015.夕焼けの別れ
世界が裏返る。
そんな時間帯に俺たちは部屋を出た。
燦々と輝いていた太陽は徐々に力を失くして西の向こうへ。色とりどりの世界から一転、赤色がこの街の全てを包み込みやがて光から闇の世界に変貌する頃。
太陽から月へのバトンタッチ。心なしか元気いっぱいに揺らめいていた波も今は落ち着いているように思える。
沢山の人が釣り糸を垂らしていたのもこの時間になってはみんな手仕舞いし、良い釣果で笑いながら帰る者や悪い釣果で顔を曇らせながら帰る人、それでも粘ることはせずにみんな保冷バックを肩に掛けこの場を去っていく。
彼女が命を断ったという防波堤。その出会いの場に俺たちは再び舞い戻ってきていた。
まさに怒りや情熱を体現したような赤々とした光が俺たちを照らしている。ここまで黙って先導してきた瑠海さんは背を向けたまま堤防の先にある水平線をジッと見つめていた。
「私ね、多分心の何処かでわかってました。自分が死んでもなんにも変わらない、無駄死にだって」
「そんな事……」
「そんな事あるのです。実際彼は全然変わってなかったし、世界は今も綺麗に回ってる」
寂しそうな瑠海さんの物言いに蒼月が否定しようとしたものの、即座に反論されて言葉を失い黙ってしまう。
死んでも何も変わらない……ね…………。
「そんなもんじゃないのか?」
「煌司君……?」
「死んで周りが変わるのって一握りだろ。そういう人は後に英雄だのいわれる人で、結局凡人が死んでも何も変わらない。ままならないものなんだよ。人生って」
そう。何も変わらない。俺だってドアノブに頭ぶつけてこの世界入りしたが、結局身の回りでは何一つとして変わっていないだろう。せいぜいバイトの穴埋めが大変になるとかその程度だ。
結局世界はそんなもの。誰かが死んでもその代わりが即座に入るだけで世界は何事もなく回っていく。
「そうだとしても……寂しすぎるよ……」
そんな俺の言葉にポツリと呟いたのは蒼月だった。
寂しい。その一言を。顔を伏せながら漏れ出るのを耳にして彼女の頭にそっと手を乗せる。
「それでいいだろ。寂しくても生者はきっと乗り越えられる。だからこそ死んだ後は心置きなく転生できるんだろ。転生しない俺たちは……そうだな……この世界を楽しめばいい。それこそさっきの瑠海さんは凄かったな。まさにポルターガイストって感じで怖がってたぞ。アイツ」
俺が話題に出すのはさっきのこと。ガタガタと物が揺れて襲いかかるコップたち。それを目にした男は裸のまま一目散に逃げ出した。
結局しばらくあの部屋に居たが2人が戻ってくることはなかった。きっと警察さんのお世話になっていることだろう。
水平線を見ていた瑠海さんもその話題にこちらへ顔を向けると一瞬だけ驚いたような顔をしつつもすぐに笑みを浮かべて「はい」と俺に同調する。
「私も……スッキリしました。まさかあんなに怖がるなんて思いもしなかったから。付き合ってた頃は何があろうと幻滅することはないって思ってましたけど……ダメですねあれは。助けを求める女の子を売るだなんてありえない」
まぁ……うん。アレは酷かったな。
俺も生きてた頃ポルターガイストに遭ったら同じくらい取り乱しそうだけど……言わないでおこう。
そんな中、一人祈愛が彼女に控えめながらも呼びかける。
「瑠海さん……良かったんですか?」
「よかった、とは?」
「いえ、あんなに怒ってましたし、物をぶつけられるなら……その……」
「殺しても良かった、ということですか?」
蒼月が言葉を濁したこと。それを保管するような瑠海さんの口ぶりに押し黙ってしまう。
確かにそうだ。どういう原理か分からないが確かにあの時家のものを瑠海さんは動かしていた。しかし頬を掠らせた程度で大した怪我は与えていない。俺たちは怒りに任せて殺しさえもすると思ったのに。
しかし瑠海さんはフッと笑ってみせた。そんな考えはありえないというように。
「えぇ、あの時の私ならきっとできたと思います。でも、彼を殺してしまうと今度は私が後悔しそうな気がして。ほら、何かの間違いで彼も幽霊となって一緒になったら最悪じゃないですか」
「…………。あははっ、たしかにそうだね」
後悔のない選択。その理由を聞いて呆気にとられた蒼月だったが、納得したように笑ってみせた。
迷いのない答え。そして怒りに呑まれつつも冷静な判断をしたことに俺は気高いとさえ思えた。
「なぁ、あの程度で済んだ理由はわかったけど、結局アレは一体どうやったんだ?全部瑠海さんが動かしてたんだろ?蒼月、生者のものには触れないって言ってたが裏技でもあったのか?」
「ううん、全然知らなかった。私もあんな現象初めて見たよ」
どうやら蒼月も知らない事象のようだ。なら当人ならなにか知ってるかと2人して瑠海さんを見ると彼女は「うぅん」と考える素振りを見せる。
「あれは……何ていうのでしょう。彼に失望して怒りでいっぱいになってたら、いつの間にか万能感に襲われたっていうか……とりあえず無我夢中で彼を怖がらせようとしか思ってなくて」
そう言って足元の石に手をかざすもピクリとすら動かない。どうやら一過性のもののよう。
もしかしたら通り行く人を驚かす事もできるかと思ったが、そうは都合よくいかないみたいだ。
そう残念に思いつつ肩をすくめると沈みかけていた太陽がいつの間にか姿を隠し、紅く輝いていた光も陰りが生まれ僅かばかりの光のみが残される。夏至にはまだ遠い春。もうしばらくすればあっという間に真っ暗闇に包まれてしまうだろう。今日も終わりか。なんだか随分と濃い一日だった。
そんなことを考えていると、ふと見た瑠海さんの指先が異変に襲われていることに気がついた。
「瑠海さん……!その手……!」
「え……?あら、もう時間なのですね」
瑠海さんの指先……それは軽く発光しながらだんだんと透けて来ていたのだ。
まるで日没がタイムリミットだとでもいうように。俺の指摘により気づいた瑠海さんだったが、一笑するだけに留めてその表情は受け入れている。もしかして知っていたのか……?
