ぜんざいが好きらしい
シンたちが夜半遊郭に辿り着いたのは、本日、つい数刻前のことだった。
幽霊左近の粛清案件を担当することが決まった二日後に、ボルテクス・ブリッジを降りた先にある、雷門と呼ばれる大きな赤い門の前で、ふたりは合流した。
本部からともに行動しなかったのは、単純にシルヴィが忙しかったからだ。第七指揮の庶務も担当しているシルヴィは、本部内のさまざまな部門に、書類を提出する必要があった。
シンは自分も手伝うと申し出たが、今のところはへたに手伝っても邪魔になるだけらしい。では先に現地で調査しておこうかと提案しても、それもまたことわられてしまった。
「あなた、自分の就任時に必要な書類の提出を滞っているでしょう。ちょうどいいからそれでもやっていて」
とシルヴィには言われたが、やっておくと言いながら昼寝やうたた寝、就寝などをしているうちに、すぐに作戦開始の日になってしまった。
そういうわけで、シンはほとんどなにもわからないまま遊郭に来て、シルヴィについてまわるだけとなっていた。
到着のあとは、さきほどの赤町奉行の屯所の前で待たされて、今はこの団子のうまい茶屋で、この初めて出会う粛清官と対面しているわけであった。
「……で、この女はなんで来たんだ」
机に肘をついて、にこにこと眺めてくる女をよそ目に、シンはパートナーにそう聞いた。
「それは聞かなくてもわかるでしょう。ユンファ警参級は、今回の粛清案件の立役者なのだもの。詳しい事情を教えてくださるのよ」
「そやで~。ほらこれ、支部側の資料。使えそうなやつを見繕って持ってきたんよぉ」
ユンファが持参のアタッシェケースを開いた。
ジーンズに振袖にアタッシェケースというのも奇妙な組み合わせだが、どうしてか調和が取れていて、シンにはふしぎだった。
資料を受け取ると、シルヴィはさっそく、なかをあらためた。
「粛清対象のこれまでの出没箇所と、住民たちの目撃場所を基にして作ったマッピング。それと支部のほうに送られてきた遺体の解剖情報に、塵紋の項目は……ああ。やっぱり、粒子波長は有意にはデータが採れていないのですね」
シルヴィは、驚嘆すべき速読で目を通していった。
彼女の分析能力は相当のものだ。あとで要点だけ教えてもらおうと思い、シンはとりあえず任せることにした。
ユンファがもぐもぐとぜんざいを食べながら、言った。
「それにしても、今回の件、引き受けてくれてどうもありがとうなぁ。実際、うちも助かったわぁ。幽霊左近、最近ますます衝動が強くなってきたみたいで、もうこれ以上放置することはできなかったんよぉ」
「衝動とは、どういうことだ」
「そのままの意味やよ? 殺人衝動やぁ。犯行記録を読んでもらったらわかるんやけど、幽霊左近、腕が立つし頭も切れるわりには、行動がどうも突発的なんよぉ。霧の日にしか動かないことがわかっているから、うちらも自警団もそれにあわせて警備してるんやけど、ちょっと前までは、自分が捕まりそうなときは、どうも自制していたみたいなんや」
だがユンファ曰く、最近はそうでもないらしい。
「すぐ近くに警邏隊がおっても、おかまいなしなんやぁ。このあいだなんかはなぁ、かなりニアミスやったんよ」
「そんなおざなりな犯行のやつを捕まえられていないのか?」
シンにはふしぎだった。一回二回の突発的な行為ならともかく、何十回も犯行を重ねているというのに、それでも捕まっていないとは。
「いやぁ、お恥ずかしいかぎりやぁ。でもほら、幽霊左近は粛清官クラスやないとどうにもできひんし、それに遊郭いうても広いやない? いちどのパトロールで粛清官を複数人出動させることはできるんやけど、それだけだとどうしてもカバーしきれないんよぉ」
「出没地点も、現状ではアトランダムというわけか。いや、だがそうは言っても……」
そこでシンはふと気になって、シルヴィの読んでいる資料を貸してもらった。
これまでの支部の捜査履歴をたしかめてから、次に、先ほどシルヴィがもらったほうの、赤町奉行の活動記録も確認する。
やはり、思ったとおりだった。
「どういうことだ。なぜ囮捜査をやっていないんだ」
条件は、かなり明白だというのに。
