燈火の鬼子
半刻後。
ふたりは、道場の奥にある一室で、席について待っていた。
燈火流の師範代は、道場破りの成功を認めざるをえなかった。
案の定、なにかを隠していたらしい師範代は、それを語ると約束したが、門下生たちの前では不都合なようで、こうして別室に通されたのだった。
「なにが不満なんだ、シルヴィ。うまくいったじゃないか」
むすっとした顔で座るパートナーに、シンはそう聞いた。
「べつに。ただ、あなたに任せたらこうなるってことを、よく理解したっていうだけ」
その声色は、やはり不機嫌であるように聴こえた。
「俺はルールを唱えた。向こうもそれを呑んで、話がまとまった。合理的だったじゃないか」
「わたしが言っているのは、結果や方法じゃなくて、与える印象よ。もう少し穏当にできなかったの? こういうことをするから、ああいう市井のひとたちが、連盟に対していらない敵愾心を抱くことになるんじゃない」
「なぜ俺がそんなことを気にしなくてはならない……」
「なぜなら、あなたももう立派に連盟の身内だからよ。地海警伍級」
シルヴィにはあいにくだったが、シンはいまだに、自分が連盟の構成員であるという意志は希薄だった。ただ単にボッチの配下になっただけという気しかない。
扉が開いた。
あらわれた師範代は、シンのマスクをみると、傷ついたように目を逸らした。からだには一切の外傷はないが、こころは大きく傷つけられたようだった。
「……ひとつ、頼みがある」
恥辱に耐えるような顔つきで、彼は言った。
「俺の知ることは、すべて話そう。だから、此度のことは……」
「ああ、わかっている。一切の風潮はしない。道場も、このまま好きに続けるといい」
「助かる。……この燈火流も、師が伏せってからは、かつての栄光はなくなっている。あの不祥事に続き、道場破りまでされたと世間に知られれば、先達にいよいよ顔向けができぬ」
「あの不祥事?」
相手は観念したのか、聞こえぬほどの嘆息を吐くと、こう続けた。
「先にあらためておこう。これが連盟の捜査に役立つ話なのか、俺にはわからぬ。だが、もしも燈火流の剣を使って狼藉を働くものがいるとしたら、俺には、たったひとりしか思い浮かばぬ」
苦々しい表情で、師範代は、十年前のことを語った。
それは、このようなものだった。
当時、仙道が免許皆伝の名誉を受けて、門下生たちに代理指導を許されたばかりのころ。いまは病に伏せる老齢の師、
若い男の名を、敷善
聞けば、これがまったく手のつけられぬ悪鬼であり、幼い時分から、堪えるということを知らぬ暴れん坊だったそうだ。
それも、切定が武闘派の砂塵能力者であったからタチが悪い。
しばしば能力者にみられることだが、自分の天賦の才を鼻にかけ、
切定が一五になったころ、もう成人も間近であるにもかかわらず、性根があらためられないことに業を煮やした師範が、とうとう当人に強く言いつけ、燈火流の道場に通わせることになった。
その強制も、切定を武力で制御することができた、師範の力あってのことだった。
「お前には、苦労をかける」
と、師範は仙道に前置きしたうえで、こう頼んできた。
「あれを、正道に戻してやってくれ。剣のこころを教えれば、あれも、あるいは――」
悪人を正すことができれば、それこそが師範代として求められる、真なる責務だ。
そう思った仙道は、大変に意気のある返事をした。
それを後悔したのは、切定がやってきてすぐのことだった。
その青年ときたら、悪辣そのものである。態度は去ることながら、遊郭流と本土流を折衷した意匠のマスクの下は、矯正など到底かなわぬのではないかと思わせる、まことに醜悪な人相であった。
「剣ねぇ」と、木刀をまじまじ眺め、切定は唾を吐き捨てた。
「あほらしい。こんなものを振り回して、なんの意味がある? てめぇら全員、俺の足元にも及ばねえのによ。塵も流せねぇクズどもに、この俺が縛られるかよ」
「……貴様が従うのは、俺ではない。剣を知り、おのれの不足を知り、燈火に従うのだ」
「くだらねぇ。てめぇに習うことなんざ、ひとつもねぇな」
信じられぬことに、切定は一騎打ちを挑んできた。
仙道がなによりおどろいたのは、初心者のはずの切定が持っていた、たぐいまれな刀剣の感覚だった。
これまで修練を積んできた仙道は、どうにか相手を下すことはできたが、それと同時に、師範と同じ血が流れるこの青年に宿る才に、末恐ろしいものを感じた。
敗北したあと、いったいなにを思ったか、切定はまじめに道場に通いはじめた。おのが剣を強くするということにかんしてだけは、切定はだれよりも精力的だった。
だが、心根はまるで改善されなかった。それどころか、日に日に悪くなる一方だった。
皮肉なことに、悪態の度合いに反比例するように、切定はみるみるうちに剣の実力をあげていった。そして通いはじめて数カ月と経たないうちに、仙道以下の門下生全員が、切定には勝てぬようになっていた。
仙道にとっては、辛酸を舐めるような日々であった。
いずれ自分も、こいつに抜かされる――。それも、剣のこころを理解せぬままに。
門下生たちは切定を恐れ、あるいは切定の才を恐れて、日に日に道場から姿を失せていった。
これ以上は、当人のためにも、燈火流のためにもならない。
そう思った仙道は、自分が動くべきだと判断した。切定とふたたび一騎打ちをし、文句のない勝ち方をする。その前に、取り決めをなしておくのだ。
自分に負ければ、もうにどと燈火の道に反するような態度は取らないと。
破竹の勢いで成長し、今や輪をかけて天狗となっている切定が、この申し出をことわることはないだろうと、仙道は思った。
もっとも、切定はすでに奥義まで会得している。果たして、もはや自分でも御せるかどうか……
だが、その決闘は実現しなかった。
ある日のこと、切定と門下生たちのあいだで、とある諍いが起きてしまったのだ。
最近になって、悪評のひどいやくざの新興組が街に台頭してきており、切定がその組の者とともにいるところをみた者がいるそうだ。
仮面もかえずに、街中でどうどう、絡んできた浪人を斬り伏せたという。
そのことを指摘された切定は、ことさらに否定しなかった。
それどころか、こんなことさえ言い切った。
「ジジイと道場にゃあ、感謝しているぜ。たしかに俺は、思い違いをしていた。こういうもんを鍛えることで、精神が、いっとう強くなる。お前ら凡夫どもにゃわからんだろうが、そういう部分が、ひとを本物にすんだよ。――ああ、俺ぁ
頭に血がのぼり、思わず集団で襲いかかった門下生たちを、切定は返り討ちにした。
木刀とはいえ、したたかに身を打ちつけられて、ひとりは脳震盪、ひとりは半身不随、ひとりは片目を失明し、ひとりは、死んだ。
悪鬼は、とうとう本物の鬼となってしまった。
それを育てたのは、ほかならぬ、燈火の剣だった。
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