第3章:重なる試練



───光くんとお付き合いをし始めてから、あっという間に3ヶ月が経った。


 運良く隔週で会えていて、私の中ではどんどん彼との距離が縮まってる気が……していたのですが……?



「…………光くん?」

「………」

「あのぉ……」

「………」


 彼の部屋にて。

 さっきからわざとらしく私を無視し続ける光くん。



「………」


 そう、彼は怒っているようです。


 何に怒っているかって……?

 それが分かったら、こんなに困りません。


 せっかく一緒にいるのに、会話できないなんてもったいないよ……。


「───芙由?え、何してんの?!」

「……だって……光くん口きいてくれないから」


 ソファーに寝転がってだらしなく脚を投げ出す光くんに、思い切って跨る。要するに私が馬乗りになっている状態。


 柄にもなくそんな手段に出た私に、光くんは、

「ふぅ……」と諦めたように息を吐いた。


 起き上がる彼と、ちょっと恥ずかしい体勢で向き合って座る。


「芙由は俺のファンだから、俺が嫉妬深いことは知ってるよね……?」

「……はい。知ってます」

「じゃあまず、俺がいつから機嫌悪いか思い出して?」

「え?……んーと……、」


 確か……このマンションに来て……

 そうだ、エレベーターでイケメン俳優のTさんに会って………、



………あ。



「もしかして……Tさんと同じマンションって知って、私が少し浮かれてたから……?」


 そりゃあこんな高級マンション、芸能人が光くん以外にも沢山住んでるんだろうなって思ってはいたけれど。


 本物の俳優さんを見て、つい少しテンションが上がってしまったミーハーな私。


「ん、分かってんじゃん」

「なんだー。そんなことか!笑」


 正直、ほっとする。

 ないとは思うけど、急に冷められちゃったりとか……怖いもん。



「あー。今そんなことっつったなー?」


 子供みたいに口を尖らせてアピールしてくる。


……かわいい……。



「てかさ、他にもここ芸能人いっぱいいるから。芙由が他の人好きにならないか心配なの俺は」


………?


 まったく……そんな心配なんて……。



「……私が光くん以外に興味あると思う?」



 あえて堂々とした口調で本心を告げる。



 光くんは照れ臭そうに笑って。

 私の胸に顔を埋めた…───



 すっかり機嫌を取り戻した光くんと並んで動画を見ていると、突然……



「───……そういえば……さ?」

「ん?」


 何やら神妙な面持ちで話を切り出してくる光くん。


「俺……夏にドラマの主演決まってさ、」



 まだ世間には内緒なんだけど、って前置きをして、詳しく教えてくれた。時間帯は、某局の火曜22:00枠。


………てことは?


「もしかして……恋愛ドラマ?!」


 うそ、うそ、うそー!!!

 私が待ち望んでいた恋愛ドラマ。

 ついに、光くんが、あの枠で主演……?!


「………ごめん」

「へ?!なにが?!」


 私の興奮とは裏腹に、光くんは申し訳なさそうな顔をしてる。


「え……芙由……嫌じゃないの?」

「はぇ?!」


 あぁ……そうか。なるほど。


 確かに、推しが恋愛ドラマに……と考えたら、嫌な人もいっぱいいるのか。



「全然嫌じゃない!むしろ待ってました!」


 伝えると、光くんは呆気に取られて固まってる。


「恋愛もの嫌がるファンの方達もいると思うけど……見たがってる人も沢山いると思うよ?」



 なぜだか私は、これっぽっちも嫌だと思わなかった。……少なくともこの時点では。


「せっかく有名枠の主演だよ?思いっきり楽しんでお芝居してきて。絶対見るからね!」


 光くんの肩をポンと叩いて、激励する。

 テンションが上がっている私とは反対に、光くんは不満そう。


「………まじで嫌じゃないの?」

「うん。嫌じゃないよ?」


 嫌じゃない。ぜーんぜん、嫌じゃない!

 むしろ、楽しみで既にワクワクし始めてる。


 光くんは座り直して私の方を向き直って。


「じゃあさ……」と言ったきり口を噤むと、上目遣いで私を見た。



「……ファンじゃなくて……彼女としては?」


……彼女として……?


