第19話 元婚約者とお出かけ
「では、行ってまいります」
雨は今のところ上がっており、ハウエルは被害が出ていそうな土地を見回るため、さっそく朝早くから出かけようとしていた。メイベルも見送りにと玄関に出向いていた。
「どうかお気をつけて」
「はい。貴女も、レイフが迷惑をかけるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」
「ええ。任せてください」
それで出かけるかと思えば、まだ何か言いたげな様子でハウエルはメイベルを見つめる。
「ハウエル様?」
どうかしましたか、と言いかけたメイベルに近づいてくるハウエルの整った顔。え、と思うメイベルの耳に、ちゅっという音が聞こえた。
「――行ってきます」
いってらっしゃい、と答えられたかどうかはわからない。ただ額を押さえ、メイベルは自身の顔が沸騰するかのごとく熱くなるのを感じた。
(な、なに!? いま何が起こったの!?)
あのハウエル・リーランドがメイベルの額に口づけした。夫婦としては何ら不思議ではない振る舞いでも、自分と彼とではあり得ない接触であった。
(だってあのハウエル様よ!?)
夫婦の営みを必要ないと拒絶し、毎晩メイベルの隣でぐっすりと眠るハウエルが、である。普段の日常生活においても、本当に最低限度、必要最小限にしかメイベルに触れてこないあのハウエルが、である。
(サイラスもだけど、ハウエル様も何を考えているかまったくわからないわ……)
もしかするとサイラス以上に難問であるかもしれない、とメイベルは思うのだった。
◇
「おお! すごい活気だな」
サイラスが街の賑わいに目を瞬かせた。平日なので人通りは少ないかと思ったが、相変わらず多くの人で賑わっていた。
「雨がようやく上がったから、きっとみんなぱーっと買い物したいんだよ」
レイフの言葉に、メイベルはそんなものだろうかと思った。
(ハウエル様。大丈夫かしら……)
午後になり、曇り空からよく晴れた天候へと変わってきたので、おそらく雨の心配はない、と思いたい。人や建物にも、被害が出ていなければいいのだが。
「メイベル。あそこは何だ?」
「え? ああ。あれは……」
メイベルがハウエルのことを考えようとする暇を与えず、次々とサイラスが疑問を口にする。興味津々なのはいいが、もう少し周りを気にしてほしい。
「殿下。あんまり目立たないでくださいよ」
護衛のヴィンスがひやひやした調子でメイベルと同じ不安をぶつけた。
「大丈夫だよ。王都の王子の顔なんて、誰も知らないだろ」
「振る舞いとか身なりでわかるかもしれないでしょう? ほら。しっかりフード被っていてくださいよ」
「む。俺の美貌を隠せと言うのか?」
「なに馬鹿なことおっしゃってるんですか」
すっかりサイラスの世話を焼く姿が板についたヴィンスにふとメイベルは疑問が湧いた。
「そういえば、今さらですけど、騎士団長であるヴィンス様が王都を離れてよかったんですの?」
王国の騎士団といえば、当然、王都を守るべき責務がある。王子の護衛とはいえ、彼ほどの重要な役職についた人間がこんなところまで来てよかったのだろうか。
メイベルの疑問に、サイラスが肩を竦めながら答えた。
「俺がここに来る条件として、ヴィンスを護衛につけることがあげられたんだ」
「つまりストッパー役として、ということ?」
「そういうことです」
ヴィンスはジトっとした目でサイラスを見る。
「陛下やエヴァレット卿、クライン卿がこぞって反対したというのに、殿下はまるで聞く耳持たずして、どうしてもご自身で行くとおっしゃって、私が駆り出されたわけです」
「そ、そうだったの……」
自分の安否確認のために多くの人に不安と迷惑をかけてしまい、メイベルは申し訳なく思った。
「なんか、ごめんなさいね……」
「いえ。メイベル様のせいではございません」
ヴィンスが慌てたように言う。
「でも……」
「そうだよ。なんで義姉上が謝るんですか」
それまで大人たちの会話に黙って耳を傾けていたレイフが、非難するように口を開いた。ハウエルと同じ金色の目は、おかしいと強く訴えていた。
「でもね、レイフ。サイラスは私のことを心配して来てくれたわけだし……そうでしょ? サイラス」
メイベルが困ったようにサイラスに言えば、彼もレイフを納得させるようにしっかり頷き返した。
「当たり前だ。おまえは俺にとって大切な人間だからな」
「……じゃあなんでお二人は別れたんですか」
レイフの言葉に三人は固まった。
「殿下にとって、義姉上はとても大切な人なんでしょう? それなのになんで姉上との婚約を破棄して、別のご令嬢と婚約なんてしたんですか?」
「そ、それは……」
「レイフ。サイラスは一方的に婚約を破棄したわけじゃないわ。私に婚約を解消してほしいとお願いをして、私がそれを受け入れたのよ。だから、双方納得した上での、円満解消? なのよ」
メイベルがそう説明しても、レイフは譲らなかった。
「殿下にそんなこと切り出されたら、誰だって受け入れるしかないんじゃないの?」
「それは……」
たしかに。サイラスはこんなんでも、一国の王子だ。彼のお願いはつまりは命令に等しい効力を発揮する。
(でも……)
「レイフ。私にとっても、サイラスは大切な人なの。婚約を解消してほしいと言われた時はすごく腹も立ったけれど……彼に本当に好きな人がいると言うなら、その人と結ばれてほしいと思ったの。だから、私たちは婚約を解消したのよ」
「でも……!」
納得できないというようにレイフは口を開いたが、ポンとヴィンスに肩を叩かれた。
「色々言い足りないことはあるでしょうが、ここでは何かと人目につきます。そろそろ移動しましょう」
「ヴィンス様の言う通りね。そろそろお昼にしましょうか。レイフ。以前のように案内を頼めるかしら?」
「……はい」
レイフも人通りの多い場所で話すべきことではないと判断したのか、大人しく引き下がった。
「ほら、サイラスも」
「あ、ああ……」
ぎくしゃくした雰囲気のまま、一行は昼食へと入った。
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