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──主演ドラマの撮影が始まった。
初めての王道ラブストーリー。
今までもラブストーリーを演じたことはあったけど、コメディ要素のある作品がほとんどだった。
……でも今回は違う。
恋愛ドラマの超人気枠での主演。しかも相手は国民的大人気女優の木下花恋さん。
マネージャーやメンバーからは「俳優としての知名度を高める絶好のチャンス」だと言われ、俺も並々ならぬ覚悟をもってクランクインを迎えた。
木下さんは、すごく可愛らしい人だった。スタッフにも共演者にも分け隔てなく接していて、彼女が来ると現場に花が咲いたように明るくなった。
いつもニコニコしている木下さんだけど、撮影中は表情が陰にも陽にもクルクルと変わる。
さすが国民的トップ女優だと思わずにはいられなかった。
「ねぇねぇ、“優城光”って本名?」
「え……あ、えっと……苗字だけ違うんすけど、名前はそうです」
「そうなんだ〜、素敵だね」
人見知りの俺が打ち解けやすいように度々話しかけてくれて、自然に盛り上げてくれるから、話しやすかった。
「……木下さんは……本名ですか?」
「私はね、芸名。と言っても本名とほとんど変わらないんだけどね?」
甘い雰囲気だけど、芯のある女性という感じがして、すごく好感が持てた。
撮影の合間にも芙由に会いたくなる瞬間があって、その度にLINEを入れた。
俺を気遣ってかいつも短めな返信だったけど、些細なやり取りでもエネルギーが湧いてくる気がした──
───撮影が始まって、2週間。
別仕事の待ち時間にドラマの台本を読んでいると……
「明日……キスシーンか…」
台本を受け取った時点で内容に目を通していたから、知ってたけど。キスシーンがいよいよ翌日だと気付く。
これまでにもキスシーンはあった。愛梨と付き合ってる頃、キスシーンがあるラブコメ作品に出た時なんか、愛梨はヤキモチを妬いて大変だったっけ。
撮影中に何度も電話してきたり、メッセージを送ってきたりして……正直、かなり面倒だった。
その時は愛梨の対処で精一杯で、キスシーンなんてただの仕事だし、どうでもいいから早く終われって気持ちでやり過ごした。
でも……今回は、なんか違う。
正直、俺の中にモヤっとした感情が湧いてくる。
「やりたくねぇなぁ……」
仕事だけど。仕事なんだけど。なんで好きでもない人とキスなんてしなきゃいけないんだろう……?
今更、改めて自分の仕事に疑問がわいてきて。
『今夜……うち来れる?』
無性に芙由に会いたくなった。本当に好きな人とキスしたい……そう思った。
芙由に会えば、やっぱり好きだと実感させられて。
俺の気持ちを見透かしてるみたいに言ってくれた。
「ドラマの最中は私のこと忘れて良いから。
撮影終わったら、また私のとこに戻ってきて?」
……やっぱり芙由は、愛梨とは違った。
比べるもんじゃないけど。でも、全然違った。
俺の彼女は、最高の女性だ。本気でそう思った。
誰よりも俺の仕事を応援してくれて、理解してくれてる。
芙由に恥じないよう集中してドラマに臨まなければと思い直して、俺は翌日からの撮影に一段と気合いを入れた。
───撮影が始まって1ヶ月経つ頃。
ふと、自分の気持ちの変化に気付き始める。
「あれ……?…今日、木下さんは?」
「今日は別の映画の撮影なので来ませんよ」
スタッフに木下さんの所在を確認する俺。
そっか……別の映画も並行して……。やっぱりすげーんだな、木下さん……。
俺はいつからか、撮影以外でも木下さんのことが気になるようになっていた。
おっかしいな……、今までは共演者に対してこんなことなかったんだけどなぁ……。
そんな中、2回目のキスシーンがあり。
日に日に木下さんとの接触シーンが多くなって。
撮影の最中も、ずっとドキドキしてる自分。
木下さんの俺を見る目。
妖艶で儚げに揺れる瞳。
もしかして本当に俺に気があるんじゃないかと……芝居だと分かっていながら、どうしてもそんな風に錯覚してしまう自分がいた。
正直そんな自分に戸惑った。
芙由という最高の彼女がいるのに、こんな気持ちになっている俺って……。
───その夜、ドラマの初回放送…
SNSでは俺と木下さんの熱愛の噂で持ちきりらしい。
ドラマの評判は上々だと、スタッフ達は大盛り上がりで、現場の士気がグッと上がったのを肌で感じる。
