三百年前の王様
三百年前、六頭人種に数えられし種族である〈人間〉には、誰もが知っているほど有名な王様がいました。
他の〈六頭人種〉に比べて〈人間〉と言うのは何に秀でているのかと聞かれたら、答えるのが難しい人種でした。
全ての人種の
それが〈人間〉という名前の由来になったとされています。
そんな〈人間〉の王様は、〈人間〉であるからこそ彼は誰よりも〈六頭人種〉の
どれだけ厄介な敵であっても決して思考を止めることなく、それらを打破するための作戦を思いつき実行に移し続けた影の英雄。
誰もが非人道的だと恐れ、非常識だと畏れた、
どんな巨大な敵であっても、厄介な敵であっても決して思考を止めることなく、それらを打破するための作戦を思いつき、実行に移し続けた影の英雄。
そんな彼を非人道的だと恐れ、非常識だと誰もが畏れた。
三百年前のヴァスティマ帝王を、誰もが〈
そんなヴァスティマ帝王ですが、執務室にやってきた宰相や近衛長、騎士団長などの配下たちの話を聞いて頭が真っ白になりました。
「――終戦パレードで、勇者の妹が殺された……?」
ヴァスティマ帝王は先ず自分の耳を疑いました。そして間違った情報であれと望み、挙句の果てには宰相たちの誤報かと思いました。
なにせ終戦パレードの準備から終わるまでのあいだ、ずっと働き詰めで、まともに寝ていなかったので勘違いしてもおかしくないと思ったからです。
そう、宰相たちの報告は終戦パレードが終わり、後片付けも終わり、やっと休めるっていう時に語られた報告だったのです。
勘違いじゃなかったら、いつの間にか過労で倒れて夢だと思いました。
夢だったら、良かったのにと思い直しました。
残念、彼は非王、どれだけ非常識で非現実的であっても冷静に現実を直視してしまう人でした。
勇者の妹が殺された。終戦パレードの時に殺された。ヴァスティマ帝王は真っ白になりそうな頭を無理やり思考で塗りつぶして止まらないようにします。
「……なぜ、パレードが終わってから報告してきた」
全く持って当たり前の疑問に、お顔が真っ青な騎士団長が答えます。
「路地裏で亡くなられていたために、身寄りのない浮浪者だと思われたみたいでして、遺体安置所に放置されていたらしく……終戦パレードが終わり事件性があるとして騎士が確認したところ……勇者の妹だと発覚いたしました」
ヴァスティマ帝王は足に力が抜けて、どかっと執務席に座ります。
ちなみに、この時初めて自分が立ち上がっていることに気づきました。
「……殺されたのは、本当に終戦パレードの時か?」
「はい、それも初日……近くには勇者の弟分であるサクリ氏が頭を殴打されて気を失っていました。今も意識が戻っていない危険な状態だとのことです」
「犯人は見つかったのか?」
「はい、遺体に痕跡が残っておりましたので、魔法を使って……犯人数名を既に拘束、牢屋に入れて自白も完了しております」
「犯行理由は?」
「彼らは終戦パレードで酒に酔って……元々手癖が悪く、我らの見えないところで何度も犯行を繰り返していたそうです……それに……」
「人種は?」
「……」
「情報は全て開示しろ」
ヴァスティマ帝王の冷え冷えの命令に、青ざめた騎士団長は震えた声で報告します。
「……全員、〈人間〉です……それに……我らヴァスティマの兵でした……」
ああ、なんということでしょう。
魔王を討ち滅ぼし、〈六頭人種〉を救ってくれた勇者の妹を殺したのは、ヴァスティマ帝国の完全なる身内。それも全員が〈人間〉というじゃありませんか。
つまり、妹が殺された件は完全にヴァスティマの失態であり、〈人間〉だけが引き起こした大罪であったということです。
「街頭警備を担当させた騎士の連中は何をやっていた……」
「終戦パレードでは〈六頭人種〉の数多くがヴァスティマに来ていたために、あらゆるトラブルが見舞われ人手が足りず……」
