第13話 お出かけ

「ふぁ……義姉上。おはよう」


 食堂へ赴けば、ちょうどレイフと一緒になる。彼はまだ眠いのか、目をこすりながら朝の挨拶をする。


「おはよう、レイフ」


 メイベルはじつに平和な日々を送っていた。あの初夜事件(と勝手にメイベルが命名した)以来、特に何事もなく、彼女は妻としての役割を果たしている。


「レイフ。早く席に着きなさい」

「はーい……」


 ハウエルはメイベルを見ると、おはようございますと目を細めた。


「今日の服装もよく似合っていますね」

「ありがとう。あなたも、相変わらずかっこいいわ」


 お互い褒め合うのも、またいつものことだった。


 傍から見れば、仲のいい新婚夫婦に見えることだろう。メイベルはそれを望んでいたし、夫のハウエルもそれに付き合ってくれる。


 似合っていると言われたこのドレスだって、ハウエルが仕立ててくれたものだった。彼はメイベルがあまり欲しがらないので率先してあれこれ用意してくれる。ドレスやイヤリング、ネックレスなど……。どれも最高級のもので、メイベルの好みを熟知したものだった。


「ねえ、義姉上。昨日俺、コートニー先生に褒められたんだよ!」


 朝食を食べているうちに眠気が覚めたのか、レイフが明るい声でそう言った。


「まぁ、コートニー先生が?」


 コートニー先生というのは、レイフの家庭教師だった。若いが厳しく、いつも叱られてばかりだとレイフはよく愚痴をこぼしていた。そんな先生に褒められて、嬉しいのだろう。レイフは誇らしげにメイベルに報告した。


「それはすごいわね。レイフ」


 母のように褒めてやると、へへっとレイフははにかむ。


「レイフ。勉強ができるのは良いことだが、礼儀作法も大切だ。もっと落ち着いて食べなさい」


 兄に水を差され、せっかくいい気分だった弟はむっと口を曲げた。


「ちゃんとやってるよ!」


 兄上は一々厳しすぎるんだ、とレイフは口を尖らせて文句を言う。


「できていないから注意しているんだ。そんな調子では、おまえが客人の前で恥をかくだけだぞ」


 正論で論破されてしまえば、レイフは何も言えない。むくれたような顔をするレイフに、メイベルは大丈夫よと声をかけた。


「フォークもナイフもきちんと使えているし、問題ないわ」

「メイベル様」


 咎めるハウエルの声を無視し、それにね、とメイベルはレイフに微笑んだ。


「お客様は初めての場でいつもよりも緊張しているはずだから、あなたみたいに楽しい会話で場を和ませてくれるのは、とてもありがたいことなの」

「ありがたいって……すごいこと?」

「ええ、とっても」


 だから自信を持ちなさいと彼女が言うと、レイフの顔にようやく笑顔が戻った。ハウエルがため息をつく。


「メイベル様。あまり甘やかさないでください」

「あら。私はただ事実を言っているだけよ」


 メイベルとてレイフの明るさに救われているのだ。今も。


(それに誰か一人くらい甘やかす人間がいたっていいわ……)


 レイフの母親は彼が物心つく前に病気で亡くなっており、父親も十歳の時にこの世を去っている。だからこそたった一人の兄であるハウエルが両親のように厳しく接しているのだろうが……メイベルまでがそうする必要はない。


 兄に甘えられない分、自分を姉のように慕ってくれればいい。実際レイフは初日よりもずっとメイベルにあれこれと話してくれるようになった。


「ねえ、義姉上。朝食が済んだら、一緒に街に行かない?」

「街に?」

「レイフ。またおまえはそんな我儘を――」

「我儘じゃありません。息抜きだって必要なことです。今日は祝日だし、義姉上だってちゃんと街の様子を見たことがないでしょう?」


 そう言えば、とメイベルはレイフの言葉にはっとする。自分はまだこのウィンラードについてあまり知らない。本であらかたの知識は身につけたが、実際に見て学んだわけではない。


「ねっ、いいでしょう? 行こうよ」

「でも……」


 ちらりとハウエルを見る。彼が何か口を開く前に、素早くレイフが言った。


「心配なら兄上一緒に行こうよ! 二人とも休みの日でも仕事ばっかだし、これじゃあ使用人たちもゆっくり休めないよ!」


 たしかに一理あるとメイベルは苦笑いした。ハウエルの方を見ると、彼も同じ思いなのか仕方がないというようにため息をついたのだった。


     ◇


 ウィンラード。グランヴィル国の北東部に位置し、ラシア国と隣接している。昔は戦争で奪われたり、奪い返したりと何かと争いの絶えなかった土地でもあるが、グランヴィル国の王都ではあまり見られない木組みの家など、他国の文化に強く影響された一面も残っている。


