第27話 ハウエルの妻
メイベルの告げた事実は、世間を欺いているとも言えた。
(ハウエル様も、そう思ったでしょうね……)
夕食時もあまり話しかけることなく、「喧嘩でもしたの?」とレイフに心配されてしまった。それにメイベルは曖昧に微笑み、何でもないわと答えるのが精いっぱいだった。
(でも、あのまま黙っているなんて、できなかった……)
謝って済む問題ではない。だが何も言わないこともまた、メイベルには辛かった。
(恨まれるのも、仕方がないことだわ……)
「――メイベル様。まだ起きていますか?」
寝床につくまで何も話しかけてこなかったハウエルの声に、ぎくりとする。一瞬眠った振りをしようかと思ったが、結局メイベルは寝返りを打って彼の方を振り向いた。
「起きています」
「今日貴女が伝えてくれたことは、誰にも話してはいけませんよ」
一瞬何を言われたのか、メイベルにはわからなかった。
「特にこのウィンラードでは、聖女の存在は絶大な影響力を持っていますので」
だから決して話してはいけません、とハウエルはレイフを諭す時のような口調で述べる。
「いいですね?」
「え、ええ……。それは、そのつもりです。教会にも、決して言うなと言われましたから」
「そうですか」
「あの、ハウエル様」
「はい」
メイベルは次の言葉を言っていいものか迷った。
「私を、恨んでいるでしょう?」
「いいえ」
「……うそ」
「私が嘘や冗談を言う人間に見えますか?」
「冗談はともかく、嘘をつくようには見えます」
メイベルがきっぱりそう告げると、しばし沈黙が落ちる。
「……貴女に対してはつきません」
それよりも、と彼は話をもとに戻した。
「貴女を恨んでいるか、という話ですが、恨んでおりません」
「でも、私たち教会はあなたや世間を騙しているんですよ?」
「聖女にまったく力がないというわけではないのでしょう?」
「それは……そうですけど」
「ではいいじゃないですか」
とハウエルはあっけらかんと言い放った。
「それに教会の態度も……私が彼らの立場だったら、同じことをすると思いますから」
ハウエルの言葉にメイベルは目を見開いた。ですが、とすかさず彼は次の言葉を発した。
「それはあくまでも、人々にとって平和の象徴たる存在が必要だからです。権力を盾に、自分たちばかりが利を得るのは間違っていると思います」
「教会が政治に介入するのも間違いだと?」
ええ、と暗闇に慣れた目でハウエルがはっきりと頷くのがわかった。
「今はまだごく少数ですが、そのうち身分に関係なく、議会に参加する機会が増えていくと思います。いえ、そうなるべきだと私は思っています。生まれついた地位ではなく、努力や才能によって選ばれた人間が、この国の行く末を担うべきだと」
「……イヴァン教皇たちは、自分は神に仕える身だから、神の意思を遂行する責務があると考えているわ」
神の意思こそ、この国の平和を願うもの。神の教えを誰よりも知る自分たち聖職者こそが国を指揮すべきに相応しい。教皇たちはそう思っている。国王や貴族、ましてハウエルの指摘するそれ以下の身分である者たちが政治に介入するなんて、もってのほかだと……。
「もともと教会がそんな愚かなことを言い出したのも、聖女の存在があったからでしょうに」
聖女は神が遣わした人間。その彼女たちを手厚く保護する自分たちはいわば父親のような存在。そんなふうにして、教会は力をつけていったのだ。
「彼らにとって、聖女も権力を得るための道具、というわけですね」
嘆かわしい、とハウエルは軽蔑するように言った。
「本当にすごいのは貴女たちなのに、それを勘違いして、自分たちこそが神か何かかと思っている」
「ええ……本当に神の遣いを主張するのならば、中立に徹するべきなのに……」
メイベルは深くため息をついた。そして、一番要の問題を思い出した。
「あの、でしたらハウエル様は、私のことを恨んではいらっしゃらないのですね?」
「ええ。聖女の力には驚きましたけど……よく考えれば、理にかなっていますし、まして貴女を恨むなんて……絶対にありえませんよ」
