無い表紙の本を掴んだ。


「──プリカティアの名を与えられし者が、この『ヴァスティマ』について問いを投げてきた時、私には求める情報を説明する義務が存在する」


 本を開きながら、先ほどまの息苦しさを感じるものとは全く違う、流暢な男性の声で話始めた事が理由か、サクリ枢機卿から貫禄と言うべき気配を感じはじめる。


「……義務ですか?」


「貴女たちは、その役割柄故か聖書内の勇者やに誰よりも特別な感情を持ちやすく、この『ヴァスティマ』の在り方に疑問を抱く、あるいは与えられた役柄から逸脱した言動を行なう事が多くある……ふしゅー……」


 サクリ枢機卿の言い回しから、先代だけではなく、歴代のプリカティアは私のように『贖罪教』が聖書を元に定めたルールから逸脱する『ヴァスティマ』の民は珍しく無かったようだ。


「コレを問題視した我らは対策を実装。疑問視を抱いたプリカティアに敢えて全てを伝えた後に、改めて尋ねる事を決定した」


「……何を?」


「この『ヴァスティマ』において、“プリカティア”として生きるか否かを──既に義務は発生した。もはや気持ちに関係なく、貴女は『ヴァスティマ』の成り立ちを知らなければならない」


「…………はい」


 予想だにしなかった展開に戸惑う一方のプリカティアであったが。難しいと思われた目的の達成に素直に従う。


「ふしゅ──。──正確な数字は省略する。時は三百年前、親しい者たちを非道な方法によって殺害された勇者エクレルの襲撃によって、〈六頭人種〉は人口の五割を超える人数が死ぬ事となった」


 聖書に記載されている全ての始まりである勇者の行ない。昨日知ることとなったエクレルの後悔は、この場では理由を説明するための過去の出来事でしかないため、反応せず聞くことに徹する。


「勇者エクレルは苛烈な選択を取ったのにもかかわらず、その行ないは極めて冷静であった。彼が対象に選んだものたちの大半は、加害者および危害を加える能力を持った者たちであり、よって生き残った〈六頭人種〉は、勇者襲撃と無縁である、後に“中立派”と称される者たちであった」


 当然の結果と言えばいいのか、勇者の仲間たちは全員が敵対勢力によって殺されて、その敵対勢力は勇者によって全滅させられた。生き残ったのはエクレルの放電から偶然逃れた無関係な人たちであったらしい。


「無関係な〈六頭人種〉からすれば突然行なわれた勇者の苛烈行為。混乱が極まる中で後に“中立派”の代表格となる者たちは勇者の情報をかき集めて……勇者の“境遇”を把握、その後に彼の行ないは極めて妥当だと判断した……ふしゅ──」


 どうやら本の内容は、聖書とは違う三百年前の〈六頭人種〉の記録であり、サクリ枢機卿は時折、深い呼吸をしながら目を通して読み上げていく。


「次に居なくなる直前の勇者に話をする事ができた一人の男性から、ある証言を得た──それが我らの全てが始まった言文。“俺が再び現れるまでに、心から反省しろ”である」


 ──彼にとって、自分のした罪からの逃げるための言い訳でしかなかった言葉。長い間〈六頭人種〉を縛り続けた言葉。


「その言葉が勇者本人が実際の残したものである事を確認できた〈六頭人種〉は、次に勇者が自身たちが確認できる範囲から姿を消した事を確認……ふしゅー……遺体の処理活動を続ける中で〈六頭人種〉は数ヶ月にわたり勇者を探索を行なったが発見することが出来ず。よって勇者が残した“俺が再び現れるまでに、心から反省しろ”について〈六頭人種〉たちは本格的に議論しあう事となる」


 文面自体は淡々とした冷たいものであるが、当時の生き残った“中立派”である〈六頭人種〉の必死さが酷く伝わってくる。


「……ふしゅー。会議の内容は省略する。結論として“中立派”は、勇者に対して行なわれた所業を判断材料とし、我ら生き残った半分は勇者の慈悲と考え、次に現われた時に反省を示す事ができなければ〈六頭人種〉は今度こそ全滅させられると結論付けた」


