リーディング・プロファイル
――幽霊左近。
その辻斬りの名の由来は、ふたつだ。
ひとつは、彼の着用する白霊のマスク。
もうひとつは、圧巻の剣術をあやつる、遊郭における古典演劇の悪役「左近」だという。
「
「お前はなんにでも詳しいが、脱線しがちなのは玉に瑕だな」
「……こ、こほん。いいわ、続けるわね」
幽霊左近の犯行は、今より三年前にはじまった。いや、あるいはもっと前にはじまっていたのかもしれないが、少なくとも、犯行が発覚したのは数年前のことだった。
おせじにも治安がいいとはいえない遊郭において、物騒な事件はことさらにめずらしいというわけではない。娼館と賭場がひしめく関係上、反体制的な組織が多く集まるからだ。
それでも、ただ道行く女が惨殺されるというのは、やはりあまり例のないことだった。
被害者たちは脛に傷のある女というわけでもなければ、痴情のもつれがあったわけでもない。斬ったのはあきらかに腕に覚えのある者であり、さらに被害者は続出したからだ。
やっかいなことに、腕の立つ者というのは、容疑者が多かった。
遊郭には、多くの武道が伝わっている。柔術、槍術、拳術、弓術、杖術など、多岐にわたる武術が集まり、その筋の達人とされる武芸者が道場を開いている。
夜半遊郭で育ち、いずれは連盟支部や赤町奉行に入ろうという者は、ほとんどみな、いずれかの流派にて武術を学んできているという。
なかでも有名なのは、剣術だ。
「そういえば、ずっと気になっていたのだけれど、あなたの剣術も、なんというか、根の部分は体系的よね? 有名な流派に
「……お前はなんにでも詳しいが……」
「わ、わかったわよ。もう、余計なことは言わないわ。なによ、ちょっと気になっただけじゃない……」
はてさて、正体のみえぬ幽霊左近だが、ふたつだけ確定していることがある。
ひとつは、霧の出る夜にしか行動を起こさないということ。
もうひとつは、被害者は遊女にかぎるということだ。
これまで彼の犠牲者となった四十九名の女性は、彼を逮捕しようとした人間を除けば、全員が遊女であるとのことだった。
彼女たちの出で立ちは特徴的だ。
遊女はみな、派手でうつくしい和服を身にまとう。そしてドレスマスクには、決まって花の柄をペイントする。太夫と呼ばれる、遊女のなかでは最上級の位となると、マスク自体のデザインを花弁にすることもあるそうだが、いずれにせよ、花だ。
花の種類で、素顔の系統を。花の数で、位をあらわす。
それが、遊郭の古くからの決まりなのだった。
「言っている意味がわからない。花の種類で顔の系統とは、どういうことだ」
「そうね。たとえば、スズランだったらかわいらしい感じの顔つきで、アヤメだったらきれいな感じの顔つきということよ。表で客引きするときに、男のひとが参考にするのですって」
「やけにあいまいな基準だな。役者のように素顔のみえるクリアマスクをつけるわけにはいかないのか」
「そういうのは粋じゃないってされるのよ、この街だと。……というか、あなたも脱線していない?」
「そんなことはない、必要な確認だ。……そうか、お前を待っているあいだに外でみた女たち、あれが遊女だったというわけか……」
幽霊左近の犯行が有名になると、夜半遊郭には暗黙のルールが生まれた。
霧の出る夜、女性は、けしてひとりでは出歩かないこと。そして、連盟支部であれ赤町奉行であれ、警備隊がきちんと街を巡回すること。
だが、全員が全員、それを守るわけでもない。夜半遊郭もまた盛況な大都市であり、全体の人口に比べてしまえば、被害者の数は微々たるものともいえる。
自分だけは大丈夫だろう――そう根拠なく楽観する者や、やむにやまれぬ事情で外出しなければならない者がどうしてもあらわれて、次の犠牲者が生まれてしまう。
ふしぎなのは、そうした状況であっても、スペアマスクをかぶる遊女が少ないことだった。
遊郭にはいくつもの変わった文化があるが、とくに大陸の人間にとって理解しがたいのは、彼らの持つ〝粋〟という概念だった。あるいは〝漢気〟とも呼ばれる、非合理的な考え方だ。
それに照らし合わせるならば、身分を隠すというのは、どうやら粋ではないようだった。
「そういえば、お前もさっき、漢気がどうとか言っていたな。あれは、ここの住人の性質をわかっていてのことだったのか」
「まあ、そうね。騙すようなかたちになってしまったことは申し訳ないけれど、ああでもしないと、なかなか金庫の鍵が開かなかったのよ。でも思っていたとおり、奉行のひとたちは支部には厳しいけれど、本部の一介の職員には、そこまで敵愾心はないようだったわね」
「俺は、まだそこまで納得がいっていない。粛清官手帳をみせたうえでことわられることがありえるのか? 連中だって大市法の違反者になどなりたくないだろう」
「さっきも言ったけれど、それは悪手よ、チューミー。彼らの反感を買って、古い捜査資料とか、一部のデータだけ渡されたらどうするの? わたしたちにはたしかめられないわ」
わかる? 北風と太陽よ、とシルヴィは言った。
シンは黙考した。正しいことを言っているような気がした。
それでも、なかなか、はいそうですかとは呑みこみづらいものがあった。
「だからって、お前があんな連中に、ああいうことを言われなきゃいけないというのは……」
「あら、かわりに怒ってくれているの? 意外ね。でも平気よ、あの程度のことで腹を立てていたらなにもできないもの。――というか、これは本当に脱線よね?」
「脱線……だろうか」
「ちょっと、認めなさいよ。わたしにばっかり文句を言ってずるいわよ」
ぐいとからだを寄せて、シルヴィがじっとした目つきで覗いてきた。
同じぶんだけからだを引いて目を逸らしていたシンは、そのとき、近づく足音を耳にした。
だれかが、ここに向かってきている。
急いで、シンは黒犬のマスクを着用しようとした。
だが間に合わず、障子が横にガッと開いた。
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