「よかった……」
メイベルは泣きそうな顔でそう言った。
そんな彼女をハウエルはじっと見つめる。
「どうしてそんなふうに思ったんですか」
「だって……夕食の時も、あまり話しかけてくれなかったもの」
「それは考え事をしていたからです」
考え事。間違いなくメイベルが話したことだろう。
「今の聖女は貴女が最年長ですよね?」
「ええ。十八になると、修道院に入るか、高位貴族の男性に嫁ぐか、あるいは、うんと遠い国へ嫁ぐこともあったそうです」
もっとも最後の場合は、聖女の力がほとんどない者に限られた。力が無かったとばれては後々面倒なので、ただの訳あり少女だとして相手に引き取ってもらうのだ。
「たとえ力がほとんどなくても、結婚して純潔を失ったからだと言い訳すればそれらしい理由になりますから」
「……貴女より年が下の聖女が、今後王族……第二王子に嫁ぐ可能性はありますか」
「どうかしら……ケイン殿下は十二歳で、その年に近い聖女は何人かいるけれど……でも、今まで教会は第一王子であるサイラスを未来の王にと支持してきた。それを変えるとなると、今度は第二王子を支持するのかと、各方面から非難されるでしょうね」
それを受け入れてまで教会が事を進めるか、メイベルには現時点では判断できなかった。
「どちらにしても、教会は王家との繋がりを欲しています」
(教会は私を無理矢理アクロイド公爵に嫁がせようとしたことで王家や貴族たちから一斉に反感を買っている。それを払拭するためにも、第二王子派にすり寄るかもしれない……)
メイベルがそんなことを考えていると、唐突にハウエルが言った。
「貴女をケイン殿下に嫁がせる案はなかったのですか?」
「私を? まさか! ケイン殿下とは年が離れていますし、それに兄の婚約者だったのに、今度は弟の婚約者だなんて……さすがにありえませんわ」
「でも、アクロイド公爵にはもともと嫁ぐ予定だったでしょう?」
「それはそうですけど……」
メイベルは不安そうにハウエルの金色の目を見つめた。
「どうして急にそんなことおっしゃいますの?」
「……サイラス殿下が帰る際、教会はまだ諦めていないようなことをおっしゃっていましたので」
教会がメイベルをハウエルと離婚させ、教会の思う相手と再婚させるという話を思い出し、メイベルはますます不安に駆られた。ハウエルもまた、感情の読めない表情で自分を見ていた。
「教会はなぜ、そこまで貴女にこだわるのでしょうか」
「それは……」
メイベルは迷った。実はハウエルにまだ伝えていないことがあったのだ。
「……私は他の聖女たちと比べて、治癒能力が高いんです。だから、おそらくそのためでしょう」
「本物の聖女、と言ったら失礼ですが、つまりは王族の隣に立つのが相応しいと?」
「ええ。きっと、何かあっても大丈夫だと考えたのでしょう」
「なるほど」
ハウエルはそれ以上尋ねることはなく、メイベルは内心ほっとした。そして同時に、彼が自分を恨んでいないということに深く安堵した。
「ハウエル様」
「はい」
「たとえ教会が別の誰かと再婚させようとしても、私はハウエル様のそばにいたいです。……許してくれますか」
明るい場所では決して言えないような言葉でも、暗闇の中では簡単に言えた。何よりそれは、メイベルの心からの気持ちだった。ハウエルは驚いているようだったが、すぐに優しく目を細めるのがわかった。
「もちろんです。貴女は私の妻なんですから」
私の妻と、彼は当たり前のように言ってくれた。それがとても嬉しかった。
「メイベル様こそ……私の夫として、そばにいてもらえますか」
「ええ、もちろんです。だって私……あなたのことが好きですもの」
ハウエルはじっとメイベルを見つめた。やがてそっと身を起こして、メイベルに口づけした。
「メイベル……」
その言い方がまるで愛しているというように聞こえ、メイベルも自分からそっと彼に唇を重ねた。
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