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結局、お別れのファンレターは…──
出せないまま鞄の中に眠ってる。
「……はぁっ、」
溜め息をついても何が変わる訳でもないのに
「……はぁっ、」
……止まらない。
時刻はAM1:00。お客さんも誰もいない店内。
ぼーっと陳列棚の整理をしていると、入店のメロディが流れ、パッと入口を見る。
「芙由…………」
切羽詰まったような顔をした光くん。
店内に勢いよく入ってきたかと思えば、いきなり私を抱き寄せようとしてくる。
「待っ……、こっち……!来て」
私は光くんを制止すると、その手を掴んでバックヤードの奥へと彼を連れて入った。
「こんなところでダメでしょ?光くん、前より更にもっと……もっと、もっと……、ものすんごく、注目されてるんだから……っ、」
泣きそうになるけど、堪える。会いに来てくれて嬉しいけど、自然と語尾がきつくなってしまう。
光くんは今、芸能界全体で一番注目を集めてる大人気アイドルなんだから。こんな大切な時期にスキャンダルなんて、絶対、だめ……。
「……ごめん」
光くんはつぶやくと、今度は優しく私を引き寄せて抱きしめてくれる。
「……ほんとにごめん」
薄暗いバックヤードの中、光くんは何度も謝ってくれた。
私は……何も言うことが出来なくて。
言いたいことは山程あったけれど、光くんを頭ごなしに責める気にはなれなかった。
一生懸命お仕事してたんだよね。
全力で、頑張ったんだよね……。
もう終わりにしようと思っていたのに、顔を見たらやっぱり大好きだと簡単に自覚させられる。
その日、光くんは私の夜勤が終わるのを待っていてくれて。翌朝少しだけドライブをした。
車を走らせて人気のない駐車場に車を停め、後部座席に乗り込んでくる光くん。
隣に置いていたかばんを移動させようとしたとき……かばんの中身が溢れてしまった。
「……──これ、俺に……?」
座席に散らばったものを拾い集めてるとき、光くんが手に取ったのは……私が最後に書いた──出せずにいたあのファンレター。
「……読んでい?」
「あ、ダメこれは……」
「だって……俺に送ろうとしてたやつでしょ?」
光くんは手紙の封を開けて読み始める。
短い手紙は一瞬で読み終わって。
彼は俯いたまま手紙を元に戻すと……グッと強引に腕を引かれ、痛いくらい強く私を抱きしめた。
「……まじで俺バカだ……。芙由以外好きになるとか有り得ないのに……」
「…………」
「毎日何時間も一緒にいて、台詞だけどお互い好きだとか言い合ったり抱き合ったりキスしたり何回もしてたら……、なんか俺……よく分かんない気持ちになってきて……」
聞きたくない。
けど………聞かなきゃダメだよね。
「でも……そうゆう作品だったから……、良い感じに役作りできてるんだと思ったから。芙由に会ったら役が抜ける気がして恐くて……会いたかったけど……会いたくなくて……」
「…………うん」
「まじで……ごめん。辛い思いいっぱいさせて……ごめんなさい……」
光くんはこれまでにないくらい早口で、一生懸命気持ちを伝えてくれた。
「───わかった。許す」
「………え?」
「ドラマ良かったよ。本当にお疲れ様」
私の言葉に、光くんは目を潤ませながら安心したように笑った。
「……芙由……ありがとう」
絞り出したような声は涙声で。
「この手紙……もう二度とこんなことがないように俺が貰っとく。ときどき読んで……何回も反省するから…っ…、まじで…っ…、ごめん……っ」
光くんは、泣いていた。
役者さんだって、アイドルだって、人間だ。
そう………改めて感じた瞬間だった────
「光くん……」
「……っ……ん?」
「あのね……気付いたことがあって……」
「え?」
楽しみだと思っていたはずのドラマを見ているときの……あの胸のザワザワ。
見て見ぬふりしていた自分の本音。
すごく、すごく嫌だったんだ。
光くんが他の女の子と恋愛ドラマをしてるのが。
