第6話 急展開
(ラシャド様はああ言ったけれど……)
結局無理だったのだろう、と思った。結婚の日取りまで、メイベルは外に出るなと半ば監禁されるようにして部屋に閉じ込められていた。陛下や殿下、そしてラシャドにすら会えない今の状況こそが、メイベルの逃れられない未来を決定づけていた。
「お姉さま!」
「ミリア……」
食事を届けにきたミリアが目に涙を浮かべてメイベルに抱き着いた。
「お姉さま。わたくしの代わりに公爵閣下に嫁ぐというのは本当ですか?」
「……ええ、本当よ」
そんな、とミリアはぽろぽろと涙を流した。
「姉さま。それは、あんまりです……」
泣かないで、とメイベルは彼女を抱きしめた。
「私が殿下の婚約者から外れたから、代わりに公爵のもとへ嫁ぐことになっただけ。ただそれだけよ」
「それだけのことではありません!」
弾かれたようにミリアが顔を上げ、珍しく怒りを露わにした。
「姉さま。わたくしはずいぶんと前から公爵閣下に嫁ぐことが決まっていて、心構えもできておりました。けれど姉さまは違います。姉さまはサイラス殿下の妃となり、ゆくゆくはこの国の王妃となる方でしたのに……それなのに、それなのに……」
こんなのあんまりですっ、とミリアはわんわん泣きだした。
「ミリア……」
メイベルは困惑しつつも、自分のために泣いてくれるミリアが愛おしかった。そしてこの子が公爵のもとへ嫁ぐことにならなくてよかったと心の底から思った。
「……ミリア。私は大丈夫だから。ほら、もうそんなに泣いたらせっかくの可愛い顔が台無しよ?」
頬を両手で包み込むようにして顔を上げさせ、幼子に言い聞かせるようにメイベルは囁いた。
「いい? ミリア。これは私が自分で決めた選択なのだからあなたは何も気にしなくていいの」
「でもっ!」
「人には誰しも逆らえない運命が待ち構えている。これもきっと、神が与えた試練なのでしょう」
神の教えを説けば、ミリアは黙り込んだ。けれどその目は依然として悲しみと絶望で染まっていた。
「ミリア。私がここを離れた後、他の子たちを頼みます。あなたが一番の最年長になるんですからね」
「そんなこと言わないで、お姉さま……」
ミリアの涙に、メイベルまで泣きそうになった。公爵の屋敷に嫁げば、もう簡単には会えなくなる。その前にどうしても伝えておかなくてはならなかった。
「教会はあなたの結婚相手にきっと自分たちの都合のいい相手を見繕ってくるでしょう。でも簡単に承諾してはいけないわよ。どれが自分にとって最善なのか、よく考えること。あなたは可愛いから、相手の男性を味方につければ、きっと力になってくれるわ。常に笑顔を絶やさず、上手に世の中を渡っていくのよ。それから……」
ああ、だめだ。声が震えてしまう。メイベルは零れる涙を隠すようにミリアをきつく抱きしめた。
「離れていても、私はあなたの幸せを願っているわ」
◇
結局その後ミリアと一緒に泣いてしまい、翌朝メイベルの目は真っ赤に腫れてしまった。だがおかげで覚悟は決まった。
(年の離れた相手に嫁ぐなんて、別に珍しいことじゃない)
王家のお姫様なら、他国へ嫁ぐことだってある。例え夫がよぼよぼの年寄りであろうと、自分以外に何人もの妻がいようと、それが国のためとあれば嫌だと拒否することはできない。
(そうよ。私がアクロイド公爵に嫁ぐことで他の若い子たちが生贄にならなくて済むなら、それでいいじゃない)
こうなったら横暴で女好きの公爵を手懐けてやる、とメイベルは自分を鼓舞した。
「メイベル様。お仕度の準備に参りました」
「へ? 支度?」
何の? と首を傾げるメイベルにぞろぞろと女たちが入ってくる。手には大きな箱から小さな箱を抱えるほど持っていた。状況がまるでわからないメイベルに、最年長と思われる女がてきぱきと指示を出していく。
「さっ、メイベル様。まずは湯浴みを」
「あの、ちょっと待って。どういうことか説明してもらいたい……って、引っ張らないで!」
「さぁ、さぁ、時間は待ってくれないのです」
ぐいぐい手を引っ張られ、メイベルはされるがまま服を脱がされ、抵抗しても体中隅々まで磨かれ、純白のドレスを着せられかと思えば、化粧をほどこされ、仕上げとばかりに金のネックレスと真珠のイヤリングをつけられた。
鏡を見れば、そこには立派な花嫁姿の自分が映っていた。
「どういうことなの? 結婚はまだ先だと……」
「予定が変わり、今日、アクロイド公爵閣下のもとへ嫁ぐことに決まりました」
「今日って、今から!?」
なんでそんな急に、とメイベルが困惑する間にも侍女たちは彼女の手を引き、部屋の外へと導いていく。人通りが少ない通路を通って外へ出ると、そのまま、待機させられていた馬車へ押し込まれた。ついでに一人の女も乗り込んでくる。メイベルよりもやや年上の、初めて見る顔だった。
「待って! せめてミリアや、他の子たちに挨拶をさせて!」
「いいえ、いけません。このまま出立させていただきます」
何でそんな急ぐのよ! とメイベルが怒っても、馬車はすでに動き出していた。まだ夜が明けたばかりの薄暗い時刻だった。
「……一体どういうことなの」
「アクロイド公爵閣下が早く花嫁を我が屋敷に迎えたいと申しましたので」
「だからってこんな急はあり得ないわ! いくら教会の決定でも、議会の……殿下や陛下の許しが必要なはずよ!」
いや違う、とメイベルは思った。サイラスだったら絶対に認めない。好いた女と結婚したいからメイベルとの婚約を解消した馬鹿王子だが、その分うんと立派な相手を見つけてやると息巻いていた。年の離れた、しかも自分の叔父を勧めるはずがない。それにラシャドだって彼らに頼んでみると約束してくれたではないか。
「もしかして彼らが反対したから、無理矢理私を嫁がせるつもりなの?」
女は答えなかった。けれどそれが答えだった。
メイベルはくらりと眩暈がする思いだった。周りがいくら反対しようが、一度純潔を奪ってしまえば、もうそこに嫁ぐしかない。教会と公爵はそれを狙ったのだ。
(ほんとにあの人たちは……)
馬車は見たところ王家の紋章も入っていない、どこにでもある普通のもの。護衛も前後に見当たらない。こっそりと、王都に出入りする馬車を装って公爵家まで行くつもりなのだろう。
「……あなたは私付きの侍女かしら?」
「はい。公爵家より聖女様の世話をするよう仰せつかりました」
監視役も兼ねているのだろう。ただの侍女、というには騎士のような隙のない雰囲気があった。
「公爵様はどんなお人かしら?」
「たいへん、素晴らしい方です」
「そう……」
メイベルはため息をついて、外の景色に目をやった。公爵家は王都から遠く離れた、鬱蒼とした森の中にある。国境近くまで追いやられているのは、王宮で余計なことをしないようにというローガン陛下の意図も込められていた。
放蕩の限りを尽くし、王家に見放されたアクロイド公爵。そんな男に自分は今から身を捧げなければならない。
(今からでも大声をあげて外へ逃げれば……)
「変なことは考えないでくださいね。あなたが逃げても、代わりの方が公爵に嫁ぐだけですから」
「……わかっているわ」
逃げることなど許されない。それでもあまりにも急な展開に、メイベルは気持ちが追いつかなかった。
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