最終章:推しと恋する世界線



───寒い季節も半分過ぎたある日……


 自宅で夕食を食べている時だった。



♪…プルル…ッ…


 電話が鳴ってスマホを見ると、光くんからだった。


 何だろう……?

 こんな時間に珍しい。胸騒ぎがして、


「……ごめん、ちょっと出てくるね」


 両親と柚にそう告げて席を立ち、廊下に出る。



「もしもし……?」

「あ、芙由……ごめん……」


 心なしか少し上擦って聴こえる声。


「……どうしたの?何かあった?」


 胸のザワザワが消えない。電話の向こうは事務所かな?やたらめったら騒がしい。


「ごめん……芙由……、……撮られた…」

「え?!」


 一瞬、意味が分からなかったけど……


「撮られたって……光くんが?」



 週刊誌……ってことだよね……?


「……俺…ってゆうか……」


 言葉を濁す光くん。

 胸のザワザワが最高潮に達した時───


「俺らのツーショット。……明日出るって」


 頭が真っ白になった。

 一番起こってはいけないことが起こってしまった。

 あれだけ気を付けていたはずなのに……いや、本当に私は細心の注意を払えてただろうか?

 追突騒動や前夫のこと、いろいろあって他のことに気を取られてなかった……?



「……どうしよう……」


 馬鹿みたいにそんな言葉しか出てこない。

 今を時めくトップアイドルに……スキャンダルを作ってしまった。しかも、一番ファンのダメージが大きい熱愛スキャンダル……。


 言い知れぬ後悔と罪悪感が襲う。


「光くん……私に何か……できること……」


……言い掛けて、やめた。光くんのことだもん。

 きっと「俺がどうにかする」と言うに決まってる。


「とりあえず、明日載るやつ送っとくから」


 何やら後ろから大きな声で何度も名前を呼ばれてる光くん。


「──ごめん、一旦切るね」


 プツリと切れる電話。


……どうしよう。


 目の前が真っ白になり、チカチカしてきて。

 スマホを握りしめたまま、廊下に立ち尽くす。


──…ピコンッ


 2分後、送られてきた画像を見て……

 全身が凍り付いた。



《 優城光 年上シングルマザーと極秘交際!》

《 愛車で夜勤明けお出迎え♡ 》


 いやらしいくらいにデカデカと書かれた見出しの下には……光くんが車のドアを開けてくれてる後部座席に乗り込む私の後ろ姿が、バッチリ収められていた。


 これはもう……言い訳のしようがない。

 正真正銘、私と光くんだった。


……スマホを持つ手が震える。

……どうしよう。



──…ピコンッ


 再びスマホが鳴る。


『ちゃんとファンに話すから』

『大丈夫だから、安心して』


……ファンに……話す……?


 頭がグルグルして訳がわからない。

 スマホを落としてしまいそうなくらいガタガタ震えている手。


 その場にしゃがみ込んで、目を瞑る。


 私の脳内には……コンサートで光くんの団扇を振りながら、幸せそうに笑うファンの人達の笑顔が、次から次へと浮かんできていた…────




──結局、一睡もできないまま朝を迎えた。


『光くん、ファンに話すのはダメだよ』

『お願いだからやめて』


 昨日最後に送ったメッセージは未だ既読にならず。



 一晩中スマホを握り締めて、片っ端からSNSやネットニュースを見ていたけれど、まだ情報は公開になっていないらしい。



 AM5:30……もう何度開いたか分からないネットニュースのアイコンをタップする。



《 優城光、熱愛発覚!! 》


──……ついに……出てしまった。


 ドクドク…ドクドク…


 心臓がものすごい速度で波打って、スマホを持つ手がまた震える。


 本文には、驚くくらいほとんど事実が書かれていた。一体どうやって調べたというのだろう……?


 私が一般人だからか、詳細はうまく誤魔化して書かれているけれど……もうだいぶ前から週刊誌に付けられていたことが分かり、ゾッとする。


 震える手で、私はSNSのアイコンをタップした。


『優城光』


 トレンド欄の一位に表示されているその名前。

 戸惑いながらも、その文字列を押す。


『光くん熱愛?! #優城光』

『え、これまじ? #優城光』

『有り得ない #優城光』

『ダメージはんぱない… #優城光』

『まじか……きも…… #優城光』


 夢中で下へスクロールする。


 溢れ返る不満。嘆き。悲しみ。絶望……。


 ふと……ある投稿に目が止まる。


『一般人か〜、歳上か〜、 #優城光』

『白鳥愛梨の方がまだマシだった #優城光』

『自担じゃなくてよかった。。。 #優城光』

『ファンが可哀想だな~ #優城光』


……私の脳は、ここで、動きを止めた。


 “ファンが可哀想”


 その言葉がグサグサと胸に突き刺さる。


 私が光くんと出会う前……1ファンだった頃。

 毎日毎日、SNSで動画や画像を見漁って、毎月ファンレターを書いていた頃……。


 あの頃の私が、もし今のこの現状に、ファンとして直面していたら……?


 受け入れようと努力はしたかもしれない。

 でも確実に落ち込んでいたはず。


 年上のシングルマザー?

