035.復讐者

【この事象を引き起こすには幾つか条件があります。それは思いの強いものが成仏するほど存在を賭けることです】


 いつだったか誰かがそんな言葉を言った覚えがある。

 俺たちのような魂だけの存在が現実に影響を及ぼすのに必要な条件。

 過去、それで瑠海さんが1度成仏した。結果的にはすんでのところでマヤに拾われたが、原則としてこの力は自身を犠牲にするようなもの。次も同じように助けてくれるとは思わない。


 しかし、俺はそれでも後悔はない。

 辺りには大小様々な物が浮かんでいる。まるで俺たち全員を守るように、そして同時にいつでも射出できる武器となるように。

 見ずともわかる。何がどこに有るかが。まるでその全てを手で持っているかのような感覚。そしてこの世界をどうとでもできるような全能感に襲われた俺は目の前の奴を見る。


 未だ手を振り上げたまま固まっている奴は恨めしく俺を睨みつけている。

 目的を達成できなかった悔しさか、俺に阻まれた怒りか……その心の内はわからない。

 ――――否、どうでも良かった。ただ俺の中にある思いはコイツをどう殺してやろうかということ。


 当初は俺が死んでもいいと思っていた。

 けれどそうしたら誰が妹を守るのか。そしてコイツはその妹をも殺すと言った。ならばここで殺すしか無い。


 圧殺刺殺殴殺轢殺…………様々なやり方が頭の中に浮かんでは消えていく。

 動けなくなったコイツはもう蛇に睨まれた蛙。後は俺の自由だ。スッと指で輪っかを作ってそれを弾くと、奴は突然車に撥ねられたかのように身体をくの字に曲げ壁に叩きつけられる。


『カハッ…………!』


 肺の中の空気が全て漏れ出る音がする。

 まだだ。まだ足りない。こんなの全然今までのに比べたら序の口だ。


『ゲホッ……!ゲホッ……!テメェ……!』

「まだ威嚇するくらいは元気あるか……」

『っ……!?グフッ……!?』


 壁に背を預けながら睨み上げる奴に向かって浮いていた椅子を腹に直撃させる。

 目を見開いて何度も咳き込む奴の姿を見下ろし、頭を回していく。さぁ、どうやって終わりにさせてしまおう。何か奴に相応しい殺し方はないものか。


「――――!――――!!」


 後方から何か音が聞こえる。

 しかしその音が届くことはない。きっと病院の機械が荒ぶっているのだろう。ここは俺と奴だけの、二人きり・・・・の空間。誰か他に人が居るわけでもない。俺は今一度奴に手をかざしてその身体を宙に浮かせる。


『グ……ウ……』

「ようやく静かになったか。で、最期に何か言う事は?」

『――――せよ』

「ぁん?」

『……殺せよ。それが望みなんだろ』

「っ――!!」


 ガァン!!


 突然ふっ飛ばされた奴の身体が病院の機材にぶつかって大きな音を立てる。

 何故諦めたかのように言う。何故笑う。何故怖がらない。

 奴の目の前に突きつけた"死"の概念。それを前にしても、奴は恐怖どころか笑っている。

 その顔を見て俺の心は晴れるどころか更に怒りを募らせていった。


 思わず叩きつけてしまったが、死んじゃいないだろうな。

 部屋の隅にもう一度崩れ落ちる奴に覇気なんてもうない。俺はそんな奴の首根っこを捕まえるように宙に浮かせて腫れたその目と視線を交差させる。


『どうした?殺さないのか?お前を殺そうとした張本人だぞ?」

「減らず口が……!」

『あぁそうさ。俺はそうやってのし上がってきたからな。……早く殺すといい。それでお前は立派な親殺しだ』

「……なら、俺を殺そうとしたお前は子殺しだ」

『そうだな。だがお前にその重さが耐えられるか?妹を殺し、親をも殺し、ことごとく家族を壊していくお前に。まるで初めて銃を手にしたガキだな。さしずめ成り下がった疫病神ってところ――――』

「っ……!黙れぇ!!」


 危機的状況だと言うのによく回る舌、そして神経を逆なでする言葉に俺は浮かせていた武器を全て奴の喉元に突きつける。

 包丁、ハサミ、そしてナイフ。どれが刺さっても致命傷となるだろう。しかし奴はそれでも顔色一つ変えることはない。

 それが逆に俺の苛つきを増大させた。もうヤツの命は掌の上だというのにこの余裕。もう奴に一言も言葉を紡がせるわけにはいかない。そう確信した俺は手を掲げ、武器を貫通させるよう一思いに――――。


「…………どけよ」


――――突き刺す事はできなかった。

 俺が合図をするように腕を振り下ろそうとしたその瞬間、ギュッとその腕に抱きつくようにして止めたのはピンク髪の少女だった。

 コイツは誰だ?・・・・・・いや、だれでもいい。邪魔をするなら退けるだけだ。そう思って彼女を別の方向へ吹き飛ばそうとするも………できなかった。


 何故かできない。俺の力は正常に動いているはずだ。この少女を吹き飛ばすことも容易なこと。そんな俺の意志に反して吹き飛ばすことか、自らの手で引きはがすこともできなかった。

 困惑する俺に対して、彼女は涙を流しながらこれ以上させるものかと必死で押さえつけようとする。


「どかない!お父さんなんでしょ!?刺しちゃだめ!!」

「あ? 分かってんのか!?コイツを殺さないと妹が……!!」


 そう。コイツを殺さないと俺が殺される。そして次に妹が殺される。 

 そんなの絶対に看過できない。俺が命を張ってでも止めなければならない。


「だめ!煌司君が人殺しになるなんて妹も望んでない!」

「お前に何が分かる!!」

「分かるよっ!私は……祈愛はおにいちゃんに人殺しになってほしくない!!」

「っ……!!」


 祈愛……そう。妹の名前。

 なんでコイツがその名前を知って……。コイツ……が……?


