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──結局、光くんはブログを更新しなかった。
事務所も《本人に任せている》というコメントのみ。おそらく『世間が自然に落ち着くのを待つ』という判断なのだろう。
それでも当然ファン達の炎上は止まらず、私はもう怖くて、SNSもネットニュースも開けなかった。
光くんからの連絡もないまま、時間だけが過ぎていく。テレビやSNSで見る限りでも光くんはマスコミの注目の的で、ずっと週刊誌に張り付かれているみたいだった。会うことなんて……不可能だよね。
このまま終わりなのかもな……。
なんか呆気なかったな、と思う。
「芙由ちゃん、ご飯にしましょ」
「あ、うん」
お母さんは、あれから詳しいことは何も聞いてこないけれど。きっとテレビもネットニュースも見てるだろうから、何となく状況は分かってるに違いない。
こうゆう優しさに、子供の頃から救われてきているけど……。
「………もしもし?清水ですけれども。……もしもし?……あれ、まただわ」
「……………」
このところ、嫌がらせの無言電話が頻繁に掛かってくるようになった。
こんなことを考えたくはないけれど、きっと光くんのファンが私のことを調べたんだろうなと分かる。
だって、あの報道があった直後から始まったことだから。
「……ごめんね……お母さん」
「ううん、平気よ。気にしない、気にしない」
お母さんはそう言ってくれるけど……
本当は平気なわけがない。だって…………
「おい、またかよ。……こんなの続いたら保護者からクレーム来るぞ」
「あら……困ったわね……」
「…………」
……家族の仕事にも、支障が出ていた。
託児所の玄関に大量の泥が置かれていたり、郵便ポストにカッターの刃が入れられていたり……。
あまりにも酷かった。一度報道がされてしまった以上、きっとこれから先もこの嫌がらせはずっと続くのだろう。
引っ越すしかないんだろうか。でも、託児所に通う子供達や親御さんのことを考えると、そう簡単に場所を移転するなんてことはできないし……。
「お母さん……」
「ん?なぁに?」
「私……家を出るよ」
もう、それしかないと思う。柚と一緒に引っ越す。ここにはもう私はいない旨の貼り紙をして、あとは警察に相談しよう。
……これ以上、両親に迷惑をかけたくない。
光くんに会うことも、もう二度とないのだから。
どこか遠く、地方の静かな場所にでも引っ越そう。翻訳の仕事はパソコンさえあればどこでも出来る。それに加えてほんの少しパートで働けば、柚と二人でなら充分暮らしていけるだろう。
でも、お母さんは反対だと言って、他の方法はないか考えようという話になり、ひとまず食事を終えた。
お母さんが事務仕事のため一階に降りたので、洗い物をしていると……
───ピコンッ…
リビングテーブルに置いてあったスマホが鳴る。
なんとなく、予感がした。
スマホを手に取り、通知を確認すると……
『明日、会いたい』
………やっぱり。
光くんからだ。心臓がバクンバクンと騒ぎ出す。
自宅はマスコミが張っているからと、ホテル名と部屋番号が送られてきていた。
どうしよう……行くべきかな……。
でも、会ってしまったら引き返せなくなりそうで。
このまま会わずに終わりにした方が諦めがつく気がする。
残念だけど、きっとこれが私と光くんの運命だったんだよね……。涙が込み上げてくる。
フルフル震える指で、なんとか文字を打ち込んだ。
『行けない。ごめんね。さよなら』
自分で書いたメッセージなのに。
どうしてこんなに辛いんだろう。
本当は終わりになんかしたくない。ずっと一緒にいたかった。もう、ファンとアイドルの関係じゃないんだもん。ちゃんと恋人だったのに……。
涙が溢れてきて、送信ボタンを押せないまま固まっていたとき…………
───ピコンッ…
───メッセージがもう一通届いた。
『絶対来て。見せたいものがある』
さっき打ち込んだメッセージは送らないまま。
