第14話 改めて

 初めて食べた串焼きとやらは脂が乗っており、美味しかった。立ったまま食べるというのは少し行儀が悪いとも思ったが、これはこれで味わいがあって楽しい体験であった。


 レイフも思う存分気分転換ができたのか、帰りの馬車ではハウエルの膝を枕に寝息を立てている。


「そうしていると、まだ幼く見えますわね」

「ええ。寝顔は可愛いものです」


 弟の前髪をそっと撫でてやるハウエルは優しい顔をしていた。


(ハウエル様も、血を分けたご兄弟には優しいんだわ……)


 一緒の寝台で、すぐ隣で眠る姿を毎晩見ているというのに、毎日いつもどこか他人行儀のような、壁のようなものをハウエルには感じる。


「メイベル様は、私に嫁いできてよかったのですか」


 二人きりの沈黙が辛くなったのか、それともずっと気になっていたのか、ハウエルがそう切り出した。


「今日話したこと、気にしていらっしゃるの?」

「気にしているというか、気になったと言いますか……」


 彼にしては珍しく、歯切れが悪かった。あら、とメイベルは揶揄うように言ってやった。


「あなたは私によく贈り物もしてくれますし、容姿だって褒めてくれる。仕事も完璧にできて、休日にはこうして一緒に出かけてくれる。夫としてとても立派な方だと思いますわ」

「……貴女の言い方には、何かしらの悪意を感じますが」


 困ったように眉根を寄せるハウエルがおかしくて、メイベルは冗談ですと笑った。


「くよくよ考えることはやめようって、決めただけです」


 婚約者がいるのに、無理矢理他の男性に純潔を奪われそうになった若い女。働きもせず昼間から酒ばかり飲んで、妻である自分に暴力を振るう夫。若い女を何人も囲って、母親を苦しめる父親の姿。自分もいつかそんな夫を持たないといけないのかと憂鬱になる娘。


 どれもみな幸せとは言えない人生の中、神に救いを見出し、前を向いて逞しく生き抜いた女性たちがこの世にはたくさんいるのだとメイベルはラシャドに教えてもらった。


「あなたは確かに私が一番望むものはくれないけれど……だからといって蔑ろにしているわけじゃありません」


 何か困っていることはないか、必要なものがあったら遠慮なく言ってくれと、ハウエルはいつもメイベルに気を遣ってくれている。それが彼なりの優しさであり、誠意なのだとメイベルは一緒にいて気がついた。


 ――愛せるかどうかはわかりませんが、貴女のことは大事にするつもりです。


 彼はそう約束してくれた。だったらそれで十分じゃないかとメイベルは思い始めたのだ。


(一時は修道院に入るつもりでいたし。身体の関係がなくても、それなりに仲良くやっていけるなら別にいいじゃない)


 そんな大事なことをどうして忘れていたのだろう。


「人は欲深い……私もその例外ではなかった。自分が置かれた今の状況は実はそんなに悪くなく、これからはあなたと切磋琢磨して、ウィンラードのため、この国のために尽くしていきたい。要約すると、そういうことです」

「要約しすぎな気もしますが……」


 ハウエルは戸惑いを隠せないようにメイベルを見つめる。彼女はとにかく! と無理矢理自身の結論を述べた。


「あなたが私を愛さなくても、私はもううじうじと悩むことをやめたんです!」


 そうだ。くだらないことを気にして涙を流すなんて、ちっとも自分らしくない。


「だからこれまで通り、あなたは私の地位を利用すればいい。私も私で、あなたの……リーランド辺境伯の妻という肩書きを利用させてもらいますから」


 いいですか? とやや前のめりで確認する。


「それは、もちろん構いません。もともと、そういう約束ですし……」

「では、そういうことで。これからよろしくお願いします。旦那様」


 メイベルがそう言って微笑めば、夕陽が射して眩しいのか彼は目を細め、貴女は不思議な人ですねと言った。


「褒め言葉として、受け取っておきますわ」


 彼の顔もまた、茜色に照らされて美しく輝いていた。


     ◇


「――今日の仕事はこれで終わり?」

「はい。以上でございます」


 家令が頭を下げ、後はご自由にと部屋を出て行った。


「孤児院も十分な寄付でやっていけてるし、街の活気も十分あって、農作物の被害もこれといってなし。治安の方も……先日の賊の被害からよりいっそうの警備を強めてるって言ってたわね……」


 ハウエルは領主としてやるべきことはすべて――少なくともメイベルが気にかけていた点はすでに対策済みであった。


(まぁ、若い時にいきなり辺境伯の地位を継いで、周囲の人間に口を出させないよう尽力してきただけはあるか……)


