第15話 彼岸の花束④
あれは、遠い昔のフレアが幼かった頃の話。とある用事でお城へやってきた時のことだった。
お城の廊下を歩いていた私は、お城の敷地内にある、空の開けたお花畑の庭園に目を奪われていた。
白いお花が咲き乱れる庭園の中心には、小さな背丈に見合わぬ長髪の白いワンピースを着た少女が一人。その少女は優雅に気持ちよさそうに踊っていたんだ。
本日のお天気に感謝をするように、華奢な裸足で大地を踏み鳴らし、それでいてひまわりのような温かさと芯の強さを同時に感じさせられる、なんとも不思議な子。
あまりにも衝撃的な光景に、まるで羽を失った天使がお空へと還ろうとしているようなその少女に、私は思わず声を掛ける。
「風邪ひくよ」
それが、最初の第一声だった。
そしたら
「知ってる」って返ってきた。
それも、『だから何?』って言いたげな顔で。
「雨が好きなの?」
って聞くと、
「雨が私を好きになるの」
って少女は返す。
そして、『バカね』って言いかけた言葉を喉奥に押し戻して、私は強引に少女の手を引いて廊下の下へと連れていくの。
なにせ、お外は豪雨だったから。
「ほんとうにおバカさんなのねアナタ。私はフレア! 一流のオトナのレディとして、この国のお姫様になるの!」
「……そうなんだぁ。私はシオン。がんばってね!」
ここで自己紹介を終えた。
この子はきっと相当なおバカさん。アホまる出しの幸せそうな笑顔と、気の抜けた話し方ですぐにピンときたわ。
けれども私はこの子を最初のお友達にして差し上げようと決めた。いくらおバカさんでも、この城の敷地内にいる以上は相当に偉い身分には違いないのだから。
「私は国の軍事事業を担う父を持つ娘、エルフレア・ハイゲンシュタイン。″次期王妃”地位継承権を巡る戦いを勝ち抜くためにお城にやってきたの!」
そう言って、よろしくどうぞと手を差し伸べた。
それが、シオンとの初めての出会いだった。
______________
城壁を背に仁王立つシオンの周りを小さな雨粒が踊っている。
その怨恨に満ちた表情は、初めて出会ったあの頃のかわいい少女とは違う、″女帝”のような覇気を放っていた。
「そこで何してるの」
そう告げた途端、シオンは無言で私を突き飛ばした。
やはり様子がおかしい。今までやり返さなかったくせに、今回ばかりは手を出すなんて。
「消えて。やることがあるの」
「やることって何。まさか森に入ろうだなんて思ってないでしょうね」
「どこへ行こうがあんたには関係ない!!! 頼むから邪魔をしないで」
今度は水しぶきを吹っ掛けられる。
シオンは明らかに焦っていた。
そして雨は止み始める。
「(最悪だ。こんな時にフレアと出くわすなんてツイてない…… 相手をしている場合じゃないのに)」
「ねぇ、そろそろ話してもらっても良いのではないですか?」
「あぁめんどくさい…… これだからめんどくさいんだよ、仲良しこよしのお友達は‼」
再び、水でできた巨大な枕で殴られているかのような衝撃が襲いかかった。
咄嗟に炎球で相殺するも、水と火ではやはり相性が悪い。
「おねがい。今は一人になりたいの」
そう言うシオンの目は、うつろだった。
「一人で何をする気なのかを聞いてるんですの……」
実際おかしかったのは、出会った当時から突然私の前からいなくなり、突然転入してきた時から今に至るまで。
絶対に心の内をぶつけない所は、
ずっと昔から変わっていない。
___________________
初めて出会ってからの数週間後、時々お城へ行くとシオンは暖かな太陽の下、庭園のど真ん中で寝転んでいた。
「あんた何者の暇人なの?」
「過保護すぎてお城の外に出してもらえない、出来損ないの魔術師の見習いだよ」
「なんで出来損ないの魔術師なんですの?」
「患者の治療魔法に失敗したんだ。期待に応えられず、患者は亡くなった。ただそれだけ」
「それで隔離なんて可哀想ですの。囚われの姫…… というより″灰かぶりの姫”ってところね」
私は、少しだけシオンの素性を知る。
そして彼女の泥だらけの頬を拭った。
「
「フレア絶対あの絵本のこと知ってるよね!? 結構前に焚書されたやつ」
「え、えぇ⁉ よく見てましたわ。タイトルは忘れちゃいましたけど」
「気が合うね。じゃあそれまで待ってるよ、勇者フレア!」
今思えば見栄っ張りなワタクシと、真っ直ぐな目で、どこか遥か頂点からこちらを見下ろすように
