第34話 もう一度

 はっとメイベルは目を開けた。視線をきょろきょろと動かし、驚いた表情のハウエルと目があった。とたんばっと彼女は飛び起きて叫ぶ。


「ハウエル様っ。怪我は大丈夫ですか!?」

「……ええ。大丈夫です。大丈夫ですから、いきなり起き上がらないでください」


 もう一度寝るようにとハウエルは心配と少し呆れを含んだ顔でメイベルをベッドへ押し戻した。


「傷口はきれいさっぱり治っています。……貴女のおかげでね」

「よかった。私……」


 涙があふれそうになって、メイベルは目を瞑った。


「すみませんでした。あの時貴女を守り切れず、怖い思いをさせてしまった」


 けれどハウエルの言葉に再度目を見開き、またもや飛び起きた。


「どうしてハウエル様が謝るんですか。悪いのはアクロイド公爵のせいでしょう!? あなたは何一つ悪くないわ!!」

「メイベル様。どうか落ち着いて」


 宥めるように言われ、メイベルは渋々口を閉ざす。でも彼の謝罪は受け入れる気にはなれなかった。


「あなたは十分私を守ってくれたわ。私が頬を叩かれそうになった時も……そう。あの男、あなたをぶったのよね? 仕返しに私もぶてばよかったわ」


 今思い出しても腹立たしい。あの男は腹を刺したハウエルを足で容赦なく蹴飛ばしもしたのだ。


(ああ! やっぱり最後に股間を蹴り飛ばせばよかったわ!)


 メイベルがぶつぶつ文句を言えば、ハウエルがため息まじりに彼女の名を呼んだ。


「とにかくもう二度と、あんな真似はしないでください」

「……あんな真似って?」

「命を引き換えにしてまで私を救おうとした真似です」


 咎めるようにハウエルは自分を見つめた。それにメイベルはなぜ、と思った。


「ハウエル様。以前話したかもしれませんが、私は他の聖女と違いますわ」

「ええ。私の怪我を見事完治させたのですから、大した力です」


 その言い方はどこか投げやりで、ともすれば馬鹿にしているようにも聞こえた。なのでメイベルはきっぱりと言い返した。


「私は自分の選択に後悔はありません。たとえ命を落としてでも、あなたを救いたいと思いました」

「それがおかしいんです。いくら聖女だからといって、そこまでの自己犠牲を払って私なんかを救おうとしてくれずとも……」

私なんか・・・・じゃありません!」


 メイベルは怒鳴るように言うと、キッとハウエルを睨んだ。


「あなたは私の夫でしょう? どうして私なんか、ってまるで赤の他人のように言うの!?」


 今まで妻に睨まれたことのないハウエルはたじろいだ様子で目を泳がせた。


「そ、それは貴女と私はお互いの利害のために結婚したようなもので……」

「そんなの、私たちだけじゃなくて、他にもたくさんいるわよ」


 今時恋愛結婚で結ばれる男女なんて、どこかの浮ついた王子だけだろう。


「始まりが親の政略結婚でも、何とも思っていない相手でも、付き合っていくうちにお互いを深く愛するようになる夫婦は世の中たくさんいるわ」

「でも貴女は……私のことを愛していない」

「愛しているわよ!」


 え、というような顔をするハウエルに、メイベルは馬鹿じゃないのと思いながら吐き捨てるように言った。


「誰彼構わず人を救えるほど、私はできた性格をしていないわ」


 それは聖女として相応しくない発言だった。でもメイベルの嘘偽りない本音でもあった。


「私が自分の命と引き換えにしてでも救おうとするのは、私が大切だと思う人だけよ。……まだわからないの? あなたを愛しているから、絶対に失いたくないと思ったから、だから私は自分の力を使ったのよ!」

「メイベル様……」


 ハウエルは呆然としたようにメイベルを見つめ返した。彼女は半ばやけくそになりながら言ってやった。


「私はハウエル様が好きなの。あ、愛しているの。そりゃ、最初はたしかに酷いと思ったわ。賊をおびき寄せるのに私を利用したんですもの。よりによって聖女である私をよ? あり得ないわ。その後に教会とか、サイラスのためだとか、いろいろ理屈を捏ねて私と結婚しろだなんて……正直言うと呆れもしたし、顔がよくなければお断りしていたわ」


 相手に口を挟む暇を与えず捲し立てるメイベルに、ハウエルはえっ、とかそれは、とか珍しく言葉を濁しており……つまりメイベルに圧倒されていた。


 でも、メイベルが今にも涙を溢れさせようとしているのに気づくと、慌てたように立ち上がり、たっぷり十秒悩んだ後、ぎこちなく彼女を抱き寄せた。


「メイベル様。……すみません。今まで貴女の気持ちに気づかなくて。あんなふうに、貴女を娶ってしまったから、一生愛されないと思ったんです……」

「好きでも何でもない男性に自分から口づけなんかしないし、膝枕も絶対させないわ」


 はい、と彼は困ったように笑った。


「私も、同じです。貴女以外に触れられたくないし、触れたくもない」

「ほんとう?」

「はい。誓います」


 メイベルはそっと顔を上げた。アクロイド公爵に何度も蹴られ、頬が紫色になって腫れていた。刺された腹部を治すことばかり考えており、顔の傷まで頭が回らなかったのだ。


「腫れてる……いま、治すわ」

「いいんです。名誉の負傷です」

「でも……」

「それに貴女を守ったのは、結局サイラス殿下ですから」


 どこか自嘲気味に答えたハウエルにメイベルはムッとする。まだ彼は自分は何もできなかったとでも言うのか。


「けれど……」


 ハウエルはメイベルを抱きしめる腕に力を込めた。


「これからは絶対私が貴女を守ります。だから……もう一度やり直す機会をくれませんか?」

「やり直すって?」

「私の本当の妻として、です」

「私を抱くってこと?」


 メイベルの直接的な表現にハウエルは顔を赤くさせつつ、そうですと答えた。彼のそんな顔を見るのは自分だけだろうと思うと、メイベルは先程までの苛立ちがゆっくりと消えていき、愉快な気分になってきた。


「いいわ。許してあげる。……その代わり、もう一度ちゃんと言って」


 ハウエルはくしゃりと笑い、メイベルの頬に手を添えた。


「貴女を愛しています」

「うん……」

「どうか私の妻となってください」

「……ええ。喜んで」


 ハウエルが顔を寄せてきて、それに応えながら、ああ、やっと自分たちは本当の夫婦になれたんだなとメイベルは今度こそ涙を流した。



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