〈幽霊左近〉粛清案件

 シンが粛清官として就任して、一カ月が経過したある日のことだった。

 第七執務室と呼ばれる、本部の中層階にある一室に、ふたりは呼ばれた。

 いいかげんに大きい仕事をしてみたいというシルヴィの要望を受けて、上官であるシーリオ・ナハトに召喚されたのだった。


「仕事は、あるにはある。が、少々やっかいな案件でな」


 いつものように神経質そうな目つきでふたりをみて、シーリオはそう言った。

 シンは、こういう融通のきかないタイプの人間はどちらかといえば嫌いだったが、自分の素顔をみても含みを感じさせないところだけは評価してやってもいい、と思っていた。


「なにがむずかしいのでしょうか。粛清対象の犯罪者等級が高いということですか」


 と、シルヴィが聞いた。


「それも理由のひとつだ。この粛清対象は、第三等~第二等見込みとなっている。粛清官殺害の罪状もあるほどだ」

「二等!」


 彼女にしてはめずらしく、シルヴィはあからさまにおどろいた。


「ということは、それは本来であればナハト警弐級が担当されるべきなのでは?」

「そうしたいのはやまやまなのだがな。私も今は手一杯で、空けられるのははやくて二週後になる。が、それでは遅いのだ。口で説明するよりも、バレトにはまず名をみてもらったほうが伝わるかもしれんな」


 シーリオが書類をこちらに差し出した。

 字面をみて、つぶやいたのはシンだった。


「なんだ、奇妙な名前だな。〝幽霊左近〟……?」

「幽霊左近ですって? あの?」


 シルヴィが反応した。


「知っているのか」

「むしろ、あなたが知らないのが意外ね。このところ、本部でも噂を聞くような通り魔よ。でも、彼の活動域は……」

「――そう。夜半遊郭だ。それが、やっかいな点なのだ」


 シンにはよくわからない話だった。ふたりの話で理解できるのは、ごく一部のことだけだ。


「どういうことだ。一から説明してほしい」

「貴様への説明はいささか難航するな」いかにもめんどうそうに、シーリオが腕を組んだ。「ううむ……バレトのほうは、ユンファ・ルー警参級とは面識があったな?」

「ええ、就任の際にご挨拶しました」

「だれだ?」とシンは聞いた。

「わたしの先輩にあたる、女性の粛清官よ。ただ、ユンファさんは、今はわたしたち第七指揮の所属ではないの。中央連盟の支部……つまり、第四指揮へ異動になったのよ」

「中央連盟支部ということは、つまり夜半遊郭の統治を担当しているということだ」


 と、シーリオが説明を足した。


「地海。貴様も知っているだろうが、夜半遊郭は、地下を除けば、この偉大都市でもっとも扱いづらい区画だ。海上に位置しており、ある意味では独立している関係で、かねてより中央連盟の支部が担当、および統括している。無論、同じ中央連盟である以上、連携がないわけではないのだが、基本的には、支部のことは支部がやる決まりになっているのだ」


 そこまで言われても、シンにはそこまでぴんとはこなかった。


「……ようするに、本部と支部はそこまで仲がよくないの」


 と、シルヴィが耳打ちしてくれて、少しは事情がわかった気がした。

 本部と支部は仲が悪い。なるほど。


「にもかかわらず、この幽霊なんたらの粛清案件が、俺たちのところに来たと?」


 そうシンが聞くと、シーリオは眉間にしわを寄せたまま、うなずいた。


「そういうことだ。今、話に出たユンファ・ルーだが、彼女は、私はともかくとして、タイダラ警壱級と……」そこでシーリオはいちど言葉を区切った。「適切な言い方がむずかしいが、相性がよくてな。さらにタイダラ警壱級は、本部の粛清官としては例外的に、支部とも懇意にされている。そこで当人の希望もあって、彼女には支部のほうに異動してもらったのだ」

「ようするに、ボッチのやつが遊郭にスパイを送ったということか?」

「人聞きの悪いことを言うな、地海。それと、タイダラ警壱級粛清官殿、だ。彼をよく敬えと、私になんど言わせるつもりだ」


 露骨に機嫌を損ねて、シーリオが声量を大きくした。


「それに、これはあらゆるリスクを考慮したうえでの手段なのだ。タイダラ警壱級が心配されているのは、肝心なときに本部と支部で連絡が取れなくなってしまうような事態だ。ゆえに、支部のほうに、こちらの事情を汲んでくれる粛清官がいたほうが、なにかと都合がよいのだ。なにより、平時ではいささか不明瞭な支部の情報が手に入るという利点もある」


 そういうのをスパイと呼ぶのではないかとシンは思ったが、黙っておいた。


「話を戻そう。この粛清案件は、たしかに向こうの管轄だ。が、支部のほうでは捜査が難航していたようだ。とくに粛清官が返り討ちになってからは、より力を入れて捜査したようだったが、それでも解決には漕ぎつけていない。遊郭のなかで、治安維持部隊同士が衝突しているようでな」


