再会


 ──雷鳴が響いてから、ほんの数秒ほど遅れて森の中で聞いたバチバチ音と、それに隠れて人の悲鳴らしきものが幾つか、法廷の外から聞こえてきたと認識した時には、私の背後の扉が強く開かれた。


「……プリカ……ティア……?」


 教会内に集まっていた外の騎士はどうしたのか、きっと雷の早さで全員静かにしてしまったのだろう。エクレルは汗一つ掻いていないが、その表情からここに至るまでの数秒間、色々な事を考えてしまい、必死にやってきた事が伝わってくる。


「ここに、居たのか……なら、あの言葉は……?」


「──ご心配をおかけしました。この通り無事です」


 独り言なのか、それとも問いかけなのかは分からないが、運良く五体満足で無事である事を見せると、彼は堅くなった表情を緩くした。


 ──雷鳴が聞こえるまで、数秒の間があった。もしかしたらそれは、彼が居なくなった私の事を家中駆け回り探していた時間だったのかもしれない。


「そっか……そっか……良かった……」


 ──深く傾き、自分の無事を喜んでくれる。そんなエクレルを見て色々な気持ちが混ざり合う。その感情の中には罪悪と同じくらいの嬉しさがあって、やはり自分は過った人間なのだと思う。


「あー、そのなんだ……というか、[目覚めの呪文]を知っていたんだな……ああ、聖書に書いてあったのか?」


「いえ、実の所、私は知らなかったのですが……」


 周辺状況を把握できていないのか、少し照れた様子で話しかけるエクレルに、なんと言って説明していいか分からず、言葉を詰まらせた私はサクリ枢機卿の方へと目を向ける。


「お前が……[目覚めの呪文]を……?」


 エクレルは、そこで漸くサクリ枢機卿に気付いたようで、見た目に対して何かしら思った様子はなく、私と同じく、エクレルを起こす[呪文キーワード]を知っていたのかが気になるようだった。


「──お久しぶりです」


 さっきまでの枢機卿としての威光強き態度から打って変わり、エクレルに話しかける枢機卿は酷く穏やかで、優しさすら感じた。


 ──そして、やはりサクリ枢機卿はエクレルの事を知っている。記録に記された勇者である彼ではなく、本人そのものと出会った事があるようだった。


 しかし、そうなるとエクレルが長い眠りに付く前の時代、つまり三百年前の人物になるが、本当にそうなのだろうか? 


 〈六頭人種〉は、名前の由来になった通りに、それぞれ頭の特徴で直ぐに見分けが付くとされている。顔が膨れた脂肪で隠れてはいるものの見た特徴から。私と同じく六十年余りで寿命を迎える〈人間〉である事は間違い無いはずだ。


 ──まさか、勇者と同じ不死鳥の血を浴びて不老に? あるいは〈六頭人種〉の魔法技術を遙かに超える奇跡を起こすとされる秘宝によって、今日まで生きてきたのだろうか?


「……誰……だ?」


 しばらく記憶を掘っていたと思われるエクレルであったが、覚えがないらしく、サクリ枢機卿に震える声で問い掛けた。


「この見た目で分からないのも無理はありません。不死鳥の血は無いので、〈エルフ〉と〈ドワーフ〉の技術と別種の秘宝による延命処置によって、ここまで生き長らえましたが、この身は既に限界を超えており、随分と悲惨な見た目を……思考も、徐々に考えられる時間が減ってきていました」


 ──風船のような肥えた見た目、そして碌に動く事もできない体は、無理な延命処置によるものだと知り、そこまでして生き長らえてきた執念に怖気が走った。


「貴方は本当に変わりませんね。終戦パレードで“シエル”と待ち合わせしている時にばったり出くわして、揶揄われた時と何ひとつ──まさかの方に、三百年こんなに待たされるとは思いませんでしたよ」


「シエル……シエルだって……? それに終戦パレードって……」


 ──“シエル”。この『ヴァスティマ』にて、その名を与えられている民はいないが、聖書の中に記載されている最重要人物として伝えられているため、誰のことか直ぐに分かった。


 ──その人物とは、〈人間〉に強姦されて殺されたとされる勇者エクレルの実の妹である。


「……まさか…………“サクリ”……なのか……?」


 嘘であってくれと願いが籠もっているのが分かるほど、エクレルは震えた声で、誰か知らない筈のサクリ枢機卿の名前を呼んだ。


「──はい、孤児院にて育ち、プリカティア先生にビンタされて、文官職の道に進んだ貴方の弟分のサクリです──エクレル兄さん」


 疑われないように、紹介するように自分の事を語るサクリ枢機卿の声は、心なしか弾んでいるようだった。


「孤児院の子、それに文官ってもしかして、昨日話してくれた……」


 北砦の奪還作戦に参加志願をしていたのを、プリカティアに猛反発されて文官の道を選んだとされる孤児院の子供──それがサクリ枢機卿のであったと言うの?