 ──あらゆる可能性を話し合ったのだろう。それでも彼ら“中立派”は最悪を想定する事にした。それが正しいか否かの答え合わせは、本人が居なくなったためにできるわけが無かった。


「〈六頭人種〉は自身たち種の存続に関わるとし、生き残った者たちの中から代表を選抜し、『勇者贖罪委員会』を発足。勇者に反省を示すための方法を模索する事とする」


「……委員会? 『勇者贖罪教』ですら無かった……?」


「……ふしゅー。肯定する。〈六頭人種〉の種が生き残るか否かの問題であったが、短命種を中心に慣れによる忘却及び、また市民の中に暴走し、歪んだ情報を流布する団体が問題視され、それらが原因で反省していないと判断される恐れが強かったことから、風化させにくく教えを広めやすい宗教化を決定……『勇者贖罪委員会』と、当時最大勢力の宗教団体が合流する形で生まれたのが『勇者贖罪教』、現在の『贖罪教』である」


 サクリ枢機卿は、私の質問に流暢な言葉で返答する。


 ──なんと言えば良いのか、上手く言葉が浮かばなかった。『贖罪教』が発足した理由は、勇者に対しての罪悪による感情から生まれたというよりも、中立派たちによる、冷静な生き残るための対策でしかなかった。


 分かる、彼らはエクレルが言った通りに巻き込まれただけの無関係な人たちであり、代表に選ばれた人物たちとなれば、彼らが考えるのは〈六頭人種〉が如何に生き残るのか起きた事故の解決だ。でも理性に感情が上手く追いついてくれない。


「ふしゅー……『勇者贖罪委員会』を発足した〈六頭人種〉は、反省を示し許して貰うために、自分たちは勇者に、どのようなを見せるかの話し合いを始めた」


「…………ですか? ……何かしらの物で許して貰うと……?」


 ──次々と出る、衝撃的な真実に、どうしても感情を抑制できなくなった私は、三百年前の既に終わった事を承知でありながら、誠意の内容よりも前に考える事があったのではと、批判的な内容を口にしてしまう。


「そうは行かないのだプリカティア。我ら〈六頭人種〉が彼に対して行なった所業は極刑すら生温い。と言うのが我らの見解であった」


 ──それもまた、当然と言えば当然の考えで納得するしかなかった。


「故に〈六頭人種〉は、捧げられる最大のをもって反省の意思を示そうとしたが、相手が高潔なる勇者であったために、我らの話し合いは極めて難航した」


「……?」


 なぜ、勇者の高潔さが話し合いの難航する理由になったのか、私は心底理解できなかった。


「我ら〈六頭人種〉はの内容を種に関わる命以外の物を送る事に決定する」


 ──それは、分かる。彼らが勇者に対して、反省の意思を示そうとしているのは〈六頭人種〉の未来を絶やさないためだ。だから自分たちの命以外を差し出す事で、解決を図ろうとするのは当然の考えであるのは、納得できる。


「以降、勇者の残された発言や記録から人間性を考慮して、我らが行なおうとした誠意を、会話内容省略及び題と結論を抜粋したものを公開する」


「──〈人間〉は、未来永劫変わる事のない絶対的な権力を与える事を提案。しかし、勇者は幾度も権威に関する報酬を断わってきた事から、興味の対象すら成り得ないとして却下される」


「──〈獣人〉は末代に至るまで勇者に対して決して逆らわぬ奴隷となる事を提案。しかし、勇者は奴隷制度を嫌い、自身が得た奴隷の人権を回復させている記録がある事から却下される」


「──〈エルフ〉は、ありとあらゆる知識と、魔法及び自然物に対する所有権を勇者に譲渡する事を提案。しかし、勇者は管理ができないという理由を主に、それらの報酬を提示されたさい断わる、あるいは誰もが使用できる公共の施設への変更を要望する事が多く、反省を示すのには足り得ないと却下される」


「──〈ドワーフ〉は、ありとあらゆる技術と、技術の開発権及び権利、金属および宝石類の所有権を勇者に与える事を提案。しかし、数多くの発言から技術著作権及び開発、しかし、過去の技術譲渡に関して、自分が貰う位なら誰もが自由に使えるようにして欲しいという対応から、金属および宝石と共に反省を示すに足り得ないとして却下される」