「本当にそれだけか……本当にそれだけかと聞いている……答えろ!」
「……っ! 多くの騎士が祝い日だからと仕事を全うせず、職務中に飲酒や遊びに興じていたりと警備に大きな穴を作ってしまっていましたっ!」
さらに失態は浮き彫りになり、聞けば聞くほど許される部分が無いとわかります。
「――なんのための警備だと思っている」
なんていうことでしょう、魔王討伐は〈六頭人種〉によって悲願でした。でなければ自分たちは赤子まで殺し尽くされていました。
そんな魔王が勇者によって滅ぼされたことを祝う大切なパレードはとても楽しく浮かれたい気持ちはよくわかります。
しかし、そんな皆を見張って市民の安全を守るための騎士たちが酒を飲んで、勇者を称える歌を奏でて、仕事をサボっていたというのです。
これには非王も言葉を失い、天井を見上げて腕で目を隠すことしかできませんでした。
それから数分にも、数十分にも、たった数秒の沈黙が開いたあとヴァスティマ帝王は口を開きました。
「――ああ、おしまいだ」
笑っているような。
泣いているような。
空っぽのような。
そんな声色で、はっきりと告げました。
「〈ヴァスティマ〉だけじゃない……〈人間〉はおしまいだ」
「し、しかし、しかしですよヴァスティマ帝王。かの勇者であるならば誠心誠意我らの気持ちをお伝えすれば話は聞いてくれるかと……」
宰相はヴァスティマ帝王の絶望のお言葉を、勇者によって〈人間〉が滅ぼされるという意味だと思い。あの勇者なそんな事はしないと信頼を持って王に具申しました。
「違う、勇者はいいんだ」
王の返事に、宰相たち配下は思わず呆けてしまいます。
被害者家族である勇者がいいとはどういうことだと、続く王の言葉に耳を傾けることしかできません。
「アイツはどれだけ許されない事をしても、病気レベルで理性的であろうとする。もう犯人を捕まえている。ならば法に従い処刑するまでのあいだ大人しくするし、それからもひとりで勝手に壊れていって最後には辺境の土地で静かに朽ちるだろう──だがな〈六頭人種〉はそうじゃない!」
あの非王が、感情的になって机に拳を叩きつけます。なんと恐ろしい。
「この件は〈人間〉の大罪として処理される! 〈六頭人種〉たちからは肩を並べ合うには気持ちが悪い生物として扱われるようになる! いや、あいつらはそうしてくる!!」
それはちょっと言い過ぎではないでしょうかと思うかもしれませんが、非王の言葉は的を得ています。
〈六頭人種〉は偶然生き残った六種の人種が魔王軍を倒すために制定された平等条約です。
“頭の形が違えど我ら同じく人種”、素敵な言葉ですが、全く違う文化と特性を持つ人種たちの前では、それがどれだけ薄っぺらく脆い言葉であるかを制定したヴァスティマ帝王が最も分かっています。
個人の範囲ならともかく、本来であれば手を取り合って仲良くするのがとても難しい。
それでも〈六頭人種〉の呼び名と共に集えたのは魔王という暗黒と、勇者という光があったからです。
魔王は倒された。残ったのは勇者だけ。その光の元で人種単位で共生はできなくなったとしても、共存は出来るとヴァスティマ帝王は思っていたのですが、その光を〈人間〉のみが汚してしまった。
「勇者の不幸は〈六頭人種〉の不幸だ……あいつが許したとして〈六頭人種〉は許しはしない」
そうみんな勇者が大好きなのです。
そんな勇者を不幸にした人種がどう扱われるのか。
想像もしたくありませんね。
「……だ、だったら、勇者どのに……」
これからの事を想像して錯乱した宰相が、とんでもない提案を言いかけたのを、ヴァスティマ帝王が机を殴りつけて抑えます。