たとえ、自分の大好きな女優さんでも。
「私、光くんに、恋してる」
これは、推しに向けた好きという気持ちじゃない。
光くんを完全に一人の人として好きなんだと、今回のドラマを通してはっきり自覚した。
「というかもう、ずっと前から『恋愛の好き』だったみたい……」
「……まじで?」
光くんは顔をしわくちゃにして嬉しそうに笑う。
「……だからごめん。私、実は……ドラマ最後まで観られてないんだ……」
きっと、これから先も観られそうにないや……。
「……いいよ全然。てかむしろ、見ないで!笑」
それ以来、平穏な日々は無事に帰ってきた。
『芙由ー。早く会いたい』
『疲れた。芙由不足~倒れる~~』
『次のオフ温泉でも行くか』
連絡の頻度も、元に戻った。
そんなある日……
──…えー…続いてのニュースです。
人気アイドルグループGlowing Starsの優城光さんが、新宿区の路上で追突事故を起こしました。
本日午前10:00頃、新宿区の交差点で人気アイドルグループの……────
──報道によると……
光くんの運転する車が、信号待ちをしている車に後ろから突っ込んでしまったらしい。
相手の車のバックドアは大きく凹み、運転手の男性は首に鞭打ち。全治2週間とのこと。
でも、そのとき光くんは何事もなかったかのように車を発進させて居なくなってしまったと……。
………ん?
その報道を見た瞬間、私は直感した。
「……こんなの嘘だよ……」
光くんが知らん顔してその場から立ち去る訳がない。そんなことをする人じゃないから。
ファンなら誰でも分かるはず。
『光くん、ニュース見たよ。大丈夫?』
メッセージを入れるも……全然既読にならない。
夕方の情報番組でも取り上げられたり、ネットニュースも増えてきて、かなり大事になっている様子。
SNSでは、光くんを擁護するファン達と、報道を鵜呑みにした一般の人たちとのバトルが繰り広げられ、大炎上している。
こんなにあることないこと言われたり書かれたりして……光くんのメンタルが心配……。
その日の夜中はどうにもこうにも気になって、スマホを制服のポケットに入れたまま仕事をしていた。
♪ブルル…──
メッセージの通知を示すバイブが鳴ったことに気付き、バックヤードに入って確認する。
『しばらく自宅謹慎だってさ』
……なんで?
……自宅謹慎って…どうゆうこと?!
聞きたいことは山程あるけど、仕事中だったのと、光くんの状況を鑑みてとりあえず短めに返信する。
『大丈夫。光くんはそんな人じゃないってファンの皆はちゃんと分かってるよ』
『もちろん私も分かってる』
───仕事が終わり、スマホを開くと……
『ありがとう』
『俺さ、良いこと思い付いたんだけど……』
───翌土曜日。柚をダンス教室に連れて行き、待合室で子供達の練習風景を眺めていると……
「芙由さん……ですか……?」
聞き覚えのある独特の声がして、振り返る。
「え?!圭ちゃん?!?!」
びっくりして仰け反る私。
「あははっ、初めまして。光に頼まれて来ましたー」
……なるほど。圭ちゃんにお願いしたのね。
『土曜日のダンス教室、絶対待合室で待ってて?』
そう光くんから言われていた。
報道を見る限り、光くんの自宅にはマスコミが押し掛けていてとてもじゃないけど近づけなそうで。
心配だけど会えそうもないと、諦めていたけど……。
「光がさ、芙由に会わないと無理って。それで迎えに来たんすけど……、で、これ……笑」
手渡された紙袋の中には、黒い帽子に短髪のカツラ。男物のラフな服装。
「てことで……マネージャーのふりしてもらっていっすか?笑」
「ふふっ、わかった」
でも……柚はどうしよう……?ダンスレッスンが終わるまであと30分……時間がない。
そのときだった──
「芙由さ~ん!」
爽やかな声がしてまた振り返ると……指に車のキーを引っ掛けた司くんが立っていた。
「え……司くんも……待って、どうゆうこと?!」
目の前に並ぶ二人のアイドルを交互に見て、頭の中はパニック!パニック!
