第36話 アクロイド公爵

「叔父上……ジェフリー・アクロイドはいっつも出来のいい父上と比べられてきて、相当劣等感を募らせてきたらしい。それでまぁ、酒好きの女漁り……あまりにも酷いから見かねた父上が注意しても、よけいに拗らせることになって、当時母上の侍女だった女性にも腹いせの代わりに手を出した。その侍女、母上の姉代わりみたいな人だったから、母上もお怒りになられて……そしたら叔父上が本当はおまえを襲ってやるつもりだったんだ、って言って」

「寛大な陛下もついに王宮から追い出したのね」


 それ以上サイラスの口からは語らせたくないとメイベルはひったくるように言葉を締めくくった。ラシャドがその補足をする。


「陛下はせめてもの慈悲とジェフリー殿に爵位を授けたそうですが……今思えば、それがかえって彼の矜持を傷つけたのかもしれませんね」

「こんなことになるなら、爵位なんか与えなければよかったんだ……」


 結局彼は殺人未遂まで犯し、死ぬまで幽閉される身となった。いっそ若い時に他国へ追放するか、平民に落とした方が、今頃違った人生を歩んでいたかもしれない。


「自堕落な生活の果てに、娼館へ売り飛ばす仲介役も買って出ていたらしい。ほんっと、身内の恥だよ」


 吐き捨てるようにサイラスは言うと、ハウエルへと目を向けた。


「おまえは知っていたのか?」

「確証を持ったのは、メイベル様が嫁ぐ際に付き添っていた侍女を、公爵家へ送り返した時です」


(そういえば彼女……)


 賊に襲われた時、メイベルを躊躇いなく差し出した侍女。彼女はあの後どうなったのか――


「彼女、メイベル様をお連れせず、自分だけのこのこ帰ってきたので公爵の怒りを買い、怪しげな男たちに売りつけられたそうです。行き先は娼館、あるいは遠い異国へ連れて行かれて死ぬまで働き続けるか……幸運なことにあの女は娼館へ連れて行かれ、私の部下がそれを偶然発見したという流れです」

「偶然じゃないだろ。わざと泳がせて餌を巻き上げたんだろ」


 サイラスの言葉にハウエルはさぁ、と人の良い笑みを浮かべた。メイベルは今初めて聞いた話にびっくりした。視線に気づいたハウエルがすまなそうな顔をする。


「公爵に対して嫌悪感や恐怖を抱くだろうと思い、メイベル様にはお伝えしませんでした。すみません」


 ハウエルのことだから、アクロイドの怒りを買うとわかって侍女を帰したのだろう。彼の悪行の尻尾を掴むために。


「他にも彼に唆されて娼館行きになった女性がいて、彼女たちからも、証言を得ました。それをもとに、今回の彼の処遇を議会が決めるそうです」

「まぁ、最終的におまえを殺そうとしたっていうのが、一番の決定打になると思うがな」


 人身売買。殺人未遂。王族の人間として、貴族の一員として、どれも許せぬ振る舞いだ。醜聞である。今度ばかりは、サイラスの言う通り誰も公爵を庇えまい。


 サイラスがメイベルの方を見て、揶揄うように笑った。


「おまえの旦那は身体を張って、叔父上を遠ざけたんだな」

「傷ついてまで庇ってほしくないわ」


 自分の身くらい、自分で守り切れる。とは言い切れなかった。こんなことになってしまったのだから。


「メイベル。公爵があそこまであなたに執着したのは、あなたのその治癒能力を欲したからですよ」

「彼はどこか身体の具合でも悪かったのですか」


 日頃の不健康な生活で病気にでもなっていたのか。でもそれも結局自業自得ではないかとメイベルは思った。だがラシャドはいいえとゆっくり首を振った。


「彼はあなたの、というより聖女の力を不老不死の力とでも思っていたようです」

「不老不死?」

「そう。怪我や病を治すということは、死から遠ざかることでもあります。あなたの力を使って死に至る要因を取り除けば、人は永遠に生き続けることができる。閣下はそう考えたのです」

「でも……いくら何でも不老不死なんて力……」

「それは老いる速度を落とすということでしょうか」


 ハウエルがそうたずねると、正解だというようにラシャドが頷いた。メイベルにはいまだピンとこない。


「つまりね、うんと長生きできればいいんですよ」

「長生き……」


 そういえば――


『あいつがいるから私は必要とされなかった。……そうだ。私はまだやり直すことができる』

『おまえを一目見た時から私は決めたのだ。おまえを私のものにして、兄上よりも、他の王子よりも長く生きてやるとな。――そしてもう一度、人生をやり直すのだ!』


「あの人はとにかく父上より長生きできれば、今度こそ上手くやれるって思ったんだろうな」

「そんなの……都合のいい考えだわ」


 たとえローガン陛下がいなくなった所で、彼の息子や孫が治世を担っていくのだから。長生きできたとしても、アクロイド公爵が出る幕はない。彼に任せるだけの信頼も、臣下は持ち合わせていない。


(いや……そうでもないか)


 任せることはできずとも、利用することはできる。


(教会も、それを狙っていたのかしら……)


 イヴァン教皇ならば、アクロイド公爵を上手く丸め込んで裏から操ろうとしたかもしれない。どちらにせよ、公爵の思い通りに事が進むとは思えなかった。


「父上のことばかり考えてるから視野が狭くなるんだ」

「サイラスにしてはまともなことを言うじゃない」

「おまえなぁ……」


 サイラスはムッとしたように口を曲げた。


「メイベル。あなたも今回は仕方がないとはいえ、今後はもう二度とあんな無理をして力を使わないように」

「そうですわ、お姉さま。わたくしや他の聖女たちがいたからよかったものの……」


 二人に言われ、メイベルは渋々頷いた。倒れた後、ミリアや他の聖女たちが疲労を回復させる力を施してくれたのだ。それがなければ今頃自分はどうなっていたかわからない。


「ご心配をおかけして本当に申し訳ありません」

「そうですね……ですが結果的にあなたが無事で、本当によかった」


 ラシャドの言葉にミリアもうんうんと頷いている。


「メイベル。叔父上のことはもう大丈夫だと思う。……問題は教皇のことだ」

「あの人、また何か企んでいるのね?」

「おまえの体調が戻り次第、父上と一緒に話があると呼ばれている。……俺も同席するよう言われた」


 メイベルはお腹のあたりがぐっと締め付けられる気がした。


(このまま黙ってるはずはないって思ってたけど……)


「メイベル様」


 沈みそうな気持ちを掬い上げるようにハウエルがメイベルの手を握った。


「先ほどの言葉、覚えていますか?」


 ――これからは絶対私が貴女を守ります。


「……ええ。そうだったわね」


 メイベルは微笑むと、サイラスの方へ目を向けた。


「いいわ。向かいましょう」


 決戦の時だ。

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