芙由のことを考えると心中複雑だったけど……
毎日早朝から深夜までハードな撮影が続く中で、いろんなことを気にかけている余裕は全くなかった。
もうこの気持ちのまま、最後まで突っ走ろう。
“ドラマの最中は私のこと忘れて良い”
そう言ってくれた芙由の言葉に甘えよう。
──撮影が終わり、帰宅中の車内で、スマホにメッセージが届く。
『ドラマ良かったよ』
『次、いつ会える?』
……芙由からだった。
遠慮しながらメッセージを送ってきてくれてる姿が想像できて、胸が少し傷んだけど……。
正直、キツキツのスケジュールで芙由に会える時間は取れそうになかったし、今芙由に会ってしまったら……役作りとして良い方向に向いている木下さんへの感情が、揺らいでしまう気がした。
『ごめん、しばらく無理そう』
俺は、芙由と距離を取る道を、選んでしまった。
───ドラマは回数を重ねるごとに話題になった。
毎回ネットニュースで取り上げられたり、俺と木下さんの熱愛ネタも相まって、今季一番のヒット作とも言われているようで。
撮影中にも俺の演技を評価する声が沢山耳に届き、次のドラマや映画のオファーが殺到してるとマネージャーから聞かされた。
木下さんとの関係性も良好で、スタッフも共演者も現場の雰囲気もすごく良い。
俺は芙由の存在を忘れるかのように、目の前の撮影に没頭していた。
──約4ヶ月に渡るハードな撮影をクリアし、無事にクランクアップを迎えた翌日……
芙由に連絡しようかと、一瞬考えた俺。
でも……なぜだろう……。俺の中で、上手く気持ちが切り替えられなくなっていた。
木下さんのこと、本気で好きになったのか?
芙由に……何をどう伝えれば良い……?
グルグル考えてるうちに、あっという間に最終回の放送日を迎えてしまった。
最終回の視聴率は20%を越えたらしく、俺も木下さんも、スタッフ全員がほっとしていた。
多忙な木下さんのスケジュールの兼ね合いで、最終回の1週間後にようやくドラマの打ち上げが開かれた。
「光くん、おつかれさま~。ありがとね」
久しぶりに会った木下さんを見たとき……
俺は、ハッとした。
木下さんの俺を見る目が……
撮影中とは全く別のものに変わっていたから。
彼女は正真正銘、プロの女優さんだった。
俺に向けてくれていた眼差し、仕草……その全てが役としての魅せ方だったことを、俺はまじまじと見せ付けられた。
そして俺自身も……そんな木下さんの姿を見て、一気に冷静さを取り戻していくのが分かった。
やっぱりこれは疑似恋愛だったんだと、はっきりと自覚した。
次の映画は恋愛ものではなく、医療ものだった。
“芙由に連絡しなきゃ”
そう思ってはいるものの。言いようのない後ろめたさがあって……。
専門用語だらけの医療映画の台詞覚えに苦戦しながら、並行してグループの活動もある生活の中で、なかなか芙由に連絡できずにいた。
そもそも、連絡もせずにずっと芙由を放っておいてしまった俺……。
メッセージでも、電話でも、何をどう伝えても……なにも上手く伝わらない気がした。
それに芙由からしたら『浮気』って思うよな……。
怒って呆れて……見放されるかも……。
とりあえず、会わなきゃ。
会ってちゃんと話をしよう。
そう思いながら、スケジュールが空くその時を待ちつつ、黙々と目の前の仕事をこなした。
「優城ー、先月分のファンレター!」
仕事の合間にマネージャーが持ってきてくれたファンレター。芙由と付き合う前は、この山の中から芙由の手紙を探すのをいつも楽しみにしてたっけ。
付き合い始めてから毎月手渡しで貰っていたけど……
「……あ…、」
ふと目に止まった封筒。
この山の中から出てくるのは半年以上ぶりの、淡い紫陽花柄のそれ。
慌てて開封すると……
見慣れた丸っこい字に、懐かしさが込み上げる。
──────────────────
光くんへ
ドラマ観てます!
ちょっと妬けちゃうけど……(笑)
体に気を付けて、無理せずがんばってね♡
芙由より
──────────────────
…………馬鹿だ、俺。
スケジュールが空く日なんて待ってる場合じゃない。今すぐ芙由に会いに行かなきゃ。
その日、深夜の撮影を終えると、その脚で芙由の働くコンビニへと向かった───
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