偽遊女作戦、難航
それから、数時間後。
玉城屋の二階で、遊女の姿に扮したユンファは、お玉による激烈な指導を受けていた。
「だから、そうじゃありんせん! それでは、腰の入り方が不自然!」
「ふえぇぇ」
「ようござりんすか、花魁道中とは違う普段歩きだからこそ、ラクをしながら、それでいて優雅に歩みを入れんす!」
「ふええぇぇぇ」
畳のうえに台座が運び込まれて、下駄を履いたユンファが、その上をなんども往復していた。
その振る舞いは、素人目にみても、控えめに言ってダメダメだった。
どうやら遊女の歩き方というのは、簡単にいえば
「へこへこ歩きにもほどがある。片足でも折れているのか、あいつは」
「聞こえとるよぉ、シンくん!」
涙目になりながら、ユンファが叫んだ。
「お玉さぁん、もうむりやぁ、うち。ちょっと休憩させたってぇ」
「……そうね、じゃあ五分」
教官の許しが下りて、ユンファはへたりこんだ。
この数日ずっとそうしているように、ここでも資料を読みこんでいたシルヴィは、ファイルを畳んで立ち上がると、彼女のほうへと寄った。
「いかがですか、ユンファさん」
「……。」
「死んでいるな。捨ててくるか」
「死んでへんよぉ! うぅ、鬼ぃ、悪魔ぁ。うちにこんなことやらせてぇっ」
しくしくと涙するユンファに、シンはうるさい黙って練習しろと思ったが、シルヴィは心配そうな表情になった。
「お玉さん。実際のところ、どうなのでしょう。もう三、四時間は練習していますが」
「……まあ、ちょっとずつはよくなっているよ。さすがに筋肉が足りていないなんてこともないしね。ただ、そもそも外八文字の歩き方っていうのはね、素養のある子でも身に着けるのに三年はかかるものなんだよ。こんな方法、どうしたって付け焼刃にならざるをえないさ」
さきほどまでとは違い、お玉は標準語に戻っていた。
どうやら彼女は、指導に熱くなると現役時代を思い出して、遊女たちの使う独特な言葉遣いになってしまうようだった。
「それに、これは外八文字の歩き方そのものをやるわけじゃない。それがネックだね。外八文字の歩き方に慣れた遊女が、どうしても癖でやってしまう下駄の振り方、それをやらないといけないんだから」
外八文字というのは、遊女たちが高下駄を履くときの歩き方を言うらしい。
花魁たちは、この街における祭りの一種である「花魁道中」において、靴底二十センチにも及ぶような特別な下駄を履いてパレードを執り行うのだが、見習いのときから練習に明け暮れるうちに、普段使う通常の下駄で歩くときでも、その癖が出てしまうのだそうだ。
お玉が言うには、その癖は「知見がある者ならばすぐにわかる」ものらしい。
「幽霊左近も、きっとそのクチなんだろう。がきのころから遊郭で育って、遊女たちの立ち振る舞いをみてきたから、偽物かどうかがわかるんだろうね。だったら、遊女たちがこの街のためにどれだけ身を粉にして働いているかも、よくわかっているだろうに! よくもあんなむごいことができるもんだよ」
気を悪くしたらしく、お玉は階段の下に向けて「与一、茶が切れたよ!」と叫んだ。
さっそく、小間使いの青年が、どかどかと階段をあがってきた。彼が急須に入れたお茶を女主人に注ぐと、帰ろうとしたその背に向けて、お玉が言った。
「与一。わっちの勝負服、桐から出しときな。
「え。ですが、お玉さん」
「いいから、はやくする!」
へい! と返事をして、青年は去っていった。
「あの、お玉さん。今のって」
シルヴィがたずねると、お玉は茶をくいっと飲んで、
「粛清官さん。わっちが、おとりをやりんす」
と、凛然と言った。
シルヴィは「えっ」とおどろき、シンは無言でおどろき、ユンファは笑顔でおどろいた。
「わっちなら、自然も自然、ド自然でありんす。どういう状況でも――たとえ辻斬りに狙われているかもしれずとも、緊張が面の外に伝わるということはありんせん。どうでありんしょ」
当人にこう言われれば、ことわる理由はないようにシンには思えた。
それは、シルヴィも同じだったらしい。
「……では、お願いできますか」
お玉は、鷹揚にうなずいた。
それに対して、ユンファは「やったぁぁ」と叫ぶと、さっそく下駄を脱ぎ始めた。
