第20話 喧嘩
「ここで式を挙げたのか?」
「ええ」
昼食を終え、メイベルたちは教会へと訪れていた。
「王都の教会ほどじゃあないが、なかなか立派だな」
そりゃあ、王都の教会と比べればどこも小さく見えるだろうとメイベルは苦笑いした。
「でも聖女が描かれているのはどこも同じなんだな」
屋敷の礼拝堂と同じ、聖女がステンドグラスには描かれていた。違うのは、聖女の容姿だ。銀髪金目の女性が、ウィンラードの聖女であった。
「なぁ、メイベル」
サイラスが何か考えるように言った。その声が、やけに大きく響く。
「なに?」
教会の中はがらんとしていた。先ほどまでは司祭がいたはずだが、気を遣ったのか奥の部屋へと引っ込んでしまった。ヴィンスもレイフも、席を外している。
「……さっきは驚いたな。レイフ、だったか? あんなふうに言い出して。まだ子どもだと思ってたけど……いや、子どもだからか? よく、見ているな」
「サイラス。言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」
本当に言いたいことを後回しにしてどうでもいいことを口にするのは、彼の昔からの癖だった。メイベルの指摘にサイラスはこちらを向いてちょっと笑った。
「おまえはほんとに俺のことがよくわかってるな」
「そりゃそうよ。物心ついた時からあなたのそばにいたんだもの」
「……そうだな。母上も、おまえのことを可愛がっていた」
クレア王妃のことを思い出し、メイベルは少し胸が痛んだ。彼の口から亡き母親のことを聞くと、いつも彼女は申し訳なく思う。罪悪感、と呼ぶのだろうか。
「なぁ、メイベル。おまえは俺のことをわかっていると言ったが、俺だって同じくらいおまえのことをわかっているつもりだ」
(そんなの嘘よ)
自分が彼のことをわかっていても、その逆はあり得ない。
「いま、絶対あり得ないって思っただろ」
「……サイラス。早く要件を言って」
苛立ったように催促すれば、サイラスが一歩、メイベルに近づいた。見上げる距離に、ふと、彼の方がほんの少し、ハウエルよりも背が低いのだと気づく。
「なぁ、メイベル。おまえは今、幸せか?」
「? 何を言っているの」
サイラスの真剣な表情に、メイベルは戸惑う。彼にこういった表情は似合わない。自分は慣れない。
「じゃあ、聞き方を変える。ハウエル・リーランドを愛しているか?」
メイベルは目を見開いた。内心動揺する自分がいて、すぐに隠せと冷静な自分が警告した。
「そんなの、当たり前じゃない」
不自然さを隠すように明るく言った。
「私たち、夫婦なのよ? そりゃあ、最初は政略結婚みたいなものだったけど、今は心から彼と結婚できてよかったと思ってる。あなたに聞かれた時、そう答えたじゃない。まさか、まだ私とハウエル様の仲を疑っているの?」
別に嘘を言っているわけじゃない。ハウエルには尊敬すべき点がたくさんある。メイベルはそんな彼をすごいと思い、自分ももっと頑張らなきゃという気持ちになってくる。
それはたぶん、大切な感情だ。
「おまえのことだから、夫としてではなく、一人の人間として彼を尊敬しているだけじゃないか?」
「そんなこと、ないわ……」
歯切れ悪く答えてしまったのは、そうかもしれないと思うが自分がいたからだ。
「仮に、おまえがハウエルを愛していたとして、向こうはどうなんだ? ハウエルはおまえを愛しているのか?」
「それは……」
『――愛せるかどうかはわかりませんが……』
メイベルの表情に、はぁ、とサイラスはため息をついた。
「なぁ、メイベル。今からでも遅くない。俺と一緒に王都へ帰ろう」
な、というようにサイラスはメイベルの肩を掴んだ。いつまでも駄々を捏ねる子どもに言い聞かせるような言い方に、メイベルの何かが切れた。
「サイラス。いい加減にして」
肩に置かれた手を冷たく振り払うと、サイラスは驚いた顔をして、傷ついた表情をした。けれどすぐに怒った顔をして、なんだよと眉根を寄せる。
「俺はおまえのことを心配して言っているんだ。おまえが政略結婚なんかして、幸せになれないんじゃないかって」
「私の幸せを、勝手にあなたが決めないで」
メイベルは毅然とした態度で言い返した。いつもは大人しく引き下がるサイラスも、今日は負けじと眉尻を上げている。二人は喧嘩するように睨み合った。