 立派な人だ、メイベルは素直に感心した。むしろ過去の逆境こそが、今の彼を作り上げたのかもしれない。


「あ、義姉上。何してるの?」


 これから何しようかなと考えていると、レイフが扉を開けて入ってきた。


「レイフ。部屋へ入る時はノックしなさいって、この前ハウエル様に言われたでしょう?」

「義姉上まで兄上みたいなこと言う」


 勘弁してよ、と彼はうんざりしたように顔をしかめた。


「あなただって、自分の部屋に声もかけず突然入られたら嫌でしょう? それと同じよ」

「まぁ、それは……わかりました。今度から気をつけます」


 よろしい、とメイベルは真面目な顔で頷き、すぐに親しみのある笑みを浮かべた。


「さっきの質問の答えだけど、片付けるべき仕事があらかた終わったから、これから何をしようかって、悩んでいたところよ」

「ええ……そんなことで悩むの? 好きなことすればいいじゃん」

「そうなんだけどね……」


 あんまりないなあ、というのがメイベルの本音であった。


「図書室に行って本でも読もうかしら」

「ええっ、また行くの?」

「またって何よ。いいじゃない。本はいくら読んでも、無駄にはならないわ」

「それはそうだけど……」


 レイフはメイベルの行動に思うところがあるのか、不満げな表情をした。


「そういうあなたは、コートニー先生とのお勉強は終わったの?」

「うん。だから義姉上のところに来たんだ。なんか面白いことしてよ」

「面白いことってね……」


 レイフの無茶な要求にメイベルは苦笑いした。


「お友達と遊んで来たら?」

「みんな家の手伝いとかで忙しいんだってさ……」


 つまんね、とレイフは唇を尖らせた。


「ぜいたくな悩みだこと」

「なんだよー……そういう義姉上は、俺と同じくらいの時、何してたの?」

「私?」


 私は……とメイベルは己の過去を振り返る。十二歳というと、王妃教育をしている真っただ中。ついでにサイラスがシャーロット嬢と運命の出会いを果たした歳でもある。


「義姉上? なんか顔怖いよ?」

「何でもないわ。きっと気のせいよ。……私があなたくらいの時、この国の歴史や文化なんかをひたすら学んでいたわね。あと礼儀作法とかも必死に覚えていたわ」

「それ以外は?」


 それ以外……。


「教会で祈りを捧げていたわ」

「……他には?」

「それくらいかしら。それで一日なんてあっという間だもの」


 メイベルがそう答えると、レイフが信じられないというように目を見開いた。


「えっ、じゃあ義姉上は遊びもせずひたすら毎日勉強して、礼儀作法身につけて、神に祈って、それで大人になったの?」

「そういうことになるかしら」


 ひゃあーとレイフはよくわからない声を上げてメイベルの顔をまじまじと見つめた。


「義姉上って、兄上みたいだね……」

「ハウエル様?」


 うん、とレイフが頷いた。


「兄上もいっつも難しい本ばっか読んで、いっつも父上と難しい話ばっかりしてた。たまに遊んでーって俺がねだっても、剣の稽古に付き合わされたりしてさ。結局勉強だもん」

「そうなの……」


 幼き頃のハウエルの姿が、メイベルには容易く想像できた。そして彼もまた自分と同じように努力してきたのだと思うと、少し親しみがわいた。


「義姉上?」


 努力している人間は嫌いじゃない。自分も頑張ろうという気になるし、見ていて清々しい。


「レイフ。私、ちょっと祈ってくるわ」

「えっ、何その言い方。って、今から?」

「家の礼拝堂だから大丈夫よ」


 敷地内には小さな礼拝堂があった。毎朝の祈りなど、メイベルは暇を見つけてはよく足を運んでいる。


「レイフも暇なんでしょう? 一緒に行きましょう」

「えっ、俺も? いや、せっかくだけど、ほら、今日のお祈りは済ませたし……」


 あら、とメイベルは言った。


「別に一日一回と決まっているわけじゃないわ。何回でも、それこそ時間があればあるだけ祈っていいのよ」

「や、やっぱり、俺図書室で本を読む方が……」


 そろーっと後ろに下がるレイフの腕を、メイベルは立ち上がって素早く捕まえた。


「レイフにも、お祈りの大切さを教えてあげるわ。さっ、行きましょう」


 善は急げ、と乗り気ではないレイフの手を引っ張ってメイベルは礼拝堂へと向かったのだった。

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