023.ひまり
「は〜いっ!お湯かけるから目瞑って~?」
「んっ…………!」
「はい、ばっしゃ~んっ!!」
ジャバァ!!と、桶に貯められていたお湯が傾けられたことによって勢いよく重力のままに下に落ちていく。
命を洗い流す神聖な水。それを一身に受け止めた女の子は小さな手をキュッと握り目も力いっぱい瞑りながらお湯が流れ落ちるのを耐えていく。
一回。ニ回。身体に付着している泡を落とすために何度か上から下へお湯が流れていくのを暗闇の中で待っていると、「はい!終わったよ〜」と元気な声が耳に届いてゆっくりと目を開けていく。
「泡泡だったのに頑張ったね〜。どう?気持ちよかった?」
「………うん」
「そっかぁ、よかった。じゃあチョットだけあっちでお湯に浸かっててくれるかな?私達も身体洗ってすぐ向かうから」
「ん……」
「うん、いい子」
ピンク髪の少女がそっと女の子の頭を撫でると、合図かのようにそれ以上言葉を重ねることなく湯船の方に向かっていく。
恐る恐る、勢いよく触れるのが怖いのがありありと分かるような足の踏み入れ方。小さな足先で湯船いっぱいに張られた水面をチョンとゆっくりと触れながら、お湯の熱さに問題ないことを確かめてそぉっとお湯に浸かっていく。
濡れた髪を浸けないように上げ、ゆっくりと肩まで浸かった女の子。
その背の低さから膝立ちでようやく肩に浸かるくらいになりながらも振り返ってその先にいる2人の女性に目を向けた。
一人はさっきまで積極的に話しかけながら女の子の身体を洗っていたピンク髪の少女、祈愛。もう一人はそのサポートをしていた黒髪の女性、瑠海だ。
2人はそれぞれシャワーヘッドの方に向かいながら身体を洗っている。時折祈愛は女の子の方へ視線を向け、目が合うとニコっと笑って女の子の心を溶かそうとしていた。
「あの子、どうされたのでしょう……こんなところに一人で現れるなんて」
「私にもわかりません。でも経験上、マヤが干渉してこないということは……」
「やっぱり……そういうことになるんですね……」
祈愛が言葉の途中で途切れさせたものの、その意味を察した瑠海は悲痛な表情を浮かべる。
この世界に肉体あるものは訪れない。人はすべて魂だけの存在だ。
煌司のように生きているものが来ることはほとんどありえない。もし生者が来たとしてもいつぞや列から抜け出した子供のように、迅速に現世へ戻るのがセオリーだ。もし戻らないとするならば世界の管理者であり神であるマヤが早急に的確に、然るべき措置が取られることを祈愛は知っている。
しかしマヤはこの家のツアーが始まって以降姿を現していない。それは暗に女の子の存在がどういうものであるかを示していた。
ルームツアーの最後にインターホンを鳴らしてこの家を訪れた少女。
その背丈は1メートルにも及ばず小学校……いや園児ほどの年齢しかない。突然現れた小さな女の子、3人でどうするか話し合った結果出した結論は"一緒にお風呂へ入ること"だった。
提案者は祈愛。その提案は驚くほどすんなりと通った。それもそうだろう。少女がここに訪れた格好は何処かの園の制服であると予感させたがものの所々黒く煤けていたからだ。
場所によっては穴も空き、肩に掛けていた鞄は端が黒く焦げていてその身に悲惨なことが起きたのだと直感させる。だからこそこれ以上不安にさせないように女性二人で女の子をお風呂に入れると決めたのだ。
「こんな小さな子まで……親御さんは一体……」
「近くに居ないとなると期待しないほうがいいと思います。一緒にこっち来てはぐれた可能性もありますけど、より高い可能性は一人で……」
「そう、ですか……」
あり得る可能性を耳にして瑠海は顔に影を落とす。
園児くらいの女の子が一人この世界で。その理由は多岐に渡る。しかし総じて親と一緒にというパターンは少ないものだろう。事件事故、様々な可能性があるがそのどれもが全て悲劇にしかならない。この子もまた、なんらかの悲劇の当事者だ。
「おねぇ、ちゃん。どうしたの?」
「「――――!!」」
二人して女の子の身に降り注いだ悲劇に顔を落とす。しかしそれを察知した女の子から声が発せられた。
それは案じる一言。小さくも確実に聞こえた声に二人して顔をあげると湯船に浸かりながら心配そうに見つめている女の子と目が合う。
「な……何でも無いですよ!ちょっと泡が目に入っちゃって!」
「そ、そうそう!直ぐにそっち向かうから待っててね!」
女の子の呼びかけにあれこれ予想を立てるのは今じゃないと理解した2人は慌てて泡を洗い流し女の子の元へ向かう。
心配そうにしながらもこちらを見守っていた小さな女の子。2人の女性が近づいたことで身体を方向転換させ迎え入れると、二人が湯船に足を踏み入れたことでいくらかのお湯が流れ出る。
「ふぅ、いいお湯だぁ……。いい子にしてたね」
「…………うん」
「大丈夫?熱くない?」
「……平気」
祈愛が明るく話しかけるも女の子は顔を伏せたまま元気なさげだ。やはり親が居ないことで不安なのだろうか。
しかし近くに居なかったということはこの世界には……。そこまで考えてまた嫌な気持ちになっていると自覚し気分を切り替える。
「ねねっ、キミの名前を教えてくれないかな? 私は祈愛っていうの。それでこっちのお姉さんは………」
「瑠海です。よろしくお願いしますね」
不安げな女の子を励まそうと努めて明るく振る舞う少女たち。
そんな2人を交互に見た女の子は、ほんの少し逡巡しながらもゆっくりと口を開いた。
「……ひまり。5さい」
「ひまりちゃんかぁ……。いい名前だね!ひまりちゃんはどうしてウチのインターホンを鳴らしたのかな?」
「……ママが、はぐれた時には優しそうなお家でお電話貸してもらいなさいって」
「そっかぁ……」
更に話を広げようとした祈愛だったが、ひまりの話を聞いてそれ以上言葉が出なかった。
母親の言うことを聞く素直な子。しかしこの世界においてもそれは死んだ自覚が無いことに他ならない。
そもそも意識ある状態でこの世界に来る人は限りなく少ない。いたとしてもマヤが真っ先に現れて処理をするから、特別な存在である煌司を除き実質初めての邂逅といっても過言ではない。
こんな小さな子にどうやって死んだのだと自覚させるかと悩み果て、小さく唇を噛んだ。
その姿を横目で見た瑠海は、代わってひまりの前に行く。
「でしたら、お風呂上がったらお母さんを探しましょうか。それまでお姉さんたちと一緒に遊びましょう?」
「……いいの?」
「えぇ、もちろん。何して遊びましょう?やりたい遊びはありますか?」
「んっとね……んっとね……アルプスいちまんじゃく!!」
「それでしたら私も得意です!一緒にやりましょう?」
「うん!」
瑠海の言葉を受けて初めて浮かべたひまりの笑顔。
その無垢で素直な笑みに、2人は"死んだ"という事実を伏せることに若干の罪悪感を感じつつも、同じく笑いかけるのであった。
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