 普通の一般人?


 なんか嫌だな……。

 若くて綺麗な女優さんとの方が良かったな……。


 きっと私だって、そう思ったに違いない。デビュー前から知り合いだったなんてことがあればドラマチックなのに。……また、そんなことを考えてしまう。



「私……何やってるんだろ……」


 光くんには大勢のファンがいる。

 彼に本気で恋してる人だって、大勢いる。


 その人たちの生きる希望を……

 私は、奪ってしまうんだ。


 光くんが優しい言葉を掛けてくれるから勘違いし始めてしまっていたけれど、私は一般人。

 ごくごく普通のシングルマザー。


 光くんの彼女に……私がふさわしい訳がないんだ。



───ピコンッ…


 通知が鳴る。光くんからの返信。


『なんで?ちゃんとファンに話したい』

『もう隠すの嫌だし、良いきっかけだよ』



……分かる。分かるよ。


 光くんはそうゆう人だから。


 だけど私は……知ってるんだ。


 ファンの気持ちを。

 ファンがどれだけ彼を想っているのかを。

 沢山の人が、彼を生き甲斐にしてることを……。


 だって私もずっとずっと……

 ずっと、光くんのファンだったんだもん。


 急に恐くなる。何もかもが。


 いろんな言葉や感情が頭と心をグルグルしてきて、何も考えられなくなってしまった。


 光くんへの返信画面を開く───



『もう、終わりにしよう』





──プルルルッ…


 送ったメッセージが既読になると同時に電話が鳴る。隣で眠る柚を起こさないよう、静かに寝室を出てトイレに入った。



「……もしもし?」

「どうゆうこと?」


 普段あんなに優しい光くんが……怒っていた。

 低い声は微かに震えてる。


「どうゆうことって……そのままの意味だよ……」

「は?なんで終わりになんの?意味分かんねーんだけど」


 苛立ちを隠し切れない様子。


「……私のせいで……ファンの人達みんな……悲しんでるから……」


 アイドルの彼女になるなんて、やっぱり私には無理だったんだ。ふさわしいのはきっと……私じゃない。


 世界中の沢山の人から攻められているような気持ちになっていた。


 アイドルの彼女になる覚悟……決めたはずだったのにな。ファンの方々の反応を目の当たりにしたら、一瞬で砕け散る。


 こんな……私みたいな弱い人間じゃ……、



「やっぱり……光くんにふさわしいのは、私じゃないよ……」

「……なんで今更そんなこと言うの?」

「だって……私はただの一般人だし……光くんは……スターだもん……」


 尻窄みになる声。光くんは何も喋らない。

 電話の向こうから、ふぅーっと深いため息を吐くのが聞こえてくる。


「ファンの人が受け入れやすい相手っていると思うの。私じゃなくて……例えば……女優さんとか…、」


 苦しくて、涙が込み上げてきた。服を着たまま座った便座の上、パジャマのズボンに……ポツン、ポツンと涙の染みが出来ていく。



「……なんだよそれ。俺の気持ちはどーなんの?」

「………」

「俺は自分が好きな人と付き合っちゃいけないの?

俺だって人間なのに?ファンの反応考えて付き合う人選べって?」


……何も言えなかった。


 光くんの言う通りだと思う。


 ただ私が、臆病なだけ。弱いだけなんだ。

 ファンの人達を悲しませてしまってる罪悪感から、一刻も早く逃れたい……それだけだと気付く。



「っ──、」



 ぶちッと電話を切られてしまった。

 途端に涙が滝のように流れ落ちてくる。ひとしきり泣いて、涙を拭いながらトイレを出ると、


「……芙由ちゃん……大丈夫……?」


 廊下にお母さんが立っていた。

 おそらく……話し声も聞こえてたはず……。


「ごめんね。柚に秘密って言われてたんだけど……お母さん知ってたのよ」

「……そっか……。やっぱり……そうだよね……」


 苦笑が漏れる。柚はまだ小学生だ。お喋りが大好きなお年頃。誰にも言わないでいられるはずがない。


 お母さんの心配そうな顔を見たら、また涙が溢れてきて……


「……っ……つらいの……、……もう嫌だ……、……私……なんで生まれてきちゃったの?……もう生きてなくない。……やだっ……もう嫌……、」



 ずっと一人きりで耐えてきた──

 独りぼっちで抱えてきた感情が、爆発してしまう。


 “なんで生まれてきちゃったの?”


 子供の頃の口癖も……

 久しぶりに、言ってしまった。


 お母さんは、私よりもずっと小さな身体で私を抱き締めて、背中をトントンしてくれる。……子供の頃と同じように。


「そんなこと言わないの。お母さんは芙由ちゃんがいてくれて心から幸せ。柚とも出会えて最高の人生よ。芙由ちゃんも、柚も、生まれてきてくれてありがとうって、毎日思ってるんだから」


 “生まれてきてくれてありがとう”


 これまで何度も励まされた、その言葉。


 一度溢れ出した涙は止まることなく。お母さんの胸の中で……子供みたいに、わんわん泣いた───

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