「ずっと! ずっと探したんだ……! シエルが殺されたって聞いて……、それから、お前が終戦パレードの時から行方不明だって知った時からずっと……!」


「ええ、ええ、聞き及んでいます。兄さんの事だからきっと世界を百数以上駆け回って探してくれたのでしょう? 孤児院の弟や妹たちと、かくれんぼをした時もそうでした。黙って先に帰っただけの子を探して、朝日が昇るまでヴァスティマ中を探す人でした」


 二人の会話だけ聞けば、三百年ぶりに再会を果たした、普通の兄弟のようであった。でも、エクレル、それにサクリ枢機卿から感じる気配は、ひどく切なく悲痛なものであった。


「その姿はどうしたんだ!? お前になにがあったんだ……!?」


「本当なら、ゆっくりと語り合いたいのですが、私たちが捨ててしまった神様は、この時を待っていたのかもしれませんね」


「なにを言って……!?」


 ──Pshuuuuuuuuuuuuuuuuuu.!


 サクリ枢機卿は時間を掛けて立ち上がる、動いている間、肉体から甲高い笛のような音が鳴り続けて、枢機卿の法衣から、黒い液体ぬれの金属部品が次々と零れ落ち、私は気持ち悪くなって口元を押さえた。


「サ、サクリ……その体……なんだよ……?」


「──先ほども言いましたが、生き長らえるために色々とやったんです。この体はもう限界を超えて、いつ終わるか分かりませんでしたが、まさか兄さんと再会する日にとは……ままならないものですね」


「なに冷静に言ってんだよ!? ……なにが必要なんだ!? なんでも言ってくれ、どこに有っても直ぐに取ってきてやるから!」


 ──三百年前に死んだ筈の弟分との再会だったのに、訳も分からない内に終わりが迫ってきた。生き長らえる方法があるなら遠慮無く言ってくれと叫ぶエクレルに、サクリ枢機卿は体を横へと揺らし、彼の肉体だったと思われる金属部品を撒き散らしながら拒絶した。


「──全てが終わった後、神様が赦してくださるのならば、お話しましょう──昔のようにとは行かないとは思いますけどね」


「いいから動くな! それいじょう動くな!! ゆっくりと座れって!」


「──エクレル」


 サクリの体から、これ以上大切な者が零れ落ちないようにと、説得で熱くなるエクレルの名前を呼ぶ。


 発する事の出来た声は小さかったが、彼は振り向いてくれた。その顔は混乱極まりない表情で、今にも泣きそうだ。


「サクリ枢機卿の話を聞いてあげてください……彼はもう、長くありません……」


「……っ!」


 ──直感といった大層なものではない。ただ、本人が言うように、肉体の見たままの印象としてサクリ枢機卿は限界に近しい様子だった。このまま彼の話を聞かずに終えてしまうと、後悔しそうな気がして、サクリ枢機卿の話を聞くように頼んだ。


 エクレルは、短くも深い時間考え込むと、口を閉ざしてサクリ枢機卿の方へと向いた。


「──ああ、また、このような光景を見られるとは思いませんでした」


 私たちのやりとりが、どう見えたのか、サクリ枢機卿は膨れ上がった顔でくしゃくしゃに笑った気がした。


「──本当でしたらエクレル兄さんの再登場の時の言葉が用意されていましたが、長く堅苦しいので全て省略いたしましょう。兄さんはですしね。


 ──『贖罪教』の〈八大枢機卿〉としてか、あるいはサクリとしてか、私には判別できないまま、サクリ枢機卿は話を進めていく。


「──お帰りなさいエクレル兄さん。この『アニメ・ヴァスティマ』について、どの程度お聞きになりましたか?」


「……アニメ……?」


「──わ、私が彼に話したことは! ……現代の簡単な状況と、聖書に書かれてある範囲ほどだけです」


 ──三百年前の真実は劇薬だ。もし彼が今知ってしまえば、まともに二人で話ができずに時間切れになってしまうかもしれないと、本題が逸れないように私が質問に答える


「……──充分です」


 サクリ枢機卿は頭を倒した。ギギギッとという不快な音が法廷内に鳴り響く。それが一礼である事に、数秒遅れて気がついた。


「おい……やめろって……」


 バキッ、ゴキッっとサクリ枢機卿が頭を戻す時、何かが折れるような音がする。


「──勇者エクレル様。我ら〈六頭人種〉は、この三百年間、己の過ちを悔いてきました。全人口とはいきませんでした。ですが我ら〈六頭人種〉は同胞が行なった貴方と、貴方に親しい人に対する蛮行を、どうして止められなかったのかと本気で思い、ここまでやってきました」


