キョウダイ


 ──サクリ枢機卿が変化した姿と思われる巨大な謎の半楕円状の物体。その高さは城壁以上であり、広大な教会を丸々下敷きにしてしまった。


 おそらく中に居た『贖罪教』の関係者たちは全員無事ではないだろう。もしかしたら、最後に全員を圧殺させるのが、サクリ枢機卿の目的だったのかもしれないが、それを知れる手段はもう無い。


「あれは……なんなんですか?」


「──サクリ……が変化した〈七災魔族〉の1体……【怠惰スロウス】だと思う」


 ──〈七災魔族〉、三百年前、魔王直属の指示によって多くの国々と〈六頭人種〉を殺し続けた七体の魔族。


 サクリ枢機卿は自身の体に埋め込まれた秘宝を使い、その内の一体である【怠惰スロウス】へと変化したという。世界を滅ぼすためではなく、この『ヴァスティマ』を終わらせるために。


「サクリ……どうしてなんだ……!」


 教会から、もっとも遠い正面の城壁上で、私を下ろしたエクレルは、ずっとサクリ枢機卿であった【怠惰スロウス】を見て、動こうとしなかった。


 一方で、【怠惰スロウス】の方も、まだ動く様子は無く、それがエクレルが遠くへ逃げるまで待っているからだと確信できた。


「……エクレル。どうしますか?」


 やけに冷静な自分は、まずエクレルに確認をとった。しかし、返事は無い。


「……エクレル。もう『ヴァスティマ』は今日で終わります……サクリ枢機卿のお願い通りに、どこか遠くへと行きませんか? 私は貴方が望むなら、どこへだって付いていきます」


 ──返事はない。


「……私としては、『ヴァスティマ』が終わるのでしたら、外に居る〈六頭人種〉が、もう限界と言うのでしたら、もう1度眠って……さらに三百年後の世界で、今度こそ誰もエクレルの事を知らないような世界で幸せに生きて欲しいです」


 返事はない。


「……なにか、なにかやりたい事はありますか? そういえばゲームが好きなんですよね? トランプ、ショウギ、チェス。名前だけしか知りませんが、ルールを覚えるのは得意だと思うので、私が幾らでも相手しますよ? 飽きたらまた別のを探しても、新しいのを作ってもいいんです、幾らでも付き合います」


 返事はない。


「……運動の方は、不得意なので一緒にはできないと思います。でも、どこか綺麗な砂浜で走るのは楽しそうで、憧れてるんです……海、そう海、ずっと見てみたかったんですよ。よろしければ連れて行ってくれませんか?」


 返事はない。


「それに……そうお酒。私いろんなお酒を飲んでみたいんです。なんでも〈六頭人種〉、それぞれに名物たるお酒があるそうで、全部飲んでみたいなって、ずっと思っていたんです……それで、また何時も飲んでいた麦酒と…………」


 返事はない。


「……っ! 勇者……勇者エクレル……どうか、どうか私たちを助けてください……この歪みきった『私の産まれ故郷ヴァスティマ』を! まだ自覚も乏しい子供たちを! どうか……助けてくださいっ!」


「──ああ、わかった」


 誰かの助けてと呼ぶ声に反応して、勇者エクレルは、『ヴァスティマ』の民である私の声に、“はい”と答えた。


 +++


 ──エクレルは、[雷化]を発動して高速移動を行ない、一瞬にして【怠惰スロウス】の元へと向かった。


の見た目をしている殺戮ロボット兵器──【怠惰スロウス】の名前を与えられた巨大な魔族へと接近して、磁力の力を用いて甲羅の表面へと張り付く。


≪──私は許されざる怠惰を犯しました≫


 サクリの声が、エクレルの脳内に直接響き渡る。これは【怠惰スロウス】からによる通信ではなく、エクレルの遠くの声を聞く魔法、[受信]によって、もはや肉体は消えて無くなり、コアだけとなったサクリの独り言を勝手に傍受してしまっているだけだった。