 あぁ………そっか………。



「う〜ん………嫌じゃないよ。お仕事だもん」


 言うと、光くんはムッと口を窄めてむくれる。



「なんでだよ〜……。

 俺めちゃくちゃ複雑なんだけど。笑」


 そう言って、呆れたみたいに笑った。


「え……?複雑って、なんで……?」


 素朴な疑問を投げかける。


 光くんは私をぐーっと引き寄せて抱き締めると、肩におでこをくっ付けてスリスリしてきて。


 急に甘えん坊になってどうしたんだろう?


 と、思っていたら……



「応援してくれるのは嬉しいけど……妬いてくんないのは寂しい」



……キュンッ…


 胸の奥が、高らかに鳴った。



───そんな風に呑気にときめいてたあの頃の私に教えてあげよう。


 “推しと恋する世界線”


 その本当の大変さが分かるのは、まだまだここからだということを───




──光くんの主演ドラマの撮影が始まった。



 付き合い始めてからは隔週で、多い時は週一回会えていたのに。


 最後に会った日からあっという間に3週間が過ぎた。


 やっぱりドラマの撮影って大変なんだなぁ……。

 光くん、ちゃんと寝られてるかな……?



 会えない寂しさも少しは感じたけれど、純粋に、多忙な彼が心配だった。



『疲れたー』

『芙由に会いたいー』


 ときどき不定期にメッセージが届く。


『無理せずね』

『私も会いたい』


 日本のエンタメ界の最前線で頑張る光くん。

 邪魔にならないよう、努めて短めに返信。


「───……ただいまぁ」

「あ、柚、おかえり」


 ちょうどスマホを置いたタイミングで、娘の柚が学校から帰宅した。



「………」


 何だか元気がない様子……。


「柚、なにかあった?」


 私が声を掛けると……


「……っ、…うぅ…っ、…っ、」


 突然、柚が泣き出した。小さな肩を抱きしめる。


「……どうしたの?」


 しばらくすると、柚は事情を話してくれた。お友達と喧嘩して、帰りに無視されてしまったらしい。


 詳しく話を聞いて、どうすれば良いか一緒に考えて。ひとしきり泣くと、柚はスッキリした顔をして、「明日学校でお友達に謝る!」と言った。



「柚……話してくれてありがとう。いつでも何でもママに話してね。ママは柚の味方だからね」

「うん!わかった!」


 柚は、とびっきりの笑顔でそう言うと……


「ママも柚に何でも話してね!ナイショはダメだからね!ふたりとも約束ー!」


 差し出された小さな小指に、自分の小指を絡めて。フリフリと揺らしながら……考える。


 柚にナイショにしていること………私には、ある。


………そう。光くんのこと。


 私の胸の奥に、小さな黒い靄が……

 わずかに顔を出した───




───…ピコンッ


 メッセージ通知が届き、その靄は瞬時に姿を隠す。


 送り主は、光くんだった。


『今夜……うち来れる?』




───…結局、柚をまた両親にお願いして。

 光くんの車の後部座席に伏せ気味に座り、横目で都会の夜景を眺めている今。


 “ナイショはダメだからね!”

 数時間前に柚と交わした指切りを思い出し、良心が微かに傷む。大切な娘や両親に嘘をついてまで、大好きなアイドルと交際して……こんな風にコソコソ会ってる私って……一体……?


 まるで不倫してるカップルみたい。光くんも私も、独身なんだけどな。純粋に、大好きな人とお付き合いしてるだけなのに……こんなに後ろめたい気持ちになるなんて……なんか、変なの。