「ああ、お玉さん、助かるわぁ。そんなら、うちはもうお役ごめんやねぇ」
心底嬉しそうな彼女に向けて、しかし、シルヴィがこう言った。
「待ってください、ユンファさん」
「え。なんで?」
「お玉さん、こちらに松葉づえが置いてあったりはしないでしょうか」
意外な質問だったからか、お玉は目を丸くした。
「今ここにはないが、でっち小僧を走らせたら、すぐに調達できるよ」
「では、お願いできますか」
「え? なに、どうしたの、シルヴィちゃん」
うろたえるユンファとは違って、シンにはすぐに、パートナーの考えがわかった。
これでけっこう、とんでもないことを考える女なのだった。
それからまた、少しばかり時間が経過して。
「――うちは、勘違いをしとったのかもしれへん……」
ごく深刻そうな声で、ユンファが言った。
「シンくんが厳しいこと言うて、シルヴィちゃんが甘いこと言うて、うちの脳をギャップで破壊しにきとるんやと思うとったけど、違うんや。ふたりとも、かわいい顔して鬼なんや……!」
「ごめんなさい、ユンファさん。こうすることが、現状では最良の手段なんです」
「うぅぅ。これが、これが第七指揮のやりかたなんかぁ! ボッチさんに言いつけたるぅ!」
「聞いても、あいつはからから笑うだけだろうな、まちがいなく」
遊郭は、にわかに暗くなりはじめていた。
妓楼の外では、提灯と、灯篭と、行燈が、それぞれに光量の異なる赤光を灯していた。
色町は夜を迎えて、本格的に活気づいている。
そして、薄いもやが闇の向こうから漂ってきていた。
――霧だ。予報どおり、霧が発生していた。
「では、最後にもういちどお願いします」
シルヴィの言葉を受けて、ユンファがしぶしぶ、立ち上がった。
さきほどよりも少し装飾の減った振袖で、松葉づえをついている。そうしながら、下駄ではなく草履で、その場をよちよちと歩き始めた。
「いかがでしょうか、お玉さん」
「ん、問題ないね。だって、けがをしているんだろう。なら、自然だ」
「こんなアクロバティックな解決があるかぁぁぁ」
松葉づえを放り投げて、ユンファが叫んだ。どっかに飛んでいきそうになった杖を、シルヴィは片手で受け止めると、すぐにユンファに返した。
「しかしあんた、機転が利くねェ。あとはおぐしをそれっぽく整えて、花の仮面をすれば、だれがどうみても足の悪い遊女の完成だよ」
「あの数時間の練習はなんやったんやぁぁ」
「いい経験になったとでも思っておけ」
たいした準備はないが、シンもダガーナイフやパームピストルなど、普段の仕事で使う道具の再確認をしておいた。
これから、いよいよ本格的な仕事だ。
作戦はごくシンプルだ。おとりになる遊女は、二名。お玉とユンファだ。
彼女たちを歩かせて、シンとシルヴィがそれぞれ監視する。お玉のみを歩かせて三人で見張るよりも、単純に期待値は二倍となる公算だ。
だが、そのぶんリスクが高まるというのも、また事実だった。
「シルヴィ。わかっているだろうが、相手は第二等にかぞえられるほどの犯罪者だ。対処法を誤ってはならない」
「ええ。わたしもあなたも、もしも対象に遭遇したら、すぐにもう片方に伝えるようにしましょう。大丈夫よ、ひとりで仕留めようとしないで防戦を意識すれば、時間は稼げるわ」
とくに、わたしにはこの能力があるから、もし幽霊左近が砂塵能力を使ってきても問題ないわ、とシルヴィは言った。
それでも、シンには心配が残った。遭遇確率を高めるために、別行動をとる。そこまで離れた場所にはしないにせよ、駆けつけるまでには時間がかかるはずだ。
(今のシルヴィの制限。インジェクターの起動時間は、せいぜい三分か……)
だが、それ以上の余計な心配はしないことにした。
仕事の前では、雑念はもっとも邪魔なものになる。第一、自分とて警戒しなければならない相手のはずだ。
「……徐々に濃くなってきたね」
桔梗の柄のマスクをかぶったお玉が、窓の外をみやって言った。
彼女は、もう花魁としての服装に身を包んでいる。泣き言をいっているユンファも、恰好だけならば一丁前の遊女だ。
「行きましょう」
シルヴィの合図で、四人は外に出ることにした。
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