返事もできないまま。
私はぼーっと、スマホの文字を眺めていた───
───翌日、結局私は返信できなかったけれど、光くんが「絶対来て」というのだから、行かなければいけない。
不審がられないように気をつけながら、常に周りを十二分に確認して、ホテルへと足を踏み入れた。
メッセージを再度確認し、部屋に向かう。
「…………ここだ」
──コンッ…
ホテルの部屋を軽くノックした。緊張のせいで僅かにしか当たらず、掠った音になった。
それなのに、すぐに扉が開いて……
「……芙由……来てくれないかと思った…っ…」
そう言って腕を引かれて、部屋に入るなり……
力いっぱいに抱きしめられる。
「……………」
何も言えなかった。
ただただ、涙が止まらなかった。
やっぱり大好きだって。
私は光くんが好きなんだって。
そんな言葉ばかりが頭の中を巡ってる。
「ごめんね。俺のせいで嫌な思いさせて……いっぱい泣かせてごめんっ……」
……光くんのせいじゃないのに。
私が光くんのファンだったせい。
今もファンなせい。
ファンの気持ちが分かり過ぎるせい。
そして私が……弱いせい。
「私……ずっとファンだったから。光くんの…」
「……うん」
「だから……光くんに彼女いたら嫌って…年上で子持ちの一般人と付き合ってたら嫌って…そう思うファンの気持ちも…すごく分かるから……」
「……うん」
「皆が光くんを生き甲斐にしてるのに……私なんかが……ごめんなさいって……怖くなって……」
声が震えてた。
それでも、泣きながら一生懸命気持ちを伝える。
「アイドルの光くんを求めてる人、沢山いるから……だから………、」
その先は……言えなかった。
涙が止まらない。
光くんはそっと身体を離すと、私の目を見て……
「……分かった。………じゃあ、別れよっか」
ついに……言われてしまった。
ううん……私が言わせてしまった。
“別れ”という言葉。
大好きなのに……。
忙しくても、ちゃんと大切にしてくれてたのに…。
胸が苦しくて、涙が止まらなくて。
顔を見ることができずにいると…───
「───……って、俺が言うと思う?」
「……え…っ…?!」
驚いて顔をあげる。
光くんはなぜだか幸せそうにニコッと笑っていた。
「芙由に辛い思いとか怖い思いさせてんのはよーく分かってる。俺がこの仕事してるせいで……そこはまじでごめん」
光くんは再び私を抱きしめて、私の後頭部をそっと手で包み込んでくれる。
「………でも、無理なの俺。
芙由がいてくれなきゃ……もう頑張れない」
「……光く…っ…」
光くんの声が優しくて……涙が更に溢れ出す。
「でも……、私……自信ない。……怖いの。全然違う世界で生きてきたのに……ほんと……なんで私なんだろうって……」
今更こんなこと言うなんて馬鹿みたいだよね。
でももう……心身ともに、限界が近づいてる。
これ以上はもう……頑張れな……「芙由?」
思考に分け入ってきた光くんの声。
顔を上げて目を見ると、これまで見てきた中で一番澄んだ瞳で、真っ直ぐに私を見ていた。
「全然違う世界で生きてきたって、今言ったよね?」
「……うん…」
光くんの話そうとしてることの意図が分からなくて、首を傾げる。
「そんなことない」
「……え?」
「…………ずっと前に知り合ってたんだよ。俺たち」
光くんが取り出した一通の手紙を見て……
時間が、止まった。
─────────────────
にじの家 ひかるくんへ
なつ休みは何をしますか?
わたしは、えいごの本を買って
たくさんべんきょうします。
いやなことがあったら
なんでもはなしてね♡
ひかりの里 ふゆより
─────────────────
「……俺の大切な人が、残してくれてたんだ」
驚きすぎて、手紙の文面から目が離せない。
文章の内容なんかちっとも頭に入ってこないけど、これが昔……自分が書いた手紙だということだけは、理解した。
「……芙由、覚えてる?」
うそ……まさか……ひかるくんって……あの……?