「それはっ!? 違う! 違うんだサクリ! アレはそんなつもりで……!」


「──そうだったかもしれないと、何度も話に上がったことがあります。ですがもう、全ては三百年問という長い時の果て、真実は価値をなくしてしまった──兄さんが真実を語った所で、誰かが間違いだったと考えても、もうこの世界はを軸にして動いてしまっているのです」


 自他が望もうが望まないが、この世界を生きる〈六頭人種〉はエクレルが残してしまった言葉を土台にしてやって来てしまい、もうどこにも降りれる場所は無いと言う。


 サクリ枢機卿は、まるで枢機卿として、エクレルの弟分としての二つの気持ちが混合している話し方をする。脳が限界と言っていた事に関係するのかもしれない。あるいは彼もまた『ヴァスティマ』に長く居たからか。


「──勇者エクレル……エクレル兄さん。貴方が我ら〈六頭人種〉を許してくれるというならば、どうか我らのを受けとってくれませんか?」


「せ、誠意?」


「もしも、受け取ってくれるならば──今日から貴方の命が尽きるまで、この『ヴァスティマ』の中で暮らして欲しいのです」


 ──それは反省と呼ぶには不切実な、わざとらしい一方的な懇願であった。


「……なんだよそれ……なんで、そんな事言うんだよ!?」


「昔とは逆ですね。独特の用語を使う兄さんに、よく私がそうやって何度も抗議しました」


 エクレルの心からの慟哭に、サクリ枢機卿は嬉しそうに昔を懐かしんだ。明らかに反応がおかしい。


「──いけませんね、考え事ができる時間が、想定よりも少なくなっていたようです……むしろ、こんな風に昔のように話せることが奇跡、最期に与えられた神による祝福と考えるべきなのでしょう──」


 そう言って自力で話を戻そうとするサクリ枢機卿の体から、黒い液体と金属部品がボロボロと零れ落ち続けている。


「勇者エクレル。この三百年後の世界は、酷く疲弊しています。兄さんに対する行ないを各々違う道に進んだ〈六頭人種〉たちは──はっきり言ってしまえばました」


「他の〈六頭人種〉は『ヴァスティマ』に全てを押し付けたわけではなかった……?」


 立ち上げた『アニメ・ヴァスティマ』の計画から脱退した〈六頭人種〉は、その後独自に勇者の対処を模索したようだ。


 ──それが、贖罪や反省以外の方法も含まれているのはサクリ枢機卿の言い回しから簡単に察する事ができた。


「……〈六頭人種〉の有り様を重く見た『贖罪教』は、『ヴァスティマ』の管理を未来永劫司る私以外の〈八大枢機卿〉を筆頭に、第三者として〈六頭人種〉に手を施していますが……芳しくありません」


 ──エクレルの体が小刻みに震える。拳は握りしめて今にも血がこぼれ落ちそうだ。


「──そんな世界の状況を鑑みて、誰かが止まらなければ、このまま全員で崖を飛び降りるしかないと、短命種の思想が強く表われているいまの『贖罪教』は決断しました──勇者は現われないと断定し、これから段階的に勇者を忘れていくと」


 反省する事に限界を感じた今の『贖罪教』は、勇者はもう現われないと判断して、自分たちが正常になる方向へと舵を切った。


 そうでもしないと、前提であった種の存続そのものが危うかった事が分かる。その最中だったのが『贖罪教』の本部である『アーティア』であったのだろう。


「──そうじゃないんだ……俺がああ言ったのは……そんなつもりは一切……無かったんだ!!」


 生き残った〈六頭人種〉、“中立派”と呼ばれる彼らの事情を聞き、エクレルは頭を抱える。


 ──唐突に、サクリ枢機卿の体が崩れ落ちて、立ち上がった彼は再び椅子へと座ってしまう。先ほどよりも座高が低いのは決して気のせいではない。


「サクリ!!?」


「──私にはもう真実を聞くだけの時間すら残されていません──でも、これで良かったのかもしれない……エクレル兄さんなら、私がひと言謝るだけで、許してしまいそうだしね……」