「だったらなんだ! それなら勇者の妹を生き返らせろっ! できるか!? できないだろ!! あらゆる超越した力を持つ秘宝ですら死者蘇生できるものをだけは存在しない! それが世界の絶対的なルールだからだ! ……だから、おしまいなんだよ、全部」
感情的に叫ぶヴァスティマ帝王に反論するものはいませんでした。
ヴァスティマ帝王は長いため息を吐いて、椅子に腰掛けました。
天井に向かっている瞳には何が映っているのか、本人しか分かりません。
「……近衛長、確か君には年頃の娘がいるな? まだ十にもなっていない子だ」
「は、はい。今年で9歳になります」
「……これから先は、その愛らしい娘が〈獣人〉に食われたとして、私たち〈人間〉が罪を問おうとしたのならば他の頭共にこう言われてしまう時代が来るんだ――〈
「…………」
「これからの〈人間〉は、そんな風に扱われるんだ。全員が幸せになるべきパレードを汚し、勇者の身内に不幸をまねいた人種になるというのはそういうことだ」
「……な、なにか方法はないんですか!? そのような未来が訪れない方法が!」
涙を流しながら懇願する近衛長。口にはしないだけで、ここにいる全員が同じ気持ちでした。
こうなってしまえばただの〈人間〉は生まれながらの天才で、あらゆる非常識な事態でも対応し、〈人間〉だけではなく、〈六頭人種〉を導いてきた非王の頭脳に縋るしかないのです。
言われなくてもヴァスティマ帝王は、天才の頭脳を動かして考えています。
妹の死を隠蔽したとしても直ぐにバレてしまうでしょう。この世界には魔法という便利な技術がありますし、人探しが得意な〈妖精〉がいます。
あるいはもしかしたら、自分たちが知らないだけで勇者はすでに行方不明になった妹と弟分を探しているのかもしれません。
いえ、探しているのでしょう。だから宰相たちは自分に知らせに来たのだとヴァスティマ帝王は確信しています。
最悪ですが、もうどうにもなりません。無かった事にして今後を考えるしかないのです。王とは本当に辛い職業ですね。
なにせ、たったひとつ可能だと思いついたものを〈人間〉の王として実行しないければならないのですから。
「――これから名前を呼ぶ人物たちを誰にも気づかれず、内密に呼べ。教会の力を借りたっていい」
そう言ってヴァスティマ帝王は次々と名前をあげました。
〈人間〉〈獣人〉〈妖精〉〈ドワーフ〉〈エルフ〉〈竜人〉の中から呼ばれた名前。それを聞いた宰相は、さらに顔を青白くしました。
何故なら名前を呼んだ誰もが、ヴァスティマ帝王が過去に口にしたことがある者たちだからです。
危険人物として対処するべき者たちだったからです。
場合によっては、自分たちで始末をしなければならないと言うほどの者たちだったからです。
「そ、その者たちを呼び、なにをなさるおつもりで」
「勇者物語の続編を作る」
「……それは、どういう意味で?」
「勇者を裏ボスに……」
「……裏で魔王を操っていた真の倒すべき〈六頭人種〉の敵とする」
「な、なにをおっしゃいますか!?」
あまりにもとんでもない、まさに非王にふさわしいお言葉に、立場を忘れて宰相が叫んだ。
「幸いにも勇者は戦争終盤、少数で行動していた。魔王に至っては彼以外に目撃したものはいない。この状況を利用して、全ては勇者が勇者となるための計画だったと真の魔王は勇者であったと〈六頭人種〉に流布する」
「し、しかし、しかしですよ! それを実行してしまえば流石の勇者でも激怒しましょう! それこそ彼の仲間だって……そうなれば、それこそこのヴァスティマ帝国は……〈人間〉は真に許されなくなります! 本末転倒になります!」
「それでいい。今述べた人物たちの計画となれば勇者を嵌めて亡き者にしようとしても不思議じゃない、妹と弟分を暗殺しようとしてもおかしくない、そうだろう?」
「へ、陛下?」
「〈人間〉の評価が落ちる事を避けられないというのならば、〈六頭人種〉全てに重荷を分配して同じだけ落とせばいい」