高校生の頃───
料理やお菓子作りが好きだった私は、人気のお料理雑誌をよく読んでいた。その雑誌の最後の方のページにあった《文友募集掲示板》。
友達がいなかった私は、その掲示板に募集記事を投稿した。
何人からか手紙が来たけれど、1往復程度でやり取りが終わってしまった子がほとんどだった中、一人だけやり取りが続いた子がいた。
小学校低学年の男の子───ひかるくん。
県内の養護施設に住んでいる子だった。
学校でお友達と喧嘩をした話、嫌いな施設長の話、大人になったらかっこいい車に乗りたい話。
全部ひらがなだったけど、一生懸命書いてくれたことが伝わる手紙だった。
たいした内容ではなかったんだけど、その文通は楽しくて可愛くて、私の癒しになっていた記憶がある。
1年くらい経った頃、急に返事が来なくなったときには、すごく寂しかったっけ。
「え……でも光くんって、シングルマザーのご家庭で育ったんじゃなかった……?」
苗字も違ったし……全然気が付かなかった。
光くんはちょっと申し訳なさそうに眉根を下げて、
「ううん、違う。俺ほんとは15まで施設育ちなの。世間には公表してないけどね」
「…………そうだったんだ」
そっか。公表してないことあるんだよね。
そうだよね……。
またちょっとだけ、複雑な気持ちになる。
「芙由も………そうだったんだね」
「………うん」
そう。私の両親は、本当の親ではない。
……いや、その表現も違うや。
生みの親ではない、ということ。
私は生まれてすぐに捨てられた子供。
母親も父親も知らない。
ひかりの里───それが私の育った場所。
生後1か月で母親が育児放棄をして、保護された私はひかりの里に預けられた。私の今のお母さんは、そこで働いていた養護教諭。
生みの親ではないといっても、それは文字通り「生みの親」ではないというだけで、私からしたら本当の母親となんの違いもない。
小学校中学校と、特にいじめられたというわけではなかったけれど、心を許せる友達が一人もできなかった私は……ふとした瞬間に、言いようのない虚しさに襲われることがあった。
その度に「私はなんで生まれてきてしまったんだろう?」という考えがよぎった。
そんな私に、お母さんはいつも言ってくれた。
「生まれてきてくれてありがとう」……って。
英語が好きなのも、別の国の言語に触れている時間だけは別人になれるような気がして、自分の生い立ちを忘れられたから。
ちょうど私が18歳になり、
家を出ようといていた頃───
お母さんはひかりの里を辞め、お父さんと一緒に今の託児所を開くこととなった。そのときに言ってくれた。
「ねぇ芙由ちゃん?私と……家族にならない?」
涙が出るほど嬉しかったことを覚えてる。私はその日から、清水家の娘になった。
「…………そうだったんだ」
ホテルのベッドに腰かけて一気に話し終えると、光くんは、ぼーっと窓の外を眺めながら言う。
「………俺、この手紙見たとき思ったんだ」
「………?」
「俺たち運命だったんだって」
“運命”
そのロマンティックなフレーズに……
私の心が……大きな味方を付けたような。
固く強い鎧を手に入れたような感覚を覚える。
「………芙由にお願いがある」
光くんは突然そう言って、私の両手を包むようにやさしく握った。
正面から見つめられて、目を逸らせない。
きっと今私……涙でお化粧も剥がれ落ちてぐちゃぐちゃな顔してるんだろうな……と恥ずかしくなる。
光くんは自分のスマホを取り出して、あるページを開くと、私に見せてきた。
そこには大きなお部屋の画像が映っていて……
ん……?$……?
「……付いてきてほしい」
「………え?」
「──────アメリカで、一緒に暮らそう」
ドッキン、ドッキン、
全身を駆け巡る音が騒がしい。
───…時が止まってる。
なのに心臓だけはすごいスピードで動いている。
「ずっと一緒にいたい」
「………」
「仕事も芙由も諦めないって、俺決めたから」
そう言うと、頭を引き寄せるようにして抱きしめてくれた。
「……まだ『なんで私なんだろう』とか言う?」
「……っ…、…っ…、」
「つかもう、逃げらんねーよ?笑」
違う世界の人だから……そう言い聞かせて光くんとの関係を諦めようとしてた私だったけど。
たしかにもう……逃げられない。
もう、腹を括るしかない。
──────本当の意味で。
「光くん……」
「ん?」
「私も光くんの役に立ちたい。サポートさせて」
自分の持ち得ているもの、環境、タイミング……
すべてがここへと繋がっていたんだと。濁りのない爽やかな気持ちが、私の背中を押してくれる───
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