「サクリ! ……サクリ!!」


≪兄さんはきっと知らないでしょう。シエルが殺された日は終戦パレードの最中だったのです≫


「──っ!?」


 エクレルは届かない声を何度も呼びかけた。そんな中でサクリが語るのは妹シエルが死んだ時の事。


 エクレルが妹の死を知ったのは冷たくなった遺体の前であった。状況証拠から複数人から乱暴されている最中で息絶えたという話を聞いた。不明な点が多く、いつ、どこで死んだかは分からなかった。


≪──兄さんが魔王を倒して、長き魔王軍との戦いが終わった事を祝う終戦パレードにて、私はその日──シエルに結婚を申し込むつもりでした≫


怠惰スロウス】から地響きの如く稼働音が鳴り出し踏み潰すだけで全てを終わらせられる超弩級戦車が動き始めた。ただオリジナルと同じく出せる速度は時速六キロ未満なようだ。【怠惰スロウス】は教会の外へと出て、『ヴァスティマ』の町へと巨体を移動させる。このままでは犠牲者がでるのも時間の問題だろう。


≪兄さんを尋ねてヴァスティマ帝国にやってきた、青空のようにおおらかで全てを包み込んでくれるようなシエルに、一目惚れをしたんだと思います≫


 エクレルが張り付いている近くの甲羅が部分的に開き、彼を取り囲むように大砲が展開される。エクレルは瞬時に移動を行ない、砲弾が吐き出される前に砲台を拳や蹴りで破壊していく。


≪それから、お互いが結婚してもおかしくない年齢になって魔王軍との戦いが終わった。終戦パレードは正に絶好の機会だと決断した時は、兄さんが魔王を倒した知らせを聞いた時よりも興奮してしまったのを覚えています≫


 次々と展開されていく砲台。銃口が向いている先はエクレルだけでなく、一斉掃射されれば『ヴァスティマ』が一瞬にして瓦礫の街になると、【怠惰スロウス】の全身を駆け巡り、砲台たちは一発も撃てずに破壊し尽くされる。


≪失敗はできないと初めて行くレストラン前で、約束した時間より二時間も早く来てしまったので、店にも入れず目の前で立って、指輪が入った箱を手に持ちながら、定めきれなかった告白の言葉をずっと考えていました。その姿を兄さんに見つかって、揶揄われて、恥ずかしくなって……でも、とても嬉しかったのを覚えています≫


 続いて頭部の方から順番に甲羅が浮き上がって開いた繋ぎ目から、浴びれば〈六頭人種〉を容易く黒焦げにする熱光が放出されるが、オリジナルとの戦いで知っているエクレルは容易く距離を取って回避する。


≪──そんな私は恰好の的でしかなかった。指輪が入った箱を子供に引ったくられました。私は無我夢中で追いかけてしまい、人混みが多かったのもあり結局見つけられずに終わりました≫


 甲羅表面が液体化して鋭い数千本の針へと変化すると、それらが一斉に射出。勇者にではなく『ヴァスティマ』にへと降り注いだ。


≪私は、確かに必死でありましたがシエルとの待ち合わせを忘れていなかったと思います。ただ、今日ほど告白に見合った日はないのだという気持ちが強く出てしまい、もう少しもう少しと指輪を探してしまったのです≫


 エクレルはギアを上げて、再加速を行ない飛び出した数千本の針を全て、左右前方の城壁へと向かって弾いて刺していく。常人の目から見れば、迫り来る針に黒い稲妻が通り過ぎたと思えば、針が変な軌道転換を行ない、壁に刺さっていくという訳が分からない光景が広がっていた。


≪約束の時間から一時間が過ぎた頃、ようやく正気に戻った私は慌てて戻りました。そこに……そこにシエルの姿は居ませんでした、代わりに居たのはヴァスティマ帝国の騎士たちが数名≫