 頭の中で不思議な記憶が浮かんでくる。

 ピンク髪の少女が笑って、泣いて、膨れ面して。そんな喜怒哀楽が豊かな女の子。この子の名前は…………。


 フッと過去に向けていた意識。その隙を突くように、彼女はグッと胸ぐらを掴んで俺を眼の前まで引き寄せる。


「このままお父さんを刺しちゃって……それでひまりちゃんに顔向けできるの!?」

「ひまり……?」

「そう!ひまりちゃん!それに瑠海さんだって嫌がってる!みんな、おにいちゃんにそんな事してほしいだなんて思ってない!!」

「ひまり……瑠海……祈愛……」


 少女の口から出た名前を復唱する。

 その名前は……そうだ。みんなの名前だ。

 未来から来たという俺の娘、好きだと言ってくれた女の子。そして大切な妹。

 みんな俺を支えてくれていたじゃないか。今日だって二人ともずっとそばに……。


 黒く染まっていた視界がだんだん拓けていく。ヤツしか見えていなかった視界から、周りの状況もようやく見えるようになってきた。

 俺の目の前には祈愛がいて、背中には瑠海さんが抱きついていた。二人はずっと俺を止めようとしていたのだ。


 居てくれたんだな。なのに俺はずっと一人だと勘違いしてて……。

 ようやく自覚する現状にフッと力が抜ける。

 力なく腕を垂らすと連動するように武器も、奴もその場に転がり落ちる。


「……ごめん二人とも。俺、もうちょっとで親殺しになるとこだった」

「煌司さん……!」

「おにいちゃん……!」


 そうだ。もう大丈夫。俺はもう人を殺すなんて馬鹿な真似はしない。奴と同じ所になんか堕ちてやらない。

 俺がもう大丈夫だとフッと笑いかけると、二人も涙の奥に光る笑みを見せてくれる。

 大丈夫。もうコイツを殺したところでどうにもならない。なら無駄なことはしなくてもいいだろう。

 床に落ちた奴は何度か咳き込みをしながら俺を見上げてくる。


『殺さ……ないのか?』

「あぁ。もういい。お前はどこへでも消えろ。ただし祈愛に手を出そうとしたら今度こそ殺す」

『…………』


 それは沈黙の肯定。

 信じられないようにした奴だったが顔を伏せたあと、了承したように立ち上がって俺の横を通り過ぎて扉まで向かっていく。

 その足取りは重い。腹に手を当てフラフラとおぼつかない足取りだ。


 その小さな後ろ姿を俺は黙って見送っていく。

 こんなに小さな背中だったのか。しかし奴はこのあと何処へ向かうのだろう……いや、それは俺が知る必要もない。


「ん……」


 そんな折、ふと足元に何かが当たったような気がした。

 肉体のない俺達に触れられるものなんてない。だから幻覚かもしれない。しかし触れたと思しきそれは確かに足元にあった。

 これは……


「おいっ!」

『……あん?』

「忘れ物だ……ぞっ!!」


 俺はその言葉とともに何かを投げる動作で腕を振りかぶる。

 もちろん手には何も握られてはいない。しかし連動するように動くのは足元に転がっていたナイフ。俺はそれを奴に向かって――――思い切りぶん投げた。


『なっ……!?なっ……!?』


 奴もそれが何かすぐに気がついたのだろう。しかし気づいた時にはもう遅い。

 勢いよく奴の頭に向かって放たれるナイフ。1秒と経たず目的地までたどり着いたナイフは、計算通りに柄側・・がその頭にぶち当たった。


 スコォォォン…………


 そんな気持ちいい音とともに、頭にダイレクトアタックを喰らった奴はその場へと崩れ落ちる。

 力なく倒れ込んだ奴はもう1ミリだりとも動こうとしない。気を失った奴は病院の廊下で大の字となってしまった。


 騙し討ちだがオマケの一発だ。これで俺を昏倒させたあの日の暴力はチャラにしてやろう。

 これで朝になるか巡回の時間になれば誰かが気づいてくれるだろう。俺は一発浴びせてスッキリした気分になりながらベッドに横たわっていく自分自身へと目を向ける。


 今も穏やかな顔で眠っている自分はまるで自分の病室で行われている騒動を何一つ知らない表情だ。

 自分自身ののんきな顔を見て一つ苦笑した俺は、2人に向かって手を伸ばす。


「煌司さん……」

「おにいちゃん……」

「帰ろう二人とも。マヤが待ってる」


 伸ばした手を迷うことなく取ってくれる祈愛と瑠海さん。その二人の暖かさは、感じないはずなのに間違いなくぬくもりを感じる、尊いもののように思えた。

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