020.たとえ思い出せずとも
『まってよぉ〜!おにいちゃ~ん!!』
昔のことを思い出すのなら、真っ先にその言葉が思い浮かぶだろう。
それはまだ小学校に上がる前の時のこと。俺が一人先を歩いていると、決まって後ろからそんな声が聞こえてきた。
俺の後ろをピョコピョコと着いてきていたその姿。俺が右に行けば右に、左に行けば左に。アイツはまるでカルガモの子供のようによく引っ付いてきたものだ。
アイツがクレヨンで絵を描いていて俺がゲームをやっているとゲームをねだってくるし、だからといってゲームを渡して俺がクレヨンで絵を描くと「やっぱり」と言ってクレヨンをねだる。
当時ずっと俺の側にいた一個下の妹。
ちょっとだけ特殊な家庭事情なものの、何の変哲もない楽しい日々。
――――しかしそんな日々も、長くは続かなかった。
とある休日。いつものように公園で遊ぼうとする俺と着いてくる妹。
しかしふと、そんな引っ付いていてくる妹が鬱陶しくなって引き離すように先々一人で公園に行ってしまったのだ。
呼んでも待たない俺に半泣きで追いかける妹。そんな前の視界もおぼつかない妹に襲いかかったのは、信号無視の自動車だった。
俺がその事を知ったのは公園に着いた後。暫く待っても妹が来ることのないことに疑問を持ち、一応来た道を戻っていくと騒然となっている横断歩道。
そして俺が見たのは、ちょうど来た救急車に乗せられる血に塗れた妹の姿だった。
病院に運び込まれた妹は、なんとか一命をとりとめた。
まさに危機一髪。あと少しでも運び込まれるのが遅ければ命を失っていてもおかしくなかったらしい。
しかしそんな命に関わる大問題、当然全てが万事解決ということにはならなかった。
植物状態。
俺が当時の母親から聞かされたのはその言葉だった。
なんでも生きてはいるけれど目覚めることは無いらしい。
事故がウソかのように穏やかな顔で眠っている妹。まるで家で見た姿のように今にも起きそうなのに決して起きることのない姿。
俺は信じられなかった。信じたくもなかった。聞いたあとのことは覚えていない。随分と錯乱していたとだけ聞いている。
そこから俺たちの家庭が壊れるまではそう時間がかからなかった。
段々と酒の量が多くなっていく父親。身体に痣が増えてくる母親。痣の正体に心の何処かで気づいていた。しかしそれを口に出すのは当時の俺にはできなかった。
父の怒鳴り声に怯える毎日を送っていた折、ついに母親が出ていくこととなった。
離婚だ。一人分の親権の紙を持って出ていこうとする後ろ姿を見守っていると、最後にそっと頭を撫でてくれたのを覚えている。
『私達という枷が無くなれば、きっとあの人も元気になってくれるわ。元々再婚同士で血の繋がらない他人だもの。あなたが気に病むことなんて一つも無いのよ』
涙ながらの言葉。
それがあの人から贈られた最後の言葉だった。
しかし、母親が出て行った後も父親は変わることがなかった。いや、酒に溺れ、物に当たる日々は余計に酷くなっていった。
当時小学生の俺はただただ部屋の隅で震えるしか無かった。自らの罪をくすぶりながら…………。
日々が過ぎ、中学に上がる頃。父親の拳は俺にも当たるようになっていた。
何がきっかけだったか覚えてない。ただ魔物の鳴き声のように発せられる言葉と共に痛い拳が降り注いだことだけを覚えている。
俺は否定も反撃もしなかった。むしろ歓迎した。それがあの時妹を置いていった罰だと思ったから。
学校から帰ると酒に溺れた父親の暴力に耐える日々。そんな俺に、ふと父親が声をかけてきた。
『"アイツ"の入院に新しく金が必要になった。お前、ちょっと稼いでこい』
同時に投げつけられたのは一枚のカード……免許証だった。
しかし当時の俺は中学生。そんな物作れないに決まっている。しかしその中身は俺の情報が記載されていて、ただ一つ違うのは年齢が3つ上のものになっていたのだ。
偽造だ。そう気づくのには時間がかからなかった。つまり今の新聞配達に加えて高校生と偽りながら別の仕事もしてこいという。
その事実に気づいたものの、俺は黙って免許証を受け取り、街へ繰り出した。
それからは学校にも行かず高校生と偽って働き、バレれば職場を変える点々とした日々。何でもした。もう父親……いや、"あの人"の言う言葉が真実かどうかさえどうでもよくなっていた。
ただ仕事に身を投じている時だけはあの時のことを思い出すことがなかったし、何よりこれが自分への罰だったから。
そうして昼も夜も仕事に身を
それがこの世界の入り口であり、祈愛や瑠海さんとの出会いの始まりだった――――
―――――――――――――――――
―――――――――――
―――――――
「そんな……そんな酷いことって……」
世界は戻り、現実の裏側。
魂だけの存在となった俺は公園で当たらない雨に打たれながら当時のことを彼女に告げていた。
隠すこともないどうでもいい話。しかしそれを耳にした彼女は口元を手で覆って悲痛な表情を浮かべている。
「な、つまんない話だろ?」
「つまらないって……!そんなこと……」