「──〈妖精〉が主とした提案および、却下に至るまでの内容は『アーディア』の図書館でのみ閲覧可能となっており、公言することは誰であっても許されていない。彼らは余りにも無邪気であった」


「──〈竜人〉は、不死鳥の血に等しい秘宝の全ての権利を勇者に譲渡する事を提案。しかし、その大半は勇者が手に入れたものを譲渡されたものであり、そもそも彼にとって価値のないものであるものだと考えられる事から却下される」


 ──勇者は高潔であった。正しくは物欲があまり無かったのかもしれない。彼のことだから魔王軍の被害が広がっている中で、自分だけ色んな物を持っているのもなとか思ったのかもしれない。そんな彼にとって“物”というものは、多すぎても、大きすぎても迷惑になりえるものでしかなかった。


「……でしたら、この『ヴァスティマ』が生まれた理由は……」


「……ふしゅーーーー……長きに渡る話し合い。勇者を知れば知るほど、〈六頭人種〉が見せられる誠意は勇者にとって、価値すらならないものである事がつき付けられた。答えの出ない話し合いは長期化し、疲弊が募る中で、とある人物の情報が『勇者贖罪委員会』の元へと舞い込んだ」


 ──内容は聞いて見ないと分からないが、絶望の暗闇に包まれた彼らにとって火花に見えたのかもしれない。


「その者は空想の存在と断定されている神を愛する信望者であった。その者と勇者は、深い交流を持っており、彼との会話の中に長らく謎とされていた勇者の宗教観および価値観に至れる数々の証言を残していた」


「……空想の存在を……愛する……」


「その中の重要な二言を抜粋する。“偽物だって想い続ければ本物になる”。“例え本物じゃない物を愛してもいい”。これらの肯定的の意見を独自の用語を使用して語る勇者は、少年のように心踊っている様子だった事も証言されている」


「それは……それはどうして……」


「事実は不明であるが、勇者は創作物を大切にする趣向があったとされるため、その類いの言葉であった可能性が極めて高い」


「でしたらそれらの発言は! 単なる趣味のものじゃないですか!? それを貴方たちは……! 過大解釈をして、こんな事をしたというのですか!?」


 ──そうだったら何よりもエクレルが救われないと、気がつけば叫んでいた。でなければショックで視界が暗闇に落ちそうであった。


「そうだ。終わりを回避できないと絶望していた我らは、単なる趣味に関する発言であると心のどこかで思いながらも縋った」


 サクリ枢機卿は、一切の否定なく私の慟哭を肯定した。


「勇者が消えてから37年、41名の殺人と暗殺、自殺者29名、行方不明者23名、処刑執行17回、その他犠牲者157名、クーデター3度、紛争2度を得た我らが決断したもの」


 三百年前の〈六頭人種〉は、勇者という人物を知っていきながら彼に許して貰うための議論を真剣に長い時間を掛けた。答え合わせのできない難問は、彼らにどうあっても抗えない終わりだけを見せ続け、疲れ切った所で見えた私たちの知らない勇者の独自な価値観に希望を見いだした。


「勇者から奪った命を模しながら、偽物である事を承知とする生きた舞台国家──『アニメ・ヴァスティマ』の製作である」


 そうして、三百年前の中立派と呼ばれるようになってしまった〈六頭人種〉たちが生んだのは、私たち『ヴァスティマ』であった。


 ──何を、何を言っていいのか分からない。必死に考える。でなければ、もう一生声を出せない気がした。


「……この国が、奪ったものの代わりとなる。勇者への贈り物だとするなら……なぜこんなにも、歪んでいるのですか? 反省しろだなんて生活を縛り付けて! 騎士の蛮行を放置して! 少しでも間違えれば厳しい処罰を挙げて、私たちも! エクレルも苦しめるような事をして! ……何を考えての行いなんですか!?」


 サクリ枢機卿は、歴史は話終わったと言わんばかりに本を閉じた。


「ふしゅー……三百年という時は、短命種および長命種全てを含めた〈六頭人種〉にとってあまりにも長かった。私の体も限界が近づき、『勇者贖罪教』が『贖罪教』と名を変えたように、組織に属する〈六頭人種〉も思想も時代によって変わった」


