第25話 膝枕
その次の日、サイラスとヴィンスは王都へ帰ることとなった。
「十分なお構いもできませんで申し訳ないです。次はぜひシャーロット嬢と一緒にお越しください」
「そんなことはないさ。十分楽しませてもらったぞ? それに今度は二人が王都へ来てくれ」
ハウエルはぜひ、と微笑んだ。メイベルも笑って頷いたが、内心はあまり行きたくないというのが本当のところであった。たぶんサイラスも別れの挨拶として言っているだけだろう。……たぶん。
「じゃあな、メイベル。元気でやれよ」
「……ええ。あなたも。しっかりね」
ああ、とサイラスは屈託なく笑い、ついでひょいと後ろの方へ目をやった。
「レイフ。おまえのおかげでウィンラードのことをよく知ることができたぞ。ありがとな」
「……殿下のお役に立てて光栄です」
どこかぶすっとした表情で言うレイフに、ハウエルが注意しようとした。だがその前にレイフが睨むようにしてサイラスに言ったのだった。
「殿下。次に王都で兄上たちと会った時、絶対に驚きますから」
「それは今より仲良くなっている、という意味でか?」
サイラスは意味ありげにハウエルとメイベルの顔を見た。ハウエルは曖昧に微笑み、メイベルはにっこりと笑った。
「ええ。その通りよ」
「ふーん……まぁ、それならなおのこと楽しみだ」
「殿下とシャーロット嬢よりずっと仲良くなっていますから!」
レイフが最後の一押しとばかりに言ったので、サイラスもちょっと苦笑いした。
「殿下。弟が失礼を……」
気にするな、と彼は軽く手を振った。
「それより、本当にそうなるといいな。メイベルを今まで大切に育ててきた教会も、
メイベルがはっとすると、サイラスはそういうことだというように口の端を吊り上げた。
「それじゃあ、そろそろ帰るか。長々と失礼したな」
そう言って、サイラスは別れを告げたのだった。
◇
「……はぁ。やっと帰ってくれた」
うーんと伸びをしたレイフはやれやれといった調子で長椅子に寝そべっていた。
「お行儀が悪いわよ。レイフ」
「今日だけは勘弁してよ。王子様がようやくお城に帰ってくださって、ホッとしてるんだ」
その言い方がまるで上司の接待に無理矢理付き合わされた部下のようで、メイベルは苦笑いした。あながち間違いでもないのだが、子どものレイフが言うと少しおかしかった。
「……ねぇ、義姉上」
「ん? なぁに?」
「ほんとに、帰らなくてよかったの?」
「あなたまでそんなこと……」
メイベルがややうんざりした様子でそう言うと、急にレイフが飛び起きた。
「俺にまで、ってことは他の誰か……兄上にも何か言われた?」
鋭い。本当にこの子はハウエルのことになると誰よりも敏感に察する。少し怖いくらいだ。
「ねぇ、何言われたの? 殿下を見送る時も兄上がどことなくぎこちなかったのはそのせい?」
「……ノーコメントよ」
メイベルは逃げるように立ち上がった。後ろでレイフが教えてくれたっていいじゃないかと文句を言っていたが、放っておいてほしいというのが本音であった。
◇
レイフが追いかけてこないように、とメイベルは礼拝堂へと足を向けた。
(――はぁ。やっぱりここが落ち着くわ)
神へ祈る場所は、メイベルにとって故郷であった。懐かしく、心洗われる場所。
(もし王都へ行くことになったら、ミリアやラシャド様にも会えるわよね?)
それはちょっと楽しみでもあった。サイラスの話ではみんな変わらず元気そうで、メイベルのことをとても心配しているらしい。できれば大丈夫だと直接言ってあげたい。
「またここへ来ていたのですか」
振り返ると、肩越しにハウエルがこちらを見下ろしていた。
「まぁ、ハウエル様。どうかしました?」
「……貴女が部屋にいないので、探しに来ました」
「私のために?」
上目遣いでメイベルがそう尋ねると、ふいとハウエルは視線を逸らしたまま隣へ腰かけた。
「眠くないですか?」
無視されたことを気にせず、メイベルはさらに話しかけた。
「……眠いです」
「昨日はあれから眠れましたか?」
ハウエルの眉がぴくりと動いた。
「……あまり」
「でしょうね」
メイベルが笑いながら言うと、ハウエルが身体をこちらに向けて、レイフを叱る時のような顔で咎めた。
「もうあんな真似はよしてください」
「あんな真似って?」
メイベルがわざとらしく言えば、ぐっ、と言葉につまるハウエル。
「だから……口づけのことです」
言わせるな、というように彼は言った。
「ハウエル様だって、私にしたじゃありませんか」
「私がしたのは額にです。口にではありません!」
「でも結婚式の時には、あなたからでしたわ」
「それは一種の儀式みたいなもので……女性の貴女からするなんて、破廉恥です」
(破廉恥って……)
まるで生娘のようなハウエルの言い方に、メイベルは苦笑いした。
「メイベル様。笑い事ではありません」
「はいはい。今後はしませんわ」
だからもうこの話はお終いだと降参すれば、ハウエルはまだ何か言いたげな表情である。
「まだ何か?」
