ごめんなさい


 ──教会があった場所から、もっとも遠い距離にある正面城壁の上で、エクレルが、漆黒の雷となって【怠惰スロウス】の元へと駆けてすぐ、私は走り出した。


 危険だとか、安全な場所に避難だとか、なにも考えられなかった。エクレルの傍に居たい。その一心だった。


 空から降り注いできた無数の針が目に入っても、走ることをやめなかった。それを黒い稲妻が守ってくれると信じていた。


 途中で、役を忘れて【怠惰スロウス】を見上げて茫然とする『ヴァスティマ』の民を、何人も追い抜き。何があったんだろうと考え無しに、私の行く先へと向かう子供に何度も追い越される。


 ──息がまともに出来ているか分からなくなっても、雷がまるで大樹のように枝分かれして青空へと消えていったのを目撃しても、足を止めなかった。


「はぁ……はぁ……!」


 そうして、辿り着いて見たのは、動かない【怠惰スロウス】の、教会外へとはみ出ている頭の先で、背中を見せて立っているエクレルと、それを遠巻きで見ている、先に辿り着いていた『ヴァスティマ』の民であった。


 全人口である3000人はおらず、精々300人ほどが集まっている。中には未だに正気に戻っていないものや、怖くて近寄れていない者も居るのだろう、見て明らかに老人は殆どおらず、好奇心旺盛な子供たちの方が多い。


「はぁ……はぁ……──!!」


 汗が止まらない、呼吸が落ち着かない。そんな中でもはっきりと耳に入ってくるのは『ヴァスティマ』で生まれて、今までを生きてきた〈人間〉の囁き声。


 ──勇者様?


 ──ああ、間違い無い、勇者様だ……勇者様が帰ってきたんだ。


 ──三百年の今になって帰って来たんだ。


 黒一色の衣服の男性は、商店街は畑に居た人なら見ていたであろうが確信は持てなかったはずだ。そんな彼が漆黒の雷を纏った事で、勇者であると誰もが気付き、口々に確かめ合う。


 ──帰って来た……帰って……ど、どうすればいいの?


 ──『贖罪教』は何をしているんだ……。


 ──誰もなにもしないのか……?


 確信を得たと思えば、次に見せたのは戸惑う姿。その気持ちは痛いほど分かる。彼らは聖書を読んで勇者の事を知っている。知っているからこそ迂闊に近づきたくないのだろう。


 なにせ対応を少しでも間違えれば〈六頭人種〉を滅ぼしてしまうのは自分になるかもしれないのだから。自らの命が奪われてしまうかもしれないのだから、それが私たち『ヴァスティマ』の〈人間〉が植え付けられた常識だ。


 ──勇者……あいつが……。


 ──こんな人生を送ってる元凶……。


 ──今更、どうして……。


 次第に、はっきりと耳に届き始めたのは、強い感情が籠もった声。その中身は怒り、恨み、嘆きの類いだ。


 享受すれば苦労を強いられないと、自由こそ諦めたが聖書台本通りに、定められた己の人生を受け入れられた者ばかりではなかった。


 ──俺の子が……


 ──僕の家族が……。


 ──私が……。


 その負の感情の中には、『贖罪教』の騎士たちによる被害から来たものが多くあった。彼、彼女たちにとっては騎士たちの行なった蛮行は、この『ヴァスティマ』が出来た切っ掛けとなった勇者へと向かう。


『ヴァスティマ』の人々が勇者と言う名を呼ぶ声の音色は、『贖罪教』の、私たちが存在し続けた理由から、離れていた。つい昨日まで最低でも、ご飯を食べる時には口に出してきた祈りすらも、もう忘れている有り様であった。


