お団子は大事
それから、小一時間後のことだった。
「ちょろかったわね」
となりの席で姿勢正しく緑茶を飲みながら、シルヴィがそう言った。
場所は一転して、夜半遊郭の一角にある茶屋、その二階の個室である。
畳張りの床は慣れなくて、シンは座っていると奇妙な感覚だった。シンは周囲の目がないことをたしかめると、ようやくマスクを取り払った。
少し伸びてきた黒い髪を振ると、澄んだ赤目があらわれた。ほっこりと茶を楽しむパートナーに、シンは言った。
「シルヴィ。いいかげん、どういうことか説明してくれ」
「説明って、なにを?」
「すべてだ。いったい、さっきの茶番はなんだったんだ」
「あなたは入ってこないでって言ったでしょう。彼らに気づかれていなかったからいいものを、台無しになるところだったわ。それに……」
シルヴィは気まずそうに目をそむけた。
「ええ、そうね、認めるわ。茶番も茶番だったわね。恥ずかしいからみられたくなかったわ」
「どうしてあんな小芝居をしたんだ? 俺たちには手帳があるんだ、あんな連中から捜査資料をもらうくらいのことは朝飯前のはずだろう」
「それが大きな間違いなのよ、チューミー。ああいうのは力ずくではどうにもならないの」
シルヴィは、机にどっさりと置いてある資料に目をやった。
その表面には、「赤町奉行」という奇怪な模様――漢字で作られたロゴが描かれている。
「その赤町奉行というのが、ここの自警団の名前だったか」
「そうよ。より正確には、風林組と火山組があわさって、ひとつの自警団なのだけれど」
「自警団というのも、ゆくゆく考えると奇妙な話だな。ここは支部の膝元だろう? なぜそんな組織が、力を持って出来上がるようなことになるんだ」
シルヴィはすぐには答えなかった。そのかわりに、開いた障子の先、ガラスの向こうにある街並みに目をやったから、シンも同じ場所に視線を注いだ。
遊郭のトレードマークである五重塔に加えて、同様に変わった傘のついた、中央連盟支部の姿があった。
「もういちど聞くけれど、あなたは夜半遊郭に来るのは初めてなのよね?」
「ああ。外からしかみたことがない。仕事を受けたこともなかったし、わざわざ長い橋を渡らないとここまでは来られないからな」
夜半遊郭は、十一番街、および十二番街を股にかける特別な島の区画だ。
上陸する方法はいくつかあるが、十番街のウォーターフロントから伸びる、ボルテックス・ブリッジと呼ばれる全長二千メートルほどの橋を渡るというのが、もっともメジャーな手段だった。
「それならおどろいたでしょう。夜半遊郭って、ほら、
「どうだかな。いいかげん、この街のヘンテコな建物には慣れたつもりだ。九龍アパートだってよほどのものだったぞ」
「ここはほかの区画とはわけが違うわよ。なにせ、中央連盟ができる前からこの見た目だったらしいもの。とにかく古いの。そして古いからこそ、いろいろな事情が絡みあって、ひと筋縄ではいかないことも多いわけ」
「たとえばどういうところがだ?」
「たとえば、さっきのひとたちのような自警団よ。彼らはね、数十年前までは連盟支部の所属だったのよ。そしてさらにもともとは、中央連盟ではなく、赤町奉行と呼ばれる別機動の警備隊だったの。今は、当時の名前に戻ったうえで、さらに内部に二つの派閥があるわけ。わかる? 彼らはいちど離反しているから、連盟とは仲がよくないのよ。とくに支部とはね」
どうやら複雑な話のようだった。
シンにわかったのは、あいかわらず、このパートナーが事情通ということだけだった。
「とにかく仕事だ。例の粛清対象の居場所は掴めるのか。聞くところによると、神出鬼没なのだろう」
「あら。やる気なのね、チューミー」
「それは……」
シンはまごついた。
それは、そうに決まっていた。なにせ、これは自分たちの初仕事なのだから。
少なくとも、公的には。
「お前は違うのか? シルヴィ」
「わたし? わたしはもちろん、やる気しかないわよ。あんな下手な芝居を打ってまで、追加の捜査資料を手に入れたのだもの、当たり前じゃない」
シルヴィが、資料の一部をこちらに手渡してきた。なかをみると、あまりじょうずとは言えない手書きの文字で、捜査結果や目撃者の調書などが記述されていた。
「せっかくめぐってきたチャンスだわ。かならずわたしたちで完遂するわよ――この、〝幽霊左近〟粛清案件を」
「……ああ」
正直を言うなら、シンはそこまで乗り気ではなかったが、こうして始動してしまった以上、気を取り直して仕事をするつもりだった。
「さて、あらためて概略を説明するわね。お団子でも食べながら聞いてちょうだい」
「……うまいのか? これ」
「ためしてみて。あなたはきっと好きな味よ」
おそるおそる串を持ってかじってみると、なるほど、やわらかくて、ほのかに甘かった。
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