6
───高みを迎え、私の上にピッタリ被さって、乱れた呼吸を整えてる光くん。
「……ごめん、重くない?」
ハッとしたようにすぐに私を気遣ってくれる。
「全然大丈夫。ありがとう」
伝えると、安心したように笑ってくれた。
最高に幸せで、これ以上にないくらい愛しくて。
光くんも人間なんだと感じられて、嬉しかった。
でも……心に生まれてしまった小さなモヤは、消えずに胸の中に立ち込めたまま。
“どうして避妊具持ってるの?”
“やっぱり……彼女いたの?”
モヤモヤが、頭の中で言語化されていく……。
きっと顔に出てしまってたんだろう。
ティッシュの塊を捨てて戻ってきた光くんは、心配そうに私の顔を覗き込んできて。
「………ごめん。俺……下手だった……?」
「……え?」
「芙由、いけなかったよね?俺ばっかごめん……」
叱られた仔犬みたいにシュンとして、そんなことを言ってくる。
「ううん、そんなことない。最高に幸せだったよ」
愛しくて、かわいくて、泣きそうなくらい嬉しくて。くだらないモヤモヤを感じてる自分が馬鹿らしくなって、力強く答えた。でも………
「じゃあ……何でそんな顔してんの?」
「………」
光くんには、誤魔化せそうもないみたい。
ちゃんと聞いて向き合わなければいけないことのような気がした。
本当のことなんて……
知らないままの方が良いのかもしれないけど……。
「……ちょっと……気になったことがあって…、」
「ん?なんでも聞いて。俺なんでも答えるよ」
光くんは肩肘をついて身体をこちらに向けて、質問を待ってくれてる。
「……私と付き合う前………彼女………いた?」
「え?……なんで?」
「だって………、……ゴム……」
光くんは、あぁ……と言って。
ほんの一瞬だけ、気まずそうな顔をした。
「……ごめん。いた」
………なんなんだろう……この気持ち。
過去の恋愛では感じたことのない気持ち。
「……それってもしかして……」
「……ん?」
「白鳥愛梨ちゃん……?」
「…………そう」
そっか。光くん、やっぱり付き合ってたんだ。
愛梨ちゃんと……。
あの噂、本当だったんだ……。
噂が流れてたあの頃は、お似合いだなって思っていたはずなのに。光くんの幸せを応援できないファンの気持ちなんて理解できないなって、思ってたのに。
正直、ショックだった。
ちょっと。…………いや、かなり。
何がショックかって……光くんがファンに嘘を付いていたことが、ショックだったんだ。『彼女なんていません』ってずっと言ってたじゃない。
それを信じていたピュアなヲタクだったあの頃の自分が、ちょっと可哀想にも思えてきて。なんとも言えない気分になる。
なんだろう……。光くんは何一つ悪いことなんかしていないのに、ちょっと裏切られたような気持ちになっていた。
でも……そりゃそうだよね。
それが健全な男の子だよ、逆に。
こんな美貌と素敵すぎる内面をもってして、恋愛したことなかったら……その方が怖いって。
頭の中で、自分会議を繰り広げていたら、
「ごめんね」
光くんは、眉尻を下げて不安そうに私を見ていた。
「インタビューで嘘ついててごめん」
本当は嘘なんて付きたくないけど、そうするしかない仕事だから……って。いつもしんどいなぁって思いながら答えてた、って。
大きなキュルキュルの瞳から、「アイドル」という職業と向き合う彼の……
悲痛な胸の内が、伝わってきた────
「でも、愛梨とはもう本当に終わった。まじで今は何もないから。連絡も一切取ってないし、仕事も一緒にならないようにマネージャーに伝えてある。信じて……?」
真剣な表情。嘘じゃないのは、分かってる。
ちゃんと、分かってる。
────ピーーーン…
この時、心の中で何か鋭い糸のようなものが頭から爪先まで突き抜ける感覚があった。
喩えて言うのなら、ずっと解けずにいたクイズの答えを見つけたような。そんな感覚。
光くんと付き合うということは──推しと恋をするということは、こうゆうことなんだって。
これから先、私の心の中で生まれるであろう、さまざまな感情──劣等感、不安、優越感、独占欲……そんなネガティブ要素のあらゆる感情と闘っていくんだって。
自分の中でそれらと上手に折り合いを付けて……
アイドルではなく、人としての光くんを想い続けることなんだって。
この時、はっきりと分かった。
それが出来ないのなら、これから先も光くんの側に居続けることはできない。
どうする?私。
腹を括って、光くんの側にいる?
それとも……諦めて、離れる?
