〈五日目〉

名づけて偽遊女作戦

 からからと障子を開けると、ガラス越しに、夕暮れどきの遊郭の通りを歩く住民たちの姿がうかがえた。

 四辻の真ん中で、マスクを着用したふたりの子どもが、毬を蹴って遊んでいる。

 声までは届かないが、通行の邪魔になるからと、向かいの楼閣の入り口に立っていた番頭の男が、どうやらふたりを注意したようだった。

 そんな彼らのすぐ傍では、花柄のマスクをかぶり、奢侈な色打掛に身を包んだ遊女たちが、まばらに増え始めた男性客を捕まえようと、無理やり腕を絡めて客引きしていた。


「ふしぎな光景だ」


 と、思わずシンは言った。


「色町なのに、平然とこどもがいる。そういうものなのか?」

「少なくとも、夜半遊郭はそうなのよ。昔からずっとそうみたい。十七番街にある娼館通りなんかでは、あまりみられない光景よね」


 同じ光景を見下ろしながら、シルヴィがそう答えた。


「ちょちょ、ふたりともぉ。飽きたからって見物なんかしてへんで、うちを助けてやぁ!」


 そんな悲鳴に振り向くと、振り袖姿のユンファが、涙まじりに助けを求めていた。


「そう言われても、なにをどう手伝えばいいというんだ」

「なんやこう、となりで応援してくれるとかぁ!」

「そんなことをしてなんになる。第一、仕事を手伝いたいと言ったのはそちらだろう」

「そうやけどぉぉ」


 ふええ~んと、およそ年上の女らしくも、粛清官らしくもない声を出すユンファに、シンはあきれた。

 ユンファのすぐとなりでは、ぴっしりとした着物に身を包んだ妙齢の女性が、厳しい声で指導していた。


「粛清官さん、弱音なんぞ吐いてないで続けておくんなし。このままじゃ、夜通し稽古しても外八文字なんか習得できんせんよ‼」

「ひぇぇ、助けてぇぇぇ」

「ほら、もういちど!」


 ここは、夜半遊郭の浅瀬、仲町通りの一角。

 老舗の中見世妓楼〈玉城屋〉の二階である。

 この数日というもの、事件の捜査は悪くない進捗で進行していた。

 目下の容疑者である元・燈火流の門下生、敷善切定の調査は、滞りなく進んでいた。

 おもに捜査を担当しているのは、ユンファの配下にある支部の職員であり、今この瞬間も、切定の潜伏場所や活動域を割り、彼の犯行をまとめてくれている最中だ。

 中間報告によると、あすには動けるように間に合わせてくれるとのことらしい。

 事前の話では、幽霊左近の調査において支部は動けないという話ではあったが、見回りによる現行犯逮捕ではなく、容疑者を調査するという方向でなら融通が利くというのは、シンやシルヴィにとっては助かる事実だった。


 そういうわけで、ふたりは少しばかり空いた時間が生まれた。この時間を使わない手はないということで、本日五日目、とある作戦に出ることにしたのだった。

 それが、かねてより決行するつもりだった、遊女のおとり作戦である。

 今夜は、霧が出ると予報されている。

 つまり、幽霊左近の活動が期待できる日というわけだ。


「問題は――」

「おとり役をどうするか、よね」


 選択肢は、大きくわけてふたつ。

 本物の遊女を使うか、それとも遊女に扮しただれかを使うかだ。

 これまでの捜査では、後者のほうは、箸にも棒にも掛からなかったという。

 ゆえに、意義のある結果を求めるならば、本物の遊女に霧の夜を歩いてもらうというのが、もっとも可能性は高そうだった。


「あるいは、もっと徹底するか、ね」

「どういうことだ?」

「聞いたところによると、遊女のひとたちはかなり特徴的な歩き方をするみたい。わたしがこれまで町でみてきたかぎりでも、たしかにそうだったわ。あなたも気づいたでしょ?」


 言われてみれば、そうだった。

 遊女というのは、べつにふらついているというわけではないのだが、なぜか足を横に擦るような歩き方をすることには、シンも気づいていた。

 それに、履物が奇妙だ。彼女たちはみな、やけに分厚い、鉄のような質感の靴を履いている。

 シルヴィがいうには、それは下駄という、遊女たちの特別な履物であるらしい。


「支部の報告書を読むに、たぶん、おとり捜査を担当した支部の職員のひとの変装が不十分だったのではないかと思うの。つまり、もっとちゃんと遊女に扮することができれば、本職のひとを使う必要がなくなる可能性があるわ」


 ふたりとて、できればこの危険な役割に素人を充てたくはなかった。

 無論、細心の注意を払って見張りはするが、敵は粛清官すらも撃退した剣士だ。なにが起こるかは、わからない。

 もし可能なら、連盟の関係者を使いたいというのが本音だった。

 だがそうすると、こんどは、いったいだれが遊女に偽装するかという話になる。


「……。」


 ふたりは、互いのマスクをみあわせた。


「俺はいやだぞ。というか無理だ」

「わたしも、できれば遠慮したいわね。あの和風装束だと、まともに戦えそうもないし」

「それだったら――」


 そのとき、ふたりは同時に、とある案を思いついた。

 ともあれ、この計画をどういうかたちで実行するにせよ、プロに協力を仰ぐのは不可欠だった。夜半遊郭にコネのないふたりは、ユンファに相談したいことがあると連絡を入れた。

