028.2文字の女性
煌々と明るく照らす死後の世界。
家の外は今日も変わらず淡い光に包まれていた。
いうなれば白夜に近いだろう。何日も何ヶ月も続く白夜。決して夜が訪れることはない。
しかし嫌悪感はない。むしろ心が落ち着くのを感じる。
広く広大に、永遠と続く草原を俺と女の子は手を繋いで歩いていた。
目的なんてない散歩道。ただゆっくりと気の赴くまま行きたいところへ当てもなく歩く。
ふと視線を下げれば小さな女の子―――ひまりちゃんとしっかり目が合う。パチクリとしたまんまるお目々。黒い髪に掛かる薄っすらと紅い瞳が俺を射抜いていた。
本当にこの子が俺の未来の娘……全く似てない。当然か、ガワはマヤが創ったと言っていたのだから。
しかし、そうでなくとも実感なんて全くない。本当に俺が子供なんて作れるのか、誰かを愛することなんてできるのか、そして責任を負うことができるのか。
まだ親戚の子供と言われたほうがシックリ来る。それほど現実味のない話だ。
「楽しいねっ!パパ!」
「そ、そうだな……」
目が合ったひまりちゃんからの満面の笑み。
甘えてきてくれるも未だにパパと呼ばれるのは慣れない。
なんとか笑って見せるが、きっとひまりちゃんから見たら笑っているように見えないだろう。
それほどまでにゴチャついた感情。俺はなんとか絡みまくった感情の糸を解こうと、一つ深呼吸して立ち止まった。
「パパ……?」
「その……だな。ひまりちゃん。いくつか聞いていいか?」
「うん。なぁにパパ?」
驚くほどの純粋さ。
疑うことなんて何一つ知らないひまりちゃんは二つ返事で俺の腕をギュッと抱きしめた。
なんとなく、なんとなくだが。ひまりちゃんは大人になったらきっと魔性の子として名を馳せることだろう。そう来るかもわからない未来に思いを馳せつつ片手間にレジャーシートを創って敷くと、ひまりちゃんも隣にピタッとくっついて座ってみせた。
「ひまりちゃんは、その……未来に生きてるんだよな?毎日たのしいか?」
「うん!すっごく楽しいよ!昨日も公園で遊んでたらパパが…………あ、これ言っちゃダメなんだった」
パパが……。そこから先は口を動かしたけれど言葉として発せられることはなかった。
言わないよう約束したのか、もしかしたらマヤが言わせまいとプロテクトを掛けたのかもしれない。どういう原理か分からないが神様(悪魔)ならきっとやる。
慌てて口元を手で覆い、言葉を途切れさせたひまりちゃんは「えへへ」と年相応の笑顔を見せる。それは庇護欲を沸き立たせるとともに、何やら既視感を覚えるものでもあった。
「じゃあ、どうやってあの家まで来たんだ?マヤの案内か?」
「うん。お家で寝てたら神様が枕元に立ってて、『昔のパパに会いに行って欲しい』って言われて。でも朝になったらこれも忘れちゃうみたい。えへへ……なんだか寂しいな……」
「………そうか」
頬をかきつつ笑顔を浮かべるもその言葉の端々には一抹の寂しさが感じられた。
つまりひまりちゃんにとってここは夢の世界というわけか。目覚めたらいつものように未来に生きていて、今日のことはサッパリ忘れる。
お風呂入ったことも、けん玉で遊んだことも、こうやって話したことも忘れるのか……。
泡沫の夢。水面に湧き出る泡のように夢という水底から浮かび上がったら割れて消え去るのだろう。それは俺も……ちょっと寂しいかな。
朝ということはひまりちゃんと話せるのは後ほんのちょっと。
時間まで連動しているのか知らないが、時計を見るとまもなく夜明けとなる時刻だ。
「えっとね、かみさまはこうも言ってたよ。『ひまりはパパにとって未来の希望になる』って」
「希望、か……」
二人して白夜のような光を眺めていると、ひまりちゃんは思い出したように補足する。
それは一体どういう意味なのだろう。
未来という部分は言うまでもない。そして希望……マヤにとって俺とひまりちゃんを引き会わせる理由があったと?
「ごめんねパパ。ひまりもよく分からないの。ただ娘だってことを隠してパパに会ってとしか言われてなくって……」
申し訳無さそうに落ち込むひまりちゃんは胸の前で重ねた指をしきりに動かしてバツの悪そうにしていた。
怒られると思ったのだろうか。まさしく叱られに行くように小さくなる彼女に俺はそっと頭に手を乗せる。
「ううん、教えてくれてありがとな。"ひまり"が俺に会いに来てくれただけでも凄く嬉しいよ」
「パパ……!」
まさか褒められるとは思っていなかったのか、顔を上げたひまりはそのままガバっと抱きついてきて俺も受け入れる。
未だ父親という事実は受け入れ難い。けれどこんな小さな子が不安そうにしているのは絶対に避けたかった。マヤの口車に乗せられただけかもしれないが、今は騙されてその話に乗ってあげよう。
しかし、そうだとするならやはり、俺としても気になるところが…………。
「ところで……だな……」
「?なぁに、パパ?」
胸元から顔だけをこちらに向けて首を傾げるひまり。
しかしそれ以上の言葉を口にするのは俺も少し勇気が必要だった。さっきの手前、やはり無理かもしれない。そう思いながらダメ元で小さな勇気を出して問いかける。
「その、ママのことなんだが……コッソリ俺にだけ教えてくれないか?」
「ママのこと?もちろんいいけど……」
よっしゃ!!
