三百年前のあの頃
へそが見えた。
名前を呼んだ。
上を見た。
全裸でアヘ顔ダブルピース。
それがおかしくなった世の中で再会した彼女の姿だった。
記憶の中で何度も見たことがある。それは意図せずだったり、興味があったり、男としての理由だ。
でもあれは創作だ。だからこそなものだ。
大切な人が、好きな彼女が、そのような事をしている。
子供の前では気丈に振る舞い、誰にも優しい聖職者であった彼女が、今まで生きてきた証そのものである人間の尊厳を捨てている姿になんて言ったらいいのかわからない。
もう2度と埋めることの出来なさそうな虚脱感ばかりが、ずっと湧き上がる。
心が狂わされたのだと理解するのには時間は掛からなかった。
全身の感度が何倍にも跳ね上がっている。魔法でそう狂わされた。
〈妖精〉が使う心の魔法だ。彼女もまた〈六頭人種〉たちの被害を受けた。
それは、とてつもない快楽で、苦しみなのだろう。
全身から汗が吹き出ており、俺たちの思い出詰まったテーブルが濡れる。
このままでは脱水症状で死んでしまうのは目に見えていた。
彼女は笑っているのではなく、ピースサインを作っているのではなく、大事な部分をあえて見せているのではなく、刺激による筋肉の弛緩と硬直を繰り返した結果そのようなポーズになってしまっただけだ。
テーブルの上に立っているのも、できるだけ物に触れないための苦肉の策として逃げたのだと思う。
喉が乾いているのか、俺の名前を呼ぶ声はひどく上擦っている。どこもかしこも水浸しだ。
でも、だけど、家族も、仲間も、友達も、全員が殺されている中で彼女は生きていてくれた。
俺にとっては、それだけで良かった。
良かった事にした。
どうしてこんな事になったのか、何もわからない。
気がつけば守れたはずのものたちが壊されて、なにもかも失った。
そんな中で生きていてくれたんだ。
それだけで良いことにした。もう疲れた。
俺は彼女を気絶させて最果ての土地に建てた家に連れ帰った。
魔王の本拠地にもっとも近い丘の上。ラストダンジョン前の最後の村はなかったが、自然にできた魔物がやって来ない安全地帯はあった。
最後の魔王と戦う前に心身を万全にするため、俺たちはそこで休む事になった。
誰が最初に言ったのか、俺が言ったのか、せっかくだからと俺たちの秘密基地を作ろうぜと言い出して、全員が乗り気になって二階建ての立派な家が建てられた。
全員で住むには少しばかり小さかったが、それが良かった。
まるでもう魔王を倒してしまったあとの平和な世界のような、こんな日々を夢見ていたんだと再認識して決意を改めることができた。
誰も知らない俺たちだけの秘密の家。
そこで俺と彼女は生活をはじめた。
ひどく淫らな日々だった。脳の神経を直接書き換えられてしまったのだろう。彼女は起きているあいだ我慢の出来ない痒みに襲われ続けた。
触れるものは全て痒みを悪化させるものとなり、服を着ることができず、横たわるベッドのシーツですら彼女にとって強い刺激物になってしまっていた。
そんな彼女の容態でもっとも酷いのは、襲いかかる痒みは生活の全てを支配するのにギリギリ意思を保っていられるものということだろう。
まともに会話できず、ろくな生活もできない中で、ただ自分を見ている俺の事をはっきりと認識している。
呂律の回らない。声で俺の名前を読ん呼くれる。それから彼女らしくない言葉が続く。
どんなつらい目にあっても生き続けて欲しいと常に願っていた
そんな彼女が言うんだ。自分が客観的に見えているよりも遥かに酷いのだろう。
なによりも、彼女が泣いていたのは自分の体の事ではなく、俺に見られて世話をされていたからだと気づいた。
いつだって俺は手遅れだ。与えられることばかり覚えて、自分から考える力が乏しい。いつだって王様の頭が心底羨ましかった。
──俺は彼女を抱いた。
自分は彼女の全てを受け入れていることを言葉ではない何かの方法で伝えたかった。
それに自分で慰めるというのはかなりの体力が居る。それに抑えが効かず限界を超えてしまうかもしれない。だから俺のほうで調整が必要だと考えた。
体力を回復する【秘宝】は幾つか持っているが、ショック死の危険性もある。できるだけ頼らないほうがいい。
自分からではまともに眠ることができない彼女を電気ショックで気を失わせていたのだが、睡眠と気絶は違うものだし、なによりも危険すぎる。いつも心臓が止まらいかと怖かった。
だったら激しい行為で彼女の体力を消費できれば傷つけずに眠らせることができるなんて考えて……創作のやつだけじゃなくて、現実のをもっと見ておけばよかったかな。
──いや、これらのらしい
彼女の姿や声、家に充満する匂いが日に日に俺の理性を削っていたのは確かで、とっくの昔に我慢の限界だったのかもしれない。
あっという間の出来事で、始まる前の俺が何を考えたのか全く思い出せない。
人生で初めての行為は、幸せと呼べてしまうものであった。
いつかこんな関係になりたいなって思っていた。彼女の誕生日に告白して彼女になれた時か、結婚するかしてからだと思っていたんだけどな。
重なっているときは馬鹿になれた。
殺された家族や仲間の事とか、手のひら返した〈六頭人種〉の事とか、そういうのを考えられなくて良くなる。
人間は成功しているときIQが最低になるらしい。本当のようだ今まで知らなかったな。
何も考えられなくなる時間がひどく心地良い。
勇者で良かった。無尽蔵の体力は何日でも彼女に付き合えるし、世話だってできる。
口移しで食事を取らせるのにも、意識がない彼女の体を洗うのも、ベッドで寝たままシーツを変えるのも直ぐに慣れた。
何度目かになった時、あえて微弱な電気を体に流すと痒みを落ち着かせる事ができるようになったのを発見した。これによって俺に乗っかっていれば刺激を受けなくても良くなる。
こうしている間、ほんの少しだけ話す事ができるようになった。でも、電気風呂よりも強い刺激は痛いらしく長時間はできない。
──ごめんなさいと謝る彼女に、俺は心から愛してると言い続ける。
そんな彼女との日々ば本当に幸せだった。
俺の名前を求めてくれるだけで、後はなにもいらなかった。
彼女のことを毎日見続けてなければならないのは、嫌な事を考える時間を削り、彼女を治療する方法だけに頭を回すことができた。
なんの資料もない、材料も【秘宝】もない家の中で考えるだけの行為だけど、それで良かった。
ほんの少しでも彼女から目を離すのも、外に出るのも怖かった。
この家で仲間内の祝勝会をしようと用意していた食料が無かったら、このまま彼女と一緒に餓死して死んでいたかもしれない。
でも、一ヶ月か、二ヶ月か、それぐらいの時間が経ったある日、寝息を立てている彼女を椅子に座ってじっと眺めている時に、ふと頭をよぎってしまった。
──子供ができるんじゃないのか?
