第37話 勝負

「メイベル。具合はよくなったのか? おお。サイラスも一緒ではないか」


 イヴァン教皇のその言葉にサイラスが眉間に皺を寄せたのがわかった。彼はメイベルのこともあってか、昔から教皇に対してよい印象を抱いていなかった。今も内心では文句を言ってやりたいと思っているに違いない。


(陛下と猊下。一体何を話すつもりかしら……)


 メイベル様、と他の臣下たちも心配するような眼差し、あるいは久しぶりの姿に懐かしそうに目を細めている。


 教皇より数段高い位置にローガン陛下が座っており、メイベルを真っすぐ見つめていた。


「メイベル。此度のこと、愚弟がすまなかった」


 メイベルはいいえと答えながら、夫であるハウエルに真っ先に謝ってほしいとも思った。


「夫であるハウエルに守っていただいたので、私は何ともありません」

「夫か……。ハウエル・リーランドとは仲良くやっているか?」


 はい、とメイベルは躊躇いなく答えた。


「そなたには本当に悪いことをした。息子のサイラスをそばで支え続けてくれたのに、恩を仇で返すような真似をしてしまって……」

「陛下。メイベルが無事だったのでもういいではありませんか」


 口を挟んだのは、イヴァン教皇だった。彼はメイベルを見つめ、次いで隣にいるサイラスへと微笑みかけた。


「サイラス殿下。我が娘を救ってくれて感謝いたします」

「……私は何もしておりません。実際身を挺して庇ったのは、彼女の夫であるハウエル・リーランドです」

「ですがその男はジェフリー様に殺されかけたのでしょう? 結局メイベルを救ったのは、あなた様ではありませんか」


 ハウエルなど何の役にも立たなかったと言いたげな教皇に、メイベルは頬が引き攣りそうになった。あんた何言ってるのよ、と今すぐにでも怒鳴り返してやりたい。


(いいえ、落ち着くのよ。先に感情を荒立てた方が負けなんだから……)


「猊下。たしかにサイラス殿下に助けられたのも事実です。ですが、ハウエル様が私を庇ってくれなければ、私は殿下が駆けつける前に事切れていたことでしょう」

「だが結局彼はそなたを守り切れなかった。私はね、メイベル。今回の結婚、間違いだったのではないかと後悔しているんだよ」


 教皇はそれはそれは悲しそうな顔を作り上げ、さも心の底からメイベルを心配する保護者面で言ってみせた。


「……それは、どういう意味でしょうか」

「そなたの伴侶にはやはりサイラス殿下が相応しいのではないかと、私は今回のことでより深く痛感させられた。そなたの命の危機に誰よりも素早く駆けつけ、助け出したサイラス殿下にしか、大事なそなたは任せられないと」

「なっ……」


 隣にいたサイラスが絶句し、メイベルは思いっきり顔をしかめた。そしてこうきたか……とも思った。


(再婚話を持ち出すだろうなとは薄々思っていたけれど、まさかもう一度サイラスを押すとは……)


 ここまで来るといっそ清々しさすら感じる。


「猊下。それはあんまりではないでしょうか。サイラス殿下にはシャーロット様という婚約者がすでにおります」

「そ、そうだ! 俺はシャーロットを愛しているんだ!」


 あくまでも冷静に言葉を返すメイベルの隣で、吼えるようにサイラスが言った。


「殿下。ですがあなたは過去、そして今回も、アクロイド公爵が招待されていない舞踏会に無理矢理出席しようと城へ押しかけてきた時、冗談じゃないと誰よりもお怒りになられたではありませんか。メイベルが危険な目に遭うかもしれないとおっしゃって」


 こちらの動揺を露わにするほど、教皇の口調はより穏やかに、相手を諭すものへと変わる。


「そんなの今までの状況を鑑みれば当然のことだろう!? むしろあなたの方こそ、メイベルの保護者としてもっと止めるべきだったんじゃないのか!? それを許すかのように叔父上にメイベルのことを話してっ! メイベルを襲うよう仕組んだのも、あんたの仕業だったんじゃ――」