 ──三百年、三百年という時が経っても、私たちはやはり〈六頭人種私たち〉なんだと、どうしても考えてしまった。


「──ふぅ……」


 ──呼吸こそ落ち着いたが、体力の限界か、思考が鈍く、普通に歩けない。


 とにかく、エクレルの傍に行こう、考えるのは後にして、ここに立ち止まっているのはダメだと、嫌な事が起こるから移動してってお願いしよう。


「──お父さん、お父さんってば」


 その声が聞こえたのは偶々だった、偶々畑でエクレルが助けた少女、モニカが傍に居た、その隣には父親が居て、彼はエクレルの事を恨みがましい視線で睨み付けていた。


 モニカは、そんな父親の袖を引っ張って、何度も呼び掛ける。


「お父さんってば、あのひと勇者さまだよね?」


「ああ、そうだ。あいつが俺たちの──俺たちの人生を……!」


 娘の質問に、父親は勇者から視線を外さずに強い怒気混じりに返答する。


「──じゃあ、なんで謝らないの?」


「「…………え?」」


 父親と私の声が重なる。


「だって、勇者様に助けてもらったのに、悪いことしちゃったんでしょ?」


「そ、それは……だ、だけど……」


「じゃあ謝らないと」


「お、おい!?」


 そういってモニカは、動こうとしない父親に業を煮やしたのか、前へと出た。父親は手こそ伸ばすが追おうとしない。


 ──モニカは、聖書において小さいながら畑仕事を手伝う少女であった。


 なので、モニカの役割を背負う事となった『ヴァスティマ』の少女は、他の同年代の子が、まだ教会で授業や、聖書を読んでいる中で彼女は畑仕事に精を出していた。


 私たちは、エクレルに対して一定の距離を取っており、そのためがあるような空白地帯が出来ていた。そこをモニカは容易く中へと入り込み、こちらを振り向こうとせず、ずっと背中を向けているエクレルの傍に立った。


「──あ、集まればいいんだ」


子供たちだけなのかな?」


「とりあえずモニカのところ行けばいいの?」


 モニカに続いて、子供たちが勇者たちの元へと歩き出し、最終的には50人ほどが勇者の背中の前で二列に並んだ。


 ──動かなかった子供も多く存在するが、大人たちの方は私を含めて誰もが動かなかった。


「えっと、えっと……どうすれば良かったんだっけ?」


「聖書を読み上げるんじゃないの? ……まさか内容覚えてない?」


「だってむずかしんだもん……」


 モニカを初めとした一列目に並んだ年少組は、これからどうすればいいか分からなくて、〈六頭人種〉がたった1度っきりのチャンスと定めた行ないをしようとしている子供たちは、まるで失敗しても次があると、そんな気楽さで話し合う。


「……あー、でも結局どこから始めればいいんだ?」


「ちょっと、早くしてよ、雨降りそうだし、勇者様怒っちゃうでしょ!」


「最初から言ってけばいいのかな?」


 二列目の年長組の方は、多少は失敗できないなと多少緊張しているのか、先導する事を躊躇い、どうすればいいか分からず戸惑っているようだった。いま気付いたがポーロが居た。その顔は、諦めていた未来へと進めるかもしれないと、希望が宿っていた。


「んー、そういえば……あ、やっぱり居た! ──先生!」


 モニカが、一旦列を離れて視線を大人たちへと向けた。そうして捜し物であったらしい、私と目が合うと大きく手を振った。


「先生居たんだ……先生!」


「せんせーだ!」


「先生!」


 ──他の子供たちも私の存在に気付いて、呼び掛けてくる。周囲の大人たちが私から離れる。


 動かした足が、非常に重いのは疲労が原因の筈だ。傍まで来ると子供たちは、とくに示したわけでもなく、真ん中を開けるように広がり、私は子供たちを左右に置き、彼の背中を真っ直ぐ見つめる場所へと立つ事となった。


