急展開?

 それから、小一時間ほどあとのこと。


「困ったことになったわね」


 一連の報せを聞いたシルヴィが、緊迫した声色で言った。

 状況は一変していた。

 シンとユンファを襲った合計八名の浪人は、〈志藤浪〉という名の強盗集団であることが判明した。首領格はユンファの手によって粛清されてしまったが、シンが捕らえた男が、おおよその事情を語ってくれた。

 どうやら、彼らは敷善切定の配下の者たちだったようだ。とはいえ部下というわけではなく、いいように扱われている奴隷のようなものだったという。

 敷善切定は、今より六年前に、遊郭における最大手の闇組織を抜けたあとは、組織犯罪からは手を引いていたようだ。以降は、果たして彼の持つ傲慢さのせいか、単身の活動にこだわったそうだ。

 そのかわり、彼は自分の意のままに動くグループをいくつか選定しており、恫喝して配下に置いていたという。

 志藤浪はまさしくその典型で、さからえば殺すという切定の支配にあらがえないまま、実際に複数の仲間の命をみせしめに奪われながら、これまでしぶしぶ命令を聞いていたそうだ。


「あんたらが粛清官だなんて、知らなかったんだ! ああ、どうりでかなわねぇわけだ」


 と、捕まった男は血相をかえて叫んだ。


「あなたたちは、敷善切定からわたしたちの正体について明かされなかったということ?」

「当たり前だろうが。粛清官だって聞いていて、手なんか出すかよ。くそ、あの野郎ォ、最後までおれたちを好きに使いやがって……」


 彼らとしては、たんに玉城屋から出てきた女を攫うだけのつもりだったようだ。

 であるならば、少なくとも、ユンファが支部を出たときから監視体制があったとみるべきだ。

 しかし、志藤浪の面々が連絡を受けたのは、ユンファが玉城屋に着いたあとのことだったようだ。ターゲットの正体が粛清官だと知られたら働いてもらえないから、べつの人間を介したのだろう。

 では、なぜ敷善切定は、ユンファを狙ったのか。

 それもまた、自明の問いだった。

 おとり作戦の二日前より、ユンファの命令によって、支部は切定の身の上を調べている。

 つまり、切定はなんらかの情報網で自分が調べられていることに気づいて、先手を打ったということだ。


「問題は、やつの目的だな。いったいどういうつもりなんだ?」


 一連の話を聞いて、シンは疑念を抱いた。

 ふたりは一時的な拠点として、玉城屋の二階を貸してもらっていた。


「自分が粛清対象に挙がったと察知して、動くことにした。ここまではいい。だが、なぜユンファを狙った? それも自分で始末しようとするならばともかく、成功確率の低い雑魚を向かわせても、なにもメリットがない」


 そもそも、接触自体がデメリットのはずだ。

 それは、シルヴィも疑問に思っていることのようだった。


「もしも犯罪者が、自分が粛清対象に挙がったと知ったとする。その場合、ほとんどの犯罪者は一時的に身を隠すわ。粛清案件もずっと続くわけじゃないから、ほとぼりが冷めるまでは、地下に身を移すなり、犯罪稼業から手を引くなりして、しばらくおとなしくするのよ」

「そのはずだろう。そしてやつの場合は、それが容易だったはずだ。なぜなら俺たちは、やつの手先に襲われるまでは、敷善切定が勘づいていることにさえ気づいていなかったからだ。逃げるには格好の状況だったはずだ」

「……ひょっとして、彼には逃亡するつもりがない? かりにとても非合理的なひとだったとして、自分に目をつけたユンファ警参級に恨みを抱いたとか……いえ、それも変だわ。それだったら、それこそ自分自身で動いたはず」