ヴァスティマ帝王は、いつものように笑いました。
どんな絶望的な状況でも覆してみせるぞっていう覚悟を持った恐ろしくとも頼もしい不敵な笑みです。
愛してくれた母上の、いつまでも堂々と笑いなさいという遺言に従い生まれた、不器用な笑みです。
「ちょうど〈六頭人種〉の膿たちも焼き切れると思えばいいさ……背負う罪がひとつ増えるのも今更だ。なあに成功して見せるさ。私は人種の間に立つ〈人間〉の帝王だからな」
ここで配下たちは、ヴァスティマ帝王の真なる目的を察しました。
ヴァスティマ帝王が提案したのは勇者が培ってきた尊厳を破壊する──と、見せかけた妹が殺され、弟分が行方不明になったのは、ヴァスティマ皇帝を筆頭とした〈六頭人種〉が秘密裏に勇者たちを貶めようとした計画のうちだと偽造し〈人間〉の罪を、〈六頭人種〉の罪へと変化させる計画であった。
おしまいになるのが避けられないなら、何を、おしまいの内容を変えよう。ヴァスティマ帝王の言っているのはそういうことです。
ああ、なんて事だ。もしそれが成功してしまったらヴァスティマ帝王は人類が絶滅するまで世界を救った勇者を裏切った最低で下劣な人物のひとりとして歴史に名を刻むでしょう。
それなのに、ヴァスティマ帝王は非情にも己の得てきた尊厳も、得てきた栄光も、地位も名誉も命も全て〈人間〉のために捨てると言い切ったのです。
これこそが〈人間〉を導いてきた非王ヴァスティマという〈人間〉なのです。
「陛下、それはあまりにも、あまりにも……!」
「小説はあまり嗜んだことは無いが、続編を作るにしても新たな敵役が必要だろ?」
「……陛下っ!」
集まった配下たちは床に膝を付けて
そうだ私たちの王様はいつだって〈人間〉のために戦ってくれたのだ。
「お、愚かな私たちをお許し下さい……お許し下さいっ!!」
配下たちは、どうしてこんな事になってしまったのかと後悔に涙を流します。
これが自分がしてしまったことなのかと苦しみから嗚咽が止まりません。
背負うべきはずの罪は、既にヴァスティマ帝王へと献上してしまったのです。返してくださいと願いでても手遅れです。
何度も口に出る謝罪の言葉は今更で、手遅れで、なんとも虚しく無意味なものでしょうか。
それでも我らが〈人間〉を導いた王の終わりを決めてしまったのは、誤ってしまったのは、その〈人間〉だと、配下たちは謝ることしかできなかった。
ヴァスティマ帝王は椅子から立ち上がり、配下たちに背中を見せました。
いつも見てきた、誰よりも前に出て突き進むと決めた王の背中です。
「まあ、いつも通り頼むよ、くれぐれも内密にな」
「……はいっ! 承知しました! 我らが命、最後まで陛下と共に!」
覚悟の返事と共に非王の願いを聞き届けるべく執務室へと出ていった配下たち。
ひとりになったヴァスティマ帝王は窓際へと移動し、町の方角をしばらく見ていました。
「……そうだな。もう魔王を倒しんたんだ」
数分ほどしたあと、ヴァスティマ帝王はふっと笑みを零すと椅子へと座った。
「あいつはそろそろ、1回ぐらい怒ってもいいだろう」
そういうとヴァスティマ帝王は優しすぎる友人に向けた悪戯を計画するように、ペンを握った。
──ヴァスティマ帝王の計画は望み通りになったのでしょう。しかしヴァスティマ帝王の想いは踏みじられる事となりました。
彼はひとつ致命的な思い違いをしていました。非王と呼ばれた彼もひとりの〈人間〉だったのです。
いえ、もし彼が違和感に気づいたとしても、究明できる事はなかったでしょう。
勇者エクレルの妹。彼女に降り掛かった災いを、誰もが勘違いしていたのですから。
──たったひとりを除いてね。
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