 どうやら支部でだらだらしていたらしいユンファは、「え、なんやわからんけど行く行くぅ」などと呑み会の誘いでも受けたかのように外出してきて、ふたりと再会した。


「えぇとぉ、そういうことやったら、前にも意見を聞かせてくれた玉城屋のおばちゃんが協力してくれるんやないかなぁ」

「玉城屋?」

「お店の名前やぁ。由緒正しい妓楼でなぁ、女主人はちょっと厳しい感じのひとやったけど、赤町奉行とも中央連盟ともうまくやりたいみたいやったから、力を貸してくれると思うよぉ。ちょっと連絡してみるわぁ」


 そうして三人が向かったのが、仲町通りにある妓楼だった。

 玉城屋の楼主、お玉は玉露の茶を淹れて、連盟の面々を迎え入れた。

 彼女は男勝りの素顔をしていたが、若いころと言わず今でも客を取れそうな、泣きぼくろの特徴的な美女だった。


「ほんとうにひどい事件だよ。もう一年は経つかしらね、懇意にしている店の子が、幽霊左近に斬られてね。気立てのいい子だったのに、いったいなにを恨んで、あの殺人鬼ときたら」


 彼女は、あの憎い辻斬り退治のためならばと、まだ開いていない店の二階にあげてくれて、協力を約束してくれた。

 シルヴィが事情を説明すると、お玉はおどろいた。


「えっ、うちのところの遊女をおとりに使うんじゃないのかい」

「はい。検討しましたが、その手は採りません」

「でも、みんなやる気なんだよ。幽霊左近がどこの何者かは知らないが、この夜半遊郭が産んじまった化け物なのは違いないからね。かりに危険があろうとも、自分たちのケツは自分で拭く。それが粋ってもんじゃないかい」


 ほかの遊郭の住民に負けず劣らず、この女楼主も粋とやらを大事にしているようだった。

 だが、シルヴィはぺこりと頭を下げて断った。


「ありがたい申し出です。が、今は諸事情があって、あまり大規模に捜査網を張るということができないのです。監視のために動員できるのはわれわれのみとなるので、自然、おびき寄せる役割の遊女も、せいぜいひとりかふたりが限界なのです」


 ですので、とシルヴィは続けた。


「玉城屋の楼主殿にお願いしたいのは、教育です」

「教育?」

「はい。遊女の自然なふるまい、とくに歩き方を、お玉さんにご教授いただきたいのです。そうすれば、うまくいけばわれわれだけで幽霊左近を釣り上げることができるかもしれませんから。そしておとり自体が粛清官であるほうが、作戦の成功率が高いのです」


 幽霊左近が偽の遊女を見抜くという話を聞くと、お玉は納得したようだった。


「なるほどね、話はあいわかった。でも、あんたがたのだれが遊女役をやるんだい?」


 その問いに、ふたりは即答しなかった。

 ふたりが顔を向けたのは、すぐとなりだった。どこか他人事のようにぱくぱくと金平糖を食べていたユンファが、「え?」と首をきょろきょろさせた。


「こちらの、ユンファ警参級にお願いします」

「え、なに⁉ シルヴィちゃん、なに言うとるのぉ⁉」

「お願いします、ユンファ警参級。警参級なら、もうこちらに来て長いですから、わたしたちよりも、多少なり遊郭の心得を知っていらっしゃると思います」

「いやぁぁ、むりむりっ。うちにはむりやよぉっ。この振袖やったら、たんにおしゃれかなぁと思って羽織っとるだけで、ぜんぜん遊郭魂なんかわかっとらんのよぉっ」


 ユンファが断固拒否の姿勢を取った。


「でも、おとり役がもっとも戦う必要がないのですよ。最低限、自衛さえしていただければ、あとはわたしたちでやりますから」

「……う」

「それに表向きには、支部は今回の粛清案件から手を引いたことになっていますから、こういった変装役は、警参級が適任なのです。どうか、お願いできないでしょうか」

「……ううう」


 シルヴィの説得に、ユンファはたらたらと汗を流し始めた。

 そのユンファに向けて、シンが畳みかける。


「スペアマスクがあるから協力するとかなんとか言っていたじゃないか。ひとに無茶な期限の仕事を振ったくせに、自分はここでのんびりと茶を飲んで待っているつもりか。どうせ支部に帰っても仕事しないでだらけているのだろう。おとなしく手伝え」

「うう、ううう。なんやこの後輩ちゃんたちぃ、先輩をいじめるぅぅ」


 泣き言を吐くユンファを無視して、話はまとまった。

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