「いーや。ここはあえて言わせてもらう。あんな男、おまえには不釣り合いだ!」
「不釣り合いでも、もう結婚したわ! 議会も教会も、認めてくれた。それを今さらあなたが文句を言おうが、遅いのよ!」
「遅くない! 俺が否と言えば、否になるんだ! だから大人しく諦めろ!」
「何なのその言い方!? あんた何様のつもりよ!?」
「グランヴィル国第一王子のサイラスだ!」
ばちばちと火花が散るような激しい応酬。メイベルは今にも暴れまくりたい激動を必死に抑え、どうしたら目の前の男に勝てるか、必死で脳みそをフル回転させた。――やがて、ふっとそれまでの怒りを消したかのように、落ち着いた、聖女のような微笑みを浮かべた。
「ねえ、サイラス。それならどうして私との婚約を解消したの?」
意外な矛先を向けられ、サイラスの勢いが削がれる。メイベルはそこをさらに突いた。
「どうして誰よりもあなたのことをわかっている私を捨てて、シャーロット嬢を選んだの?」
「それは……」
シャーロット嬢がサイラスのことをどれほど知っているかはわからない。もしかすると彼女の方が彼のこと知っているのかもしれない。メイベルには決して見せてくれなかった顔を、言葉を、彼女は与えられたのだから。
(たしかに私では、サイラスの最愛にはなれなかったかもしれない。でも――)
「私はあなたのすべてを受け入れるつもりでいたわ。後先考えない所も、優柔不断な所も、ちょっと馬鹿な所も。ぜんぶ、愛おしいと思っていた。ずっと隣で支えてあげたいって」
それなのにどうして? とメイベルはサイラスの頬に自身の手を添えた。彼の緑の瞳がかつてないほど動揺している。混乱している。
――メイベルも、わざと彼の弱みにつけ込むよう言っておきながら、だんだんと胸が締め付けられてきた。
(そう。私はそのために、今まで頑張ってきた……)
それなのに彼はちっともこちらを見ていなかった。メイベルの知らない所で、勝手に愛とやらを育んでいた。悲しかった。裏切られたと思った。
「メイベル。俺は……」
「サイラス。それでもあなたはシャーロット嬢のことが好きなんでしょう? 愛しているのでしょう?」
いつか目を逸らして答えたメイベルの問いを、サイラスは歯を食いしばるようにして、今度こそはっきりとメイベルの目を見て言ったのだった。
「ああ。愛している」
メイベルは寂しげに微笑んだ。
「だったら、もう私のことは諦めなさい。あなたはこれから、本当に愛しい人のことだけを考えて生きていかなければならないわ」
姉が弟に言い聞かせるように、メイベルはサイラスの頬を両手で包んだ。
「サイラス。何かを選ぶということは、何かを切り捨てるということよ。選ばなかった道は、辛くても、振り返っちゃいけないの」
彼は王太子だ。いずれこの国の王となる存在だ。辛い選択がたくさんあるだろう。選びたくないと思う道がたくさん待っているだろう。それでも、彼はそれを乗り越えていかなければならない。
王妃選びなど、その数多くある中の、たった一つでしかない。
「……俺はそんなの嫌だ。切り捨てた者を、見捨てるなんて」
「そうね。それはあなたの優しさでもあり、弱さでもあるわ」
けれどメイベルはそんな彼が好きだった。――だから、自分ではない誰かと一緒になっても、彼には幸せになってほしい。
「サイラス。私は大丈夫よ。あなたが思っているより、私はうーんと強いんですからね」
「……知ってる」
「でしょ? だからほら、もう明日には王都へ帰りなさい。シャーロット嬢もあなたの帰りを待っているはずよ」
メイベルはそう言って彼から離れようとした。けれど頬に添えられたメイベルの手を、サイラスは掴んだ。
「嫌だ。メイベル。帰るならおまえも一緒に――」
バンッ、という荒々しい音が聞こえ、メイベルとサイラスはぎょっとした。
「なんだよそれ! あんたどこまで図々しいんだよ!」
「こらやめろ!」
必死に行かせまいと押さえられていたヴィンスの腕を振り払い、レイフが飛び込んでくるようにメイベルとサイラスの身体を引きはがした。そしてキッと非難する眼差しを、今や隠そうともせず、はっきりとサイラスへ向けて大声で言い放ったのだ。
「あんた、最低の王子様だな!」
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