「瑠海さん……成仏しちゃうんです……?」
「成仏……そうかもしれません。私は彼への思いだけでここに留まっていましたが、無くなっちゃいましたから」
「…………」
蒼月が手を伸ばすもそれは瑠海さんに届くことなく空を切り顔を伏せる。
成仏……蒼月が言っていた。地縛霊は強い思いによって現世に縛り付けられると。その思いが無くなったらどうなるか、そんなもの決まっている。成仏だ。
彼女は本当に心残りを消してしまったのだろう。そう言っている間にも光はどんどん身体を包み込んでいっていき肘まで透けてしまう。
「ありがとう。2人のおかげで未練がなくなりました。きっと2人が居なかったら何百年とここで泣き続けることになってたと思います。きっとこの世界に残せるものがなかったとしても、2人の記憶に残るのなら後悔なんてありません」
「瑠海さんも!私達と一緒にこれからも……!」
「いいえ。2人は何かの事情でその世界に居るのでと思いますが、私は部外者ですから。地縛霊は地縛霊らしく、自然の摂理に従います」
「でも……」
たった数時間ではあったが、蒼月にとっては大切な友人なのだろう。必死に引き止めようとするも言葉を無くし何も言えなくなってしまう。
ギュッと俺の隣で拳を硬く握る蒼月。そんな姿を目にした瑠海さんはそっと彼女に近づいて優しく抱きしめる。
「瑠海さん……」
「短い間でしたがありがとうございました祈愛さん。成仏しても、二人のことはきっと忘れません」
「うん……。うん……!生まれ変わっても元気でね」
最後の別れの挨拶。蒼月の目の端には薄っすらと涙が浮かんでいた。
きっと必死に堪えているのだろう。そっと離れて笑いあった後は瑠海さんの視線がこちらに向けられ「煌司君」と手招きしてくる。
「……なんすか?」
「蒼月ちゃんのこと悲しませちゃってごめんなさい。私が居なくなった後、励ましてもらえますか?」
「そりゃあできる限りはするけど……本当に残らないのか?」
「はい。ラブラブな2人の邪魔はできませんから。そんな事しちゃ馬の霊に蹴られちゃいます」
「なっ―――――!?」
な……何を!?
俺と蒼月はそういう関係じゃ……!
「違うのですか?それにしては格好良かったですよ?私から祈愛さんを守ろうと抱きしめる煌司君」
「あれは……咄嗟でそれ以外に方法が無かったから……!」
「そうなのですか?祈愛さん」
「そんな……私と煌司君は……全然……」
おいコラ最後まで言ってくれ。
そんなモジモジしだしちゃ変な誤解を与えてしまうだろうが。
心臓はないはずなのにドキドキと高鳴る鼓動。一方で瑠海さんはクスクスと笑ってみせた。
「冗談です。でも、2人とも本当にお似合いですから。もしかしたらってこともあるかも知れませんよ?」
「そういうのは死ぬ前に言ってくれ。死んだ後に言っても何もならない」
「それもそうですね。…………と、そんな事言っている間にもう時間みたい」
俺たちが軽く談笑している間にも光は容赦なく彼女の身体を覆い始めていった。
指先から始めた光は、いまや腕さえも無くしてしまった。もう数分と持たないだろう。
「瑠海さん……」
「重ねまして今日は本当にありがとうございました。最後に煌司君、ちょっとだけ耳を貸してもらえませんか?」
「耳?」
「はい。一言だけ大切な話をしておきたいのです」
大切な話とは?