 エクレルは、【怠惰スロウス】の後方側に射出された針を蹴り飛ばし、広げていた繋ぎ目の部分へと突き刺さると熱光の放出が止まった。


≪──嫌な予感というものをハッキリと感じとった私は、パレード中の警備を担っていた騎士たちを問い詰めて、数名の男に無理矢理シエルが連れて行かれたと、それを見た店の人が騎士を呼んでくれたのだとを知った……知って、私は走り出しました≫


「──[漆喰電エクレーア]」


 呪文キーワードを唱えると、エクレルが突き出した人差し指から、指向性を持った生物を灰に化す程の強力な漆黒の電気が、突き刺さった針へと繋がり、【怠惰スロウス】内部へと送られる。


≪私は孤児院育ちである事を生かして人気が無く、数名が屯いやすい場所を幾つか知っており、全てを当たってみようと考えて──最も近い場所でシエルを見つけました≫


怠惰スロウス】の動きが止まり、内部か複数の小爆発が鳴り、冷却装置が作動したのか至る所から蒸気が放出される。


≪それから、それからの記憶は朧気にしかありません。狭い空間に充満するアルコールの臭い、きっとパレードで浮かれた兵士たちだったのでしょう。彼らは手慣れており、誰も助けを呼べぬようにのを当たり前としている様子でした≫


 ──シエルの直接的な死因は窒息だった。


≪助けようとして兵士たちに襲い掛かった私は弱く、力が無く、情けなく兵士に突き飛ばされて、運悪く頭を壁に強く打ってしまい──全ての記憶を失いました。数日後、目が覚めた私は、兄さんの事も、シエルの事も、なにもかも全てを忘れてしまったのです≫


 エクレルは、攻撃を中断して中に入れる場所を探そうとするが見つからない。


≪それから三十年。三十年間、記憶の無い私は今だ混乱が冷めない世界の中で別人として扱われながら、何も知らず、何も思い出さず、何も思い出そうとせず、惰性に今の自分を受け入れて、怠惰である事を許容して生きようとしたっ!≫


 その間に【怠惰スロウス】の頭部先端甲羅が後ろへとスライドして仕舞い込まれ、中に収納されてあった砲塔が伸びる。それが、発射されれば直線上に存在する物体全てを消し炭にするビームを放つものであるのを、エクレルは知っている。


≪何もかもを忘れて、愚かにも大切だったものを思い出す事を面倒だとすら考えて! やってくる喜怒哀楽と愛の前に甘え! シエルが殺された場所で! 何もできなかった場所で!! 私は全てを思い出した!!≫


 チャージが開始され砲口内部に光が点り、徐々に輝きを増していく。


≪神よ、なぜ!? 私の全てを奪ったのですか!? 慈悲のつもりでしたか!? そして全てが手遅れとなってから全てを返したのか!? 己を捨てた者に対する復讐ですか!? 私が貴方に何をしましたかぁ!?≫


 ──正面の城壁には、プリカティアが居る。自分が、そこへと連れて行った。


≪どうして、どうしてェェェーーーーーーッ!!?≫


「──あ、あああああああああああああッッ!!!」


≪あの時私が──もっとちゃんとしていれば、もっと早く思いだしていればっ! こんなことには──!!≫


「──[漆喰電昇エクレーア・アルブル]ッッ!!」


 ──エクレルは【怠惰スロウス】の巨体に触れて[呪文キーワード]を叫び、生成できる限界量の電気を流し込んだ。すると、肉体を通り抜けた電気は青空へと飛翔していき、ほんの一瞬、『ヴァスティマ』に幻想的な雷樹が現われた。