「元から全部俺の所為なんだよ! 俺が自分のやった事から逃げなければ! こんな事にはならなかったんだ!!」


「いいえ、違います──どんなに先が悪化したとしても兄さんは何も悪くありません──そうですね、プリカティアの言う通りなのです──なのです」


「サクリ枢機卿……」


 ──『ヴァスティマ』の民として、どんな事情があるにしても管理しきれなかった彼に対して何も思っていないわけではない。でも、それ以上に彼は〈八大枢機卿〉として“贖罪”を、この三百年間ずっと行ない続けてきたのだと、〈人〉として尊敬できた人物だったのだと分かってしまう。


「──そして、こうなってしまったのは、ゆえです」


「──何を……言っているんだ?」


「エクレル兄さん。見れば深く傷にしかならないであろう外を知らず。どれだけ歪んだかは分かりませんが、貴方のために作った『ヴァスティマ』を受け入れてくれませんか? ──『贖罪教』に準じていた人たちを許してくれませんか? ──それが、私の願いです」


 彼にはまだ他に理由があるのかもしれない。でも、エクレルを想い続けた弟分として、〈六頭人種〉を想う〈八大枢機卿〉のひとりとしての責務を果たそうとしている。


 ──エクレルは、しばらく顔を俯かせた。悩んでいるのか、それとも何か違う事を考えているのか、この時ばかりは分からなかった。


「……エクレル、どうかその胸の内にある答えを……」


 ──私は、そんな彼の背中を押した。もう答えは出ているのだ。


「エクレル、後悔しかないのだとしても──どうか貴方が納得できる未来を選んでください」


 エクレルは、ゆっくりと顔を上げた。その瞳は情けなくて、でもしっかりと、サクリ枢機卿の事を真っ直ぐと見つめていた。


「──サクリ、俺だけなら、別にここでずっと暮らしたって良い。それがサクリたちの望みなら、俺は甘んじて受けるよ……でも、失ったみんなはもう戻らないんだ……! だから、『ヴァスティマ』の皆は普通の生活ができるようにしてやってくれ……頼むよ」


 ──弱々しく紡がれたのは、私、そしてサクリ枢機卿にとって予想通りであった、聖書に描かれた勇者エクレルらしい回答であった。


「──兄さんなら、そういうと思ったよ」


 サクリ枢機卿は、指が減っている震える両腕をなんとか動かし、己の法衣を掴んだ。


「もういいから、動くな……それ以上動いたら本当に死んじまう……」


 エクレルは泣いていた。涙を流しながら必死に説得を試みる。


「──もしも、勇者が『アニメ・ヴァスティマ』を拒否したのならば、この場所一切の痕跡も残さずに消去するのも、私の仕事なんです」


「────え?」


「──どうか兄さん。プリカティアの手を取って遠い所で静かに暮らしてください」


 法衣の胸元を広げると、心臓ほどの位置に怪しく光る宝石のようなものが埋められていた。


「あれは……なんですか?」


「……まさか、〈七災魔族〉の破片パーツか!? どうしてお前がそんなものを!!?」


 〈七災魔族〉、魔王直属の命令で動いていたとされる幾つも国を滅ぼしたとされる、七体の魔族。その体の一部と思われる金属の破片が、サクリ枢機卿の胸元に埋め込まれているの?


「──これは、私に施された延命装置の心臓であり、もしもの時の最終兵器です」


「秘宝化したのか!? ──兵器? まさか……今すぐやめ「やめたら、私はそのまま朽ちますよ」──っ!?」


 サクリ枢機卿の自らの命を盾にした脅迫に、何かに気付き静止させようとしたエクレルの足が止まる。


「──我、〈八大枢機卿〉、献身亡き信仰を司るものにて怠惰なる化身──“サクリ”なり!」


 その隙に起動するための呪文キーワードが唱えられる。胸元に埋められた宝石の光が輝きを強くし、眩しくて見ていられなくなる。


「────────兄さん。このラスボスは、逃げたって良いんですよ」


「サクリィ!! ──っ!? !!」


「きゃっ!?」


 サクリの元へと行こうとしたエクレルは、私を担いで法廷の外へと飛び出した。


 ──宙へと浮き、地上へと着地するまでの間に見えた教会は、巨大な半楕円状の金属物によって踏み潰されていた。




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