水征の王妃様 ~下街の魔法薬師とペットな王女🐾~
海鼠まな
~前半戦~ 霧に囲まれた国
『霧の森事件』
File:〔霧の森事件〕
これは全ての始まり。
その日、豊かな自然に囲まれた平和な王国ヒスイにて、一人の少女が『決して入ってはいけない“霧の森”へ侵入する』禁忌を破った。
国の外周を取り囲む霧の森は、踏み入れば二度と帰ってはこられぬ、通称『世界の果て』とも呼ばれる禁足の地。そこへ踏み入った少女を救うため、国王は多大な犠牲を承知の上で兵士達を捜索に向かわせるも、やはり不可能とされた救出作戦、時が経てば捜索は打ち切りを匂わされ、想定していた失敗はやがて現実のものとなりかける。
すると、誰しもが諦めようとしていたその時、櫓から見張っていた兵士から、森の奥地から謎の黄閃光が差し込んだと王に一報。さらに同時期、そこに単独無断で救出作戦を決行したある一人の者が現れたと兵士はその者の名をを言うと、王は形相を変え、国の境へと大急ぎで馬を走らせた――
_______________
謎の閃光の確認よりほんの数分前。
「命に代えても護り抜け‼ いいか、死んでも振り返るな‼」
濃霧に包まれた森の中、すやすやと眠る少女を担いだ上官兵士が部下の兵士へ叫喚。部下は言われるがまま押し付けられた少女を抱きかかえ、その場から逃げるように走り出す――
「はぁ、はぁ…… なんで森になんか入っちまったんだ? どっから森へ入ったんだ? なぁ頼む、眠ってないで答えてくれ。“王女殿下”!!!」
無我夢中で霧の森を突き進む。少女の声はおろか上司の声すらも聞こえない。そこにあるのは肌を逆撫でする冷気と、ひたすらの静寂のみ。全ては『森へと向かい、王女殿下を救出せよ』との命令から始まった。
“森へ向かえ”は“死んでこい”。それは他の仲間もきっと覚悟していたことだろう。どうせなら森に入る手前で、回れ右が賢明であったと兵士は過去を振り返るが、
「は、はは…… そうだ、逃げ場なんて無いんだった」
ここは霧の森に囲われた箱庭、命令に背いた不届き者の逃げ場はない。名もなき一般兵に残された道はただひとつ。成功率ゼロ%の、王女奪還任務を遂行することのみと覚悟を固める。
その時、異質な冷気を背に感じ、振り返った目の先に居た、真っ赤な臓器を半透明の羽衣で纏われた天使のような何かに、最後の兵士は捕食された。
無防備に転がる最後の
そして、いざ化け物による恥辱の晩餐を邪魔に入るかのように、杖を携えし青き髪の魔女が立ちはだかり、
呪文を放った――
謎の閃光確認から数分後、国の境へと到着した王が意を決し森へ入ろうとした手前、少女を抱きかかえ帰還した一人の魔女を目撃すると、王は無事帰還した女性の勇士に思わず膝から崩れ、涙して二人に抱きついたという。
以来、不可能を可能にした英断という名の愚行により生まれた、一連の奇跡は、『霧の森事件』として歴史に刻まれることとなった。
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さらに月日は経ち、事件から一年以上もの月日が経った頃――
良い子も眠る深い夜。城の広間に集ったお偉い様方は、手にした書面をそれぞれ眺めながらの論議を展開していた。
「――して、シオン王女殿下と共に奇跡の帰還を果たした魔女、ハイドレア王妃の功績により、例の魔物は封印の祠にて安置されています。一方、王女殿下を森へ連れ去った犯人の行方と動機につきましては未だ不明、順次行方を追っています」
紳士な役人が大勢の議員らを前に語り、用紙A案の隣にそっとB案を置いた。
すると一人の老人が異を唱えたご様子、
「王女殿下が帰還されたのは二度とない奇跡といっていい。だが奴を一時的に封印した祠は脆弱、次こそ確実に魔物を滅する手立てを考えねば、いずれ人類への報復は現実となろう。偉大なる魔導士であられたハイドレア王妃も現に病で倒れ亡くなられたのだぞ――」