 ずっと一人で考え事をしているうちに、光くんのマンションに到着した…───




────玄関に入るや否や、


「ふゆ……、……──っ、」

「……っん、ちょっと……、光……く…っ…?」


 急に抱き寄せられ、同時に熱いキスが降ってくる。


「──…ひ…か……、…っねぇ、どうしたの……?」


 何とか胸を押して静止すると、あまりにも余裕のない顔をした光くん。


「俺……、恋愛ドラマなんてやりたくねーよ……」


 再び胸の中に私を押し込めると、いつにも増して熱っぽい声で囁く。


「なんで俺……好きでもない人とキスとかしなきゃなんないのかな?」



「……なんなんだろ……、この仕事って………」



 ドラマ……キスシーンあるんだね……。


 でも、動揺はしなかった。


 彼女としてさすがにちょっと複雑かもとは思ったけど……。アイドル『優城光』のキスシーンを見てみたい気持ちも……半分。



「俺が好きなのは芙由だけなのに……」


 1ファンとして、わりとライトに考えてる私とは裏腹に、当の本人は相当沈んでいる様子。


 一瞬、私に気を遣ってくれてるのかな?と思ったけれど。どうやらそうゆうことではないみたい。



「……光くん?」


 見えない世界のことだから……。

 何と言えば良いか分からなかったけれど……。



「きっと光くんはピュアで素直だから、気持ち切り替えるの大変なんだよね……?」


 私は彼女である前に、やっぱり……GSの光くんのファンだから。


「ドラマの最中は私のこと忘れて良いから。撮影終わったら、また私のとこに戻ってきて?」


……ね?と諭すように言う。


 光くんは私の目を見て髪を優しく撫でると、


「芙由ってまじでさ……」


 心の底から湧き出してくる言葉だと伝わる声で、


「………出来た彼女すぎ」



 光くんからそんな風に言ってもらえて。


 まるで本当に自分が“出来た彼女”にでもなった気分で微笑んでいたこの頃の私は……


……全く、とんだ大馬鹿者だ…───




───2週間後…


 光くんの主演ドラマのポスタービジュアルが解禁された。


 お相手は、光くんから聞いていた通り、超国民的人気女優の木下花恋さん。


 実は私自身、彼女の大ファンで。


 だからドラマの話を聞いた時、より一層テンションが上がってしまったのだ。


 光くん扮するパイロットの男性と、木下さん扮する整備士の女性が恋に落ちるという……設定からして、大ヒットの予感しかないラブストーリー。


 大好きな光くんと大好きな女優さんが見つめ合うポスターは……


 私の中では、推し×推しで最高の画。

 この上なくワクワクした。


 光くんはあの日以来、更に忙しさが増して、とんでもなく多忙な日々を過ごしているようで。


 不定期に来ていた連絡も、2日に1通、3日に1通と、少しずつ間隔が空いていった。


 けれども私は、何の不安も感じていなかった。


 光くんのことを心から信じていたし、1人のファンとして呑気にドラマの初日を心待ちにしていた。




───それから1ヶ月後…


 ついにドラマの初日の日。


 その日はどうしてもオンタイムで見たくて、夜勤のシフトを代わってもらった私。


 柚を寝かしてから、テレビの前で正座待機をして、その時を待った。



──…22:00…オープニング…



 ドキ…ドキ…熱くなる心臓……。




 開始3分で…───




「…………うそ……」



 私の時が止まった…──────




 まさかの………。


 初っ端から、キスシーン。

 目の前の画面に写る光くんと木下さんの唇が重なる光景。


 でも、私が衝撃を受けた理由は……

 そこではなかった。


 ゆっくりと顔を離して、木下さんを見つめる光くんの瞳が……


 いつも私に向けてくれるあの……愛おしい人を見つめる時の……本気の目をしていたから…────




 “光くん……恋してる”


 見た瞬間、そう直感してしまった。


 テレビから目を離せず、ドクドクと嫌な胸騒ぎがしてくるのを封じ込めながら、画面の中の二人の一挙手一投足に集中する。



 “うん……やっぱり、木下さんも……”


 二人が醸し出す雰囲気は、とてもお芝居とは思えなくて。


 かなしいかな、こうゆう直感って当たるよね……。

 なんて冷静な自分も、やっぱり存在してる。


 けれども、CMになった瞬間に冷静さなんて吹き飛んで、脳内は私に警告を鳴らした。


 慌ててメッセージアプリを開き、光くんとのトーク画面を開く。



「…………」



───唖然とした。


 あまりにも呑気に光くんの体調を心配しながら、ドラマをただ心待ちにしていた自分に呆れる。


 最後に光くんからメッセージが来たのは……


 もう、1ヶ月も前だった。


 これはまずい。……と思った。


 光くんが、木下さんに取られちゃう。

……って、最初から光くんは私の“もの”なんかじゃないけれど。


 危機感のような焦りのような感情で、嫌な胸のざわめきが止まらない。


 案の定、ドラマが終了した直後にSNSを開くと、二人が本当に出来てるんじゃないか?という話題で持ちきりだった。


 ヲタク用アカウントは全て削除していたにも関わらず、私はわざわざアカウントを新しく作って、徹底的に光くんに対するファンの方々の見解を調べ漁った。


『あれは絶対本気だわ。。。』

『無理。もう来週から見れない……』

『光ガチ恋してて草wwww』


 やっぱり……

 光くんも、木下さんも、そうゆうこと……?