「サイラス。そこまでだ」


 激昂するサイラスを止めたのは、父であるローガンだった。メイベルも彼の方を見て、落ち着けと訴えかけた。


(教皇はわざと私たちを苛立たせようとしているんだから。感情的になったら、相手の思うつぼよ)


 メイベルに見つめられ、サイラスはすまんと小さくつぶやいた。その様子を見ていた陛下が再び口を開く。


「メイベル。今見た通り、息子は感情的になりやすい。優柔不断でもある。おまえが息子のいざという時のための歯止めになってくれれば、親である私としても安心できる」

「陛下。もったいないお言葉ですが、私にはすでに夫がおり、そしてサイラス殿下にも婚約者がおります。今さらそれを覆すつもりは、私にも、彼にもありません」

「そうです。父上。俺はシャーロットを愛しているのです!」

「それはわかっている。だがシャーロットには、王妃の地位は荷が重すぎるのではないか?」

「それは……」


 思い当たる節があるのか、サイラスは口ごもってしまう。馬鹿、とメイベルは内心毒づいた。


(そこは彼女なら大丈夫ですって嘘でも答えなさいよ! もしくは自分が支えますから、とかいろいろあるでしょ!)


「メイベル。そなた、本当にハウエルを愛しているのか?」


 黙り込んでしまったサイラスを放っておき、再度教皇が口を挟んできた。


「ええ。愛していますわ」


 きっぱりと答えたメイベルに、なぜか教皇はにんまりと微笑んだ。


「そうなのか? だがウィンラードの司祭から届いた手紙によると、そなたはずいぶんと苦しい思いをさせられているそうだが?」


 その司祭によると、と教皇はサイラスの方を見た。


「金髪碧眼の美しい男がそばにいて、おまえのことを非常に心配していたそうだ。殿下。心当たりがおありで?」

「……他人の空似ではないでしょうか」


 心苦しそうにサイラスは答えたが、イヴァン教皇にはすべて見透かされているようだった。


(あの時声をかけてきた司祭ね……やっぱりサイラスだとわかったんだわ……)


 メイベルは舌打ちしたい気分だった。


「わざわざ視察と称してまでメイベルの様子を見に行く。やはり二人は一緒になるべきではないでしょうか?」


 教皇はメイベルたちにではなく、近くに控えていた臣下たちに問いかけた。彼らの顔には戸惑いこそ浮かんでいるものの、反対するような声はあがらなかった。


「そうですね。シャーロット様は悪い方ではないのですが、王妃となるとやはり……」

「メイベル様は聖女でもありますし。何かあった時、サイラス様の命を救うこともできます」

「シャーロット様よりメイベル様の方が相応しいかもしれません」

「おい、お前たち!」


 サイラスの非難する声を無視し、彼らはいいんじゃないかと各々頷き合った。それを見ていたサイラスは冗談じゃないというように大声で反論した。


「父上! メイベルとハウエルの結婚はすでに議会で、教会で認められたんですよ! それを今さら覆すなんて……法だけじゃない。神への誓いを破るということにもなるんですよ!?」

「あれは正しい結婚ではなかったのです」


 答えたのはやはり国王ではなく、教皇だ。


「本来結ばれるべき相手ではなかったのならば、きっと神も許してくれるはずです」

「黙れ! 俺は父上に言ってるんだ!」


 どうなんですか父上! とサイラスは縋るように自分の父親を見た。ローガンは感情の読み取れない静かな眼差しで息子に言った。


「サイラス。私はおまえに幸せになってほしいと思っている。そしてメイベルにも、その幸せを掴み取ってほしい。そのためなら、法も神への誓いも、私が取り消す」

「そんな……」

「陛下の言う通りです。殿下。あなたの隣で寄り添うことが、メイベルの一番の幸せでもあるのです」


 信じられないとばかりにサイラスは目を見開き、言葉を失っている。神の下で誓った約束が、今破られようとしている。認められたと思っていた自分とシャーロットの結婚が、またもや叶わぬ夢となろうとしている状況なのに、サイラスにはなすすべがない。


 メイベルはそんな途方に暮れた彼の背中を思いっきり叩いた。

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