つんつんでれつん
「……それで、どうなったのですか」
仙道の話を聞いて、シルヴィが先をうながした。
「事件のあらましを報せたとき、師は怒り心頭となり、切定を捕らえよと命令したが、そのころにはもう、やつは道場を去っていた。そして、にどと戻ってくることもなかった……」
赤町奉行に事件を報せると、老いた師範は、切定を破門とし、完全に縁を切った。
以降、師はまるでからだが萎むかのように元気をなくしていったという。
仙道は、わざわざ問いたださずとも、師があの悪鬼の才覚を認めており、いずれ改心した暁には、落ち目とされる燈火流を盛り立てる剣豪となってくれることを望んでいたということが、よくわかっていた。
もっとも、その夢は、まさしく夢として幕を閉じたわけだが。
「いや、あるいは悪夢とでもいえばよかったか。切定については、ただのひとつたりとも、燈火によきものをもたらしはしなかった。われわれにとって、これ以上の恥はない」
頬に朱を差すことこそなかったが、仙道は真に恥じ入った様子だった。
「話はわかった。それで、お前はその切定とかいう男が、幽霊左近の正体だと思うのか」
シンの問いに、師範代は苦々しい表情になった。
「……わからぬ。幽霊左近は、闇夜にまぎれて剣を振るい、妓女などを殺しているのだろう。切定という男は、なにより力を誇示することが好きな輩だった。殺すなら、公然と殺すであろう。だが、俺の知るやつも、十年前のこと。今は、どう変わったものだか」
シルヴィが捜査資料を取り出した。被害者の写真が載った項目を、仙道にみせる。
「こちらの写真は、おそらく以前にもご確認いただいたものだとは思いますが、師範代からして、いかがですか。この太刀の痕は、燈火流の剣であると思いますか」
仙道は、うなずいた。
「ああ。燈火の太刀は、伝家の宝刀だ。この遺体の傷、それはまさしく、われらが剣でなければ作れぬ。……関係者の太刀であることは、認めざるをえない」
「そんなにむずかしいものだったか?」
シンの言葉に、師範代はキッと憎々しげに視線をよこした。
「粛清官。貴様の実戦術の腕前は、無論、認めよう。まちがいなく貴様は、俺が剣を交えた
「見よう見まねでは、模倣はできないということか?」
「貴様ほどの剣士なら、俺に言われずともわかるのではあるまいか」
「……どうなの? チューミー」
パートナーに小声で問われて、シンは思案した。
「たしかに、ただの斬り返しとは少し違うようだな。俺のやった方法だと、ふたつの太刀が、その写真のような重なりかたをすることはない。なにかコツがあるのだろう」
「当たり前だ! であるからこその、奥義なのだ」
シルヴィがぺこりと頭を下げた。
「貴重なお話、ありがとうございます。われわれも、その敷善切定という男性を、重要参考人として当たってみます。彼が今どうしているか、師範代はご存じですか」
「詳しくは、知らぬ。だが、どうやら女衒をしているらしいとは、聞いたことがある。あの悪鬼、女を手籠めにして働かせ、気に入らぬと斬るという。まったく、ひとの所業ではない……が、被害者の妓女どもが、もしもやつと関係していたのなら……」
それは、貴重な推察だった。
「しかし、いまだに惜しいものだ。単純な才覚だけでいえば、やつほど光る物を持つ男はいなかった。なぜ剣というものは、鍛錬せし者を愛してはくれぬのか……」
過去を振り返る仙道は、ふたりの視線に気がつくと、言った。
「俺の知るところは、そんなものだ。わかってもらえるな。幽霊左近にかんする情報だと確信を持っては言えず、それでいて、これは道場の深き恥の話でもあるのだ」
「ご協力いただき、感謝します。念のため、こちらに連絡先をいただけますか。もしもなにかあれば、個人宛でご連絡いたしますので、これ以上おおやけにはかかわりませんわ」
今さらになって、師範代はその要求をことわることはなかった。
さしあたり、それ以上ここで聞くべき話はないようだった。
いざ退室の段になったとき、シンは背中に、じっとりとした視線を感じた。振り向くと、仙道は、なぜだか口元に些末な笑みを浮かべていた。
「なんだ、なにか言いたいことでもあるのか?」
「粛清官。やつを、斬るのか」
「どうだかな。もしもクロなら、俺が斬るか、こいつが撃つか、どちらかだ」
「もし貴様が剣を交わすならば、願わくば、結果を知りたいものだ。どいつもこいつも、才覚だけで、積年の努力を超えていきやがるが……それでも、その太刀筋に惹かれないといえば、それは虚実となる……」
どうやらこの男もこの男で、剣に魅せられた人生のようだった。
ふと思い立って、シンは言った。
「俺はこれまで、何人も斬ってきた。そのなかには、あまり多くはないが、剣士もいた」
なんの話かと、仙道は片眉をあげた。
「お前くらいに剣を振れるやつは、あまりいなかった。少なくとも、ただ得物を振り回しているだけの連中とは、物が違う。ああいう条件ではなく、実戦のなかでなら、俺も不覚を取ることはありえるだろう。だから俺は、お前たちが無駄な練習に励んでいるとは思っていない。……まあ、俺には合わない場所だがな」
その言葉に、シンはたいした意味を持たせたつもりはなかった。
少なくとも、ただ事実だけを述べたつもりだった。
それでも、仙道は、なにか感じ入るものがあったらしい。
「……待て。粛清官」
彼はひっこむと、一枚の紙きれを持って戻ってきた。
そこには、夜半遊郭のとある番地と、ひとりの人物の名が書かれていた。
「謝ろう。そして、認めよう。俺は、おのれの正視したくないものから、目を背けていたのかもしれない。それは……それは、なによりも剣の道に反することだ」
唇を噛む仙道は、首を振ると、こう続けた。
「ゆえに、それを渡す。じつは、その検死医は、かつての門下生なのだ。支部のほうにはない死体を、そいつは多くみている。おそらく、俺よりも詳しいことを教えられるはずだ」
仙道が教えてくれたのは、赤町奉行の管轄する死体安置所の住所のようだった。
「なによ、ちゃんとできるじゃない」
道場の外に出ると、シルヴィがそう言った。
「なんのことだ?」
「立派なアフターケアだったわ。わたしの話を聞いて反省して、印象を変えてくれたのね。おかげで収穫が増えたわ」
「……俺は、お前ほど打算して物を言うわけではないぞ」
「ひ、人聞きが悪いわね。わたしだって、べつに打算しているわけじゃないわ。ただその、メリットとデメリットを大事にしているだけよ」
「それを打算というのだろう」
「と、とにかく」
シルヴィは、こほんとわざとらしく咳払いすると、メモを見直した。
「敷善切定。彼について、よく調べてみましょう。わたし、ユンファさんに連絡してみるわ。支部のほうで、なにかわかることがあるでしょうから」
「例のモルグはどうする?」
「そこもぜひ行ってみましょう。どうせ日中は足を使った捜査くらいしかできないのだもの」
本番は、霧の晩だ。
予報どおり、近々あらわれてくれればよいのだが……
早速ユンファに電話をかけるシルヴィのとなりで、シンは遊郭の曇天を見上げた。
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