「すごい人ね……」


 街はメイベルが想像していたよりずっと多くの人で賑わっていた。行き交う人々の顔はみな明るく、活力に満ちている。露店もたくさん出ており、まるでお祭りのような華やかさにメイベルは目を瞠る。


「いつもこんな感じなの?」

「週末になると向こうから商人が訪れたりしますから、休みの日はだいたいこんな感じです」


 仕事が休みの日である客を狙っていろいろ売り捌くそうである。ラシアから人がやって来るという言葉にメイベルは少し驚いた。


「ちゃんと許可を取って、危険がないかどうかも確認していますのでご安心を」

「……こちらから向こうへ行く人もいるの?」

「ええ、いますよ。向こうは聖女信仰が篤いですからね。立派な教会がたくさんあって、商人だけでなく、観光目的で行く人もいます」

「そうなの……」


 一つの国と国を行き交う人々がいる。考えてみれば当たり前のことだ。けれどずっと王都の教会で閉じ込められるようにして生きてきたメイベルには、衝撃的な事実だった。


「向こうでしか手に入らないアクセサリーとかも売ってるよ? 兄上に買ってもらえば?」


 それはちょっと……と躊躇うメイベルに、レイフは後ろにいる兄にさっそく尋ねていた。


「ね、いいでしょ兄上」

「ええ。構いませんよ」


 ハウエルは渋い顔をするでもなく、あっさりと承諾した。その潔さにメイベルの方がぎょっとする。すでに彼には宝石やドレスなど山のようにプレゼントされているのだ。これ以上何かをねだるなど、メイベルには恐れ多かった。


「ハウエル様。アクセサリーもすでにたくさん持っていますので、大丈夫です」

「もう義姉上~ 遠慮なんてしなくていいのに」


 遠慮じゃないわ、とメイベルはしゃがんでレイフに言った。


「それより私、何か美味しいものが食べたいわ。レイフ、案内してくれる?」


 お願いすれば、レイフはぱっと顔を輝かせた。


「そう言うことなら任せて! この通りに美味しい串焼きがあるんだ。あ、あとりんご飴とかもあるよ!」

「ついでに面白いショーなんかも見たいわ」

「それなら同じ通りで大道芸やってるはずだよ」

「じゃあ、それを見ながらお昼にしましょう」

「りょうかい!」


 こっちだよ、とレイフが得意気に前を歩きだす。数歩遅れて、メイベルもハウエルと共に彼の小さな背中を追いかけた。


「あなたは弟の扱いが上手いですね」

「私が初めて来る場所だから、何かしてあげたいって思ったんでしょう。その厚意に素直に甘えただけです」


 それに、とメイベルはすれ違う人々の顔を見て呟くように言った。


「私も実際に街の人の顔を見ることができて、よかった」


 ちらりとハウエルがこちらを見る。


「それはどうして?」


 少し迷ったが、メイベルは口にした。


「私は聖女でしょう? 王都の教会で毎日のように神に祈っていました。小さい頃からずっと、この国の平和を祈るのが当たり前だった。殿下との結婚がなくなった時も、これからは修道院に入って身も心も神に捧げようと……それがこの国の平和に繋がるのだと、信じて疑わなかった」


 でも、とメイベルは早く早くとこちらを急かすレイフに手を振り返しながら続ける。


「本当の平和というのは、きっとこういう人と人との些細な交流の中で作り上げられていくものなんじゃないかって、さっきあなたの話を聞いて思ったんです」

「向こうから商人が訪れる話がですか?」

「ええ。商人が訪れて、向こうの品物を売って、こちらの国の人と話をしていく。逆にウィンラードこちらからも、向こうへ行って、ラシアの文化や人のことを知る。そうした交流を続けていくうちに、かつて敵だと思っていた人間が、実は私たちと同じ人間で、それほど悪くない人柄だってお互いに気づくの」

「商人や観光客に、悪い人間がいなければ、の話ですがね」


 そうね、とメイベルは微笑んだ。


「でも、何も知らないことは、きっと怖いことだと思うわ。ラシア国の人間は血も涙もないやつだって教えられれば、少しの躊躇いもなく傷つけることができるもの」


 それがきっと、争いを生む原因にも、長引く要因にも繋がっていく。


「神に祈れば、平和が維持されると思っていた。でも本当の安寧は、自分たちの手で作り出していかなければならない。だから……」

「だから?」

「だからあなたのもとへ嫁いできてよかったわ」


 メイベルの言葉に、ハウエルは目を見開いた。


「それは――」

「おーい。義姉上! 兄上! 遅いよ!」


 いつの間にかうんと先を歩いていたレイフが、早く来てと怒ったように呼びかけた。


「今行くわ!」


 行きましょう、とメイベルはハウエルに微笑み、彼はまだ何か言いたそうな顔をしていたが黙って頷いた。



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