この時々見せる、悲観的でもなければ、孤独を誇らしげな態度が鼻に突く。
世間知らずなくせに、恐れるものなど何もないかのような堂々さがあって、他者からの影響をも寄せ付けない″自分”を持っていて、まるで王者の風格を放っている。そんなところに強く興味を惹かれてしまうんだ。
シオンは私の目指す妃の理想像のように、全部じゃないけど、私が欲している輝くかけらの一部を握っている――
「さっさと王妃になってよね。私のために」
「フン、生意気ね」
私にはない、本物の″自信”ってやつを。
それからも積極的にシオンと絡んでいると、人間の生りというものが分かってきた。
「あんたドレスは着ないの?」
「想像するだけでお腹が締め付けられる」
お洋服の好みなんかも正反対。
「かぼちゃジュース持ってきたよ」
「ボソボソしてて嫌い」
食の好みが合わない。
「チェスやろう」
「頭使うゲーム無理」
得意なボードゲームを教えて差し上げても、まるで理解してくれない。
逆に、スポーツのような感覚的な部分でいうと、シオンは私よりも強かった。
とはいえ、他のボードゲームも嗜むうちに、シオンは負けた時に真の個性を見せてくれた。
シオンは苦手なことでも何でも挑戦する。勝負事ともなれば顔を真っ赤にして勝とうとするの。
何度やってもシオンは私に負け続けた。
それでもだんだんと勝ち始めるんだ。
絶対に勝つまで諦めない。
必ずやり返して、最後は笑って帰る。
シオンは私と同じ、生粋の″負けず嫌い”。
そんな数少ない共通点が嬉しくてたまらなかったんだ。
気付けばシオンのことが好きになってた。
出会いを生んだきっかけは不純な動機。何も知らないシオンは、太陽みたいな暖かな笑顔で私の夢を応援し続けてくれている。
その優しさは、心の中の膨れ上がっていた″罪悪感”すらも自然消滅して、″好意”へとすり替えられていったんだ。
そして丁度その頃だった。シオンは私の前から姿を消したのは。
突如としてシオンが居なくなってからの一週間、不自然に休暇が空いた。
その間も城へと出向き、お姫様修行に明け暮れる日々を過ごしながら、来る日も来る日も庭園で消えたシオンを待ち続けた。
それでも彼女は現れず、待ちに待った虚無の一か月は、一年くらいに感じられた。
そういえば、この国では王位の決定において魔法族同士の血統が重要視されるという絶対的な風習があるらしい。
それも魔法文化の繁栄のため、信じられてきた血筋による継承を守るため。ドラセナ王も当然この習わしに従うとの表明を示していた。
候補となったのは、フォストレア王家の血統に属する魔法族の男児。彼は王家の中でも、男女一人ずつにしか魔法の能力が発現しなかったうちの一人であったのだとか。
ゆえに候補を募ったのは王妃の側。この機会に恵まれた以上、民からチヤホヤされたいがためにお姫様になるという夢を掴みたい。
ハイゲンシュタイン家に生まれたならば、注がれる愛は結果次第。パパの期待に応えるためにも努力を惜しむ暇などないのです。
そんなある日、事件は起きてしまった。
ふと玉座の間を窓越しに、豪勢な王家のドレスを着飾る誰かが王様と対面されていた時のことだ。
ブロンド髪が美しい可憐な女性。あれは誰だろうって、じっと覗いていると、こちらに背を向けた彼女の口元が微かに緩んだのが見えた。
すると女性はこちらを振り返り、私は思わず目を疑った。
それは、あのシオン本人だったのだ。
さらにその後、耳を疑うようなお話が追い打ちをかけるように舞い込んだのです。
王子が失踪したらしいと。
______________
「逃げるな!!!」
シオンは生み出した水の鞭で、再び私を突き飛ばし、森へと走り出した。
すかさず足を掴みかかった。
そして頬を思いきり蹴っ飛ばされる。
それでも必死に食らいつき、
振りほどかれるの繰り返しだ。
「気まずいのは分かってる。夢だった次期王妃の座はあんたに譲られた。でも私は気にしてない‼ 気にし過ぎなのはシオンの方でしょ‼」
「離して…… お願いだから止めないで」
「また何も言わず、永遠に離れ離れは絶対許さない!!!」
「そういうおせっかいが昔からムカつくって言ってるんだよ!!!」
そして再び水の鞭に叩き飛ばされ、私は泥だらけの水たまりに浸った。
次第にお空の雲行きも怪しくなっていく。
いい調子よ。水底に沈み隠した本心を曝け出してごらんなさい。