「ですから、王妃の死の間際に娘のシオン王女殿下に託した“魔を滅する力”に、王は希望を持てとおっしゃっているのです」
「その力とやらが開花していればの話だろう。充分な時間が許されているのなら誘拐犯の確保が先では? 内部からの脅威は去っておらんのだぞ」
議論は白熱。
そもそもの話、外出から行方不明となっていたお騒がせ王女が禁忌に踏み入らなければ大事に至ることにはならなかったというもの。救出のため自ら出向いたハイドレア王妃は無傷で帰還するも、その後は禁忌魔術を使用した副作用により患った病でこの世を去るという最悪の結末を迎えている。
しかしお役人の言う“希望”の通り、病に倒れた王妃は己の死に際に、とある仕掛けを王女に施していたようで――
「それが、国王陛下の意思であります」
「“水を操る”魔法のごっこ遊びに希望はないと既に判明したのにか?」
「そう陛下に直接お伝えすればよいかと」
「……私は別の案を出そう。国王陛下もきっとお認めになるだろう」
老人はプランBの紙束にかぶせるように、兵器での武力行使という名目のC案を叩きつけた。霧の森に住まう超生物討伐計画『ハイペリオン計画』と称された一大ミッションの名に懸けて。
するとバタンと大きな音が鳴り、白髭を蓄えた大柄な国王がドアから遅れて入室。ひどく空気は冷え込むも役人は臆せず切り込んでいく。
「封印の結界が破られるタイムリミットは長く見積もっても残り百年。我々が老いるより先に、
「例の件は伝えたか」
「最後にもう一言だけ失礼させていただきます。してこの生物は――」
数ある選択肢を手に眺める王は、記憶の中に留めていた妻から託された夫宛ての遺言書、それも『外部流出禁止の極秘指定』と記された文書の一節を振り返った――
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――無敵の守護を纏う天使の形相を
確実に討つ魔法が一つだけ
見つかったのです。それを娘シオンに
託したことをお許しください。
私の死後すぐ、力が解放され
水の加護で覆われた衣を引き剥がせれば
心臓部に神の鉄槌をも届かせ、
そして魚群のせん滅をも
可能にするでしょう。
これは“愛の喪失”を引き金とする禁忌の術、
どうかご注意を。この事は決して
正しく力が発揮されるその時まで
シオン当人には知られてはなりません――
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「――巨悪の根源“クリオネ”という個体が身に纏う水の守護は、小国をも容易に飲み込むほどの水量を子一人分の大きさにまで超圧縮した絶対防御壁のようなもの。これらを引き剥がす方法は、断じてこの魔法しかあり得ません。これが、王妃の残した最後の伝言であります」
ほっと胸を撫でおろすような思いで読んだ数年前の当初の手紙は、自らの死を活かす自然な流れをうまく利用するといった趣旨の内容であった。しかし蓋を開けてみれば、肝心の娘は母の葬式をもほっぽり出してはケロッとしている始末。いくら過保護に配慮し、限りある贅沢や教育に良いものを与えるだけ与えても、一切の感情を示さないときた。
まるで、人の心がないかのように。
残ったのは、魔法という希望に期待を裏切られた認識と、からくり人形のような娘の誕生日にすら顔を合わせなかった回数が積み重なってく現実。けれど、そんな暗闇の中でも光はあり、
『もしも、娘にかけた魔法が今も正しく機能していたとしたら?』
『幼さゆえに、死や愛への理解が乏しかっただけだとしたら?』
『人は、愛する者の死を悲しむ二度の機会は与えられるのか?』
妻王妃の紡いだ最後の希望、消えかけの灯が凍てついた王の心を突き動かして、熟考の末に意を決す。
非情な我が子が、真の愛を知る頃に、
いずれ娘が好意を寄せた、“誰か”を殺すのだと。
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