≪──ならなかったんだ……──────シエル≫


 +++


 金属の甲羅で覆われた外側こそ変わらないが、中身は全て破壊しつくされて完全に停止している。


≪──やっぱり逃げてくれなかったのですね。兄さん≫


 ──三百年先の現代にて蘇った【怠惰スロウス】は再び勇者の手によって破壊された。しかし、どうしてかサクリの声が、まだエクレルに届いていた。


 心臓コアだけとなった、サクリには五感は残っていない。そのためエクレルを感知する事ができない。しかし、【怠惰スロウス】を止められるのは、今の時代ひとりしか居ない筈だと当たりを付けて、聞こえているかも分からない中で話しかけた。


≪……記憶を取り戻した時にはもう、なにもかもが手遅れで、記録としてしか認識しなかった出来事が、今更になって全てが許せないものになって、記憶が戻るまでの〈六頭人種〉たちの言動全てが酷く怠惰なもののように思えて……途端に彼らが憎く思いました≫


 ──【怠惰自分】の傍に立つ、エクレルの顔をサクリは見る事はできない。


≪故に、すでに代表となる立場であった私は呼び起こした記憶を、決して外部へと漏らす事無く〈六頭人種〉たちの行く末を見続けました──そうして数年後、あの計画が立ち上がったのです≫


『アニメ・ヴァスティマ』、この計画の発足。これによって寿命を迎えるまで何もしないつもりであった、サクリの狂った時が再び動いてしまう。


≪その計画を聞いた私は……途端に居なくなった皆の事が恋しくなりました。また会いたい、また会いたいと思いは強くなり──兄さんが、こんな事を望んでないのを分かりながら、私は偽物を求めたのです≫


 記憶が戻ったサクリもまた、勇者と同じく親しい者を全て殺されて、孤独となったものであった。偽物であっても、当時の再現した舞台は、とても眩しく魅力的に映った。


≪それからの日々は……省略させて──ください。最初は……満たされていた……偽物でも、確かに皆がいて、あの頃に戻ったような気がしたんです……≫


 言葉が途切れ途切れとなる。心臓コアはもう壊れている筈なのに、どうしてまだ声が聞こえるのか、エクレルにも分からなかった。限界を超えて、ここまで生き長らえたサクリだからだろうか。


 ──エクレルは、なにも語らず。三百年ぶりに再会した弟分の最期の言葉に耳を傾き続ける。


≪兄さん、どうか私の声を聞いてください……年老いて、段々と出来ないものが増えて──後年には、シエルを殺した兵士たちと──同じような奴らの蛮行を止められなくなっていった私を──どうか心からお怒りください≫


≪もしも──反対されず──兵士になって北砦で他のみんなと────同じく死んでいればよかったと──何度も先生を呪った私を恨んでください≫


≪──あの子が──兄さんと出会い──私の前であの言葉を聞いたとき──この三百年、罪を重ねてきたかいが有ったと────思った私を──認めないでください≫


≪────どうか、兄さんに謝ることすらできないと────そんな資格すらないと──なにも言わずに逝く私を──「サクリ」──≫


「──心から、反省したか?」


≪──ああ……ああ……! ……兄さん! ……どうか、どうか、赦してください!! こんな私をどうか……!≫


 ──それはサクリの記憶から生まれた兄と、現実のエクレルが被った故に起きた事かもしれない。エクレルは声を“受信”できる事はあっても、“送信”する事はできない。だから決して会話できない筈の義兄弟たちの言葉が奇跡的に繋がる。


「もう、仕方ないな。2度と同じことするなよ」


≪ええ、ええ、もちろんです。私、記憶力はいいので同じ過ちは繰り返しませんよ──ああ、そうだ、義兄さん、いつも言っているけど、優しいのはいいけど、絶対に義兄さんから謝らないでね≫


――反射的に謝ってしまい、余計なトラブルを招くエクレル。時折巻き込まれて、解決に手助けしていたのはサクリで、いつもこんな風に最後に叱られていた。


≪それだけは――忘れないで────――≫


それ以降、サクリの声は聞こえなくなった。


「……ああ、分かったよ。義弟キョウダイ


 ──背後に幾つもの気配が集まる中で、義弟サクリに向けての返事は、空へと溶けて消えていった。

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