第39話 未熟な恋人たち
つかつかと真っ赤な絨毯の道を歩いてこちらへ歩み寄って来るのは、夫のハウエルであった。彼は別室で待機しているよう命じられていたはずだが……驚くのはそれだけではなかった。
「シャ、シャーロット!? なんでおまえまでここに!?」
そう。シャーロットまで一緒に部屋へ乗り込んできたのだ。驚くサイラスに彼女は一瞬泣きそうな顔を向けるが、メイベルの視線に気づくと、何か覚悟を決めたように前へ向き直った。
「おまえたち! 誰の許しを得てここにいるのだ!? すぐに出て行け!」
「陛下。ぜひ伝えたいことがありましてこの場へ参上させていただきました」
教皇の怒鳴り声を華麗に無視し、素知らぬ顔でハウエルは国王に進言した。
「何だ、言ってみよ」
「ありがとうございます」
そう言うと彼は、なぜか一歩後ろへと下がった。代わりに一歩前へシャーロットが進み出る。
「陛下。わたしはたしかにサイラス殿下の妃として、メイベル様より劣るのかもしれません」
「シャーロット……」
婚約者の突然の告白にサイラスだけではなく、メイベルも息を呑んだ。
「誰かに何かを言われても、毅然とした態度を貫き通す。どんな時でも……たとえ自分が辛くとも、それを隠し通してサイラス様を支える。それがどれほど難しいことなのか、わたしはちっともわかっていませんでした」
「ならば変われ! おまえのような小娘のせいですべてが無茶苦茶になったのだ!」
イヴァン教皇の言葉にシャーロットは一瞬怯えた表情をしたが、すぐに「いいえ」と彼女にしてははっきりとした口調で断ったのだった。
「それでもわたしはサイラス殿下のおそばにいます。たとえ妃としては未熟だとしても……いえ、未熟だからこそ、それだけは守り通したいのです」
胸のあたりでまるで神へ祈るように両手を握っていた彼女は顔を上げ、凛とした佇まいで義理の父親に宣言する。
「今後サイラス殿下に何があっても、わたしは彼をそばで支え続けます。彼を愛する気持ちは、メイベル様にも負けはしません。そのことをどうしてもお伝えしたくて、この場へ参りました」
(私にも負けない、か……)
言ってくれるじゃないの、とメイベルは心の中で苦笑いした。サイラスを愛していたら、十分喧嘩を売ってる台詞だ。
(でも、あの彼女がここまではっきり言うとはね……)
周囲もみな彼女の普段とは違う様子に動揺しているようで、「あのシャーロット様が……」と驚きを隠せないでいる。
「って、あんたまで驚いてどうするのよ」
ポカンと間抜け面をしているサイラスにメイベルは呆れ、しっかりしろというように背中を叩いた。それはもう、今までで一番強く。思いっきりだ。
「ここまで未来の花嫁が頑張ってるのよ。あんたも意地見せなさいよ!」
サイラスは自身の腰を擦りながらもメイベルの言葉にその通りだと思ったのか、無言でこくりと頷き、シャーロットのもとへ駆け寄った。彼女を引き寄せ、二人揃ってローガンへと向き合う。
「父上……いえ、陛下。たしかにシャーロットはあなたが心配なさったように王妃としては未熟な所があるかもしれません。でも、俺には彼女が必要なんです。幼い頃、母上を亡くして、ずっとそばで支え続けてくれたのがシャーロットだった。父上やメイベルには見せられない弱さを彼女にだけは見せることができた。彼女が笑ってくれるたび、俺は頑張ろうって思えたんです。大切な人なんです」
メイベルはそうなんだ、と思った。今初めて自分はサイラスのシャーロットに対する想いを聞いている。自分とサイラスにしか築けないと思っていたものを、シャーロットもまた彼ときちんと築き上げていたのだ。
その事実に、大丈夫だと思っていても、やはり傷ついている自分がいた。
(わかってはいたけれど、いざ目の前で堂々と告白されると、けっこう辛いものね……)
でもここは二人にとって大事な所なんだから我慢しなきゃ……とメイベルが思っていると、そっと自分の手に触れる人間がいた。ハウエルだった。
彼の金色の瞳には、自分を気遣う色が浮かんでおり、メイベルは彼が心配しているのだとわかった。
