──勤務が終わり、コンビニ裏の駐車場へと向かう。


「お疲れ様」

「ありがとう」


 フワッと笑う彼を見て、疲れた心が解けていく。


──シャッ…


 まただ……。乾いた音が聞こえた気がして振り返るも……誰もいないし、何もない。


「……ん?芙由、どした?」

「ううん、何にもない」


 いつも通り、後部座席に乗り込んだ。



「……ごめんね。何も話せてなくて」


 あんな所を見られてしまったら、これ以上隠す訳にもいかない。


「私、実は……借金がかなりあって……」


 バックミラー越しに見える彼。真剣な目つきで真っ直ぐ前を向いて、「うん」と相槌を打ってくれる。


「元夫ね、ギャンブル依存症なの。その連帯保証人に、私がなってて。あの人はあの調子で、仕事に就いても無断欠勤してクビになってを繰り返してて。あの人はお金返せそうにないし、私が返済してるの……」


 光くんは「うん」とまた短く相槌を打つ。


「だから、私ね……昼間は在宅で翻訳の仕事もしてて。それで夜はコンビニで夜勤なんだ。水商売も一度やってみた時期あるんだけど、合わなくて」

「……そうだったんだ……」


 驚いてる様子でもなく、かと言って深刻すぎる感じでもなく、まっすぐ受け止めようとしてくれている光くん。


「昔はね……すごく優しい人だったの。バイクとゲームが趣味で……光くんと同じでね。柚のことも可愛がってくれる良いパパだったの」


「でもある時から急にパチンコにハマっちゃって。仕事のストレスが溜まってたのかな。だんだんと競馬とか競輪とか……何でも手を出すようになって……」


 当時のことを思い出すと苦しくて、胃が痛くなる。


「仕事にも行かなくなって、結局クビになっちゃって。それが原因で……離婚したんだ……」


 ひと通り話し終えて口をつぐむ。ちょうど信号待ちで車が停まり、光くんは後ろを振り向いて……


「……いくら?」


 優しい声で、そう聞いてきた。


「え?」

「借金。いくらあんの?」


 言って良いものか……。

 変な気を遣わせてしまう気もするけど……。



「……700…万…」


 ここまで話して正直に伝えない訳にもいかず。


 金額を聞いて、光くんは一瞬目を丸くしていた。


 そりゃあ……

 そんな反応に……なるよね……。


 信号が青に変わる。

 光くんは前に向き直り、車を発進させると……




「分かった。俺、それ何とかするから」


 まさかの言葉に、耳を疑った。


「……え?!……だめだよ、そんなの絶対ダ…「その代わり条件がある」


 私に被せるように、光くんは力強く言った。


「条件……?」


 バックミラーの奥のサングラス越しに、視線がピタッと合わさる。


「……元旦那さんの病気が治ってちゃんと社会復帰できるまで、俺にサポートさせて?」


 え……?……光くんが、前夫のサポート?!


「だって、元旦那さんがちゃんと更生してくんなきゃ、芙由が心配だから」


 想定外の条件提示。彼にはなんのメリットもない条件。驚きと嬉しさで、鼻の先がツンとしてくる。


「……光くん……本当に……ありがとう……」


 私は彼の想いを、有難く受け取ることに決めた。


──その日の夜…


『振込先教えて』と、光くんからのメッセージ。

 言われるがままに、借金の返済先を教える。


 数日後、元夫の借金完済の通知メールが、私の元へと届いたのだった───




───それからというもの、元夫は私の前に一度も姿を見せなかった。

 心配になって連絡すると、


『ありがたいよ。本当にありがとう、芙由』


……と、何度も御礼を言われた。


 私は別に何もしていないのだけれど。


 きっと、光くんが何かしてくれてるんだろうなぁ、と直感的に思った。



「……ねぇ、光くん、あの人と会ってるの?」

「んー?なにがー?」

「……私の前のおっ…、」

「はい、どーぞ!これさ、この前の撮影ん時に泉からもらったお土産なの。フルーティな味するらしいよ。飲んでみて!」

「………」


 聞いてもこうしてはぐらかされてしまう。


 光くんってやっぱり……こうゆう人だ。

 なんというか……まさに、“男前”な人。


 光くんに淹れてもらったハーブティーを飲みながら、二人でまったりと過ごす。



「あ〜ぁ、この後仕事だー。だりーよー」

「今日は何のお仕事なの?」

「今日はねー、バラエティの収録」

「そっか。頑張ってね」


 いやだー、芙由と家にいたいー。

 って駄々っ子みたいになってる光くん。


 近頃ものすごく甘えん坊になってきてる気がする。なんだかとても可愛くて、好きが増していく。


 そんな調子で、瞬く間に時は過ぎていった───



「───いやぁ……まさかなぁ。元嫁の彼氏がアイドルだとは!驚いた~!ぶわっはっは~!笑」


 連絡があって訪れた近所の喫茶店。私の向かいに座るのは……ライダースーツを着た元夫。

 コーヒーを一口、口に含む。


「コンビニで雑誌読んでたらさ、あれー?こいつ見たことある顔だなーって。笑」


 少し前に比べると随分と表情が豊かになった。


「どーも」

「おー!光ー、来たかー!」


 深々と帽子を被り、サングラスをした光くんが店内に入ってくる。


「……で、新しい職場はどうなんすか?」

「おー、お陰様で良い感じ」


 光くんのおかげで借金を無事に完済できてから、早くも3ヶ月が経った。


 肩代わりしてもらったお金は、これからきちんと返していくと伝えたものの……お金は返さなくて良いからと言ってくれた光くん。

 とはいえ、返すつもりではいるけれど。


 借金が無くなったことで生活が大きく変わった。翻訳の仕事だけで充分暮らしていけるため、私はコンビニの夜勤を辞めた。元夫は精神科に通院し、定期的に自助グループのミーティングに参加してるらしい。


 その甲斐もあってか、元夫はきちんと再就職できて、やっと以前のような生活を送れるようになり……



「んじゃ、行くかー!」

「今日は千葉の方にしません?」

「お、いーねー」


 いつの間にか、光くんのツーリング仲間になっていた。


「……じゃあ芙由、行ってくるね」

「うん、気を付けてね」


 見つめ合う私達をニタニタしながら見てくる元夫。



「……良かったな、芙由」

「え?」

「お前、幸せそうだよ!笑」


 元夫は自虐的な笑みを浮かべながらも、心から私と光くんの関係を祝福してくれているようだった。



──…ブーーーンッ……ブッブーンッ……


 二人は大音量でバイクを吹かすと、お互いのエンジン音を比較して楽しそうに笑ってる。


 小さくなっていく二つのヘルメットをぼんやりと見つめながら……やっと訪れた穏やかな日々を、私はじんわりと胸の奥で噛み締めていた───

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