シオンがドレア妃を親に持つことも後から知った。失踪した王子に唯一の魔法族であるシオンが次期王妃の継承権を握ってしまったことも全部――
王子失踪の件を聞いた瞬間は、生きる意味を失った。絶望感で胸がいっぱいになった。シオンが悪いわけじゃないのに、全てを奪われた気がした。あれ以来、まるで生きた心地がしなかった。
だからといって貴女を恨むほど私の性根は腐ってなどいないの。大事なお友達が代わりにお姫様になってくれることを喜ぶべきだと思えたのは、
同じくして大切なものを失って、いつまでも腑抜けてる、アンタみたいになりたくなかったからだ。
「シオン、私はいつだって真っすぐな言葉以外は認めませんわ」
「言えない…… 重い話は友達にだって言えない。重すぎる話はキレイに捻じ曲げなきゃ受け取ってもらえないの」
人は大人になって歳を取るほど、無駄な衝突を避けるようになる。
子供同士であれば自然にぶつかり合って、頭に浮かんだ言葉を残酷なまでにストレートに投げつける。
シオンが嫌いな取り巻きは皆そうでした。愚かにも思ったことを素直にぶつけるの。
けれども、そうやって自然と失っていく“本音”を伝える行為は、オトナになるほど衝突を控えがちになる。
そういう回避型の究極体がシオンという人間なんだ。
ですが、それは本来あるべき健全な姿とは程遠いのです。
私もシオンと同じ、無駄に背伸びをし続けてしまった大人のような子供になるくらいなら、子供なら子供らしく正直にぶつかり合うことだって大事だのだと、真に想いを寄せる友にだけは伝えなければならない。
私も一際目立つ令嬢として学生生活を過ごしてみなければ、このような現実を知るまでもなく過ごしていた事でしょう。
するとシオンは、ようやく重い口を開き始めた。
「……王妃になんかなりたくなかったんだよ」
「えぇそうでしょうね」
「本来なら王妃なんて為らずに済んだのに、本来なら、フレアが為るべきだったのに」
「当然ですわ!!! あんたみたいな意気地なしには到底荷が重いのよ」
「私は、自由になりたかった。それが夢だったの」
答え合わせが始まる予感がした。
「王女である私にとって、最初の救世主になったのは中途検査で突然魔法の才格を現わしたどこかの王子だった。その人のおかげで私は王妃にはならなくて済んだ。その時は、まさに天にも昇るような気分だった」
「そこから王子失踪の件で、繰り上がり次期王妃候補となったシオンはわざわざ学校へ…… むしろお城で隔離されていた方が自然とも思えますけれど」
「学校は良いところだよ。汚い目線を感じさせない、子供だらけの優しい世界だ。年齢相応の自然な人間関係を築くことができる」
「なら――」
「卒業までたったの二年」
「タイムリミットは二年。王はどうせ、私のために王妃になるまで休息の口直しがてら学校に入れさせただけなんだろうけど思ってた。最初はちょっとだけ有難いとも思えたご配慮も、次第に恨みに変わっていった。誰と仲良くなろうが、永遠の友達になんてなれやしないのだから」
「それで嫌われようと無視を決めこんでいたと」
「永遠の独りぼっちって、いいなって気付いたの」
「あんたねぇ……」
「初めてフレアと会った時の目はよく覚えてるよ。本心を隠して近付いてくる汚い大人たちと同じ目をしてた。そんな人間に、複雑に絡み合った繊維のような繋がりがブチブチと千切れていく感覚は到底理解できるとは思えない」
「えぇ、分かりませんわ。繋がりなんていつかは切れるもの。瞬くうちに枯れる花々と同じことですの」
「……そうか。なるほど。その通りすぎて感心しちゃった」
その言葉はシオンを良からぬ方向へと導いたようで、周囲に浮かべた泥水を花弁に見立て、庭園で彼女を囲んでいた白い花に似せた、おぼろげな水のドレスに身を包んでいった。
「フレアの言う通りだ。人もお花も一緒。友達だって使い捨て。枯れたら新しいのを摘めばいい、そう言いたいんだね! フレアはずっとそのつもりで接してくれてたんだね」
「違う、……そうじゃ」
「あぁ、よかった。おかげで心が決まったよ」
それが決別の意志と捉えてよいのなら、こちらも浮かべた涙すら蒸発させるほどの炎球を周囲に
絶対に、
「絶交だ。フレア」
そして、シオンの歪んだ決意に天は微笑み、
初めて出会ったあの時以来のゲリラ豪雨が、
大地を殴ったのだった。
続く
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