「……私が言いたいのはつまり、いきなりするのはよしてほしいということです」
「ではあなたの許可をとればいいの?」
「…………それならば」
「わかりました。次からはそうしますわ」
真面目な顔で頷いたメイベルに、ハウエルはそれ以上何も言えなかったのか、それとも面倒になって諦めたのか、はぁとため息をついた。
「ため息をつきますと、幸せが逃げますよ」
「そんなのはくだらない迷信です」
疲れたようにハウエルが答えた。その横顔はいつもより陰があり、本当に疲れがたまっているように見えた。
(視察から慌ただしく帰ってきて、それからあんなことがあったら……そりゃ疲れるか)
あんなこと、というのはメイベルがハウエルの唇を無理矢理奪うような、淑女にあるまじき行為のことだ。彼女が口づけした後、しばらく放心状態に陥ったのか、石のように固まっていたハウエルは……正直ちょっと面白かった。
(それから動揺しつつも、もう寝ましょうって何事もなかったように寝床についた振りをして、あんまり眠れなくて何度も寝返りを打って、私と目が合うとすごく動揺して……)
やっぱりすごく面白かったと、メイベルは笑いを噛み殺す。
「メイベル様?」
こちらをそれはそれは美しい笑みで見ているハウエルにメイベルはしまった、と思った。
「なにかよほど楽しいことを思い出されているようですね」
「いえ、そんなことは……」
「ぜひ私にも話してくださいますか?」
「ええっと……あ、ハウエル様。眠かったら、少し仮眠をとってはいかがでしょう?」
こうなったら誤魔化そうとメイベルは寝不足の問題へと話を変えた。けれどハウエルにはばればれなのか、冷たい目でこちらを見ている。
「ほら、寝不足は身体によくありませんし……私の膝でよければ、お貸しいたしますわ」
(あ、また破廉恥なこと言っちゃった)
だがもう遅い。ハウエルは驚き、昨夜のように固まってしまった。さすがに申し訳ない気持ちになる。
「あの、ハウエル様。ごめんなさい。差し出がましいことを言って」
「……そうですね。では膝を貸してください」
「え」
言うやいなや、ハウエルはふわりとメイベルの膝に自身の頭をのっけた。これにはメイベルの方が仰天した。
「ひ、膝枕はいいんですか?」
「私から触れる分はいいんです」
なんだその理屈は。メイベルが混乱している間にもハウエルは左耳をメイベルの膝にくっつけ、ごろりと横になった。胸元で緩く一つにまとめた長い銀色の髪がさらりと零れ落ち……なんだかとんでもない光景を自分は見ている気になった。
うっすらと瞼が開き、金色の目がメイベルを見上げる。
「落としたりしないでくださいよ」
「そ、そんなことしませんよ!」
くすりとハウエルは笑い、メイベルはどきりとした。やっぱり自分はとんでもない光景を今見ているのだ。どきどきうるさく鳴る心臓をよそに、ハウエルはほどなくして寝息をたて始めた。
(……寝付くの早くない?)
それほど疲れていたのか? メイベルは困惑しつつも、そういうことだろうと自身を納得させた。
(それにしても相変わらずきれいなお顔だこと……)
めったにない機会である。しばし、近距離で見られるハウエルの寝顔をじっくり堪能することにした。何度も見ても、ため息が出るほど美しい寝顔である。美人であるだけに、怒る時はとても怖い。……とレイフが震えながら言っていたのも頷ける。
(なんだか、ハウエル様って猫っぽい……)
メイベルは教会で飼っていた猫を思い出した。もとは野良猫だったのを、隠れて餌をやっていた年下の聖女たちをラシャドが見つけ、勝手に餌付けしては困ると注意したものの、一度手を出したのなら最後まで責任をもって面倒を見なさいと交代で世話することとなったのだ。
(白くて毛並みがいい、きれいな猫だったわね)
最初は警戒心が強く、近づけばシャーッと威嚇されたものだ。慣れたと思っても普段はツンツンして、こちらが触ろうとすると身をよじって逃げるのだが、構わず放っておくと、今度は構ってくれというように身をすり寄せてくる性格であった。
(やっぱりハウエル様に似てたかも……)
本人に言ったらきっと嫌そうな顔をするだろうが……メイベルは目にかかっていたハウエルの前髪をそっと払ってやった。じっと寝顔を見下ろし、ふとレイフによく似ていると思った。やっぱり兄弟なのだなと思う。
でもハウエルは兄で、レイフとも性格が違う。レイフはやんちゃで、甘えたがりな所があった。
(この人に甘えられる人はいたのかしら……)
いなかったのだろうな、と思った。亡くなった辺境伯は後継者であるハウエルにとても厳しく接していたと家令がこっそり教えてくれた。ハウエルもまた早く一人前になるべきだと己を律してきたのだろう。
「せめて私といる時くらい、肩の力を抜いてもいいんですよ……」
安らかな表情で眠る夫に、メイベルはそっと囁いた。自分の前でだけ見せる特別な表情を、もっと見てみたかった。
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