(ああ。ハウエル様ってほんとうに……)
メイベルはハウエルの手を握り返し、大丈夫だというように微笑むと、サイラスたちの方を見た。
「陛下が俺とシャーロットの結婚を認めてくれないのならば、俺は王位を継ぐつもりはありません。弟のケインに譲り、彼の治世を生涯支え続けます。もしそれすら認めないというのならば、王族の籍を返上してもかまいません」
「で、殿下!?」
思わぬ展開にざわつく周囲。だん、と音を立てて教皇が立ち上がった。
「何を馬鹿なことを言ってるんだ!? 一国の王子のくせに、まるで自分の責務がわかっていない!」
教皇の叱責はある意味正しい。サイラスもそれがわかっているのだろう。心得たように頷き返した。
「あなたの言う通りです。でも俺はシャーロット以外の女性と一緒になるくらいなら、全てを捨てても構わない。それくらいの覚悟があるということです」
「はっ、何が覚悟だ。ただの小童のくせにして……」
「あなたが俺をどう思おうがかまいません。決めるのは陛下です」
くっ、と教皇は悔しそうに歯噛みした。メイベルは生きてきた中でこれほどまでに彼が感情を露わにしたのを初めて見た。
(それだけサイラスを私と結婚させたいということね……)
ローガンはいったいどう答えるつもりか……メイベルたちが固唾を呑んで見守っていると、彼はなぜか周りに控えて居る臣下たちへ視線を向けた。
「エヴァレット卿。今の息子の発言、どう受け取った?」
宰相を務めるエヴァレット公爵がはっ、と前へ進み出た。
「王族の地位さえ捨て去って構わないというシャーロット様への告白……殿下は本当に若かりし頃の陛下に似ておられます。あの時も議会は大いに荒れ、教会も最後までクレア王妃との結婚に反対され……」
そこでちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべて宰相は言った。
「それでも貴方はご自身の意見を変えず、今こうして立派な君主としてあられる。サイラス殿下も、これからの努力次第でしょうが、そうなる可能性は決してなくはないと思います」
「そうか……クライン卿。そなたはどう思った?」
クライン伯爵。シャーロットの父親だ。彼はメイベルの方が妃に相応しいと陛下の口から聞かされても、沈黙を守ったままだった。
「正直、私も娘には殿下の妃は荷が重すぎるのではないかと思っておりました。ですが……」
クライン伯爵が眩しそうに娘を見つめた。
「この子にもはっきりと自分の意見を言うことができるのだと驚きました。そして殿下の娘を想う気持ちも……未熟で頼りない所もあるでしょうが、親として、臣下として、二人を支え続けていきたいと、今は思っております」
「うむ。他の者たちは、どうだ?」
みな、先ほどとは打って変わって二人がそこまで想いあっているのならば……という顔をして特に反対意見を出そうとはしなかった。陛下は彼らの顔を見渡し、最後にまたサイラスとシャーロットを見つめて言った。
「サイラス。シャーロット。そなたたちの結婚、認めよう」
「……! ありがとうございます!!」
二人はぱぁっ、と顔を輝かせ、手を取りあって喜んだ。
「――ハウエル。そなたの伝えたいこととは、こういうことかな?」
「はい、陛下。サイラス殿下もシャーロット様も、お互いになくてはならない存在。そのことをどうしても知っておいてほしかったのです」
それともう一つ、と彼はメイベルの腰を自身の方へ引き寄せた。
「メイベル様は私の妻ですので、離縁も、再婚も、当然必要のない話だということを、この機会にしっかり伝えておこうと思いまして」
ふむ、と陛下は赤くなるメイベルと何か問題でも? という顔をするハウエルを交互に見つめた。
「どちらかというと、そちらが主に伝えたいことだったのではないか?」
「それはご想像にお任せします」
ね、というようにハウエルはメイベルの顔を見て微笑んだ。彼女はちょっと面食らったあと、そうねと笑い返した。
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