「俺、今日オフなんで。柚ちゃんと1日デートして待ってますよ」
「………てことで、芙由さん、行きましょ!」
圭ちゃんと司くんがチラッと目を合わせてアイコンタクトしてる。
そっか……。光くんと私、メンバーの皆に支えてもらってるんだ……。
すごい世界線に来てしまったもんだ……。
「司くん、ありがとう。柚も絶対喜びます」
「お任せください!」
「圭ちゃんも……ありがとう」
「いいえ~」
泣きそうになって、私は紙袋をぎゅっと握り……圭ちゃんの後ろに付いてダンススクールを出た───
──圭ちゃんの運転する車の車内で、マネージャーさんに変装する。逆に怪しまれるからと、後部座席ではなく助手席に俯きながら座った。
話には聞いていたものの、光くんの家の前にはとんでもない数の報道陣。
マンションの地下駐車場に圭ちゃんの車が入ろうとすると、無数のフラッシュと飛び交うマスコミの声に……恐くなって無意識に身体を縮こめてしまう。
『圭さーん!光さんの様子は?!』
『当て逃げって本当ですかー?!』
『犯罪ですよね~?仲間の不祥事をどうお考えでしょうか~?』
……そんなはずないのに。
光くんが、そんなことするはずないのに。
腹の底から怒りが湧いてきて、身体が震える。
「芙由さん……?大丈夫……?」
車を停めると、圭ちゃんが心配そうに声を掛けてくれた。
「俺この後仕事なんで帰りますけど……何かあったら連絡してって、光に伝えてください!」
綺麗な歯並びの可愛い笑顔に……少しだけさっきの怒りが落ち着いてくる。
「……分かりました。圭ちゃん、ありがとう」
──インターフォンを押してロックを解除してもらい、部屋に向かう。玄関を開けると……
「ふははっ、やべー。いま一瞬まじでマネージャー来たかと思ったわ。笑」
意外にも元気そうな光くんを見てほっとする。
「……光くん……大丈夫?」
「ん、来てくれてありがと。ごめんね、こんな格好させて」
優しく微笑んでソファーに腰かける光くんは、よく見るとひげが少し伸びていて。顔色も……やっぱり、あんまり良くない感じがする。
そりゃ、そうだよね……。
外には大勢の報道陣。カーテンも閉め切った部屋で、一日中ずっと一人でいたら……。
「光くん……」
私は変装を解くと、ソファーの前に膝をつき、光くんをギュッと抱きしめた。
「……俺……なんもしてないんだよ?」
「うん」
震える愛おしい声に、私はそっと耳を傾ける。
「目の前の車が急停車してさ?慌ててブレーキ踏んだんだけど間に合わなくて。で、すぐ車降りて出てって謝ったんだよ?」
「うん」
「そしたら普通にさ?別にどこも痛そうとかじゃなくて。全然大丈夫ですって言われて。修理代支払いますって言ったんだけど、急に停まったこっちが悪いからいらないって言われて」
「うん」
「でさ、マネージャーにすぐ連絡して、俺のはさすがにまずいからマネージャーの連絡先教えとくことになって……」
子供みたいに夢中で話し続ける光くんの背中を、静かに撫でながら聞く。
「……そしたらさ。当て逃げされたから慰謝料払えって。後日マネージャーに連絡あったらしくて」
「………」
「よくあるらしいよ。相手が芸能人だと分かった途端、急に被害者っぽく出てくんの。金いっぱい持ってるだろって感じで、脅してくるパターン。笑」
光くんは呆れたような口調で続ける。
「全部嘘なのにさ?報道されてることなんて全部。なのに俺がまるで犯罪者みたいになってんの。
……ウケるっしょ?結局、事務所の弁護士の人が上手くやってくれたんだけどさ。笑」
光くん……。
笑ってるのに……、泣いてるように見えた。
「……みんな分かってるから。全部嘘だって」
ゆっくりと身体を離して、顔を見る。
「こんなことで光くんのファンはいなくならないよ。絶対、大丈夫」
力強く言うと、光くんは頬を綻ばせて、ふにゃりと安心したように笑う。
「俺まじで……人間不信になりかけてた。メンバーにも迷惑掛けっぱなしだし……」
