「粛清官」
ユンファの前にあらわれたのは、五人の賊だった。
そう――賊である。ひと目でそうとわかる、日陰に生きる浪人ども。
全員が和服を着流して、帯刀しており、ひとりはライフルを抱え、それぞれが無個性なドレスマスクを着用している。
「な、なんやぁ、あんたら! ゆ、幽霊左近やないんか!」
「女。怨みはないが、ともに来てもらおうか」
男のひとりが、ユンファに向けてライフルを照準した。
同じとき、駆けつけようとしていたシンの前にも、同類と思われる賊たちが姿をあらわしていた。
「何者だ、お前ら」
「貴様のほうは、どうとも言われていない。ここで消えてもらう」
そんな敵の言葉が、シンに疑問をもたらした。
この連中は、待ち伏せしていた。そして、自分たちを襲おうとしている。
だが、なぜ?
少なくとも、幽霊左近がじつは複数犯だったというわけではなさそうだ。それに、潜伏していた自分の前にあらわれたということは、玉城屋にいたころから監視されていたということで、まずまちがいない。
ともあれ、考えるのはあとだ。
フッと、黒衣が闇に溶けた。周囲に生い茂る草垣が、疾風にざわりと揺れる。
敵がこちらの動き出しに気づいたときには、シンは背後にまわっていた。
ぎゃあっ、と短い断末魔をあげて、男のひとりが地に伏した。
シンは胴を貫いた刃を引き抜く力を利用して、こちらに斬りこもうとしていた浪人をふたり、同時に斬り伏せた。
これまで磨き上げた殺人術が、連盟の所属となった今では、堂々と披露してもよい、粛清の技として認められていた。
「なんだ、こいつはッ!」
おののく最後のひとりに向けて、シンがカタナを振ろうとした、まさにその瞬間だった。
「いややぁぁ、助けてシンくんんん!」
数十メートル離れた位置から、ユンファの叫び声がした。みると、男たちに囲まれたユンファが、ぺたりと地面に座りこんで、泣きわめいているところだった。
さしものシンも、動揺を隠せなかった。
(あいつ、ほんとうに粛清官なのか……⁉)
これまでもなんどもそう思ったものだったが、まさか現場でも同じ感想を抱くはめになるとは思っていなかった。
そのわずかな隙に、敵がサブマシンガンを構えた。
暗闇に銃口が乱れて光ったときには、シンはボディスーツの腿に取りつけていた、掌大のデバイスを手にしていた。中央のスイッチを押すと、それは瞬時にうちわのように広がって、眼前から迫りくる銃弾を受け止めた。
粛清官として就任したのち、連盟のとある部署からもらいうけた塵工防具――その名も〈
携帯性に優れる盾であり、シンはこれをなかなかに気に入っていた。
銃撃の結果もみずに、敵が脱兎のごとく逃げ出していく。
「ちっ」
シンは選択に迫られた。やつを追うか、ユンファを助けるか。後者を取っても、ユンファのほうにいる浪人どもは生け捕りにできるだろう。
が、だれがリーダー格かわからない以上、捕らえる人数は多ければ多いほどいい。
突如、パートナーの言葉を思い出した。
「だいじょうぶよ。印象はどうあれ、ユンファ警参級は心配には及ばないわ。だって第七指揮にいたころは、あのタイダラ警壱級が、警弐級への昇級者に推挙したほどだっていうのよ」
にわかには信じがたい言葉だった。
が、それ以上に、かりにも粛清官と称される人間の実力を疑いたくはなかった。
いざ良し悪しを判断した、というよりはただ直感で、シンは逃げた敵を追うことにした――ユンファひとりを、その場に残して。
「……そんなぁ。なんで来てくれへんのよぉ、シンくん」
ちからなく座りこんで、ユンファはさめざめと泣いた。
「うちのこと見捨てたんかぁ。そんなのひどい、ひどすぎるぅぅ。うち、先輩なんにぃ! 尊敬が足りひんよぉ」
「騒ぐな、ひとが来る。黙らんと手荒になるぞ」
男のひとりが刀を構えると、ユンファはいっそう甲高い声でわめいた。
「いややぁ、やめてぇぇぇ」
「おい、いいからはやくとっちめろ。急いでやらにゃ、奉行どもがやって来る」