可能性は高かった。避妊する手段なんてない。そんな余裕も無かった。
どうして自制出来なかったのかと後悔しても、もう遅い。
もし奇跡的に出来ていなかったとしても、こんな生活を続ければ時間の問題だ。
子供を生むのは、とてつもなく大変だ。
自分が居た──では技術が発達していて安全が桁違いであるが、母子共々命に関わる危険がある行いだ。
そもそも彼女の体では、子供授かることすらひどく危険だ。
腹の中で子供が体を蹴ったとき、どうなってしまうのか皆目検討がつかない。
でも、でもと、どうしても考えてしまう。
俺は不老らしい、【不死鳥の血】を全身に浴びたことで年を取らなくなったようだ。まだ実感は湧かないが本当なら〈人間〉である彼女とは居ずれ寿命で死に別れしてしまう。
それに彼女の体は強い負担を強いられている。今はまだどうにかなっているが老化に耐えられるか分からない。
──俺はこのままだとひとりになってしまう。みんな居なくなった世界でひとり。
ならせめて、彼女が居た証がほしいと、そう思ってしまった。
なら成り行き任せは辞めなければならない。動こう。
生活用品の補充も必要だし、果物とか食べやすく栄養がとれるものを買わなければいけない。
それに彼女が無事に出産できる環境が必要だ。
でも世界がどうなっているのか分からない、〈六頭人種〉が全員俺を殺しに来ているとするなら誰も頼れない。知識と設備を自分で揃えなければならない。
ただ、可能ならば出産から子育ての助けとなる秘宝が欲しい。こんなことなら竜王に国が保有している半分くれるって言ったとき断らなければよかったな。
30分、一日にそれだけ外出する事に決めた。時間はそこまで残されていないかもしれないが、何にしても彼女が大事だから、焦らず確実にやっていこう。
寝息を立てている彼女をしばらくじっと眺めたあと、俺は久しぶりに外へと出た。
買い物は初めて来る町にした。そこそこ人も多くて〈人間〉も多く、なによりも片道2分の場所にあった。もっとも俺の魔法を使って2分の場所だけど。
久しぶりの外は酷く怖かった。でも黒髪を隠して服を目立たないものにしたら誰も気が付かなったので、次第に恐怖は薄れた。
その道中、俺たちの話題が耳に入りそうだったが時間を食うわけには行かないと無視した。
魔法の感度を上げれば聞くことができたが、また今度だ。
初めての久しぶりの外出は様子見も兼ねて、祝勝会で開けるつもりだった酒を幾つか換金するだけで終わった。
みんなで馬鹿みたいに買い込んだ瓶や樽でまだ残っている。売れるならしばらく金に困ることは無いだろう。
それに、こんなこと言うと申し訳ないけど、息抜きにもなったと思う。
改めて彼女と一緒に居たいと思えたし、一緒にいる時間は他人から見れば忌避されるものだったとしても、掛け替えのない時間だと思えた。
町中を歩く中でずっと頭にあったのは彼女と、そして早いけど、子供についてだった。
子供が無事に生まれたら、なんて名前を付けよう
子供が育ったとき彼女がこのままだったら、なんて説明しようか。
やっぱり下手に誤魔化さずに正直に打ち明けて、家族で支え合おうと言おうか俺はともかく、彼女の子供だ、間違いなく優しいに決まっている。
考えれば考えるほど将来というものに希望が持てた。
何度も何度も頑張ろうと思えた。
そのためにも彼女の症状は絶対に治さなければならない、治すためなら何だってすると決意を持てた。
帰り道、手ぶらで帰るのも何だけど売店で売っていたオレンジを買った。
今後ともビタミンCは定期的に接種しておくべきだろう。おまけをもらえた事がとても嬉しい。
決めた時間よりも早く帰ってきた。やっぱり不安だったからだ。
家が見える。戦争の時もそうだったけど、帰れる家があるっていうのはやっぱり良いものだ。
そういえば彼女、酸っぱいの苦手だったな。このオレンジ甘いといいけど。
へそが見えた。
下を見た。
テーブルに足がついておらず、微かに揺れている。
名前を呼んだ。
────────
【あとがき】
これにてこの作品は完結とさせて頂きます。
三百年前、勇者は「反省しろ」と言い残して消えた 庫磨鳥 @komadori0006
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