「先生」


 授業をしていた事がある、自信が無さそうな年長組の生徒が、安堵したかのように呼ぶ。


「先生ぇ」


 つい、一昨日聖書の読み聞かせを行なっていた年少組の生徒が、不安そうに私を呼ぶ。


「せんせー」


 そんな生徒たちに釣られてか、まだ授業に出た事との無い、将来私の生徒だったかもしれない幼い子が、私を呼ぶ。




「「「先生」」」




 左右から私を除き込む幾多の純粋な瞳が、小さな私を見上げてくる。


 ──震えていない事が不思議なほど静かな両手を組んで、私はエクレルの背中を真っ直ぐと見つめた。


「──〈六頭人種私たち〉は罪を犯しました」


 自分の口から出たとは思えないほど、ハッキリと透き通っているような声で語り始める。


「「「──〈六頭人種私たち〉は罪を犯しました」」」


 子供たちが私の言葉を、乱れ気味に復唱する。


「『ヴァスティマ私たち』は貴方に許されざる罪を犯しました」


「「「──〈六頭人種私たち〉は許されざる罪を犯しました」」」


──は貴方に許されざる罪を犯しました」


「「「──〈六頭人種私たち〉は許されざる罪を犯しました」」」


 想いを変える、言葉を変える。それを知らずに子供たちは、私の言葉を繰り返す。


 ──続きが思い浮かばず、言葉を詰まらせる。


「──? ……あ! ──〈人間〉は、勇者のいもうとをごうかんして、ころしました」


 なにも言わなくなると、一列目の右端に居た子が、悍ましい聖書の文章を読み始めた。


「〈獣人〉は、勇者の父と母をバラバラにして食べました」


「〈エルフ〉は、勇者の友達を拷問にかけて、処刑しました」


「〈ドワーフ〉は勇者のなかまをかいたいして、かぐにしました」


 止める機会を得られる事もなく、口を挟む余裕もなく、次々と三百年前の〈六頭人種〉が行なった事が、勇者へと語られていく。


「〈妖精〉は、勇者の愛する人を狂わせて、じがいさせました」


「〈竜人〉は、勇者の故郷を、無慈悲に燃やしました」


 ──聖書は過去の〈六頭人種〉たちによって書かれた。『アニメ・ヴァスティマ』と呼ばれる舞台国家の“台本”に過ぎない事を私は知っている。


 だけど、勇者は亡き者にされ掛けたこと、彼と親しい者に、家族に、仲間に、友達に、愛する人が犠牲になった者が居たこと、そして〈六頭人種〉私たちの最初の間違いも──勇者として描かれて優しいエクレルの事も、全てが本当にあった出来事だ。


「──貴方勇者は、悲しみ嘆きました、当然です……だって、誰も救えなかったのだから……! あなたは、あまりにも優しすぎました……!」


 私は出会って知った三百年前の真実を感情のままに口にする。私の本音アドリブに、子供たちは戸惑い復唱が止まる。


「……勇者は、生き残っているかもしれない親しい人を捜し回り……その中で取り返しの付かない事をしました」


 彼は暴走する中で、自分を慕う子供を殺してしまい。その親に許してくれと嘆かれた。その時の心境は、殺人を犯した事の無い私には推し量れるものではない。


「そして、望まない言葉に後悔を抱き、長い長い眠りにつきました」


 三百年後の世界で起きて、『ヴァスティマ』に来て、本来ある筈の愛した人との思い出の場所が無かった時、どんな気持ちだったのだろうか、そこで私と出会ってしまい、どんな気持ちになったのだろうか。


「──“俺が再び現れるまでに、心から反省しろ”──勇者貴方は確かに取り返しの付かない事をしたのかもしれません」


 この身近な時間の中で、どれだけの後悔と恐怖を抱いたのだろうか。


「──それでも間違えたのはです」


 そんな貴方を、私は孤独にしたくなかった。


「だから、私は……貴方に言わなければなりません……」


 ──最初は許されなくて当然だと、勝手な気持ちだった。助かりたいという打算もあって、私は貴方に言わなければならない三百年前からの祈りを、自分勝手に隠してしまった。


 次に、たったひと言で許されてしまうのが怖かった。彼の傷ついた心を、さらに抉った存在が認められていいはずがないと、だから、この狂った『舞台ヴァスティマ』の被害者ではなく、貴方を傷付ける偽物に過ぎない加害者として扱い、拒絶して欲しかった。


 そして、彼が望んだように、で有りたかった。私と彼の罪は比較できるものでないにしても、取り返しの付かない事をしてしまった同士として──エクレルの癒やしになれる存在でありたかった。


 ──だから、どんな事があっても、最期まで口にしないと決意した。その筈だった。


「──ごめんなさい」


 その決意は破られて、あまりにも容易く謝罪のひと言が、私の口から出た。


「「「ごめんなさい」」」


 子供たちが、再び復唱を始める。


「ごめん……なさい」


「「「「「「ごめんなさい」」」」」」


 ずっと見ているだけであった、大人たちの方からも声が聞こえ初めて、何時しか、ここに居る全員が、より遠い所にいる人々が、『ヴァスティマ』全体がエクレルに謝罪祈りの言葉を送る。


「ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」


 私は誤ってしまう。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 私は何度でも過ってしまう。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい――」


 ──私は、自身の罪を謝ってしまう。加害者と被害者、許されざる者と許す者と存在を絶対的な別の物へとわけてしまった。


 この言葉を口にしてしまった以上、私と彼は、どれだけ近くに居たって、もう二度と、にはなれない。


「──ごめんなさい! ごめん、なさいっ! ごめんなさいっ!!」


 ──貴方の望んだことを叶えられず。この三百年後の世界で、孤独にしてしまう。


 これならいっそ、偽物でもプリカティアとして居続ければ良かったと、そんな事すら考えてしまう。


 あの時、助けを呼ばなければよかったと、心から思ってしまう。


「「「ごめんなさい、ごめんなさい、勇者様ごめんなさい」」」


「────エクレル、ごめんなさい」


 ──『ヴァスティマ』のあらゆる場所から、聞こえないほど遠い場所からも謝罪の祈りがずっとずっと聞こえてくる。そんな中でエクレルは、ゆっくりとこちらを振り向いた。


 その優しい顔のエクレル、涙を流す瞳と目があう。彼はしばらく私を見つめた後、寂しい笑みを浮かべた。


「ああ、いいよ」


 ──雨が降り始める中で、私たち『ヴァスティマ』の民は、三百年の時を経て帰って来た勇者エクレルに許された。

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