041.痩せこけた天使
「お久しぶり!おにいちゃん。元気にしてた!?」
「い……あ…………?」
逢魔ヶ時の夏の青い空。
時が経つにつれて昼から夜へと近づいてきて青から紺へと世界が切り替わっていく時間。
あれだけ世界を熱していた太陽も傾きは山へと隠れてきて足元から伸びる影が長く長く伸びている。こんな日は伸びた影から幽霊の一つや二つでも出てきそうだ。
そんな夏の儚さと少しの不気味さを感じる世界にて、俺はこの世のものではないものを見たかのように目を丸くしていた。
俺の目の前にいるのは10年間この目に収めたかった顔。長い年月で姿形は変わっているが、それでも面影は残り、俺が決して見間違えることのない顔だった。
祈愛。俺の大切な妹。
寝たきりの、そして会うことのできなかった彼女。
なんで突然、こんなところに……。
「え、へへ。どう?ビックリ……した?」
「本当に祈愛、だよな? どうして……また幽霊じゃ……ない、よな?」
「生きてるよぉ。ほら、見てどう?みすぼらしくなったでしょ?」
そう言って手を広げてアピールするのは自らの格好だった。
まるで寝起きさながら、着替えることさえ忘れたかのようなピンク色の薄手パジャマ。
しかし自らも自覚しているようで「こんな格好、人に会うものじゃないけどね」と笑ってみせる。
そして何より特徴的なのは2点。車椅子とその体型だった。
レバーを倒して自在に動くことのできる電動タイプの車椅子に乗った彼女の体型は、あの日あの世界で見た体型とは大きく違って痩せこけてしまっていた。
文字通り、骨と皮と言っても過言ではないほどの痩せ細りよう。一目で自分の力で立ち上がるほどの筋力がないとわかるほどだったが、それでも間違えることは決して無い。彼女は祈愛だ。世界で一番大切な妹だ。
あの世界の姿と比べても違いはあるが祈愛は祈愛。今一度それを突きつけられた俺はヘナヘナと膝を着いて倒れ込む。
車椅子に座る彼女と同じ目線。俺はようやく会えた喜びにその細い体をギュッと抱きしめる。
「祈愛!祈愛!やっと会えた!ずっと会えなくて心配してたんだぞ!」
「わっ!……もぉ、あの世界でも泣いてたのにこっちでも変わらずだね、甘えん坊だなぁお兄ちゃんは」
10年ぶりに現実で会えたその顔。10年ぶりの彼女の暖かさ。
あの世界では決して味わうことのできない生の温もりに、俺は玄関にも関わらず涙がボロボロと溢れ出した。 そんな俺を受け止めてくれた彼女はそっと背中をポンポンと叩いてくれる。
「どうして……今までずっと会えなかったのに……」
「んっと、サプライズ?ホントは退院に合わせて病院に迎えに行こうと思ったけどおにいちゃん居なくってさ。じゃあ確実に家に居るだろうこの時間にってお母さんが。勝手に退院しちゃって心配したんだよ~」
「す、すまん……」
確かに連絡もせずに一人戻ってしまったのは悪かったと思ってる。きっとここまで連れてきてくれたのも蒼月母だろう。きっと2階まで車椅子を持ち上げてくれたのも……。頭が上がらないな。
しかしあまりにも外でこうしていたら祈愛の身体にとってもよくないだろう。そう考えて抱きしめていた腕の力を解き離れようとするも、背中には彼女の腕がいつの間にか巻き付いておりその手が離れる気配を見せない。
「祈愛?」
「……私も、この世界でやっとおにいちゃんに会えて嬉しい。これが暖かさなんだね……。落ち着く匂いも記憶そのまま……」
「匂いは……さっきまで掃除してて汗臭いから……」
「ううん、これがいいの。頑張ってたんだなって分かるおにいちゃんの汗の匂い、好き」
「…………」
そこまでストレートに言われたら俺も否定などできるわけがない。
虚空を向いて頬をかく俺に胸に顔を埋める祈愛。俺が生きている内は叶わないとさえ思っていた兄妹の再会。その感動に打ち震えていると、ふと胸元の祈愛がポツリと名残惜しむように呟いた。
「瑠海さんとマヤとも、一緒に喜びたかったな……」
「!! 祈愛……」
「おにいちゃん、この10年で私気づいたの。なんで肉体が必要なんだろうって思ってたけど、肉体があるとどんな些細なことでも全てが大切に思えるって。夏の暑さも、風も、この胸の暖かさだって。その喜びをあの二人とも共有したかったな……」
それは祈愛のたった一つの心残り。
あの二人も一緒にこの世界に降り立つことができればどれだけ良かっただろう。そう心から訴えていた。
俺は彼女の言葉になんて返そうか言葉を探す。だってあの二人はもう――――
「祈愛、それはだな……」
「ううん、気にしないでおにいちゃん。ただの独り言。多分二人ともあの世界から見てくれてるんだし弱音を吐くところなんて見せられないよ」
あの世界……あの世界じゃぁないんだよなぁ…………。
「あの世界どころかだな、あの二人は――――」
「えぇ、私も再びこの世界に降り立って生の尊さに気づきました。やっぱり人を愛するには肉体がないとですね!」
「――――瑠海さん!?」
俺の言葉を遮って出てきたのは銀髪の美少女だった。
背中に寄りかかるように、まるであえて身体を押し付けながら肩から顔を出したのは先立ってこの部屋にやってきていた瑠海さん。
彼女がしみじみと思い馳せるように語りだすと、祈愛は最初こそボーっとしていたが初めて見る人物と目が会ったことでサッと祈愛は俺の影に隠れ、そして肩をギュッと力強く掴む。
「おにいちゃん……。退院早々女の子を連れ込んで……?」
「痛い痛い祈愛。そうじゃないから。この人は瑠海さん。知ってるだろ。元地縛霊の」
「瑠海……さん…………」
元地縛霊とはなんて最低な紹介かと一瞬思ったが、それ以上にわかりやすい説明が無いのだから仕方ない。
最初は目を合わせないよう隠れて俺を強く握りしめていた祈愛も、名前の復唱とともにスッと顔を出してもう一度銀髪の女性を見る。
そしてようやくその面影に気がついたのだろう。ヒュッと息を飲む音とともにその瞳が大きく見開いていく。
「…………?…………!!…………!?!? おにいちゃん!?どういうこと!?」
「何ていうかだな……祈愛、この人はついさっきこの世界に――――」
「酷いです煌司さん!早くに退院してまで私とずっとイチャイチャしていたのに、新しい女がデキたらポイですか!?」
「事実無根!!」
待て待て待て!瑠海さんそれはどういうストーリーだ!?