さっきはマヤに止められたけどなんとか行けそうだ!!
なんだかんだ俺も将来の相手が気になる。蒼月や瑠海さん……は死んでる以上ありえないと思うが、今現実で知り合いになっている女性だろうか。……あれ、俺現実に女性の知り合いっていたっけ?
ま、まぁいい!将来約束された相手を知るだけでだいぶ違う!運命の相手ってそれほど大事だ!!
ドクンドクンと鳴らないハズの心臓が高鳴る。
一体誰か。どんな人だろうか。ひまりの口から語られる相手の人物に思いを馳せながら、彼女はゆっくりと口を開いていく。
「………ううん、やっぱりやめた」
「へっ………?」
思わず情けない声が出てしまった。
ひまりの口から出たのは"やめた"の三文字。それってもしかして……
「ごめんねパパ。いくらパパでも言えないの」
「言えない……?」
「だってこういうの、なんだっけ?ちょうちょの何とかが起きちゃうんでしょ?」
ちょうちょ……ちょうちょってなんだ?
起こるということは現象か?ひまりが喋ってことによって起こる現象……
「それってバタフライエフェクトか?」
「うんそれ!だからごめんなさいパパ。ママのことは教えられないの」
バタフライエフェクト。
SF小説に出てくる一つの概念。未来から来た人物が起こすちょっとした干渉が、大きく未来へ影響を及ぼすというもの。
もう十分起きているとも取れるが、ひまりなりのラインがあったのだろう。
「そっか……」
「何も答えられなくてごめんね、パパ」
「いいよ。未来の事だもんな。仕方ない」
もちろんひまりを怒ることなんてできやしない。
肩をすくめてもう一度頭を優しく撫でると嬉しそうに目を細めてくれる。
あぁ、やっぱり可愛い。
可愛くて可愛くて、娘でもちがくても構わないとさえ思ってしまう。もう俺たちと一緒に居てくれないだろうか。
「ひまりは可愛いなぁ……」
「も〜!パパったら撫ですぎだよぉ〜!昔も今もかわんない~!」
もしかしたら俺は将来親バカになるかもしれない。自分でさえもヤバい片鱗が見え隠れしてるなと思いつつワシャワシャと頭を撫でていると、ふと俺たちの目の前にパァ……!とまばゆい光が俺たちを襲った。
「何だ……?」
「パパ、これって?」
「これは……現実への扉?」
突然差した光。それが収まったあとに見えたものは明らかに覚えのある扉だった。
俺も何度か利用した。それどころか今日の日中さえも。
現実とこの世界をつなぐためのマヤが作った扉。今目の前に現れたということは、まさか二人で現実に行けと――――
――――違う。
この扉は同じものだが確実に繋がっている先が違うと断言できた。
理由なんてない。ただの直感。俺の魂の奥底でこれは俺が使うものではないと叫んでいる。
『今回は俺じゃない』と。
だとするなら、この扉は………
「あぁ、もう帰りの時間なんだね」
そう残念そうにつぶやくのはひまりだった。
そう。これはひまりのために用意されたものだ。きっと未来へ繋がる扉なのだろう。
ひまりも察したようで少しだけ諦めた様子で立ち上がり、扉を見据える。
「ひまり……」
「ごめんねパパ、朝が近いからもう帰らなくちゃ。一緒に遊んでくれてありがとね」
「……あぁ。あんまりママに迷惑かけるんじゃないぞ」
「うん。それパパの口癖だもんね」
「そうなのか……?」
ひまりは言葉を発することなく頷く。
どうやら俺は随分と、自分が持つイメージの父親像から遠く離れているようだ。
随分とキャラが変わったなと苦笑すると、ひまりは迷うことなく扉を開けて光に溢れる先へと一歩を踏み出す。
「それじゃあね、パパ。それと……えっと……」
「……?どうした、ひまり?
なにやらひまりは何か言いたがっていた。
最後の一歩を踏み出す前に振り返って数度逡巡するひまり。けれど意を決したのか、キッと眉を吊り上げ力強い視線で俺を真っ直ぐ見る。
「『――ママ』と仲良くねっ!!」
「……………」
その言葉を最後に返事を待つことなく、ひまりは光に溶けていった。
取り残されたのは俺一人。俺はただ立ち尽くしてさっきの言葉を復唱する。
「『――ママ』と、仲良く……」
最後の言葉。ママ。そしてママの前に付いた言葉。
ひまりの声は肝心なところで言葉として発せられなかった。もしかしたら声に出せないのがプロテクトかもしれない。
けれど俺は間違いなくその口元を見た。動いた口は、ニ回。つまり二文字。
「……まぁ、善処するよ」
確証はない。けれど娘の頼みだ。仕方ない。
俺は踵を返して扉を背に歩き出す。背後にある扉はいずれ粒子となって消え去り、ひまりは未来へ帰っていったのだった。
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