「なんでうちがこんな目にぃ。もぉ、さんざんやぁ。お願い、やめたってぇ」
そう懇願されても、やめるわけにはいかなかった。
男が、刀を振り下ろす。
だが。
峰が叩いたのは、地面だった。
「――?」
ぎりぎりのところで、女は逃れていた。
されど、いまだに泣いている。
「さっきから、さんざやめてって言うとるやないかぁ。うち、戦うの、いやなんよぉ。なんでやめてくれへんの。やめへんと、あの子が。ユルシィが、出てきてまうやろぉ」
「……なに、を――」
言っているのか、と続けることは、できなかった。
かちり、と音がした。
それがインジェクターの起動音であると気づくよりも先、衝撃が男を襲った。
首を、掴まれている。それは万力のような力でもって、男の首を絞めていた。
いつのまにか立ち上がっていた遊女の周囲には、黄に赤みが差したような、
「――‼」
周囲の男たちが、一斉に武器を突きつけた。ミラー社のパラが乱射されるとき、持ち上がった男のからだをずいとずらして、肉の壁とする。
最期の声すら上げられぬままに絶命した男を、彼女はひょいと投げ捨てた。
こちらを訝るようにかしげた首が、花柄の仮面が、男たちをじっと捉えている。
その面に描かれし水彩画が意味するところは、遊郭の男ならば、みな知っている。
だれしもがその優雅さに見とれる、蔓植物の揺れる花。女に喩えるなら、明るく快活で気立てのよい美玉であると教える、艶やかなる藤の花弁。
――だが。
「あァッ、んだこの動きづれぇ服は。あンのバカご主人が、いつでもラクな恰好しとけって口酸っぱく言ってンだろうがよぉ、オレは」
その中身は、どうやら花とは程遠い。
あるいは女と呼んでいいのかさえ、わからなかった。
「なんだ、こいつ。別人みてぇに……!」
「おい。物騒なモン、向けんなよ。なア……オレたちに
ゆらりとからだを揺らすと、次の瞬間、咆哮のごとき怒声を上げて、彼女は逆襲をはじめた。夜道に光る雷鳴のように、そのまばゆい色の塵がなびく。
その場で起きたのは、戦闘というよりも、目を覆いたくなるような虐殺。
第四指揮所属、ユンファ・ルー警参級粛清官。
もしくは、ユルシィ・ルー。
豹変した粛清官がみせたのは、ほとんど人外の殺戮行為だった。
逃げた男を追いかけて無力化し、さしあたり気絶だけさせて戻ってきたシンがみたのは、意外な光景だった。
浪人たちが、すべて屠られている。
その中心に、崩れた着物姿のユンファが立っていた。
電池の切れた人形のように立つ彼女は、ぐわんと首だけを動かしてこちらを視界に捉えると、すでにこと切れた男の死体を手離した。
それから、
「…………シンくん?」
と、茫然とした様子でつぶやいた。
「うぇぇぇ、シンくぅぅん。もぉ、どこ行っとったんよぉ。ひどい、ひどいわぁっ。うちのことほっぽらかして、なんかあったらすぐに助けてくれる言うとったのにぃぃ」
駆け寄ってきたユンファは、そのままいつものような泣き言をくれた。
シンは、おどろきが隠せなかった。いや、そのおどろきもおかしいのだろうか。この女はまごうかたなき粛清官で、あの怪物ボッチも認めた実力者だというのだから。
であるならば、この程度の連中など平然と片づけて当たり前だが……
だが、この異常な損壊をした死体。
――いったい、この女はなにをしたんだ?
「って、いたぁぁ。うわ、草履が脱げとるやん。尖った石踏んだぁ。そ、それに、血! うぅ、返り血でべたべたやぁ。ねぇシンくん、もう脱いでええよね? こんなことなったんやもん、作戦は中断するんでええよね? ねぇったら」
「……あ、ああ」
なにはともあれパートナーに連絡を取らねばと、シンはベルズを取り出した。
コール音を鳴らしながらも、しばらくは浪人たちの無惨な死体から目を離せないでいた。
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