 三百年という長い年月の中で『贖罪教』は劣化と変化を繰り返していき、『ヴァスティマ』は歪んでいったとサクリ枢機卿は言う。


「最初期に名を挙げてくれた演者たちは、勇者が現れなかったことで人生を棒に振り続け、気がつけば誰かが貧乏くじを引くという話になった。またヴァスティマ帝国出身の〈人間〉を除いた〈六頭人種〉は、それぞれの方法で反省の意思を示すと計画を脱退した」


 サクリ枢機卿は、今の『ヴァスティマ』になったであろう仕様変更を淡々と語っていく。


「勇者が民から受け入れやすくするため、もしくは三百年前に救えなかった命を擬似救命する事で、少しでも慰めになるようにと配置された悪役は、裁く事が不都合な真性の愚かな騎士たちが送られてくる始末」


「──は?」


 声を上げたのは、命令通りにずっと口を閉じていた進行役だった騎士だ。


「さ、サクリ枢機卿。話が全く分からなかったので、口出ししませんでしたが、貴方の口から我々に対する侮辱のようなものが────」


「…………え?」


 ──ドッという空気が弾いたような音が聞こえたと思ったら、半笑いで枢機卿に話しかけていた騎士のお腹が消失した。


「──? はえ……な。なんであなぎゃ────」


「ひっ──!」


 騎士の胴体穴から血が垂れ流れ、力無く崩れ落ちて台に隠れてしまう。恐怖と吐き気に襲われて、上擦った声が出る。


 ──何をしたのか待ったく見えなかった。本当に一瞬で騎士は殺されてしまった。


 もしも、もしもの時、教会で殺されるような事があっても、それまでの間、勇者に助けを呼んで、実際に助けに来てくれるまでの時間は絶対に生まれるという確信があった。なんとしてでも、その時間だけは稼ぐという覚悟もあった。


 でも、サクリ枢機卿が騎士を殺した謎の手段を用いて殺されそうになったら、一文字すら喋られるか分からない。仮に出来たとして、数秒後にエクレルが来てくれたとしても、間に合わないかもしれない。


 ──助かるという保証が脆く崩れ去り、途端に死というものを実感し、心の奥底から恐怖が込み上げてくる。


「ふしゅーーーーーー。プリカティア。三百年前の〈六頭人種〉たちの活動および『贖罪教』の発足理由及び『ヴァスティマ』の誕生を聞いた上で、貴女の意思を告げよ」


 呆気なく騎士の命を奪ったサクリ枢機卿は、何事も無かったかのように深い呼吸をすると、私に問いかけてくる。


 ──『贖罪教』の意思に反する発言をすれば、サクリ枢機卿は、騎士と同じように私の命を奪うかもしれない。


 だったら、エクレルに助けを呼べる隙ができるまで、どんなに意地汚くても『贖罪教』に寄り添う姿勢を見せて、生きる努力をするべきだ。


「────私は、つい昨日決めたばかりのを変えるつもりはありません……それでも間違えたのは〈六頭人種私たち〉です」


 でも、愚かな私は、嘘でももうあの人を独りにしたくない。そのたった一心ではっきりと本音を告げた──だって、彼と私はもうなのだから。


「────ぷしゅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」


 サクリ枢機卿は、これまでで最も長い呼吸をした。


「──“黒き雷鳴となりて現れよ、勇者エクレール”」


「…………え?」


 サクリ枢機卿は唐突に、エクレルに関係するであろう聞いた事のない一文を口にする。


「聖書に記されてないので、貴女は知らないでしょうが声を聞きすぎて休めない勇者を心配した仲間が助言を行ない。眠りから覚ますのに必要な呪文キーワードは別途で設定してあるのだ」


 ──なら、もしもの時、助けを呼んだとしてもエクレルは来れなかった? でも、どうして、その事をサクリ枢機卿が知っている? いや違う考えるべきなのは──。


「──勇者が、帰って来たのですね」


 ──サクリ枢機卿の穏やかな声と共に、『ヴァスティマ』へと響き渡る雷の轟音が、プリカティアの家がある方向から轟いた。

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