自分に問う。
そして、答えを出した。
「………わかった。信じる」
離れるなんて選択肢……あるわけないじゃない。
ずっとずっと応援してきた、大好きな推しだもん。覚悟を決めて側にいる。私は、そうしたい。
「……思ったんだけどさ?」
「ん……?」
「俺これたぶん……推しできたわ」
「……え?!」
「だって俺、芙由の言葉も行動も全部にキュンと来るもん。芙由が俺の推し!笑」
推しってこんな感じかー、と独りで納得して、私を抱き枕みたいに手足でキュッとホールドする。
「───…おやすみ」
「おやすみなさい」
その夜……温かい体温に包まれながら、光くんとの世界が一つになった気がして……
今きっと、この世で一番の幸せなのは私だって、胸を張って言えるなぁなんて考えながら。これ以上ない幸福感の中、ゆっくりと瞼を閉じた──
─────…翌朝
全身に窮屈さを感じて目覚めると……目の前には、寝息を立てる光くんの顔。
私の身体にガッチリと巻き付いた手脚。
嬉しいんだけど……ちょっと苦しくて。
そーっと腕を退けようとすると、更にキツく抱き締められると同時に、さっきまでスゥスゥと聴こえてた寝息が聴こえてこないことに気付く。
「光くん……もしかして、起きてる……?」
声を掛けると、
「……ははっ、バレたか」
私を見て、ふっと頬を緩める光くん。
「おはよ」「おはよう」
こんなに幸せな朝があったとは。これまでの人生では感じたことのない深い幸せに、朝から身体が火照ってくる。
「ねぇ光くん……苦しいってば。笑」
「え?あぁ、ごめんごめん!」
無意識に力込めてたわ、って笑ってる。
厚い胸板からゆっくり顔を上げると、私を見下ろす澄んだ瞳と視線が絡む。
引き寄せられるように顔が近づいてきて………
──と、思いきや。
「やっぱ辞めとく」
「……?」
「芙由は俺の彼女だけど、ずっとファンでもいてほしいから」
どうゆう意味なのかと首を傾げていると、
「……あー、でもやっぱチューしたい」
光くんは私を起き上がらせて、なぜか洗面所へと連れて行かれる。
鏡の前に立って歯磨きをし始めた光くんを見て、あぁ、なるほどって。理解した。
私も並んで歯を磨き始める。
大好きな人との何気ない朝に幸せを感じつつ、歯磨きをして順番に顔を洗い終えると、
「ん、これでOK!」
そう言いながら、正面を向かされて。
「…──っ、」
鏡の前で抱き合って何度も交わしたキスは、ミントの爽やかな香りがした…────
「俺今日、昼から番宣で生放送の情報番組出るからさ、時間あったら見て?」
「わかった。絶対見るね」
光くんは家まで送ると言ってくれたけど、生放送の前に忙しくさせてしまうのも悪いから、電車でのんびり帰宅した。
家に着くと、机の上には置き手紙が。
教科書のお手本みたいに綺麗な字。
見慣れた、お母さんの字。
──────────────────
昨日の夕飯の残り、冷蔵庫にあります。
柚はいつも通り学校に行きました。
──────────────────
一階からは子供達の歌声が聞こえる。
力いっぱい叫ぶような歌い方。可愛くて頬が緩む。
私の両親は、小さな託児施設を営んでいる。
自宅の一階が託児スペースとなっていて、お父さんが施設長、お母さんは現役の保育士として若い保育士さんとともに保育をしている。
ソファーに座り、昨夜の出来事をふわふわと思い浮かべた。
私……光くんと…………。
やっぱり信じられなくて、頭がポーッとする。
ハッとして時計を見ると、光くんが出演する番組が始まる時間になっていた。
慌ててテレビの電源を入れる。
テレビの中の光くん──私が3年以上見つめ続けてきたGSの光くん……の、はずなんだけど。
なぜだろう……?
なんか今日の光くん、ものすごく色っぽく見える気がする。
昨日あんなことしたから、記憶と重ねていやらしい目で見ちゃってるのかな……?!
やだなぁ、私ってば。
そうしてまた私の脳内は、昨晩のベッドの上の時間へと逆戻り。
気が付いたら、生放送のエンディングだった。
番組が終わると……いつもの癖で、SNSを開く。
この3年以上、毎日昼夜欠かさずチェックしていたヲタ活用のアカウント。
流れてくるファンの人たちの投稿を見て………私の思考は、フリーズした。
『今日の光くん色気やばすぎなかった?!』
『彼女できたのかな?』
『爆イケすぎて嫌な妄想膨らむんだけど……』
『やっぱ白鳥愛梨とまだ別れてないのかな?』
『今は愛梨じゃなくてA子と付き合ってるっぽいよ』
『彼女いたらまじ無理なんですけど』
『このエロさ確実に事後じゃんーーしぬーー』
ファンの方々の洞察力の鋭さは知っていたけれど………。
やっぱり、生半可なレベルではなかった。
そりゃそうだよね。
毎日光くんを生き甲斐にして過ごしてる人が、光くんの表情の一つ一つを隈なくチェックしてる人達が、何万人何十万人といるんだもんね……。
SNSを見ながら………
罪悪感、優越感、不安、嫉妬……
よく分からない感情に心が掻き乱され、バクバク心臓が鳴り始める。
私が……光くんの彼女に……
なってしまったんだ………。
正真正銘の、彼女に。
推しと恋する世界線に───今、生きてるんだ。
なんだか急に怖くなって。
SNSのヲタク用アカウントを……
震える手で、静かに、削除した─────
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