言い返すように勢いよく顔を上げたはいいが、それ以上言葉を連ねることなく顔を伏せてしまった。
大丈夫。死んだら全て終わりだ。気にすることはないのに。
「………妹さんは、どうなったんです?」
「えっ?」
「その植物状態になったという妹さん、様子を見に行ったりしてないんですか?」
「それは…………」
顔を伏せながら問われる質問に俺は一瞬だけ逡巡する。
妹とはあの事故以来顔を見ていない。むしろ会いに行こうとさえ思わなかった。
今思い返すと行かなかったのは元母親から忘れるように仕向けられた……いや、ただ俺が怖かっただけかもしれない。
当時の事を思い出していると、ふとベンチに座っていた瑠海さんがこちらに近づいてきてギュッと手を握ってくる。
「なら、これを機に会いに行ってみませんか?」
「会いに……?」
「はい。私があの家に行ったように、もしかしたら煌司君も今妹さんの姿を見ることで何か変わるかも知れません」
「今から……アイツのところにか……」
否定ができなかった。
確かに会おうとさえ思わなくなってしまった。しかし、もしかしたら元気になってとっくに退院してるかもしれない。
それなら俺も……少しは救われるのかもしれないな。
「……それは、いいかもしれないな」
「はい!でしたら早速、妹さんの名前は何でしょう?入院している病院などはわかりますか?」
「それは当然…………あれ?」
彼女の提案に乗せられるように俺も首を縦に振るも、その問いに応えることはなかった。
今一度記憶を掘り起こす。そんな事ない。絶対……絶対覚えているはずだ。
しかし――――
「――――思い、出せない?」
「えっ……?」
「なんで!?あんなに毎日思ってたのに!?どうして!?」
ありえないことにようやく気付き、吠える。
けれどどれだけ記憶の海を辿ろうと、その記憶だけは一向に行き着くことができなかった。
妹が居たことは確かに覚えている。しかしその顔や名前、どこに居たかなどは何一つ思い出すことができない。
「なんで……?」
どうして!?あんなに大事に思っていたのに!?
自分さえも驚きに満ちながら必死に記憶を辿るも決して目的の地へたどり着くことがない。次第に俺は膝から崩れ落ちてしまう。
「あ……頭をぶつけてこっちに来たんですよね!?だったら忘れちゃってるのも仕方ないですよ!」
「なんで……忘れるはずないのに……」
すぐ隣から励ますような声が聞こえてくる。
そんな声を聞きながら、必死に思い出せるはずもない妹のことを考え続けるのであった。
―――――――――――――――――
―――――――――――
―――――――
所変わってあの世。
光り輝く世界において、2人の女性は影の目立つ空間に座っていた。
「はぁ…………」
静かなため息がピンク髪の女性から漏れ出る。
椅子に座り、テーブルに身体を預けた少女。祈愛のため息を聞いたもう一人の女性は向かいに座りつつその姿を見守っている。
「どうされましたか?そんな大きなため息をついて。この部屋、気に入りませんでしたか?」
フラットな声色で声をかけるのは2メートルを越える長身で黒髪の女性。マヤは辺りを見渡すも「いや……」という言葉を耳にしてもう一度少女に目を向ける。
「そんなことないよ。家を一瞬で創ったのも凄いし、内装も完璧」
祈愛もチラリと内装を見る。
そこはマヤによって一瞬……まさに瞬き一つの間に出来上がった一軒家だった。
光り輝く草原に不釣り合いな日本の一軒家。 内装も完璧でまさに文句のつけようもない。
リビングのテーブルに2人座りながらマヤは祈愛の話に耳を傾ける。
「ただ、いいのかな……煌司君にあんなことしちゃって……」
「あんなこと?……あぁ、記憶のことですか?それとも――――」
「……記憶のこと」
意図をなんとなく察したマヤが二つ目の選択肢を告げる前に祈愛が小さく頷いた。
記憶。それはこれまでの人生において楽しみが極端に少なかった煌司にとって何より大切なもの。懸念を示す祈愛に対しマヤは優しく微笑んでみせる。
「大丈夫ですよ。この世界に煌司さんが来る際、念入りに記憶をいじりましたから。よっぽどのことが無い限り取り戻すことはないでしょう」
「そうじゃなくって……本当にいじっちゃってよかったのかなって」
「……では、覚えていてほしかったと?」
「そうじゃないけどさ……申し訳ないし、なんだか複雑だなぁって……」
何らかの後悔に苛まれる祈愛。しかしマヤはそんな悩みなどどこ吹く風、二組のカップを出して一つを差し出してみせる。
「人の理は諸行無常というものです。全ては移ろうままに一つの河口へと流されていくものですから、きっとうまくいきます」
「死なないマヤが諸行無常って言っても説得力ないよぉ。も~」
「ふふっ、ちょっとした神様ジョークですよ。ジョーク」
むくれる祈愛に笑いかけるマヤ。
彼女の傾けたカップからは、美味しい紅茶の香りが漂うのであった。
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