 だから光くん、全然連絡して来ないのかな……?


 いや……きっとこれも役作りの一環だよね。

 私を忘れて役に集中するため。きっとそう。


 言い聞かせながらもやっぱり不安で、結局私はその日の深夜、光くんにメッセージを送った。


『ドラマ良かったよ』

『次、いつ会える?』


 何度も何度も打っては消してを繰り返して。

 やっと送信ボタンを押す。


 すると10分後に、返信が……。



『ごめん、しばらく無理そう』


 そっか……忙しいもんね。


 こんな真夜中にすぐに返信が来るってことは、きっとまだお仕事中なんだ。


 ドラマの撮影は放送と同時進行で行われている。


 最終回の編集作業が放送当日、ギリギリに終わるケースもあるらしいし……



 でも私……あの二人を最後まで見続ける勇気ないかも……。


 そうは思ったものの、やっぱり気になって、火曜夜はきっちり録画予約をセットして夜勤に向かう。



 ドラマの回数を重ねるごとに、二人が深く心を通わせているように見えた。


 “怖い”


 あれだけ楽しみにしてた光くんの恋愛ドラマなのに。だんだんと観るのを苦痛に感じるようになって。


 私は………観ることを辞めた。


 撮影中、光くんはどんな風に過ごしてるんだろう?休憩時間とか、何してるのかな?

 きっと、木下さんと沢山お話してるんだよね……?

 私には連絡もくれないくせに……。


 どんどん捻くれて、ネガティブになっていく。



 でも……そうだよね。

 もともと遠い世界の人なんだもん。

 これが本来の私と光くんの姿だったのだから。


 もし、二人が本当に恋に落ちて、私と光くんの関係は終わってしまうのならば……その時はその時だ。


 それに、相手が木下さんなら、私も諦めつくよね。


 そんな風に自分にひたすら言い聞かせる。


 寂しさも切なさも虚しさも、いっぺんに引き受けなきゃならないしんどさで。

 もう、心が壊れてしまいそうだった───




 結局、ドラマは大ヒットに終わり。

 最終回の視聴率は20%を超え、間違いなく、光くんの大出世作となった。


 けれども……ブログでクランクアップをお知らせしていた日も、ドラマの最終回が終わっても、光くんから連絡が来ることはなくて。


 今もしかしたら、木下さんと過ごしているのかも。

 ドラマが終わっても仲良くしてるのかも。


 そんな妄想が、否が応でも膨らんできてしまう。


 結局、私から彼に連絡をする勇気なんて湧くはずもなく。気付けばもう丸3ヶ月、光くんと会えていなかった。




──ドラマが終了して、2週間ほど経ったある日……


 自分から行動する勇気が出なかった私は、ただひたすら光くんからの連絡を待っていた。


 いつどこでお仕事をしているのかまったく分からない世界だから、電話を掛けるのも気が引ける。


 メッセージは何度か送ったけど、そっけない短い返信が来るだけなのが切なくて……送るのも、もう辞めた。


 でももう丸2ヶ月、連絡すら来ていないこの状況。


 ネットではドラマが終わってからも尚、光くんと木下さんの熱愛について話題になっている。



 これってきっと、そうゆうことだよね……?


 知り合ってからずっと積極的だった光くんから、こんなにもパッタリと音沙汰が無くなるとは。

 この現実があまりにも悲しすぎて、受け入れたくなかったけど……。


 でももう、これで良かったんだよね。

 良い夢を見させてもらったと思おう。


 うん、そうだよ。

 大好きな光くんと大好きな木下さんが、熱愛なんて……こんなに嬉しいことはない。


 そう言い聞かせて。

 私は最後のつもりで、筆を取った。




──────────────────

光くんへ


ドラマ、最高でした。

幸せな時間をありがとう。

大好きでした。

これからも遠くから応援してます。

元気でね。


芙由より

──────────────────

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