第7話 襲撃と救出

「途中で休憩したりはしないの?」


 景色に緑が増え、空模様はメイベルの心を表すかのようにどんよりと曇ってきた。長時間座りっぱなしも身体に堪える。


「一刻も早く閣下は会うことを望んでおられます」


 メイベルの体調など二の次らしい。着いた時には疲労困憊であろうとメイベルは内心ため息をつき、物憂げに外の景色を眺めた。


(雨でも降りそう……)


 いっそ土砂降りになってこの花嫁衣装もびしょ濡れになってしまえばいい。悲嘆に暮れるのも疲れ、しだいに腹の立ってきたメイベルがそう思い始めた頃、突然ガタンと馬車が大きく揺れた。馬たちの悲鳴にも似た鳴き声が耳に届く。


「な、なに?」


 外を確認しようとした瞬間、バンッという音がした。扉側にいた侍女が引き裂くような甲高い声をあげる。


「おっ、いたいた。アンタが例の聖女サマだな。噂通りのいい女じゃねえか」


 無精髭を生やした厳つい顔の男はメイベルを見て舌なめずりした。


「ぶ、無礼者! 一体誰の許しを得て入って来たのですか……!」


 侍女が果敢にも、男に食って掛かった。


「あ?」

「ひいっ……」


 だが凶悪な顔で凄まれ、あっという間にその威勢は削がれる。何なら今にも気絶しそうであった。メイベルも怖くてたまらなかったのだが、自分よりも恐怖に怯える彼女を見て、しっかりしろと自身の手をきつく握りしめた。


「誰かと勘違いしているのではなくて? 私は聖女などとは無縁の、持参金目当ての男に嫁がされる、しがない商家の娘でしかありませんわ」

「はっ、商家の娘か。それならそれでいいさ。どちらにせよ高く売れるだろうからな!」


 さぁ来い、というように男の手が伸ばされる。メイベルは逃げるように体を窓際へ押しやった。男が何か言う前に、慌てて口を開く。


「御者はどうしたのですか」


 少しでも時間を稼ぐメイベルが愉快でたまらないのだろう。男はニヤニヤと黄ばんだ歯を見せて笑った。


「俺たちが刃物を見せた途端、ほっぽり出して逃げたさ。か弱いあんたたちを置き去りにしてな!」

「うそっ!」


 そう言ったのは隣の女。


「嘘じゃないぜ? あんたたちは見捨てられたんだ。可哀想になぁ」


 男はそう言って侍女に顔を近づけた。ひいっ、と引き攣る彼女の顔にぎゃははと男は楽しそうに笑った。


「いいね、その反応! それでこそ嬲りがいがあるってものさ!」


(正真正銘の下種野郎だわ……)


 グランヴィル国は他国と比べ治安のいい国だと思っていたが、まだこんなクズがいたとは、早急に警備の見直しをするべきだとメイベルは思った。


「うーん。でもアンタ、けっこう年くってるなぁ。誰も買ってくれないかもな」


 いっそ殺すか、と呟く男に、侍女は悲鳴を上げた。


「そう喚くな。ここで今すぐ殺したっていいんだぜ?」


 男はわざとらしく短剣を女に突きつけた。もういっそ気を失った方が楽になるのではないかと思うほど彼女の顔は蒼白だ。


「わ、わたくしのことはどうか見逃してください!」


 そう叫んだ侍女の手が突然メイベルの腕を掴み、前へ押し出すように引っ張られた。


「この方はサイラス殿下の元婚約者であり、アクロイド公爵閣下に嫁ぐ予定の聖女様であります。どうかこの方に免じて、わたくしの命はお助けください……!」

「あ、あなたねぇ……」


 せっかく身分を誤魔化そうとしたのに、こちらからばらしてどうする。主人をあっさり差し出した侍女に男も軽く呆れている。


「だとよ。どうする?」

「……私が大人しくついて行けば、この者は見逃してくれますか?」

「それはこれからのあんた次第だな」


 下卑た笑いを浮かべ、メイベルの身体を舐めるように見つめる男の視線。きっと彼はメイベルが想像もできない恐ろしいことをするつもりなのだろう。


 ――ああ、サイラス……。


 絶望的な状況で浮かんだのは元婚約者の顔。普段はめっきり頼りにならず、最後まで迷惑をかけられた幼馴染の顔が無性に懐かしく思えた。


 ――ありがとう。メイベル。本当にありがとう!