 彼女の癖で、シルヴィは室内をうろうろと歩き回りながら思案した。


「わたしが、敷善切定だったとする。どうしてわたしは、かなわないひとたちをわざわざ送りつけたの? なにが知りたかったの。なにが欲しかったの」


 しばらくして、シルヴィはぱちりと目を開くと、


「――足止め」


 と、口にした。


「そうね。わたしなら、ただいっときの時間が欲しいと考える。むしろ、それしかないわ。敷善切定には、悠長に準備して出て行くつもりなんてないのよ。彼は単身活動をしていて、組織にも入っていないのだから、口を止めるべき相手もいない。つまり、即決即断ができるの」


 思わず、シンは立ち上がった。


「こちらがすでに捕縛のために動き出している可能性を考慮して、主任粛清官だけでも足止めしようと考えたということか。ならばまさか、やつは今この瞬間にも?」

「ええ。すでに、本土に向けて発っている可能性があるわ」

「だとしたら、まずいぞ。すぐに動き出さないと」

「とにかくユンファさんに連絡して、急いで大橋に検問を立ててもらいましょう。それから、ほかの脱出ルートも考慮しないと。本土に逃げられたら、跡を追うのはめんどうだわ」


 シルヴィの提案に異論はなかった。

 支部のほうに状況の把握に向かっていたユンファが戻ってきたのは、シルヴィが連絡を入れてすぐのことだった。

 彼女はめずらしく、意気消沈した様子だった。


「やられたわ。うちらのとこの捜査班、たぶん何人か、敷善切定にやられてもうた」


 ユンファが言うには、現場調査に出ていた職員たちが、まだ支部に戻っていないらしい。とはいえ連絡が途絶えていたわけではなく、班長からデスクに向けて、定期的に中間報告があったようだ。つまり、切定が捕らえた職員を脅しつけて、工作したということなのだろう。

 どのみち、あすには調査を終えるという話であり、短期的な任務であったから、ユンファもそこまで関与はせず、また心配もしていなかったのだという。


「まさか、向こうがそこまでアンテナを張っとるとは思わんかったわ。うぅ、うちのミスやぁ」

「いえ、ユンファさんだけの責任ではありません。敷善切定の調査はわれわれの要請で、ユンファさんはただ繋いでくださっただけですから」


 その理屈でいうなら、幽霊左近の案件を振ってきたのは向こうの要請だとシンは思ったが、口にはしないでおいた。


「敷善切定、逃げるつもりなんやろか」

「わたしたちは、その線で考えています。確実に捕らえるようにしましょう」

「……う、うちが、出る。せめて仇ぃ取ったらな、面目が立てへんもん」


 一念発起したように、ユンファが言った。


「ずいぶんと殊勝になったな。が、そういうつもりなら、こちらに任せていい。かわりに片をつけてやる」

「あ、うちを見捨てたシンくん」

「……俺は、悪いことをしたとは一ミリも思っていないぞ」


 どういう神経をしているのだか、とシンはあきれた。


「いいか、当初の目的を考えろ。やつが幽霊左近だった場合、粛清したのが支部の人間だと、支部の手柄となるだろう。こういう情報は、どうしたって漏洩するものだ。そうすると赤町奉行とやらと揉めて、そもそも本部のほうに案件をまわした今回の意義が薄れるだろう」

「……それは、たしかにそうやね」


 ユンファは複雑な感情だったようだが、いずれ、ぺこりと頭を下げた。


「ほんなら、お願いします」

「ええ、もちろんです。それよりもユンファさん、検問のほうはどうなりましたか」

「すぐに要請したよぉ。大橋と、それと埠頭のほうも。でもうちが思うに、たぶん船を使う気やと思う。偉大都市の本土やったら、どこへ着陸してもええわけやし。あるいは貨物船にこっそり乗りこむのも、手のひとつやし」


 そのユンファの読みは妥当であるように思えた。


「急ぎましょう。わたしの勘が正しければ、今すぐに追わないと間に合いません」


 シルヴィが、今回の仕事のために持ってきた長銃を手にした。

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