霧の夜と、遊女。これを利用して網を張らない手はないはずだ。
「そう! それなんよぉ。あんなぁ、うちもどうかと思うんやけど、遊郭のひとたちなぁ、そういうのをどうしてもいやがんのやぁ」
ユンファによると、連盟支部で幽霊左近の案件を引き継いだのは、東條という名の粛清官だったらしい。遊郭で剣技を学び、みずから街を守るために粛清官を志したという、その東條
にもかかわらず、同粛清官は、遊女を囮にするという手段はついぞ採らなかったという。
「いや、完全にやらなかったわけやないんよ? 女性の職員に遊女を扮してもろて、それで釣り上げるっていうのは試してみたんや。でも、なんどやっても引っかからなかったんよぉ」
「なぜだ?」
「それがわからないんやぁ。幽霊左近、遊女ばっかり執拗に狙うようなヘンタイさんやし、歩き方とかで真贋を見分けとるーみたいなことも言われとったけど」
眉唾だが、完全にありえない話ではないな、とシンは思った。
ある種の犯罪者は、そういう常人には理解できない領域に足を踏み入れているものだ。もしくは、その見分ける力こそが、幽霊左近の砂塵能力なのかもしれない。
「じゃあ本物の娼楼からひとを借りてやってみようって言っても、いやぁそれは、って首を振られるんや。素人さん巻きこむのは、それはちゃうやろって、満場一致で返されんのやぁ」
ユンファはわかりやすくため息をついた。
彼女も彼女で、慣れない遊郭の作法には困らされてきたようだった。
「どうだ、シルヴィ。なにかいいとっかかりはみつかったか」
彼女は資料から顔を上げた。
「そうね。霧の夜と、遊女。そのあたりから仕掛けるということもできるけれど、わたしが気になるのはこっちね」
シルヴィがみせてきたページには、鮮明な遺体の写真がびっしりと並んでいた。
「この遺体は、殉死された粛清官のものよ。一般人の殺害と違って、交戦があったせいか、ほかの遺体とは違って、致命傷だけが残っているわけではないみたい」
ふむ、とシンは話を聞いた。
「わたしはべつに検死のプロではないわ。それでもこれだけ……言い方が悪いけれど、みごとな斬り傷の痕があるなら、そこから辿れることがあるのではないかしら。つまり、太刀筋が語るものがあるのではないのかしら」
「あ、それいい線やぁ、シルヴィちゃん。実際、うちらんところの捜査班もそう考えたんよ。それで調べてみたら、なんや遺体に、特徴的な刀痕が認められたみたいなんよぉ」
「特徴的?」
「そ。そこに、たぶんサンプルが載っているんちゃう? いちど通った切っ先が、同じ場所を反対側からもういちど斬っている、変わった痕。それな、遊郭の刀剣流派のひとつ、燈火流で、『閃返し』とか『二の戻し』とかって呼ばれとる、奥義の一種らしいんやわぁ」
シンは、シルヴィと顔をみあわせた。
重要な情報のようだった。
「それはつまり、その燈火流とやらを修めている人間の犯行である可能性が高いということか?」
「って、うちらは考えとったところで、捜査がうやむやになったんよぉ。もう少し詳しいことを調べたかったんやけど、遺体の半分以上は、赤町奉行の管轄の
「なんだ、そんなこともできなかったのか」
「わぁ~勘弁してやぁ、チウミイちゃん。向こうもいろいろ理由つけてことわってくんのよぉ。でも、ただでさえ情勢不安定な遊郭で、うちらが喧嘩するわけにもあかんやろ?」
「奇妙な呼び方をするな。寒気がする」
「なんでやぁぁ」
ユンファがしくしくと泣いた。
「うぅ。この子、お人形さんみたいな顔して、あたりが強いわぁ。おねいさんショックよぉ」
「ごめんなさい、わたしのほうからもよく言っておきますから。ほら、謝りなさい!」
シルヴィが頭を掴んで無理やり下げてきたので、シンはそのまま振り回されておいた。
「でも、そういうところもかわええわぁ。年下にバシバシ言われるのも気持ちええもんやねぇ。なんかぞくぞくするぅ」
「おい。効いていないぞ、あいつ」
「……ふたりとも変わっているから、案外これで問題ないのかしら……」
ぼそりと、シルヴィがそうつぶやいた。
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