俺が瑠海さんとイチャイチャだと!?早くに退院してゴミや汚れとイチャイチャしてたわ一日中!!
あまりに荒唐無稽な事実無根。まさか真に受けたりなんてしないだろうな……?恐る恐る眼下の祈愛に視線を戻すと、何とか思考を動かそうとしているらしくその小さな口が震えながらもゆっくり開いていく。
「ほ……本当に、瑠海さん……なの?」
「えぇ。お久しぶり、という程でもありませんね。あちらの世界に引き続き、また会えて嬉しいです」
「っ……!! 瑠海さん!!」
祈愛もまさか瑠海さんが蘇るなんて思いもしなかったのだろう。
ようやくその事実を理解した彼女は瑠海さんに抱きつこうとするも、車椅子から転げ落ちそうになって慌てて瑠海さんがそれを受け止めた。
ありえないと思っていた現世での邂逅。二人の腕は固くギュッと力が込められている。
「瑠海さん!また会えて嬉しい……!でも、あの時あっちに残ったはずなのに……その髪色も……?」
「そのことですがマヤさんの計らいによってこちらに来ることができたのです。……ほら」
「お久しぶりですね。祈愛さん。少し痩せましたか?」
「マヤ!!」
よかった……。ちょっとしたサプライズでどうなるかと思ったが、祈愛も信じてくれたみたいだ。
しかし瑠海さんへの力強さが俺と抱き合うよりも強いことにちょっとジェラる。まぁ予期せぬ再会だしよしとしよう。それにさっきの爆弾発言もスルーしてくれてそうだし…………。
「マヤに瑠海さん……色々言いたいことはたくさんあるけど、まずおにいちゃん。さっき瑠海さんとイチャイチャしてたっていう件、ゆっくりとお話……してもらうからね?」
「…………あ、はい」
……スルー、してくれないみたいだ。
天国から地獄。俺のホッとした気持ちが一気に地へと堕ちていき一人虚無の目になる。
さてどう説明しようかと悩んでいると、ふと気づけば祈愛がこちらに向かって両手を差し出していた。
「……どうした祈愛?さっきのは冤罪だからな?母親に変なこと言うなよ?」
「わかってるよぉ。ちがくって炎天下でずっと話すわけにもいかないでしょ?だからおにいちゃん、だっこ」
「あぁ……」
それはいつか見た光景とそっくりそのままのものだった。
ずっと俺の背中をくっついてきた10年前。甘えざかりの祈愛はこうしてよく俺や親に抱っこをねだってきたものだった。
当時は俺も非力でロクに持ち上げられないのに、ねだられて頑張って……そんなことがあったな。10年経っても変わらない彼女に当時の事を思い出しながら差し出された手を取る。
「しょうがないな。ほら、もうちょっと手を上げろ」
「わ〜いっ!おにいちゃん大好き~!」
なんとも軽い「大好き」だこと。
そんな風に一つ嘆息してから俺は彼女を優しく持ち上げる。
軽いな……本当に軽い。まだ筋肉も不完全なため仕方ないかもしれないが、それでも驚くほどすんなり持ち上がった。
髪が俺の近くに来てふわりと漂う彼女の香り。軽くても確実に此処にいる。今一度その事を実感すると、自然と持ち上げる手に力がこもる。
「ねぇ、おにいちゃん」
「ん?」
「おにいちゃん、現実の私も可愛い?」
「あぁ、もちろん。可愛いよ」
痩せている。それでも近くで見た彼女はほんのりと化粧しているのが見て取れた。
年相応、もしかしたら母親が手ほどきしたのかもしれない。しかし俺と会うために見え隠れするその無言の努力が何よりも嬉しい。
大人しく俺の腕に収まる彼女だったが、すぐ近くでも聞き取れない声で何か声を発した気がした。
「――――」
「えっ、なにか言ったか?」
「――――もう一回言って。可愛いって」
「何度でも言うよ。今の姿も可愛いよ。祈愛」
「えへへ、やったっ。おにいちゃん、だーいすき」
――――きっと、祈愛にはこれまで愛情が足りなかったのだろう。
マヤがいたといえども人生の大半を親から抱きしめられること無く育ち、気づけばこの年齢まで。
だから目一杯俺は彼女を抱きしめる。これまでの時間を取り戻すように。
そして祈愛も答えるように細い腕を背中に回していく。
いくら成長しても妹は妹。その硝子のように華奢な身体を大事に抱え、家の中へと入っていくのであった。
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