もしかしてさっきのポルターガイストについてなにか知っていることでもあったのだろうか。
でもそれなら蒼月にも言うはずなのに何故……そんなことを考えながら俺は光に包まれていく彼女へと耳を近づけていく。
チュッ―――――
「えっ…………」
しかし近づけた俺の耳に言葉を発せられることはなく、その代わりに五感が無いはずなのに確かに、頬に柔らかな感触が触れてきた。
思わず振り返り瑠海さんと目を合わせるとほんのり頬を紅潮させながら微笑んでいる。
「あっ……あっ……!」
更に後方から蒼月の言葉にならない声が聞こえてきた。
紅潮する瑠海さん、驚く蒼月……柔らかな感触……これはまさか!?
「ふふっ。実はこういうの、初めてだったんですよ。まさか頬とはいえファーストキスを死んだ後にするだなんて」
「瑠海さん……その……」
「返事はいりません。私がやりたかっただけですから。……それじゃ、私は一足先にお暇しますね」
そう告げる彼女はどんどん光に包まれていく。
もう表情もうまく見えない。しかしきっとその表情は笑顔だろう。
「それではまた。私より若いお二人さん。いつまでも仲良く――――」
その言葉を最後に彼女は最後まで笑顔でこの世界から消え去っていく。
光の収まった世界はいつの間にか太陽も沈み切って辺りは真っ暗。生者も誰も居なくなった防波堤で俺たちは立ち尽くす。
「………行っちゃったね」
「あぁ」
「私達も帰ろっか」
「……あぁ」
蒼月の小さな提案に頷く俺は踵を返してその場から立ち去ろうとする。
しかし暫く歩いたはいいが彼女の気配はいつまで経っても感じられない。そう不思議に思って振り返ると彼女はその場から動かずじっとしていた。
「どうした?」
「えっとね。あのね……」
「…………?」
何事かと思って駆け足で戻るも蒼月は手を前にモジモジするだけで要領を得ない発言ばかり。
しかしキッと何かを決心したかのようにグッと力を込めた彼女は俺をまっすぐ見上げて見せる。
「その、帰り道までだけど、手……繋がない?」
「手?別にそれくらい全然いいが」
「そう? ありがとね……えへへ……」
心配そうに手を上げた彼女は俺の感触を確かめると嬉しそうに頬を緩ませて見せる。
なんだよ。ドキッとするじゃないか。そう思いつつも口にも顔にも出さない。だって恥ずかしいから。
「今日の煌司君、すっごくカッコよかったよ。守ってくれてありがとね」
「別に……守る必要なんて何もなかったけどな」
「それでも、だよ。……嬉しかった」
嬉しそうに笑いながら話す彼女にぶっきらぼうながらにそれを返す。
月明かりが照らす裏返った世界。俺たちは手を繋いで帰りの道をゆっくり歩いていくのであった。
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―――――――――――
―――――――
あの世。
黄金の草が一面に生い茂る美しい世界。ここには昼も夜もない。ただ明るさだけが永遠と地平線まで続いている。
そんな世界に俺達は帰ってきた。
随分と長い散歩だった。ほんの1時間程度のつもりが一日使うだなんて。
なんだか疲れた。体力なんて感じないはずなのになんだか疲れた。いつもの場所に戻ったら適当なところで横になろう。そう決心したところで、俺はとある人物と出会った。
「あ、おかえりなさい。遅かったですね。2人仲良くホテルでも行かれてましたか?」
「なっ……なっ……な……!?」
帰って早々思いもよらぬ邂逅に俺は言葉を失う。
それは、俺たちを出迎えた女性だった。
端正な顔つきをした大学生ほどの女性。黒い髪と気品の良さを感じさせる人物。
彼女は俺が創った物が広がる定位置で、こちらの姿を見つけるやいなや駆け寄ってきた。
「な、なんで瑠海さんが……!?」
言葉を失う俺の代わりに蒼月が声を上げる。
そう。俺たちを出迎えたのは瑠海さんだった。ついさっき感動的な別れをした人物。
転生するはずなのにどうして……!?
「何故でしょう……?自然の摂理に任せてたら、私はこっちだって放り出されちゃいました」
「そんな……そんな事ってあるのか……!?」
そもそも自然の摂理ってなんだ?これは奇跡か?必然か?分からないことだらけで言葉も脳も活動を停止する。
そして、訳の分からないことで混乱する隙を突いた出来事だった。
俺と蒼月は手を繋いでやってきたお陰で片手は今もフリー。そんな隙間を狙った瑠海さんは、スッと俺の横に身体を寄せて手をキュッと握って見せてきた。
それはまさに蒼月へ見せつけるように。手を絡ませた恋人繋ぎで俺の横を占領する。
「あっ……!」
「ふふん♪」
驚く蒼月に自慢気に鼻を鳴らす瑠海さん。
そうしてあっさりと手を離した彼女は俺たちの前で、後ろ手に満面の笑みを見せてくる。
「何にせよ、これからもよろしくねお願いしますね。2人とも!」
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