 ――お、俺はお前にも幸せになってもらいたいんだ!


(……うん。こんなことになるなら、あともう一発くらい殴っておけばよかったわ)


「おい。なに遠い目をしてやがる」

「何でもないわよ。……わかったわ。お前たちの望み通りにしてあげる。だから彼女の命は見過ごすと誓いなさい」


 メイベルが凛とした声で命じれば、男の目はぎらぎらと残忍性を帯びるかのように輝いた。


「気の強い女は好きだぜ。征服しがいがある。いいぜ。誓ってやる」


 さぁ来い、と男の手が伸ばされる。メイベルはちらりと侍女を見た。震えている彼女が、この後王宮に行き、助けを呼んで間に合うかどうか……可能性は十分低い気がしたが、一人の命が助かるならば仕方がないとメイベルは男に向き直り、その手を取ろうと伸ばし――ぎゃあっという悲鳴と怒号が外から響き渡った。


「なんだ!?」

「お頭! 大変です! 騎士が! 突然現れて――ぎゃああああ」


 そう言いかけた男の声も断末魔となって途絶える。


「くそっ、なんでこんな早くっ……来い!」


 男が乱暴にメイベルの腕を掴み、外へと引きずりだした。むせ返るような血の臭い、金属が激しくぶつかり合う音、あちらこちらに倒れ伏した人の姿にメイベルはまるで夢を見ている気分だった。だが決して夢ではない。自分が瞬きをする間にも、鎧を身に纏った騎士たちが次々と賊を斬りつけている。


(王都の騎士なの?)


「くそっ、くそっ、なんでこんなことに!」


 賊の頭領であろう彼は、苛立ちを隠さず、ぎりっとメイベルの腕を握る手に力を込めた。


「せめてお前だけでも持ち帰る!」


 私は物じゃないわよ、と言いかけたメイベルは男の後ろに忍び寄った人影を見て、目を見開いた。男がそれに気づき振り返るも、刃はすぐ目の前で――血が吹き出し、斬りつけた者の顔に飛び散る。男はくぐもった声をあげながら前屈みに倒れ、止めを刺すように背中に剣を突き付けられた。


「――お怪我はありませんか?」


 低いけれど、柔らかな声。剣を突き付けた男が顔を上げる。分厚い雲の合間から陽光が差し込み、男の顔を照らし出した。


 金色の瞳を持つ、涼やかな目元。鼻筋は通って、唇は薄い。紐で緩く一つにまとめた銀色の髪を右の胸元に垂らし、黒いローブは返り血を浴びてか所々赤黒く見えた。


 微笑んでいるのに、どこか酷薄そうな雰囲気を醸し出す、美しい男だった。


「……助けていただき、ありがとうございます」


 メイベルはなんとかそう言った。目の前の男は自分を救ってくれた。けれど、信用に値する人間かどうか、彼女にはわからなかった。というよりも、放心していた。あまりにも予想外の出来事が起こりすぎて。


「礼には及びません。貴女に怪我がなくて何よりです」


 男が一歩近づく。メイベルは思わず後ろへ下がった。


 今さらだが彼は他の駆けつけてきた者たちと違い、ずいぶんと軽装である。剣を振るうようにはとても見えない。だが彼は賊の頭である男に気づかれることなく、まるで流れるように殺した。それがいっそう男の存在を不気味に思わせた。


「あなたは誰なの?」


 男が笑みを深め、メイベルの前に跪いた。


「私はハウエル・リーランドと申します」


 国境付近を治める若き辺境伯の名前であった。

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