「……芙由がいてよかった」
なんかすげーほっとした、って髪を撫でてくれる。
「私はずっと味方だよ?」
私も、彼の髪をやさしく撫で返した。
──夕方、柚を連れて迎えに来てくれた司くんの車に乗り込む。
司くんとすっかり打ち解けて楽しそうに会話を続ける柚を見て、感謝と安心で胸がいっぱいになり、力が抜けた。
「……ママ?」
「ん?」
自宅の玄関前で司くんの車を見送ると、柚がニヤニヤしながら私を見てきた。
「光くんと……ラブラブなんでしょ?」
「へ?!」
司くん……。
もう隠すのも限界だとは、思ってたけど……
「大丈夫だよ!柚、絶対お友達に内緒にするから。じいじとばぁばにも内緒にするよ!だって、司くんと約束したんだもーん♡」
どうやら秘密厳守だと伝えられてはいるらしい。
光くんの一番の理解者である司くん。
今回もすごく助けてくれたし……。
「……司くんとの約束、ちゃんと守るんだよ?」
「うん!もちろん!」
子供がどこまで秘密を守れるのか、不安ではあるけれど。大切な娘にもう隠し事をしなくて済むんだと……ほっとしてる自分もいた。
…───シャッ
一瞬、何か音がした気がして振り返るも……誰もいない。……ダメだ。光くん家の報道陣たちの騒音が耳に残ってるんだ。
“光くん……大丈夫かな……?”
心配しながらも、ニコニコ幸せそうな柚と共に、自宅へと入った──
───追突事故騒動から半年が経ち、世間はあっという間に事件のことなんて忘れていた。
結局目撃者がSNSで、前行車が急停車したことや、光くんがすぐに謝罪しに車から降りていたことなどの詳細を拡散して否定してくれたお陰で、光くんの無実はキッチリと証明された。
仕事への影響もほとんどなかったようでホッとする。
そうしていつも通りの生活が帰ってきたある日の夜勤中……
「──おい、芙由」
「……え?なんで……なんでいるの?」
深夜のコンビニに突然現れたのは……
「久しぶりだな」
──…私の、前の夫だった。
「なぁ、金……貸してくれないか?」
「……どうしてここで働いてること知ってるの?」
「そんなの調べれば簡単だよ」
「………」
「頼む芙由……金が必要なんだよ。次のレースで一発当てて全額返済するから。な?頼むよ、この通り」
……そう。私の前夫は……ギャンブル依存症なのだ。
「……いい加減にしてよ」
「3万……あと3万あれば人生逆転できんだよ……」
「帰って」
「……頼むよ……芙由…っ」
前夫は私の両肩を掴むと、体重を乗せるようにして頭を下げ、懇願してくる。
「……やめて。お金なんてある訳ない。誰のせいでこんな時間に働いてると思って……、」
言い掛けた所で、ふわっと身体から重みが消えた。
「───てめぇ、何してんだよ」
ドスの効いた低い声……。顔を上げると、光くんが前夫の胸ぐらを掴んで睨みつけていた。
「はぁ?!んだよお前……誰だよ……」
「こっちの台詞だよ。芙由に何の用?」
前夫はテレビをまったく見ない人だ。きっと光くんのことも知らないのだと、反応を見て分かった。
「ほーん、なるほどなぁ。お前、俺を捨てて消えたと思ったら、こんな若い男と遊んでんのか……」
「……捨ててなんかないでしょ」
光くんは状況を察したのか、掴んだ胸ぐらを静かに離し、前夫に向けてまた低い声で言う。
「警察呼びますよ?」
前夫は悔しそうに唇を噛んで光くんを睨み付け、苛立った様子でコンビニから出て行った。
「芙由……大丈夫?」
「……うん。ありがとう」
「あれって前の旦那さん?」
「……うん。ごめんね、巻き込んじゃって」
光くんは首を横に振ると……
「裏の駐車場いるから。終わったら来て?」
心配そうに言って、光くんもコンビニを出て行く。
朝日の白い光が…──
その逞しい背中を、神々しく照らしていた──
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