 その言葉には、シルヴィが反応した。


「つまり、遊郭の自警団と支部に問題が発生している、ということでしょうか」

「そうだ。これは支部にとっても悩みの種だろうが、地元の一大勢力と馬が合わないようでな。どうやら自警団のほうは、件の粛清対象を自分たちで解決したがっているようだ」


 シーリオは、簡単に遊郭の情勢について説明してくれた。

 その話を、シンはこう解釈した。

 遊郭には、中央連盟支部と自警団という、ふたつの組織がある。そしてひとつの事件を、互いに自分たちが解決しようとしている。ただでさえ凶悪な殺人犯だというのに、こちら側の連携が取れないどころか、足を引っ張り合っているせいで、いよいよ事態が膠着してしまっているらしい。

 シンからすれば、この偉大都市において、中央連盟と名のつく組織に楯突こうとする連中がいるというのがふしぎでならなかったが、どうやらそれにも歴史的な事情があるようだ。


「とはいえ、連中もばかではない。そうしているあいだにも新たな被害者が出ているという状況をよしとするはずもなく、とある取り決めをしたようだ。その取り決めというのが」

「……自分たちのどちらも手を引く、ということでしょうか?」


 先を読んだシルヴィの発言に、シーリオは感心したようにうなずいた。


「そういうことだ。そして、その話をどうにかまとめたのが、ユンファ警参級というわけだ」


 ようやく、シンにはある程度の流れがわかってきた。


「私がやっかいと言ったのは、粛清対象の危険度以上に、現場での動きづらさのことだ。これは正式な粛清案件となるが、今説明したような事情で、あまり現地での協力が得られないということは、じゅうぶんに考えられる。とくに支部でも自警団でも、上層部で話がまとまっただけであり、現場レベルの者はいまだ納得していない可能性が高い」

「……とすれば、あまり本部の職員をぞろぞろと連れていくというのも、控えたほうがいいということでしょうか」

「バレト、察しがよくて助かる」


 シーリオは眼鏡を取って眉間を揉むと、より険しい目つきになって続けた。


「それに加えて、解決は直近が好ましいという話だ。支部長が空けているあいだに解決したいとのことでな。かように条件が多く、まだ経験の浅い貴公らにはどうかとも思うのだが……」


 そこでシーリオは、こちらの出方をうかがうような目線をよこした。


「ちょっといいか」


 シンは上官の了承をもらう前に、机の上の書類を手に取った(「こら、ダメでしょ、チューミー」とシルヴィに注意されたが、無視した)。

 シンが気にしたのは、対象の砂塵能力だ。

 不明、とある。だが、少なくともなんらかの砂塵能力者であるのはまちがいないらしい。何人かの目撃者が、幽霊左近が砂塵粒子をまとわせている姿をみたことがあるそうだ。

 おもな罪状は、辻斬り(連続殺人)、粛清官殺し。

 返り討ちに遭ったのは、警参級ふたりと、警伍級ふたりのようだ。

 シンは、しばらく黙って検討した。

 長らくフリーランサーとして殺しの依頼を受けてきた関係上、シンには受ける仕事のリスクとリターンを考慮する習慣があった。なにより、自分の持つ嗅覚を信頼していた。

 その勘に従うなら、今回は、あまりよくない気がした。


(……俺ひとりなら、どうにでもなる。むずかしそうなら撤退すればいい。だが……)


 ちらりと、パートナーのほうに目を向ける。と、シルヴィも銀色の瞳でこちらをみていた。彼女がこちらの思考をどう読んだかはわからないが、シルヴィは上官に視線を向けると、


「わたしは、ぜひ任せていただきたいと思います」


 そう、はっきりと口にした。


「理由もあります。あまり現場の協力が得られないとのことですが、地海警伍級は、もとはそうした環境に身を置いていましたから、わたしよりもノウハウがあるはずです。……そうよね?」

「あ、ああ」


 話を振られて、シンは反射的にうなずいてしまった。


「……ふむ」と、シーリオが腕を組んで椅子に背を預けた。

「なにより、わたしたちは素顔もマスクもそう知られていないので、エムブレムさえはずせば、柔軟な捜査ができるのではないかと考えます。失礼ですが、ナハト警弐級が気にされているのは、いざ第七指揮で本件を担当するとして、それによって本部と遊郭のあいだに亀裂が生じてしまうことでしょう?」

「否定はしない……いや、そうだと答えよう。タイダラ警壱級に代理を任されている以上は、こうした件は穏便に済ませるに越したことはないと考えている」

「でしたら、やはりわれわれが適任かと。支部と自警団、どちらにも波風を立たせずに立ち回ってみせます。そうした緩衝の役割は、わたしは得意だと自負しています。いかがですか」


 どうやらシルヴィは、かなり前のめりなようだった。

 熱意もあるし、理屈も通っている。ともに少し前の非粛清案件をこなした経験もあってか、シーリオが首を振るまでにかかった時間は、さして長くなかった。

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